3.容疑者シャーロット
突然馬車の底に真っ暗な穴が開いたかと思えば、スティーヴンの腕の中に納まっていた。
全く意味が分からない。
「え…?ここ、は?」
困惑していたのはシャーロットだけではない。寧ろ驚いていないのはスティーヴン只一人だ。
「緊急事態って……お嬢さんっすか?」
「おっ、お嬢さん?」
更に困惑の声を上げたシャーロットに、オスカーの表情が固まる。ごほんと一つ咳払いをしたと思えば、いつものように紳士的な笑顔を浮かべ「シャーロット様、よくいらっしゃいました」と挨拶を述べた。
「お嬢さんでも…構いません…けど」
困惑したままそう言い、スティーヴンの腕の中から抜け出した。意味が分からない上に、この状態は心臓に悪い。
「あっ、あの、色々聞きたいことはありますが、この子を見てください」
場にのまれかけていたが、急用を瞬時に思い出した。
手の平に乗った魔物の烏を見せると、スティーヴンが直ぐにシャーロットの手の平に手を翳した。
「光の魔術で温めてくれていたのか。疲れただろう」
「わたくしは大丈夫ですが、この子は……間に合いますか」
「嗚呼」
即答したスティーヴンの返事に安堵の溜息を吐く。
(よかった。)
「シャーロット、そのままで。動くなよ」
「はい」
「いい子だ」
甘い声によろめきそうになったが、寸前のところで踏みとどまった。
「ルーカス」
「ミー」
軽々とスティーヴンの肩に乗ったルーカスの瞳がきらりと光りを灯したかと思えば、手の平の上でぐったりと倒れていた烏を眩い光が覆った。温かくて優しいその光に包まれたのは一瞬だったが、それで充分だったらしい。瞬きをすれば、そこには目を開けた状態で毛繕いをする烏が乗っていた。
「で、何があった?」
その言葉が手元の魔物に向けたものであることはわかった。話しやすいようにスティーヴンの顔の方へ手を持ち上げる。
『空ヲ飛ンデタラ、落チタ』
嗄れ声で話す魔物の声は皆に聞こえた。人間の言葉が話せる魔物のようだ。
「何故落ちたかわかるか」
『分カラ無イ。気ヅイタラ、落チタ』
「……またか」
溜息交じりに呟いたスティーヴンの声に心当たりがあった。
「魔物の無差別殺傷事件、ですか?」
シャーロットの言葉にギョッとしたのはスティーヴンだけではない。カーテンを開けて回っていた側近たちも動きを止めてシャーロットを見ていた。
「知っているのか」
「え、ええ」
予想外な反応にシャーロットも戸惑ってしまう。
(もしかして、機密事項だったりするのかしら?)
「魔物たちのお喋りを聞いていて」
「今知っている情報は」
じわりと冷や汗が背中に滲む。
もしかしなくても知っていてはいけない話だったのだろうか。
「おいスティーヴ、彼女怖がってるじゃないか。まずはお茶くらい出したらどうだ」
助け舟を出したのは赤毛の好青年だった。すらりとした美丈夫に目が行く。
「お初にお目にかかります。魔王補佐官兼秘書のテオドール・ヴィトンと申します」
(まあ、綺麗なお辞儀をなさるのね。)
雰囲気から育ちの良さと人の良さが滲み出ている。
「初めまして。わたくしフローリー侯爵の娘、シャーロットと申します」
丁寧な挨拶に畏まった形で応答すると、すっと右手を取られた。
「話には聞いていましたが、とても可憐で美しい女性だ。まるで月夜に佇む月華のようで…」
「テオ」
スティーヴンが機嫌悪そうにテオドールの手を払い除け、シャーロットの腰に手を回して引き寄せる。
「俺の婚約者を口説くな」
「そんなつもりじゃなかったんだが…」
困惑したような表情のテオドールにロゼッタは憐みの目線を向ける。オスカーは豪快に笑っている。
「出た出た!テオさんの無意識貴公子モード!」
