12.説得
さて一体、どうしたものか。
取り敢えず身体を起こし、抱き心地の良いクッションを抱える。説得するための言葉を探すが、スティーヴンが納得する方法を見つけられない。
「早く諦めたらどうだ」
お仕置きで気が済んだのか、彼の表情にはもう怒りは滲んでいない。その様子に内心安堵しつつ、隣に座るスティーヴンへ言葉を紡ぐ。
「引くつもりはありません」
「頑固だな」
苦い表情を浮かべられてしまったが、それでも引くわけにはいかなかった。
「ならば、理由を聞いても?」
溜息を吐きながら、スティーヴンが言う。言い分を聞いてくれるのかと驚きながらも、胸にある思いを告げる。
「スティーヴン様もご存知の通り、わたくしは今、魔物の無差別殺傷事件の容疑者です。真偽に関わらず、この噂は日に日に広まっています。わたくしは…誇り高きフローリー家の名を汚すことも、魔王様の顔に泥を塗ることも、許せないのです」
「そんなこと、俺もフェリクス宰相も気にはしない。そもそも下らない噂話だ。聞き流してしまえばいいだろう」
恐らくそれがいいのだろう。聞き流して、今まで見たものも調べたものも全て忘れて、屋敷に帰る。それがきっと正しい。一令嬢ができることなど、知れている。
それでも。
「嫌です」
我儘を言っている自覚はある。引き下がらないことを叱られてしまう恐怖心だってある。それでも、引けない。
引きたくない。
「わたくしは…っ」
本音を口に出そうと顔を上げたが、言葉が消えてしまう。
本音を告げたら、怒られるかしら。
今度こそ、呆れられてしまうのかしら。
そんな不安が過れば、言葉が喉に張り付いて出てこなくなってしまった。急に口を閉ざしたシャーロットに、スティーヴンは怪訝そうに眉を寄せる。
「どうした」
……嫌なのです。
貴方の顔に泥を塗るのは。
養父様や養母様に恥をかかせるのは。
わたくしなんかを受け入れてくれたあなた方に、迷惑をかけるなんてそんなこと、許されないのです。
「…わたくし、は…」
何と答えれば、正解なのかしら。
我儘を言ってごめんなさい、屋敷に帰ります。それがきっと、最適解だ。そんなことは初めからわかっている。
ごめんなさい、そう口から言葉が零れ落ちそうになった時、不意にグレイシーの顔が浮かんだ。青ざめた彼女の表情を、血管が浮かぶ程強く握った拳を。
助けてあげられないと言っていたのに、庇うように立った背中を。
彼女は今もきっと、一人で戦っている。
それをわたくしは、見逃すの?
見ないふりをして、本当にいいの?
「……我儘を承知で申し上げます。わたくしは、誰かが傷つくのは嫌なのです。わたくしの所為で、大切な人の尊厳を汚すことも、我慢なりません」
スティーヴンを見据えて、言葉を続ける。
「退魔師協会の施設内に潜入してまだたったの二日目ですが、実際にこの目で現状を見ました。男尊女卑の行事があること、上下関係が厳しいこと、魔物に対しての無理解……それらを調査し報告する事は、この国の未来にも繋がると思うのです」
意外にも、スティーヴンは言葉を遮ったりはしてこない。言い分はしっかりと聞いてくれる様だ。ーー不満気な表情を浮かべてはいるが。
何を言えば納得してもらえるのか考えていると、スティーヴンは深い息を吐いた。
「……気は済んだか」
びくりと肩が跳ねた。呆れの滲んだ声が胸に刺さるが、強く両手を握り、首を横に振る。
「シャーロットの言う『傷つく誰か』は、誰なんだ」
「…わたくしの、教育係の先輩と…無差別に傷付けられている魔物達です」
静寂の中俯いていると、スティーヴンがまた溜息を吐く。
「俺はロティーが傷つくのも、容疑者扱いされている今の現状も我慢ならないと思っているが、そのことに関してはどう思う」
先程叱られた内容をまた、繰り返されてしまわない様、必死に頭を働かせる。
わたくしは大丈夫です。
死にませんから。
どうしても浮かんでしまうその返答を振り払う。ジャスミンを傷つけてしまった様にきっと、スティーヴンのことも傷つけてしまう答えだとわかっている。
「正直に答えてみろ」
この回答を間違えてしまえば、きっと承諾を得られないだろうとわかる。手元に視線を落として考えるが、上手い答えは何も浮かんでくれなかった。
自分が傷つく分には、構わないわ。
じっと耐えれば、痛みはいつか終わるもの。
あの日の苦しみに比べれば、どうってことないわ。
…でも、これでは納得してもらえないのよね。
必死に考える頭の中を整理しようとすればする程、抑えている思いが主張をし出す。
自分を大事にしろと言われても、蔑ろにするなと言われても、一体どうやって大事にすればいいの?
