10.怒り心頭
シャーロットは一度叱られた方がいいと思うので、魔王様に叱っていただきました。
恒例行事である『新人退魔師潰し』に潰される筈だったシャーロットたちは、先輩方の思惑とは正反対の結果を出し、派手に目立ってしまうことになった。
恐れ慄く者も少なくないようで、歩けば勝手に道が開ける様子には苦笑いを浮かべるしかない。
「まあ、いいわ。これで行事は無くなったでしょうし」
午後からの勤務を終え、寮でジャスミンとオスカーの三人で情報を共有しながら昼の出来事を振り返っていた。
結局あの後、ドウェインは脱ぐことも行事を辞める宣言することもなかったが、新人退魔師に反則技を使っても勝てなかったのだから、プライドや名誉は存分に傷つけられただろう。
「拳銃は人間に効かないと思っていたのだけれど…。」
ジャスミンと首を傾げると、オスカーから衝撃的な事実が述べられた。
「あれは魔道具ではありません」
なるほど、と手を打ったシャーロットとは打って変わって、ジャスミンの顔が真っ青になった。事の重大さに気が付いていないシャーロットに、ジャスミンが有無言わさぬ勢いで詰め寄る。
「シャーロット様、潜入調査は本日にて終了いたしましょう」
「え!?何でよ!」
「何故と貴女が仰いますか!」
久々にジャスミンの雷が落ちた。
「いいですか!貴女は今日、殺されそうになったんですよ!わかっていますか!?」
「死なないわよ、大丈夫」
「あ…お嬢さんそれは多分逆鱗に……」
オスカーの言う通りだった。ジャスミンは顔を怒りに染め上げたかと思えば、それはもう驚くほどの熱のない声で言った。
「今回のことは旦那様にご報告させていただきます。今からでも荷物をまとめておいてください」
「ジャジー、ちょっと」
「シャーロット様。もう一度言いますね。荷物をまとめておいてください」
かなり怒らせてしまったことが良くわかる声色に、身を縮めるしかない。
「私は今から夜勤がありますから、少々場を離れます。オスカー様、私の主人をお願いいたします」
「あ……はい」
「それと、どうぞスティーヴン様の下へ今直ぐにでもお連れしてください。では」
こちらを見向きもせずにジャスミンが部屋を後にした。
「…怒られて、しまったわ」
「………では、今からスティーヴン様にも叱られに行きましょうか!俺と一緒に!あはは!」
諦めたような表情をしたオスカーが乾いた笑い声を上げたと思えば、深い溜息を落とした。
滅多なことでは怒らないジャスミンの逆鱗に触れ、肝が冷えたにもかかわらず、今から更に雷を落とされるのかと心底震えるしかない。
〇 〇 〇 〇 〇 〇
オスカーが何やら呪文を唱えたかと思えば、一瞬でシャーロットは魔王城へ転送されていた。
「あの……せめて着替えを…」
「今日この時まで、魔王様を宥めて我慢させた俺を褒め称えてくださってもいいんですよ」
「………ありがとうございました」
豪勢でやたらと大きな扉は、魔王の執務室の扉らしい。
「スティーヴン様って、怒ったらどれくらい怖いですか?」
恐る恐る尋ねたシャーロットに、オスカーが遠い目をする。
「そうですね。一か月間絶食した方がマシって思うくらいですかね」
両者とも沈黙し、扉の前に棒立ちするしかない。
(でも、わたくし怒られるようなことしたかしら。お仕事の邪魔をした覚えはないのだけれど…。)
「突っ立ってないで入ったらどうです?」
背後からかかった声に二人して飛び上がる。振り返るとテオドールが困ったような表情で立っていた。彼はこちらの覚悟を気にもせず扉を開く。
「早く無事な姿を見せてやってください」
バクバクとうるさい心臓を両手で押さえ、覚悟を決めて視線を上げると、スティーヴンはソファーに腰かけていた。足を組み腕まで組んでいる。
視線が合うなり、スティーヴンはこれまでにない程、穏やかな笑みを浮かべた。
(あ、やばい。物凄く怒っているわ。)
本能的に逃げようと一歩下がってしまったが、そのことをスティーヴンは見逃さない。
「逃げられると思うのか?君は本当に面白いな」
スティーヴンは本気で怒ると笑うのか、と知りたくもなかった情報を得てしまった。
「おいで」
「……はい」
大人しくスティーヴンが腰かけるソファーの前まで行くと、少々強引に腕を引かれた。
バランスを崩したシャーロットをスティーヴンが膝の上に乗せる。それも向き合った形で。
「はっ、はしたないです…!それにあの、スカートが汚れていま…」