「……あ、あの…スティーヴン様の御兄弟というわけでは、ありませんよね」
「まさかまさか!僕はロゼッタの兄ですよ」
「えっ!?」
驚きのあまりロゼッタを見るが、彼女はテオドールを一瞥すると鼻で笑い、視線を逸らした。
全く似ていないが、よくよく見れば瞳の色はよく似ている。
(何か事情があるのかもしれないし、触れないでおこう。)
そう納得して、スティーヴンに促されたままソファーに腰かけ、重要なことを思い出した。
「ジャジーは!?」
「今屋敷に戻った頃だな」
「連絡をしないと!」
「大丈夫だ。もうしたし、返事も来た」
(……いつの間にどうやって…。)
情報量の多さに眩暈がしそうだが、諦めて一息つく。部屋は散らかっていて書類が山積みだ。部屋の様子からも忙しさが伺い知ることができた。これは早々に撤退した方が良いだろう。
「すみません。お忙しいのに…急にお邪魔してしまって」
そう零したシャーロットに、オスカーがけらけらと笑う。
「強制的に転送したのは魔王様ですから、謝ることないっすよ」
「オスカーお前は諜報の仕事にすぐかかれ」
「へ~い。オルシャキア王国のどこですか、現場は」
シャーロットの知っているあの堅苦しい様子とは懸け離れた場の雰囲気に、まだついていけない。
(皆さん、ものすごく砕けた雰囲気だわ。こちらまで釣られてしまいそう。)
「城下町へ向かう道中です。ご案内いたしましょうか」
「それだけわかれば大丈夫っす、じゃっ」
「は、はい」
スティーヴンの転送魔法によって瞬時にオスカーは姿を消した。
「城下町に予定が?」
「ええ、まあ」
少し濁したシャーロットに不満そうな視線が降りる。
「以前、気になった書籍を購入しに行こうと思ったのです」
(嘘ではない。嘘ではないわ。)
少々早まる鼓動を悟られないように、そっと置かれた紅茶に口をつけた。
「あの、今更なのですが…ここはどこでしょう」
「執務室だが」
「ええと、国はオルシャキア王国…ですよね?」
「いや、ここはバンターキッシュ王国の魔王城だ」
紅茶を咽そうになった。まさかとは思ったが、一瞬で他国へ飛ばされているとは。
「…大丈夫か。顔色が良くないな。魔力の使い過ぎか」
「いいえ、この程度では疲れませんから大丈夫です」
(ただの気疲れです、なんて言えないわ…。)
「あの、わたくしはもう用事は済んだのですが」
「俺は済んでいない」
『人間、名前ヲ言エ』
唐突に嗄れ声が頭上から落ちてきた。すっかり元気になった様子の単眼の烏だ。
「シャーロットよ」
『覚エテヤル』
「あら、ありがとう」
『魔オウ様、帰ッテイイ?』
「嗚呼。また何かあれば来い」
テオドールが開けた窓から烏は勢いよく飛び立った。シャーロットが治した羽も問題なく動くようだ。
「シャーロット、何があったか話してくれるか」
「はい」
(事情聴取といったところかしら。)
先程、弱った魔物の烏と出会った状況をなるべく詳しく話す。勿論、魔女と魔王がどうこうという噂話については避けたが。
「魔物の無差別殺傷事件について知っていることは」
「ここ半年で負傷した魔物の数と殺害された魔物の数は知っています。あと、被害にあった魔物は皆、不思議な魔力によって動きを封じられてから怪我を負わされている…ということくらい、です」
「その他は何も聞いていないか」
「はい」
そう答えると、スティーヴンの表情が幾分か和らいだように感じた。
「あの……何か不都合があるのでしたら、忘却魔術を使っていただいても構いませんよ」
この件に関してはシャーロットも個人的に調べようと思っていたが、スティーヴンの仕事を邪魔する気はない。そう思って言った言葉だったが、スティーヴンはぎょっとした様子で首を振る。