人間のふりをした化け物だと、人間の摂理を無視した魔女だと、散々罵られて生きてきたのに、どうやってこんな自分を大事にするの。
優しかった、大切な人達の手を、罪で染めてしまったわたくしを、どうやって。
「そう…ですね。心配してくださって、嬉しいと…思います」
「…ロティー。俺は正直に答えてみろと言ったんだ。どうして本音を隠す」
「…隠していませんよ、何も」
笑え。
平気な顔をして、笑って見せるのが正解だ。自分の弱音なんて、奥底に仕舞い込んで蓋をしてしまえば、無かったことになる。
嫌われないように、この方が求めるわたくしを演じなさい。
それくらい、簡単でしょう?
「ご心配をおかけして、申し訳ございませんでした。軽率だったと、反省しています」
「俺が聞きたいのはそんなことじゃない」
「ーーでは、何が正解なのですか?何を言えば、満足ですか」
嗚呼、違う。
こんなことを言いたいわけじゃないのに。
なんて口の利き方をしているのよ。
胸の奥底に蓋をした感情が、溢れてしまいそうで、強く強く唇を噛む。今までこんな気持ちになることなんて、なかったのに。
どうしてわかってくれないの、なんてそんな子供染みた想いが、喉の奥まで込み上がってくる。そんな自分が不思議で、上手く飲み込めない気持ちが不愉快で、気分が悪い。
「……少し…取り乱してしまいました、すみません。わたくしは、わたくしにできることをします。もうご迷惑はおかけしないと約束します。ですから…」
その先を続けられずにいると、スティーヴンが小さく溜息を吐いた。何度目の溜息だろうかと思考すれば、ズキリと胸が痛む。ごめんなさいを飲み込んで、じっとスティーヴンの言葉を待つ。
「なぁ、ロティー。何が不安なんだ?」
怒鳴り声でも降ってくるかと思ったのに、降ってきたのは小さな声だった。スティーヴンはソファーから降り、目の前に膝をついて座る。困惑しつつも、俯いて自分の手元を見ていると、彼の手が自分のものに触れた。
「何がそんなに、怖いんだ」
静かに問う声に、怒りは滲んでいない。叱られると覚悟し、膝の上で強く握っていた両手を、スティーヴンは優しく包み込む。
「………な…にも…」
可笑しなことを仰るのね、なんて言葉を続けて笑おうかと思ったのに、声が震えた。
自覚していなかった胸の内を言い当てられ、喉元まで込み上がっていた本音の数々が、飛び出してしまいそうになる。
笑わなきゃ。
大丈夫だって笑わなきゃ。
何でもないって、言わなきゃいけないのに。
「……言いたくない、か」
スティーヴンが諦めた様に、小さな声で呟く。恐る恐る視線を彼に向けて見れば、怒った顔など一つもしておらず、ただーー傷ついた顔をしていた。
初めて見るその表情に息を呑めば、スティーヴンが視線を上げる。視線が合っただけなのに、勝手に息が引き攣ってしまった。
「…怖がらせるつもりはなかったんだ。すまない」
また傷つけてしまったとわかっても、上手く言葉は出てきてくれない。慣れない気持ちに動揺していると、大きな手が離れた。
「耳飾りと指輪は必ず、肌身離さず持っていてくれ。これだけは譲れない。……頼む」
嗚呼…この方は、こんなに我儘で自分勝手なわたくしのことを、まだ護ってくださるの。
愛して…くださるのね。
罪悪感と安堵が混ざり合う。何も悪くない彼に、謝罪をさせてしまった。
傷付けてしまった。
こんなにも優しい人を。
「…少し、頭を冷やしてくる。協会へ戻りたいのなら、早めにな」
スティーヴンが部屋の扉の方へ向かう。
「俺がまた、引き止めてしまう前に行ってくれ。オスカーに声を掛けてくるから…」
扉に手をかけたのを見て、勝手に体が動いた。嫌われたらどうしようとか、呆れられたらどうしようなんてそんなことは、後回しでいい。それよりも早く、謝らなければならない。心配してくれたことに、ありがとうを伝えなければーー。
扉を開けて出て行ってしまう前に、大きな背中に抱き付いた。心臓が口から出てしまいそうなくらいに暴れて、体が熱い。色んな感情を自覚してしまう前に、思い切って口を開く。
「……ごめんなさ…っ」
みっともなく震える声が消えてしまう。早く気持ちを言葉にしなければいけないと思うのに、焦燥感だけが募って言葉にならない。
