3.首枷
式典は滞りなく進められ、これからの国の発展と平和を祈って幕を閉じた。
新たに増えた勲章を胸につけ、馬車に乗り込もうとしたシャーロットを引き留めたのは、意外にもサミュエルだった。
「首席である証を貰えて満足か。俺をどこまで馬鹿にすれば気が済む?」
淡褐色の瞳が細められ、嫌悪感を前面に出したサミュエルの鋭い言葉が刺さる。
「ジャスミン、すぐに行くから馬車で待っていて」
憎悪の感情を露わにするジャスミンを下がらせ、人目に付きにくい会場裏へ移動する。
「人目があるところでそのような発言はおやめください」
会場の前にはまだ多くの生徒が残っていた。折角の祝いの場を凍り付かせるようなことは控えて欲しい。
「また説教か?どの立場でものを言って言っているんだ」
「サミュエル殿下の婚約者として申し上げております」
「俺がお前を婚約者にしてやっているんだ。偉いのはお前じゃない。わかっているのか」
このような時は、大人しくただ肯定すれば良い。下手に反発すれば話が延びて面倒だ。
今更この程度の言葉や嫌味で傷ついたりはしないが、少し寂しくは感じる。
「……承知しております」
「俺が一言、婚約を破棄すると言えばそれでお前はただの令嬢に成り下がるんだ」
鼻で笑いそうになったのを寸前で堪えられた。軽く咳払いをして誤魔化す。
「その通りです」
「わかったようなふりをするな!」
肩を勢いよく押され、壁に背中をぶつけた。
サミュエルの支離滅裂な様子からも、ただ気晴らしがしたいだけなのだとわかる。
(仕方ない。じっとただ耐えればすぐに終わるわ。)
今まで何度も受けた平手打ちを右頬で受け止めた。怒りも悲しみも湧かず、ただ黙って憎悪の滲む瞳を見つめると、何か気に入らなかったらしい。顔を怒りに染めて怒鳴りつけられる。
「その目が気に入らないんだよ!」
突然ぐっと首元を掴まれ、次第にその手に力が籠った。
「ぐ……ぅっ……!」
首につけられた細い金属製の輪っかが首に食い込む。抵抗しようとサミュエルの手を掴むも、そのまま何もできない。
ここまでヒートアップしたのは久々だ。さすがに苦しくて呻き声が漏れた。
「この首枷はお前の魔力を制御する為のものだ。抵抗したり外したりしようものなら首が吹っ飛ぶ。そしたらお前の秘密は明るみになるよな」
普段は服で隠れて見えないが、シャーロットには魔道具と呼ばれる、魔術を封じる際に使用する道具が取り付けられている。通常の人よりも魔力があまりに強いシャーロットの為だと説明されたが、それが真実でないことくらいわかっている。
本当にシャーロットの為ならば、爆発する機能を付ける必要などないのだから。
(昔の優しかった殿下は、幻だったのかしら…。)
出会った頃の彼は、心底楽しそうな表情をする人だった。優しく手を握ってくれる、優しい王子様だった。そんな彼は今、獲物を捕食する獣のようにぎらぎらと瞳を輝かせている。
(嗚呼、駄目だわ、苦し……。)
すっと心が氷水に浸されたかのように冷たく凍り付いていく。聴覚が鈍くなり、次第に意識が遠のいていくのがわかる。
(……?)
気を失う直前、サミュエルの手が首元から離れた。
予想外の行動に、膝から崩れ落ちる。喉元を抑えて咽るシャーロットに、サミュエルは驚いたような、怯えたような息遣いで言った。
「お前、なにをした?」
「え…?」
瞼を持ち上げると、右手を押さえるサミュエルの姿が目に入った。
(なに、が?)
