6.初めての喧嘩
別邸に帰宅し、風呂に入った後は、ジャスミンが自室でお茶を淹れてくれた。先程、アイナに貰った白桃の紅茶を二人で飲む。
「美味しいですね」
「でしょう?香りもとてもいいわ」
二人で味わいながら、他愛もない話をしている時、ふと外を見るとスティーヴンがいた。
「あら?スティーヴン様にカイ殿下ですね。これからどこかお出かけでしょうか?」
ジャスミンが不思議そうに言い、二人で様子を眺める。スティーヴンは留学生の姿で馬車に乗り込み、その馬車はまもなく出発した。
「魔王様はカイ殿下とお酒を嗜まれるとか」
ロゼッタだった。部屋の扉は開けていたから、会話が聞こえていたらしい。
「心配しなくとも、すぐお戻りになりますよ。こちら、魔王様からです」
ロゼッタが手にしていたのはクッキーだった。可愛らしい猫の形をしたクッキーを受け取る。
「これは?」
「今晩いないお詫びだそうです」
「そんなこと、気になさらなくても良いのに」
「あれじゃないっすか。女がいる店行くからお詫びじゃないっすか〜?」
「オスカー」
ロゼッタが嗜める様な声を出した。オスカーは酒を飲んだのか、顔が赤い。
「あら、そうなの?」
「遊郭って知ってます?そこに行くんですって」
「まぁ」
ジャスミンが口元を抑えた。ロゼッタはオスカーに見事な回し蹴りをして、撃沈させた。
「ロゼッタ、本当なの?」
「……はい」
ロゼッタは諦めた様にそう言い、ため息を吐く。オスカーに向かって。
「視察とのことです。あまり気になさらないで大丈夫かとーー」
「わたくしも行こうかしら」
「え」
ロゼッタが嫌そうな声を出した。
「わたくしも行こうかしら。そうね、そうしましょう。ジャジー、服を選んで」
「いえ、ですが夜は出歩くなとスティーヴン様が」
「一人でなければ良いのでしょう?私も視察に行きたいわ」
「で、ですが…」
「ジャジー?」
正直、腹が立った。視察といえど、遊郭になど行くものか?婚約者に一言も承諾を得ずにこそこそと。
「はい…」
心情を察したのか、ジャスミンが渋々準備に取り掛かる。ロゼッタはというと、額に片手を当て、空を仰いでいる。
「俺案内しますよ〜!」
「あんたは留守番!この酒飲みが」
ロゼッタが厳しく良いつけると、オスカーは怯みながらその場を後にした。
ジャスミンに出された淡い紺色のワンピースに袖を通し、ローブを羽織る。ロゼッタが用意した馬車に乗り込むまでおよそ二十分。用意が早い従者に感謝しつつ、スティーヴンの後を追った。
山道を抜けると、広い道路に出た。そこには、多くの建物が立ち並び屋台が並んでいた。一角に馬車を止め、ジャスミンと一緒にスティーヴンを探す。広く多くの店が立ち並ぶ中、スティーヴンを見つけるのは困難だ。
「ルーカス」
影に向かって呼びかけると、黒猫のルーカスが姿を現した。
「スティーヴン様の元へ連れて行って頂戴」
「ミー」
ルーカスの後を追いかけて、人の波をかき分ける。十分ほど歩いただろうか、ルーカスが振り返り一つ鳴き声を上げた。
「ここね、ありがとう」
そう言うと、ルーカスは影へと飛び込み、姿を消した。
店の中は案外狭かった。従業員らしき男に女に用はないと言わんばかりの態度を取られたため、ポケットマネーを取り出せば、態度は一変。気持ちのいい接客を受けながら店内に入ると、そこにはスティーヴンとカイがいた。
「ここでいいわ」
スティーヴンの隣には、露出の激しい服装の女が二人、両脇にくっついている。カイの隣にも女がつき、足を絡めている状態を見て、眉間皺がよる。
(これを見たらアイナも怒るわよ)
視察と言いつつ酒を飲む二人を見て、内心苛立つ。気晴らしにきたのではないだろうか。本当に視察なのか?と疑問が湧いて出てくる。
「お邪魔していいかしら」
スティーヴンの元へ行くと、彼は驚いた様な顔をした。
「こんばんは、お隣よろしいかしら」
「ちょっと誰よ、通したの」
女が言うがお構い無しに席に着く。フードを脱いで髪を手櫛で梳く。
「おすすめは何かしら」
「しゃ、シャーロット」
「おすすめは、何かしら」
「……果実酒が美味い」
苦虫を噛み潰したような顔でスティーブンが言う。それを頼み、青ざめているカイ殿下に微笑む。
「事情によっては、アイナに言いつけますからね」
「待ってくれ…!これにはわけが!」
「ええ。あとでゆっくりお聞かせくださいな」
にこりと笑い、早速運ばれてきた果実酒に口をつける。爽やかなそれはザクロの味がした。一気に飲み干すと、スティーヴンを見る。
「スティーヴン様も、言い分がおありで?」
「…シャーロット」
「はい」
「ここではーー」
話せない、と言おうとしたのだろうが、女に制される。
「スティーヴン様と仰るのね。スティーヴ様とお呼びしますね」
