6.卒業パーティーⅢ
扉の方に視線を向けると、そこには一人の男が立っていた。
「また邪魔しに来たのか、留学生」
スティーヴンは怪訝な顔で会場を見渡し、シャーロットに目を向けて固まった。イエローとゴールドが混ざったような琥珀色の瞳が大きく見開かれる。
ざわりとその場の空気が変わり、会場の明かりが一瞬で全て消えた。窓から微かに灯される満月の明かりだけが、部屋の中を照らしている。
異様な雰囲気に後退る参列者達には目もくれず、スティーヴンは真っ直ぐにシャーロットの下へ歩みを進める。ただ足を進めているだけにも関わらず、異常なまでに威圧を感じる。
「こいつは魔女だ。離れていろ」
サミュエルのことがまるで見えていないかのように、スティーヴンはサミュエルの横を通り過ぎる。
「おい、聞いているのか!」
サミュエルがスティーヴンの腕を掴むも、いとも容易く振り払われてしまう。憎悪に満ちた表情を浮かべるスティーヴンに、サミュエルの顔が引き攣った。
「もっと早くに来ていればよかった」
怒りの滲んだ瞳には、悲しみも感じ取れた。
(この人は、敵じゃないのかもしれない。)
そう思うと一気に膝の力が抜けた。倒れる前にスティーヴンが支え、そのままゆっくりと床に座らせる。痛みのあまり呻き声が出そうになり、体を折って唇を強く噛んだ。
礼を言おうと顔を上げると、スティーヴンは魔道具に触れようとしているところだった。彼の手を残された力を振り絞って払い退ける。
「怪我、するわよ」
正しい順序で解除しなければ強力な魔力が発動してしまう。怪我をするのは自分だけで十分だ。
手を払った反動で倒れこんだシャーロットをスティーヴンが抱き留める。
「そんなこと、心配しなくていい」
みっともないと思いつつもスティーヴンにもたれかかった。もう、体を起こす体力も気力も残ってはいなかった。
自分の血で汚れていくスティーヴンの正装を眺め、罪悪感で胸が痛んだ。
「……ごめんなさい、汚してしまって」
どの程度言葉になっていたかは分からないが、彼の表情を見るに伝わったことは分かった。
(髪の毛であまり顔が見えなかったけれど……人間離れした、綺麗な顔をしているのね。)
まともな思考ができず、惚けながら考えていると彼の大きな手の平が目を覆った。
骨ばった大きな手は氷のように冷たく、気持ちがいい。
周囲から悲鳴が上がった。
目を覆われているのに、眩い光が全身を包んでいるのがわかる。
肌触りの良いシルクに包まれているかのように心地が良く、温かい。
(この温かい感じ、あの時と一緒だわ。)
体の芯から温かさが広がる、不思議な感覚。
優しい手が離れ、そっと髪を撫でられる。瞼を持ち上げると、すっかり体の痛みがなくなっていただけでなく、先程までの傷も血溜りも嘘のように消えていた。
そして――床にはばらばらに粉砕した魔道具らしきものが散らばっていた。
「そんな、馬鹿な」
驚愕の声を上げたのはサミュエルだった。
魔道具を粉砕できる人間など、聞いたことも見たこともないのだから驚愕もするだろう。一度目にしているシャーロットとジャスミンでさえ目を丸くしているのだから。
「貴様、何者だ!」
サミュエルの声は相変わらず聞こえていないかのようにあしらい、着ていた上着をシャーロットの肩にかけた。
「あとは任せろ」
シャーロットは驚きと戸惑いで声が出ず、ただ黙って見つめることしかできない。
スティーヴンが人差し指をなにやら動かしたと思えば、ジャスミンとフェリクスの手枷が外れた。二人も同じように目を丸くして固まっていたが、すぐ我に返りシャーロットの下へ駆けつけた。ジャスミンに抱きしめられ、フェリクスには何度も何度も痛みはないかと聞かれる。戸惑いながらも頷くと、ようやく二人はほっと胸をなでおろした。
会場は、完全にスティーヴンの独擅場になった。
スティーヴンは躊躇も何もなく国王夫妻の下へ歩みを進め、彼らの目の前でぱちんと指を鳴した。
その音に弾かれたように二人の体が跳ね、一気に顔が青ざめる。
「呪術を解きました。もう違和感はありませんね?」
「あ、嗚呼。助かった」
「……呪術?」
フェリクスが怪訝な声色で尋ねると、スティーヴンは何でもなさそうに頷く。今まで彼らは自由を奪われていたんですよ、と。
その言葉に、そっと目線を逸らしたのはサミュエルだった。
突然現れた妖しい男に、皆が揃いも揃って眉を寄せる。
「お前の名前は……確か……スティーヴン・シアーズ……」
呟くようなサミュエルの言葉に、全身に電流が流れたかのような衝撃を受けた。
「スティーヴン・シアーズ・バンターキッシュ……!」
ざわめく会場を他所に、シャーロットは声を上げた。何故、今まで気が付かなかったのだろう。否、思い出せなかったのだろう。
彼は、オルシャキア王国から遠く離れた島国、バンターキッシュ王国の王太子だ。世界で唯一、魔物と人間が共存している国。そして、その国には代々受け継がれる「王位」が他に存在する。
「…………魔王、様」
スティーヴンは振り向いて口元に満足げな笑みを浮かべた。