2.単眼の烏
「魔王様、仕事捗ってますねえ」
「口を動かす暇があるなら手を動かせ」
不機嫌なスティーヴンの声はかなり威圧感があるが、これくらいでオスカーは動じない。いつものようにへらへらと笑みを浮かべる。
「スティーヴがそんなことを言う日が来るなんて…っ」
「テオさんガチ泣きじゃないっすか。ローズさんいいんですか、あれ」
「いつものことだから」
スティーヴンの隣で魔王補佐官兼秘書のテオドールが鼻を啜りながら泣いている。それはもう豪快に。
仕事嫌い、それも書類仕事が特に嫌いなスティーヴンが進んで仕事に励んでいるのにも理由があった。
「テオ、今日中にこの煩わしい書類仕事を終わらせて、俺はロティーに会いに行く。泣いている暇があるならさっさと仕事をしろ」
書類の束を手渡されたテオドールは文句ひとつ言わずにそれを受け取り、感涙したままの瞳で目を通す。
「ロゼッタ、このペースだと行けるな」
「はい。シャーロット様のご予定も確認済です」
シャーロットとは暫く会っていなかった。普段の職務に加え、立て続けに起こる魔物の殺傷事件の対応と調査に追われ、なかなか会いに行く時間が取れない。最後に会ったのは二週間前の夜会だ。いい加減顔を合わさなければ、スティーヴンの方がもたない。
「あの仕事嫌いの魔王様がねえ…こんな…。お嬢さんには感謝っすね」
「オスカー、間違ってもお嬢さんだなんてご本人に言うんじゃないぞ」
「わかってますよ~」
テオドールの物言いたげな視線を避け、オスカーが執務室のソファーに寝転がる。
「おい、そこで寝るなと何度も」
「魔王様がいいって言ったも~ん」
呑気に昼寝をしようとしたオスカーの上に、大量の書類が積まれた。
「はい、あんたの分」
「げっ…ローズさん、これは多いですって…」
げんなりしつつも身体を起こし、オスカーも書類に目を通し始めた。
「俺も会ってみたいな。スティーヴの婚約者様に」
「やらんぞ」
睨みを聞かせたスティーヴンにテオドールが苦笑いを浮かべる。
「一回も会わせてくれないのは何でなんだ。俺だけだぞ、会っていないのは」
「赤毛が似ているからですか?」
ロゼッタの言葉にスティーヴンの眉が微かに動いた。
「嗚呼、あの騎士赤毛でしたね、そういえば」
オスカーが書類に目を通しながら言う。
「騎士……?嗚呼、あのスティーヴが嫉妬してた王宮騎士団隊長のこ…」
耳を劈く雷鳴と共に地響きが起こる。がたがたと窓が音を鳴らし、机上に積まれた書類が雪崩を起こす。
「……悪かったよ。もう二度と口にしない」
両手を上げて降参の意思表示をすると、スティーヴンは機嫌悪そうに舌打ちをする。
「ほんとやめてくださいよ……耳もげるわ…」
溜息を吐きながら三人で書類を拾い上げる。落雷した張本人であるスティーヴンは素知らぬ顔で手を動かす。
「なあローズ、髪染めたほうがいいかな」
「好きにすれば?」
「……妹が冷たい」
テオドールはめそめそと泣きながらも書類を集め、スティーヴンの机上へ積みなおした。
先程まで手を動かしていたスティーヴンが突然動きをぴたりと止めた。
「どうした?」
尋ねたテオドールの声で側近二人もスティーヴンの様子に気が付き、目を向けた。
「緊急事態だ」
その言葉で空気が一瞬で張り詰めたものへと変わる。
スティーヴンの影が蝋燭の灯のように揺らめき、そこから黒猫が飛び出した。
『シャーロット、困ッテル、早ク』
周囲には可愛らしい鳴き声にしか聞こえていないが、スティーヴンの耳にはしっかり言葉として聞こえた。
「何に困っている」
『黒イ鳥、怪我』
「わかった。直ぐに迎える。オスカー、ロゼッタ客人だ。転移魔法を使う。弱った魔物が来るから明かりを消せ」
「承知いたしました」
瞬時にオスカーとロゼッタはカーテンを閉め、テオドールは明かりを消す。
「影よ繋げ」
低く唱えた言葉が魔力を帯び、淡い光がスティーヴンの周りを包む。ざわりと空気が変わり、風で髪が舞った。
ふわりと良く知っている甘い香りがスティーヴンの鼻腔を擽る。
「いらっしゃい、シャーロット」
「――――――へっ?」
可愛らしい婚約者が腕の中で、困惑の声を上げた。




