4.卒業パーティーⅠ
『シャーロット・フローリー、貴様を今宵、魔女裁判にかける!』
声高らかに宣言したのは、オルシャキア王国の王太子であり、シャーロットの婚約者である、サミュエルだった。輝く太陽のような金の髪を掻き上げると目鼻の整った顔が露わになる。彼の淡褐色の瞳は正義感に満ちて、爛々と光を灯していた。
突然の出来事に、は?と間抜けな声を出さなかったことを褒めてほしい。
「聞いているのか、魔女」
冷たいサミュエルの声がホールに響く。彼の背後には、国王夫妻が椅子に腰かけながら動向を窺っている様子が見える。そしてその横では、宰相でありシャーロットの養父であるフェリクスが、怒りに顔を染めているのが見えた。
怒りに肩を震わせる侍女のジャスミンの様子も確認でき、二人の怒りに任せて剣を抜きかねない剣幕を見て、何だが肩の力が抜けた。
(なんでこんなことになっているのかしらね…。)
天を仰ぎたくなる衝動をぐっと抑え、軽く溜息を吐いた。
忙しいからエスコートは無理だと言われ仕方なく一人で会場へ入ったのだが、扉が開いたその瞬間、全員の視線がシャーロットに注がれ、ホール内は異様な静寂に包まれた。異変に気が付いたシャーロットが目を細めると、多くの者はシャーロットから目を逸らし、サミュエルに目線を向け、不安げな表情を浮かべていた。
(これは、何か起こりそうね。)
そして、その嫌な予感は的中する。
静寂を破ったのは、先程の意味不明なサミュエルの宣言だったのだ。
「今すぐここで魔女であると認めるのなら、痛みの少ない方法で罰してやる」
国王夫妻御臨席の基行われる正式な社交的会合であり、大勢の名門貴族や大富豪が参加している夜会でよくこのような騒動を堂々と起こそうと思ったな、と呆れ半分、ある意味尊敬の念半分抱きつつも、そのような感情は心の中に押しとどめ、淑女らしく穏やかな笑みを顔に張り付けた。
「いいえ。サミュエル殿下。わたくしは魔女ではありません。何故そのような結論に至ったのか、お聞かせ願えますか?」
戸惑いや動揺を表に出してしまわないように、意識してゆっくりと話す。
「良いだろう」
自信満々に鼻先で笑うサミュエルが、勢いよくシャーロットの影を指差した。
意図がつかめず自分の影を見下ろすと、周囲の人々も同じようにシャーロットの影を見る。
「影から魔物を召喚することができるな?」
「はい、できます。ーールーカス」
見せたほうが良いかと実際に仲の良い黒猫の魔物、ルーカスを呼ぶと、影の中から遠慮がちにルーカスが出てきた。
「ミー」
可愛らしい鳴き声を上げながら足元に擦り寄るルーカスの頭を撫でてやると、嬉しそうに喉を鳴らす。
「そいつがお前の使い魔だな!退魔師を呼べ!退治させろ!」
サミュエルの大声に驚いたルーカスが怯えた様子で尻尾を丸め、影の中に飛び込んで隠れてしまった。
「……サミュエル殿下、退魔条約第二十三条はご存じですか?」
思わず失笑を漏らしてしまう。
へルシャキア王国では、人間に危害を与えていない魔物を退治することは禁じられている。この国に住む者なら当然知っている常識だ。
会場がこれまでにない静寂に包まれた。王族に口答えなど、国外追放を言い渡されてもおかしくないのだが、シャーロットはそのようなことは気にも留めていなかった。
(国外追放なら可愛いものよ。魔女裁判なんて非道な物に比べたら。)
大昔、千年以上も前に行われていた非人道的な殺傷行為。魔女狩りとも呼ばれ、黒魔術を使いこなす魔女を、国家が残虐な方法で炙り出していたのだ。この話の一番恐ろしいことは、本物の魔女など存在せずただの「集団ヒステリー」が起こした暴動だった、ということだ。その時代は不治の病が流行っており、それが魔女の仕業であると噂が流れたのだ。魔女として殺されたのは千人以上に及び、子どもも含まれていた。
この国では、二度と繰り返してはならない歴史として言い継がれている。それと同時に黒魔術の危険性や厳罰についても伝えられる―――のだが。
(魔女裁判なんて言葉自体が禁句のようなものなのに、このような場で発言して大丈夫なのかしら。)
サミュエルの咳払いで我に返る。そういえば話の途中だった。
「普通の人間は魔物を召喚したり、話したりはしない。魔物を従えて何か企んでいるのだろう?」
サミュエルの声に少し緊張が滲み始めたのが分かった。傍からみたら変わりなく自信満々に見えるだろうが、僅かに視線が揺らいでいる。
(もしかして、ちゃんと調べていないのに魔女裁判って言っているの…?)
