11.昔の話
昔のことは、嫌と言うほど覚えている。
足枷の音、手枷の音、暗い牢屋の中ーー一男の人が私を買った。淡い期待を抱いた。没落貴族の自分を、もしかしたらこの人はーーと。
痛い。
痛い。
痛い。
そんな淡い期待は儚く消える。
体の中に魔術の液体を入れる実験。燃えるように身体は熱く、どれだけ胃液を吐いたことか。胃液が出なくなれば、血が出た。
ーー出来損ない。
その言葉がこだまする。男の声が消えない。熱にうなされる中、また牢屋に放り込まれる。でも、あの時と違うことが、一つだけあった。
「だいじょうぶ?」
少し拙い言葉で話しかけてきた、少し年上の女の子。傷だらけで、ボロボロの服を着ていた。綺麗な純白の髪に、ヴィオレットの瞳。宝石のようだと思った。
「あなた、すごい、ねつがある」
そう言って、その女の子は、自分のスカートの裾を破り、晩ごはんーーといっても、小さなパンと水だけだがーーの水を全て使い、布を濡らした。そしてそれを、私の額に乗せた。
「だいじょうぶよ。ねたら、よくなるわ」
そう言って、私の髪を撫でた。初めての経験だった。介抱されたのは、これが初めて。忘れることない、温もり。
安堵した私は、そのまま彼女に甘えて寝た。すると、翌朝、一人分しかない朝ごはんを、彼女は全て私にくれた。みっともないが、腹が空きすぎていた為、遠慮なくかぶりついたのを覚えている。それを見て、彼女は言った。
「わたくしは、シャーロット。あなたのなまえは?」
まだ言葉も拙く、うまく喋れない私を、彼女は忍耐強く待ってくれた。
「0027ばん」
そう言うと、彼女は驚いたような顔をして、なぜか怒った顔をした。びっくりして、俯いて手を弄っていると、「きめたわ!」と彼女が言って、私の手を取った。
「あなたのなまえは、ジャスミン!」
そう言って、笑う。
「かみさまからのおくりもの!」
風なんてないのに、ふわりと風が吹いて、日なんて差すはずがないのに、その場が明るくなった。
ーーそうして、私は初めての温もりを知った。
「ロティー……もう、いいよ……」
あの夜、あの嵐の夜、そう呟いたのは、生きて欲しかったから。私よりも過酷な実験を、頑丈だからと呪いを、あの刻印を残したあの男から、どうか逃げてほしかった。明るい日差しがきっと似合う、可愛くてかっこよくて、優しい女の子。私なんか、放り出して逃げてしまえばいいのに。私なんかーー出来損ないがーー。
それなのにーー。
奴隷でも、贄でも、娼婦にでもなると言った。
私を助けるために。私なんかを、助けるために。私なんかに名前をくれた。番号じゃなく、意味のある温かい名前を。私に食事をくれた。自分も飢えているのに。熱が出たら介抱してくれた。眠たいだろうに、朝までーー。
そんな優しい彼女が何故、こんな目にあわなければならないの。
シャーロット様。
…ロティー。
お願い、幸せになって。
誰よりも幸せになって。
私も、幸せになるから。
だから、まだ、私を置いて行ったりしないで。
ーーロティー。
「ジャジー!」
ーーハッと目が覚めると、私は眠っていたらしい。シャーロットの手を握って、床に座りながら。
「ジャジー、どうしたの?大丈夫?」
「ロティー…っ」
「ジャジー!?」
夢から覚めたばかりだからか、気が緩んでしまった。涙が溢れて止まらない。
ーー唯一の友で、家族。
失いなくない。決して。己の手で守りたい。この、底抜けに優しい姉を。
「ジャジーおいで、わたくしは大丈夫よ」
「ロティーっ、ロティーっ」
「怖い夢を見たのね。大丈夫よ、私がそばにいるから、何も怖くないわ」
「うん…っ、」
どうかいなくならないで。どこへも行かないで。行くなら、私も連れてって。
「あらあら、どうしたの。ジャジーったら昔のジャジーみたいだわ」
優しく笑って、髪をすいてくれる。優しい手付きが嬉しくて、落ち着く。魔女に攫われたと聞いた時は、心臓が破裂するかと思った。また痛い目に遭っているかもしれない。一人で、あの呪いをまたーー。
「ごめんなさいね、心配をかけて。もう大丈夫よ。私はここにいるわ。そうだ、ジャジー、今日は一緒に寝ましょう。昔みたいに」
「昔、みたいに…?」
「そう、一緒に並んで、手を繋いで、寝ましょう?あら、でもこんなにいいベッドじゃなかったわね」
くすくすと笑い、シャーロットがベッドの上に誘う。素直に従い、シャーロットの横に寝転がる。
「今は貴女は侍女じゃない。ただのジャジーよ。ね?だから、ほら手を繋いで」
握られた手に力を込める。
「目を瞑ったら、明日はきっといい日だわ。美味しい朝食が食べられるのよ。パンとお水だけじゃなくて、美味しいスープも、ソーセージも、ハムも、そうだわ、お豆のスープって言っていたわ。楽しみね、ジャジー」
「うん」
「もう怖くないわ。だって、わたくしたち、二人ぼっちじゃなくなったもの。スティーヴン様も、オスカーも、ロゼッタも、そしてテオドールさんも。ね?もう怖くない」
「うん」
「おやすみジャジー、良い夢を」
泣き疲れたのか、彼女に髪をすかれながら、私はそのまま眠りについた。