自分の知らない自分に動揺を隠せずにいると、回していた腕に、スティーヴンの手が触れる。剥がされてしまうのかと思えば、口から勝手に言葉が出た。
「………行かないで…」
出してしまった言葉はもう、取り消せない。混乱したまま、本音が口から零れ落ちてしまう。
「本当の事を話したら……呆れられて…しまうんじゃないかって…怖くなって…しまったんです…。わ…っ、わたくし、は…っ」
自分らしくない感情を吐き出せば、堪らなく不安が込み上がってくる。それなのに、一度本音を口にしてしまえば、それは勝手に出てきてしまう。
「わたくしの大切な人達に…罪を、犯させてしまいました…。自分さえいなければと、何度も何度も…悔やんで…、だからこそ…誰かの為に、この命を…使わなければならないと、思うのです」
確かに痛みは感じるわよ。でも、わたくしの痛みは、必ず終わる痛みなの。
皆さんとは違って、一瞬の痛みを我慢をすれば、綺麗さっぱり治るのよ。
だから、大丈夫。
夢だと思えばいい。
「少し我慢をすればいいだけです。蔑ろに…していないとは、言えませんが……でも、大丈夫です。治りますし、わたくしのただの…エゴイズムですから…」
言いたいことは、もう全て言い切った。なんて自分は、自己中心的で我儘なのだろう。答えを沢山間違えてしまった。
「…引き止めてしまって、申し訳ありません。心配してくださって、嬉しかったです。自分のことは自分で解決して見せますから、あと五日だけ…時間を、ください」
だからお前は可愛くないんだ。
そんな言葉が、頭の中で再生される。そんなことは言われ慣れているが、スティーヴンに言われたらかなり堪えるだろうと思う。震える息を吐いてから、抱きついていた腕を解いた。
…嫌わないで。
そんな言葉が出そうになる。ぐっと堪えて息を詰めれば、深い深い溜息と一緒に、スティーヴンがその場にしゃがみ込んだ。
「呆れた」
その言葉が鋭く胸を刺す。視界が滲んでしまっても、ただ黙ってスティーヴンを見ていると、彼は仕方なさそうに眉を寄せて、顔を上げた。
「自分自身に、呆れたよ」
「……え…?」
ガシガシと頭を掻いて、スティーヴンがソファーへ向かう。困惑しつつ目で追っていると、ソファーへ腰掛けたスティーヴンが手招きをした。
「おいで」
先程とは違って、声色が優しい。絶対に怒るか呆れるかするだろうと思っていた為、その様子に戸惑った。らしくなく狼狽えながらもスティーヴンの側へ行けば、彼は両手を広げる。その動作の意味はわかったが、気が引けてしまい、ちらと視線を向けて俯けば、軽く手を引かれた。じわりと頬が熱くなり、心臓まで暴れ出す。
どうして怒らないのかしら。
わたくしに、呆れないの?
嫌いに、ならないの?
頭を占める疑問を知ってか知らずか、スティーヴンはふっと息を吐いて笑った。
「降参だ」
「へ…?」
素っ頓狂な声が出てしまった。訳が分からず眉を寄せれば、掴まれた手に指が絡む。
「俺の負けだと言っている。ロティーに嫌な事を言わせた自分に、呆れたよ」
何を言われたのか理解できず、数度瞬きを繰り返すシャーロットに、スティーヴンは困った様に少し笑う。
「沢山のことを一人で背負ってきたんだ。簡単に頷けるわけもない。わかってやれなくて、悪かった」
「な…、何故、謝るのですか…?」
「泣かせてしまったから」
「なっ、泣いておりません…!」
泣きそうだったが、まだ泣いてはいない。気恥ずかしさに大きな声を出してしまえば、スティーヴンは眉を寄せて少し笑った。
「一つだけ、聞いてくれるか」
頷いてスティーヴンを見れば、彼は真っ直ぐにこちらを見て言う。
「ロティー、君の大切な人が罪を犯したのは、ロティーの所為じゃない。彼らの責任だ。あとな、利己主義の人間は、誰かが傷付くなら自分が傷付く方が良い、なんて思わない。あと……嗚呼、一つと言ったのに、三つ目になってしまうな…」
生真面目な顔で眉を寄せるスティーヴンに、思わず笑ってしまえば、彼は目を丸くしてから、少し困った様に笑った。
「ロティーは熟々、甘えることが下手だな。自分一人で難しいと思う事は、難しいと言えばいいんだ。そう言って断る人なんて、ロティーの周りに一人だっていないだろう?」