妖艶な彼女が足を絡めて、スティーヴンの耳元で囁く。顔を顰めてそれを見ていると、スティーヴンは罰が悪い顔になった。
何かしらの理由があるにしろ、こんなにベタベタと他人に触られていい気がするわけがない。ふんとそっぽを向き、果実酒を頼む。
「貴女そんなに飲んで大丈夫なのかしら?お身体は随分と小さいけれども」
くすくすと笑われ、虫唾が走った。売られたケンカは買う。
「勝負でもしましょうか。多く飲んだ方が勝ち。そしたらさっさとこの人を返してもらいます」
「いいわね。やりましょう。貴女が負けたら私が貰いますわね」
「いいわよ」
「シャーロット様!」
「負けないわ、大丈夫。見てなさい」
止めるジャスミンを制して言い、頭を抱えるスティーヴンは無視する。持ってこられた果実酒を片っ端から飲む。ペースを落とさずまた一杯。二杯。三杯。続け様に飲んでいると、周りもざわめいてきた。飲め飲めと急かしてくる男、負けるなと励ます従業員。その声を聞きながらまた一杯と手をつけた時、女がダウンした。
「負けたわ…もう飲めない…!」
二十杯程飲んだ頃、ようやく勝負はついた。
「それじゃあこの辺で失礼するよ」
「またいらしてね。今度は朝まで」
語尾にハートがついてそうな甘い声でそう言う女に、カイは苦笑いだ。スティーヴンはと言うと、困った様な顔でシャーロットを見ていた。
「シャーロット、飲み過ぎだ。水をもらってくる」
「平気ですわ。これくらい」
「いや、顔が赤い。それにここの酒は度数が高いんだ。明日に残ると良くない」
「スティーヴン様、宜しかったら朝まであの方々と共にいていただいても結構ですのよ」
「だから誤解だ。視察に来ただけで、浮気ではない」
必死になる辺り、怪しい。むすっとした顔を隠す様にフードをかぶり、スティーヴンを無視する。
「わたくし、少し酔いを覚ましてきますわ。ジャジー、先に馬車へ戻っていて」
「ですが…」
「ジャジー?」
「はい…」
八つ当たりをしてしまった。そのことにまた顰めっ面をして、近くのベンチへと腰掛けた。少し外れたところにある公園の様な場所で、顔の火照りを手で押さえる。
「スティーヴン様も、もうお戻りになって」
「…ロティー誤解だ。俺は視察に来ただけで、あの女達と夜を共にしようとしたわけではない」
「あら、そうでしたか」
(あんなにベタベタと触られておきながら、よく言いますこと。)
「わたくしったら、てっきりスティーヴン様も満更ではないのかと」
「そんなわけないだろう。俺は君の婚約者だ」
「そうですわね。一言も断りなく、あの様な場へ行く方とは思いませんでしたわ」
あそこにいた女達は綺麗だった。魅惑的で優艶で、甘美な。自分にはない魅力が、あそこには詰まっていた。
「…すまない」
「すまないと思うなら、もうお戻りになって。わたくしは今、醜いですから」
もやもやと渦巻く気持ちに名前をつけるとしたら、嫉妬心だろう。なんと浅ましい。スティーヴンの隣にいれるだけで幸せなことなのに、自分だけを求めて欲しいだなんて。
「ロティー、君に醜いところなんてない」
もういいから、一人にして。
そう言ってしまいたかった。だが、令嬢としてそれは失礼にあたる。身分の差に嫌気が差しながらも、スティーヴンに言う。
「ルーカスにいてもらいますから、お戻りになって」
「……わかった」
スティーヴンは渋々そう言い、馬車へと向かった。
一人残された公園の中で、ルーカスを呼ぶ。飛ぶ出したルーカスは心配そうに、シャーロットに擦り寄った。はぁ、とため息をついて顔を手で覆う。なんと可愛げのない女だ。ただの視察だとわかっていながらも、女達に囲まれたスティーヴンを許せなかった。
「どうしましょう…」
始めて喧嘩をした。スティーヴンと。それも一方的に自分が怒るだなんて。
だが、怒らないでいれる女がいるだろうか。自分の婚約者が、男女の営みを行う場所で酒を飲むなど、そんなことが。
(視察って言えば許されるとお思いなのかしらね。)
内心悪態をついていると、ふと自分に影が落ちた。音もなく近づいてきた相手に警戒し、慌てて顔を上げると、そこには先ほどの従業員の男が立っていた。
「先ほどはどうも、お嬢さん」
「こちらこそ」
「勝利の一杯をお渡ししていなかったので」
何のことかと首を傾げると、グラスを一つ手渡された。
「良い飲みっぷりでした。こちらをどうぞ。この国の白桃酒です」
「あら、ありがとう」
口をつけてみると、桃の香りが濃く香った。こくりと飲んでみると、喉にまとわりつく様で少し飲みにくい。不味くはないが、美味しくもないそれを飲み干してグラスを手渡すと、耳元で囁かれる。
「これが欲しくなったらまたおいでください」
返答を待たず、男は店へと後にした。