「あの、サミュエル殿下。非常にお伝えし辛いのですが…」
口籠る様子のシャーロットに何を勘違いしたのか、サミュエルは満足気に頷く。
「良い。言ってみろ」
そっと国王夫妻の表情を窺うと、国王が呆れたような表情をしているのが見えた。
「……魔物には、人間の言葉を話せるものと話せないものがいます。種族によって異なりますが、大体の魔物は教えれば話せるようになります。言葉が分かる魔物は誰とでも会話ができるので、わたくしが特別というわけではないのです。あの……生物は履修されましたよね?」
嫌味でもなんでもなく、初歩の初歩過ぎる知識を知らない筈がないため、何か他に意図があるのかと遠回しに尋ねたのだが、その思いも杞憂に終わった。
サミュエルは怒りに肩を震わせ、眉間には青筋が浮かんでいる。
「召喚できるなんておかしいだろ!」
「いいえ。仲良くなれば誰の下にも遊びに行きますよ」
ここまでくると、ただ哀れに思えてくる。一体、何がしたいのか全く理解できない。
「わたくしが魔女ではないとご理解いただけましたか?」
「すぐに認めれば許してやるぞ!」
(話、聞いてる?)
呆れて話す気にもならないが、相手はこれでも第一王子だ。邪険にするわけにもいかない。
「その容姿からして気味の悪い魔女じゃないか。周りを見てみろ、お前と同じ髪の色の者はいないぞ!若作りをしている魔女なのだろう?」
怒りに顔を染めたジャスミンが剣を抜いたのが見えたため、慌ててそれを制する。
一つ咳払いをして、沸々と沸き上がる怒りを鎮めた。
「確かに、わたくしは変わった容姿をしていますが……髪の色が白いからと言って魔女であると結論付けるには無理があるのではないでしょうか?」
顔が引きつりそうになるが、平静を装って微笑む。そんなシャーロットが気に食わないらしい、サミュエルが吐き捨てるように言葉を続ける。
「お前は魔女だ。俺は魔女とは結婚などしない!シャーロット・フローリーに婚約破棄を言い渡す!」
(想像以上の馬鹿だったわ…。)
馬鹿馬鹿しい茶番劇のような展開に頭痛がする。そしてこの国の未来が心底心配になる。
「サミュエル殿下。このようなことをなさらなくとも、わたくしは婚約破棄をお受けいたします」
「嘘をつくな。俺に心酔していたことくらい知っている。迷惑だったがな」
(どこまでも傲慢で自信過剰な王子ね。)
肯定も否定もせず聞かなかったことにして、目の前に突き出された婚約破棄の書面を受け取る。文面に目を通すと、特にこちらが困るようなことは記されていないことが確認できた。
「明日には記入してお返しいたします」
(貴方と結婚しなくていいなんて、わたくしは幸運だわ!)
にこやかに微笑む。私は決して悲しんでなんかいないと伝わるように。
「あとは魔女だと認めるだけだぞ」
「何度も言いますが、わたくしは魔女ではありません」
「……認めないのだな」
(認めないも何も、魔女じゃないわよ。)
サミュエルの執拗さにげんなりしつつ、頷く。
「わたくしは――――っ!?」
それは、突然だった。
気が付いたら目の前はホールの床だった。
背中が燃えるように熱く、遅れて鈍い痛みが全身を駆け抜ける。
貴婦人たちの悲鳴と騒めき、駆け寄るジャスミンとフェリクスの怒声を聞き、我に返って立ち上がろうとして気が付いた。
――背中から長い剣が貫通している。
血溜りの中顔を上げると、そこには王宮騎士団隊長ヴィクターが立っていた。返り血を浴びた彼の表情は怯えの色が伺える。
「……ヴィクター……なん、で……?」
幼馴染であり、唯一の友人が、そんなまさか。
彼にかかった血飛沫が、シャーロットを刺したのだと物語っていた。