こくりと一つ頷けば、それを褒めるように髪を梳かれる。
「………ごめんなさい。どうして…わかってくれないのって、思って…しまって…。はしたないところを…お見せしました…」
「いい。言っただろう」
言葉の意味がわからず首を傾げると、彼は意地悪く笑う。
「怒っても愛らしいから、好きなだけ怒るといい、と」
仕切り直しの卒業パーティーで言われた言葉だと、直ぐに思い出す。
「あ…愛らしくは…ないでしょう…」
気恥ずかしさと申し訳なさに視線を落とせば、今度は強く腕を引かれた。バランスを崩してしまい、座るスティーヴンにまた抱きついてしまう。品性に欠ける姿勢に身体が強張ったが、それを宥める様に髪を梳かれた。
「愛していると何度言えばわかるんだ?全く…仕方ないな」
全く仕方なくなさそうな声色で言い、軽く耳に口付けられた。驚いて息を詰めると、意地の悪い笑い声が耳に触れる。
「わかるまで教えてやろうか。それとも、あの日の様に自分で言うか?」
自分のことを愛していると、そう言葉にするまで許してくれなかった、あの日のデートを思い出す。揶揄う様な声に勢い良く首を横に振れば、彼は可笑しそうにくつくつと笑う。
「そうか、それは残念だ」
愉快そうに笑ってから、スティーヴンが手を離した。
「これ以上抱き締めていると、離せなくなる。引き止められたくないのなら、早く協会へ戻れ」
本当にいいのかと表情を窺えば、スティーヴンは苦い顔をしていた。そんな彼を見て、ぎゅっと胸の糸が絞まる。
滅茶苦茶な我儘を言ったのに、
傷付けたのに、
こんなにも簡単に、許してくださるのね。
「オスカー、ロティーを頼む」
「えっ」
呼ばれるなり姿を現したオスカーが、素っ頓狂な声を出した。
「何だその間抜け面は。嫌ならロゼッタに代わってもらうか」
「書類仕事は苦手なんで任されます!張り切って一丁飛びますかお嬢さん!」
軽い口調で言うオスカーに頷き、スティーヴンから離れる。
「五日したら否応無しに迎えに行く。いいな」
まだ少し不満気に眉を寄せてはいるが、本当に承諾してくれたらしい。
「はい。必ず、成果を上げます」
「…無茶はするなよ。頼むから」
「はい」
力強く頷いて見せたが、そこは信用されていないらしい。微妙な顔を返されてしまった。
「じゃあ、転移しますか!」
「あ、待ってください。一つお願いが…」
オスカーにおずおずと申し出れば、驚いた様に眉を上げ、直ぐに「何なりと!」と元気の良い返答が返ってきた。
「スティーヴン様に言い忘れてしまったことがあって…。わたくしが戻ったら直ぐに転移してくださいますか?」
小声で頼めば、眉間に皺を寄せながら、オスカーが小声で返してくる。
「罵詈雑言でも言う気ですか…?うちの主人お嬢さんにベタ惚れですから、手加減してやってくださいよ…?」
「そんなこと言いません…!」
驚いて首を振れば、安堵した様にオスカーが胸を撫で下ろした。
「それならわかりました。戻ってきたらすぐにバビュンと転移いたしましょう!」
「ありがとうございます」
ほっと息を吐いてから、不満そうにソファーに座っているスティーヴンの元へ行く。
「…我儘を聞いてくださって、ありがとうございます」
「いい。早く行け」
珍しくぶっきらぼうな様子から、本当に渋々承諾させてしまったのだとわかる。
「スティーヴン様、どうか御無礼をお許しくださいね」
「何のことだ…?」
暴れる心臓を放置して、スティーヴンの頬に両手で触れる。目を丸くした彼の瞳を見ながら口を開いたが、やはり恥ずかしさに負けてしまった。両手で琥珀色の瞳を覆い、精一杯の勇気を振り絞って、唇を重ねる。今度はちゃんと、唇に触れられた。
「……嫌だなんて、思わなかった…です…」
聞こえるか聞こえないか、わからないくらいに小さな声が出た。
「心から、お慕いしております」
言葉で伝えた事のなかった気持ちを、一方的に押しつけ、走ってオスカーの元へ行く。
「早く…っ、今すぐに…!転移して…!」
「えっ!?あっ、合点承知!」
オスカーの背に隠れると、直ぐに呪文が唱えられる。
スティーヴンに名前を呼ばれたのと同時に転移魔法が展開され、オスカーの「やべぇ、後で俺怒られるやつじゃん…!」という言葉を部屋に残し、協会施設へと戻った。