「私がしました」
突然かかった声に振り返ると、なぜかそこにはスティーヴンがいた。
「……ちっ、留学生の分際でお前、俺に魔術を使ったな」
「大丈夫ですか、シャーロット様」
サミュエルには目も向けず、スティーヴンがシャーロットに手を差し伸べた。
「え、ええ」
痛む首元に触れながら答え、スティーヴンの手を取って立ち上がった。
サミュエルが不満そうな表情でスティーヴンを睨んでいるが、全く構いもしない。
王太子にその態度では、スティーヴンが罰せられてしまうかもしれない。そう思うと気が気ではないが、サミュエルも現場を見られて都合が悪いはずだ。
「何の用だ」
相変わらず威圧的なサミュエルに、スティーヴンはまるで今、サミュエルの存在を認識したかのように片眉を上げて一瞥する。
「偶然通りかかったら、ただ事ではない雰囲気だったので」
スティーヴンの低く響く声が空気を一気に冷たいものへと変える。糸が張り詰めているかのような威圧感に、サミュエルの表情が変わった。
「何のことだ?俺らはじゃれ合っていただけだ。なあ、ロティー。ほら、こっちへおいで」
微笑むサミュエルに合わせる他、シャーロットには選択肢がない。逆らえば首を飛ばされる。そう、その言葉の意味通りに。
表情を、心を殺せ。この程度どうってことはない。
サミュエルの横に立つと、さっきとは打って変わった様子で髪に触れられた。内心ぞっとしつつも、逆らうことができないシャーロットはただ黙っているしかない。
「こいつはちょっと変わった趣味をしていてな。付き合ってやっていただけだ。なぁ?」
「……あの、殿下。そろそろ、夜会の準備をしたいのですが」
様々な感情を呑み込んでそう伝えると、サミュエルが白々しいほどの笑みで頷いた。
「嗚呼。今夜の君の美しいドレス姿を楽しみにしているよ。仕事で忙しくてエスコートできないのが残念だ。寂しいだろうけど、一人で来てくれるかい?」
腰に手を回されたのが限界だった。全身の毛が逆立つような不快感に襲われ、手を払って距離を取る。
睨み上げたシャーロットに、サミュエルは不気味なほど笑顔を浮かべた。
「彼女は照れ屋なんだ、勘違いしないでくれよ。じゃあロティー、またあとで」
颯爽と立ち去っていく後ろ姿に、唾でも吐きかけてやろうかと思う。勿論、侯爵令嬢であるプライドにかけてそのようなことはしないが。
怒りと不快感を無理やり呑み込み、一つ息を吐いてスティーヴンに向き合った。
「お見苦しいところをお見せいたしました。助けてくださってありがとうございます」
丁寧な謝罪に、スティーヴンは怪訝な表情を浮かべる。
「何故、拒まないのです?どう考えても度が過ぎています」
(まあ、そう思うわよね…。)
苦笑いを浮かべながら誤魔化そうとするが、スティーヴンは納得がいかないようで眉間に皺を寄せる。
「拒めない理由があるのですか」
「……そうするしかないからです。スティーヴン様、この度のことはどうぞご内密にお願いいたします」
深く踏み込むことは許さないと牽制のつもりで言うも、スティーヴンは気にしない。
「何で脅されているのです?その首枷ですか」
「……!?」
慌てて襟を確認するが、しっかり首枷は服で隠れている。そうなると、先程の会話か。
「盗み聞き、なさっていたの?」
警戒心を露わにして言うが、スティーヴンは軽く首を振るだけで気にも留めない。
「いいえ。魔物から聞きました。首枷でないなら、それですか?」
スティーヴンがシャーロットの左太腿あたりを指差した。
びくり、と肩が大きく跳ねたシャーロットを見て、スティーヴンは納得したように口元に手をあてた。
「なるほどな」
一気に背中まで冷や汗をかく。
(そんな、まさか)
「貴方、一体……」
「シャーロット様、馬車のご用意が―――えっ?」
ジャスミンがシャーロットとスティーヴンを見比べて一瞬固まるも、主人の困惑の表情に気づき、瞬時に庇う形で前に出た。
「シャーロット様になにか御用でしょうか」
ジャスミンの固い声色にはっと我に返った。スティーヴンは全く気を悪くした様子もなく首を横に振る。
「ご挨拶もなく、大変失礼いたしました」
「ち、違うのよ、ジャスミン。先程助けてくださったの」
「そう、なのですか?」
怪訝そうに問うジャスミンを下がらせ、改めて礼を伝えるも、スティーヴンは聞いていない様子でシャーロットの首元を凝視している。
「解除はしたが……そうか」
小さく呟いたかと思うと、彼の人差し指が首元の金属に触れる。
困惑と驚き、そして恐怖に喉がひゅっと可笑しな音を立てた。
「何をなさるのです!?」
ジャスミンが血相を変えて剣を抜く、それと同時にパキンと音を立てて首輪が外れた。
「……え?」
シャーロットとジャスミンの声が重なり、二人して固まる。
恐る恐る首元に触れると本当に首枷が外れていた。爆発はしていない。首も繋がっている。
地面に落ちたそれを手に取ってみると、触れた部分から瞬時に砕け散り、細かい粒子となって消えた。
「嘘……」
信じられない気持ちでスティーヴンを見ると、彼はシャーロットの右手を取った。呆気に取られているうちに、優しく手の甲に唇が触れる。そこから温もりが浸透するかのように体が温かくなる不思議な感覚に包まれた。