「そんなことはしない」
「でも、わたくしが知っていては都合が悪いのでしょう?」
「……俺はシャーロットのことをそれなりに理解していると自負している」
「はい?」
話が見えずに訝し気な声を出したシャーロットを、スティーヴンが疑わしそうな瞳で覗き込んだ。
「調べようと思っているだろう」
ぎくりと肩が強張ったあたり、我ながら嘘の吐けない性格だと思う。
「……いいえ?」
咄嗟に出た言葉は固い。そっと視線を逸らそうとしたが、スティーヴンの手の平が頬に触れ、それを制した。
「好奇心旺盛なのはいいが、この件はあまり踏み込むな」
「…何故です?」
純粋な疑問だったのだが、今度はスティーヴンが口籠った。
反論したかのような形に取られてしまっては堪らない。慌てて微笑んで緊張の滲んだ空気を和ませる。
「言えないのでしたら言えないと仰ってくだされば、それで構いませんよ。わたくしは自分の立場を弁えておりますから」
(…あ、あら?なんだか嫌味っぽく、聞こえてしまうのでは…ないかしら。)
相手は魔王だ。情報を易々と婚約者に流しているようでは務まらないだろうから構わない、といったことを伝えたかったのだが、言葉が足らなかった。
「あ、あの、今のは」
「ロティー、俺の言うことを信じて欲しい」
ちゅ、と音を立てて手の先に唇が触れる。少し落ち込んだ様子のスティーヴンに、胸の奥が締まったような感覚がする。
「ロティーのことは心から信用しているし、好奇心旺盛なところも、魔物たちが傷つくことに胸を痛めてしまうような優しい心も好きだ」
スティーヴンの真っ直ぐで澄んだ瞳の中に、赤面した様子の自身の姿が映っていた。恥ずかしさのあまり俯くが、スティーヴンは言葉をやめない。
「今回のことは職務の一つとして珍しい事件ではないが、少し厄介なんだ。ロティーが踏み込んで傷つくようなことがあったら」
「何故、わたくしが傷つくとお考えなのですか」
珍しく歯切れの悪いスティーヴンに疑問ばかり浮かんでしまう。呟いた疑問の答えは返ってこなかったが、一つの可能性に思い至った。
「もしかして、容疑者の一人としてわたくしの名が挙がっているとか」
冗談半分で放った言葉への周囲の反応は、想定外だった。スティーヴンまで表情が固まっている。
(まさか図星、だったの?)
意図しない方法でとんでもない情報を拾ってしまった。
「シャーロット様、スティーヴも我々も、微塵も疑っておりませんので」
慌てて弁明するテオドールに対するシャーロットの返答は、彼らにとって意外なものだった。
「ふふっ、なんだ、そんなことだったの」
安堵したように笑みを零したシャーロットに、スティーヴンが眉を顰める。
「疑われて当たり前ですよ。わたくしは今、魔女と呼ばれているようですし、容疑者にはうってつけの存在です。それに疑われるくらいで傷つくような繊細な心は持ち合わせておりませんから、大丈夫ですよ」
あっけらかんと言い放つシャーロットに、テオドールが感心したように嘆息した。
「肝っ玉の据わった方だ」
「誉め言葉としてお受けしますね。ということで、スティーヴン様、杞憂は晴れましたか?」
悪戯っぽく笑みを向けると、スティーヴンの溜息が落ちてきた。降参らしい。
「わかったことがあれば報告しますし、スティーヴン様の邪魔になるようなことはいたしません」
「……無茶はするなよ」
「はい!」
「本当にわかっているんだろうな…」
諦め半分の声に微笑んで頷く。
(なんだか、困っている姿は初めて見たわ。新鮮ね。)
困らせている原因であるシャーロットは呑気にそんなことを考えていた。