「カロリーナ、だったか」
耳元で囁かれた声に、びくりと肩が震える。みっともない格好が恥ずかしいが腰に両手を回されているため動くことができない。
「全員下がれ。俺が良いと言うまで入るな」
まるで死刑宣告化のような響きに、体が強張る。
(どうしよう。どうしよう、凄く怒っているわ。)
全員が退出した後、スティーヴンがゆっくりと口を開く。
「何故、俺が怒っているかわかるか」
正直言うとわからないが、わからないと答えることが恐ろしすぎて必死に考えていると、スティーヴンが髪に触れた。
「これ、外せ」
そういえば変装したままだった。ベールを外して黒髪の鬘を外すと、スティーヴンは溜息を吐きながらシャーロットの髪を手櫛で整える。
いつもより乱雑だが、丁寧で優しいことには変わりないその手に、不意に涙が出そうになった。
(よかった。嫌われたわけでは、ないのね。)
何故怒っているのか、という質問に答えるまでスティーヴンは沈黙を続けるらしい。
一か八かで答えるしかない。
「ご相談もせずに、潜入調査を行ったから…ですか」
「そうだな。それもまあ、腹立たしくはあるが。君が今考えていることを当ててやろうか」
君、と呼ばれて少し胸に霧がかかったような感覚がする。その呼び方からも怒りがひしひしと伝わってきて非常に胃が痛い。
「無茶はしていないし、仕事の邪魔をした覚えもない。怒られるようなことをした覚えはないし、そもそも潜入調査するのに何故、了承を得なければならないのか」
ぎくり、と体が強張る。他人から聞くととんでもなく温度を感じない内容だと漸く自覚したのはいいが、もうそこまで気づかれているのに今シャーロットができることはない。
「一度加護が発動したな。何があった」
「………その、手合わせのような…ことを、いたしまして…」
「嘘はいい。事実のみを述べろ」
冷や汗が滲み、視線を落とすしかない。
「新人退魔師を潰すことを目的とした行事に参加させられました。そこで手合わせすることになった方が実弾の入った拳銃を使用し、それが頬を掠めそうになった際に発動しました」
ぼそぼそと呟くように言ったシャーロットの言葉に、目に見えてスティーヴンが怒りを滲ませる。
「あの、スティーヴン様。オスカーさんはしっかりわたくしを守ってくださいました、ので」
「あいつの処分を決めるのは俺だ」
一蹴されてしまい言葉に詰まるも、ここで折れてはいけない。
「オスカーさんがいなければ、私は確実に拳銃で撃ち抜かれていました。潜入のことだけでなく、呪いのことだって気づかれていました。で、ですから…」
言葉尻が震えた。漸く、シャーロットは自分がどれ程の危険を冒していたのか気が付いたのだ。
もしもあの時、弾が当たっていたら。
治癒魔術を直ぐに展開して誤魔化せただろうか。
潜入調査が発覚した場合、フローリー家にかかる損害は。
(カッとなったとはいえ、あの時の行動も発言も、正しくなかった。)
さっと血の気が引いたシャーロットは、震える手で口元を覆った。
「君は死なないから大丈夫、と常々思っている節がある。さすがに自覚はあるな」
情けない声が出そうで、ただ一つ、こくりと頷く。
「俺はそのことを一番腹立たしく思う。そう思っている君にも、そう思わせた環境もだ」
死なないから大丈夫なのではなく、死なないから大丈夫ではなかった。
人間として死なないとおかしい場面で死なない人間を、相手はどう思う。
一度受け入れてもらったからと、勘違いも甚だしい。
死なない人間は、異質で異常であることには変わりないというのに。
「もうわかったか、何故怒られているのかは」
「……はい。わたくしは、もう少しで全てを白紙にするところだったのですね。ご迷惑をおかけして申し訳ございません」
スティーヴンの仕事の邪魔になるところだったどころか、邪魔をしてしまったにも等しいだろう。婚約者の面倒を見るなど、そのような時間はない筈なのに。
「なるほどな。そうくるか…」
怒りよりも呆れを含んだ言い様に、またしても肩が震える。
また何か間違えてしまったのだろうか。それとも何か抜けていたか。
「あのな」
諭すような口調に顔を上げられない。怒鳴られるだろうか。殴られてしまうだろうか。それとも、呆れてもう何も言われなくなってしまうだろうか。
じっと身を強張らせていると、スティーヴンの右手が頭に乗った。
「俺はな、あまりに君が自分自身のことを蔑ろにするから怒っているんだ」