「貴女には自由が似合いますから」
「え、あ……は?」
全く間抜けな声を出したと思う。混乱のあまりジャスミンを振り返ってみるが、彼女も困惑の表情を浮かべていた。
「魔力の暴発は心配ありません。貴女は自分でコントロールする力がある。では、また夜に」
優雅に立ち去るスティーヴンの姿を、ただ見送ることしかできなかった。
〇 〇 〇 〇 〇 〇
「一体、なんだったのかしら」
夜会の支度のため風呂場に向かいながら呟くと、ジャスミンも困惑の表情を浮かべて首を傾げた。
「シャーロット様、御身体に異常はないですか?」
「それが、全くないのよ」
首元に触れるも、もう金属製の首枷は付けられていない。慣れない感覚に違和感があるが、嬉しい違和感だった。
「本当に大丈夫なのかしら…外されてしまったけれど…」
首枷は強力すぎる魔力から己を守るためのものだと、幼い頃から何度も繰り返し伝えられていたからか、それが嘘だとわかっていても不安が拭い切れない。
「きっと大丈夫ですよ、異常もありませんし…」
「そう、よね」
先程は呆気に取られていて詳しいことを尋ねることができなかった。
「夜会で色々尋ねてみるわ。わからないことだらけだもの」
広々とした脱衣所でジャスミンが着替えなどの必需品を手際よく準備をする。手を止めることなくシャーロットの言葉に頷いた。
(それよりも今は、あのことを伝えないと…。)
「あのね、ジャジー」
「はい、何でしょう」
「あー…あのね」
「どうされました?」
歯切れの悪いシャーロットに、ジャスミンが手を止めて首を傾げた。
「実は……その、今夜、サミュエル殿下はご用事があるそうなのよ」
「…?はい」
「だから、あのね、一人で行かなければならなくて」
「はい?」
ジャスミンの表情が次第に険しくなっていくのが分かる。
「まさか、忙しいからエスコートはできないだなんて、言われていませんよね?」
「……そのまさかよ」
夜会は通常婚約者、或いは父や兄弟にエスコートをしてもらうことが常識的なマナーである。王太子の婚約者であるシャーロットに一人で会場へ来いなど、とんでもない侮辱行為であり、品位に欠ける行為でもある。
「あんのクソ王子…!」
ジャスミンが遠慮なく舌打ち交じりに吐き捨て、顔を怒りに染める。その様子を見たシャーロットは慌ててジャスミンを宥めるが、なかなか上手くいかない。
「ちょっと文句言ってきます!本当に許せない!」
「待って、待ってジャジー!わたくしは大丈夫だから、ほら、ね?えっと…早くお風呂に入りたいわ!お湯が冷めちゃう!」
慌てて湯船を指差すと、ジャスミンは眉間に皺を寄せたまま渋々入浴の手伝いに取り掛かった。
ほっと息を吐いて堅苦しい制服を脱ぐと、突然ジャスミン手に持っていたものを全て床に落とし、固まった。
「どうしたの、大丈夫?」
床に落としたものを拾い上げようとしゃがむと、頭上から戸惑いと驚きの混じった声が落ちてきた。
「ロティー!?」
久々に呼ばれた愛称に驚きつつ顔を上げると、ジャスミンは信じられないものを見るような顔でシャーロットを見つめていた。
「な、なに?」
彼女は口を開いては閉じてを繰り返し――遂には、両目に涙の膜を張った。
「ジャジー!?本当にどうしたの?どこか痛いの?ちょっと待って頂戴、すぐに人を呼ぶわ」
下着姿で出ていくわけにもいかず、ジャスミンが手にしていたバスタオルを体に巻こうとすると、ジャスミンは大粒の涙を零しながら首を左右に振った。
「傷が…っ!」
「傷?そんなの今更じゃない」
シャーロットが怪訝な顔で言うが、ジャスミンは勢いよく首を横に振る。
「違うんです!鏡を見てください!」
「もう、何なの…?」
指差された方向に目を向けると、普段と変わらない傷跡だらけの自分が映っている――筈だった。
「―――――え」
鏡に映った自分には、いつもと違うところが二つあった。
一つは、首枷が付いていないこと。
二つは、体についていた傷が一つ残らず綺麗に消えていること。
「嘘、でしょ…?」
腕にあった沢山の切り傷も、腹を裂かれたような傷跡も、背中の大きな醜いやけどの跡も、何一つ残っていない。
残っていたのはただ一つ、左太腿に刻まれた、呪われた身の証である烙印のみ。
傷が消えたからか、一際目立っているように感じるが、そんなことはどうでもよかった。
一生消えない惨めな傷跡が消えた。その喜びと実感が追い付かず、ただ黙って鏡を眺めることしかできない。
もう傷を見るたび思い出さなくていい。あの、地獄の日々を。
「すみません、取り乱しました…」
鼻水を啜りながらジャスミンが言い、落としたバスグッズを拾うも、手が震えているからか上手くいかない。
「ジャジー、これは、夢じゃないのよね」
「はい、シャーロット様」
そう言うとジャスミンは泣き崩れてしまった。声を上げて泣くジャスミンをシャーロットは優しく抱き寄せて宥める。
「嬉しい、けれど…なんで…?」
一日の出来事を思い返し、思い当たる節は一つしかない。
「スティーヴン・シアーズ」
人間の力では到底外すことも壊すこともできない魔道具を、いとも簡単に粉砕した謎の人物。
もしかしたら、異国の彼はとんでもない人物なのかもしれない。