24.侍女の願い
屋敷へ戻ったシャーロットは、内心頭を抱えていた。
あの騒動の後、ジャスミンの心身の回復を薔薇園で待っている間にリュカが謝罪にやってきた。リュカのことは微塵も疑っていなかったが、スティーヴンの前だというのに、「姉さん」と呼んでしまうほどの動揺ぶりから、予知しない出来事だったのだと伺い知ることができた。
泣いてしまいそうなリュカを宥め、窘めている内に、ジャスミンは早くも復活した様子で戻ってきた――のだが。
(どっからどう見ても落ち込んでいるわ…。でも、わたくしが声を掛ければかける程、気に病ませてしまうだろうし…。)
風呂の用意に取り掛かっているジャスミンの様子を横目で見ながら、シャーロットは小さく溜息を吐く。
薔薇園へやってきたジャスミンは、いつも通りの様子に戻っていた。スティーヴンへ丁寧に謝罪と御礼を述べた後、主であるシャーロットにも頭を下げた。
その後のジャスミンはいたっていつも通りだったが、それが演技であることくらい、シャーロットは見抜いている。
いつもジャスミンがシャーロットの様子に気が付くのと同じように、シャーロットもジャスミンのことに関しては察しが良い。
さりげなく労わるにはどうすればいいのか、友人はジャスミンのみというシャーロットに上手い考えが浮かぶ筈もない。
そもそも落ち込んでいる原因は自分であるのに、励まされたらさらに自己嫌悪に陥りかねない。
(それなら、せめて心が落ち着く方法を…。)
「あっ、あらいけない!部屋に忘れ物をしてしまったわ!取りに行ってくるわね」
「それでしたら、私が…」
「いいのいいの!すぐ戻るからジャジーは準備していて!」
我ながら白々しい演技だとは思うが、問いただされる前に脱衣所から出る。
扉を閉めたシャーロットは、自室とは正反対の方へ歩みを進めた。
〇 〇 〇 〇 〇 〇
「ジャジー、お待たせ」
息の上がったシャーロットは薔薇の花を一房、それも花の部分のみを手に戻ってきた。
(あれ?嘘ではなかったの…?)
シャーロットは嘘を吐くのが驚くほど下手だ。幼児期の子どもの方がよっぽど上手く嘘を吐けるだろうと思うくらいには下手で、先程の「忘れ物をした」という発言も嘘だと思っていた。
「それは、何ですか?」
「ふふん、きっと驚くわよ。見ていて」
得意気なシャーロットは、その薔薇の花を湯船に浮かせた。
湯船に浮かんだ薔薇はしゅわしゅわと音を立てて溶けていく。濃く甘い匂いと共に湯をピンク色に染めていき、あっという間に溶けて消えてしまった。
「わたくし特性、薔薇のバスボムよ!どう?驚いた?」
バスボムの存在は勿論知っている。実際に、この屋敷にも何種類ものバスボムがあるのだが。
「シャーロット様がお作りになったのですか!?」
(どこまで優秀なんだ、この方は…!)
驚きの声を上げたジャスミンに、シャーロットは満足気に口角を上げた。
「作るのは案外簡単なのよ。以前図書室で見かけたから目を通していたの。なかなか上出来でしょう?ジャジーの分もあるから、あとで渡すわね」
「えっ」
「受け取らないだなんて言わないわよね?」
「……はい」
(これは、慰められてるなぁ…。)
嬉しさと申し訳なさで中途半端な笑みを浮かべてしまったように思うが、シャーロットは気づかない振りをして微笑んでいる。
シャーロットは優しい。誰よりも優しくて、そして優秀だ。憎しみや怒りを押し込む強さもあって、昔も今も憧れる。
いつだってシャーロットに守られてしまう自分が情けない。欲しい言葉を貰ってばかりなのが、優しさを、温もりを与えられてばかりなのが、申し訳ない。
シャーロットが湯船に浸かった音で我に返った。タオルの準備をしなければ。
「ねえジャジー、髪を洗ってくれない?」
珍しい要望に驚いて湯船に目を向けると、シャーロットは少し気恥ずかしそうに笑っていた。
「ジャジーに髪、洗ってもらうの好きなの。今日は少し疲れたから甘えてもいいかしら」
「はい、勿論です」
直ぐに準備に取り掛かり、シャーロットの細く柔らかい髪に触れた。水にぬれた純白の髪は照明の光によって銀色に光り、月のように綺麗だ。
この髪に触れようとした元騎士団長の顔が浮かび、憎しみの炎が胸の奥で燻る。
(この方に触れる手は全て優しいものでないと、許さない。)
「顔怖いわよ?」
ハッと我に返ると、シャーロットが空を仰いだ状態でこちらを見ていた。
「……失礼しました」
手に洗髪料を垂らし、手の平で軽く泡立てたそれを、シャーロットの長い髪全体に馴染ませる。優しくマッサージをするように更に泡立て、頭皮にも馴染ませていく。
「ジャジーは本当に上手ね。疲れが癒されるわ」
「ありがとうございます」
辛い思いをすることの多いシャーロットが、ひと時でも無防備に癒される時間があって欲しい。そう思って練習を重ねた洗髪技術を褒めてもらえると嬉しく思う。
今日も酷く嫌な思いをしただろうに、微塵もその様子を見せずにこうやって相手を労わっている。こんなにも優しい主の下で働けて、これ以上幸せなことなんてきっとない。
(この方がいなければ私は当に死んでいた。この困ったくらいに優しい方は、見捨てず、諦めず、私が生きることを望んでくれた。)
助けを求めて彷徨った嵐の夜、フェリクスに奴隷でも娼婦でも贄でも、何でもするから友人を助けてくれと、シャーロットが泣いたことをジャスミンは知っている。
――身を捨てて助けてくれる人が、自身の生より君の生を望んだ人がいるのに、君はまだ自分が無価値だと思うかい?
(いいえ。いいえ、フェリクス侯爵。)
強く瞼を閉じて、滲みそうになった涙を押し戻した。
「シャーロット様、私はもっと、強くなります」
「……侍女は護衛じゃないんだから、強くなくてもいいのよ」
「いいえ。私は…」
「じゃあ、一緒に強くなりましょう」
目を丸くしてシャーロットを見ると、彼女は弱ったような笑みを浮かべていた。
「情けないことにあの時、足が竦んで動けなかったのよ。わたくしも動揺していたのね。それに…殿下にはかなわないんじゃないかって、思い込んでしまっていたの」
制止された時、癖で体が固まっちゃったし、とシャーロットは続けて言う。
「だからジャジー、一人で頑張ろうとしないで。貴女がわたくしを守りたいと思ってくれているように、わたくしだって貴女を守りたいのよ。大事なの」
「シャーロット様…」
「それにほら、守られるだけなんて性に合わないわ」
確かにそうかもしれないが、痛みも苦しみもない温かい世界で過ごしてほしい。安心して笑っていられる世界にいて欲しいと心から思う。
「この呪いのことだって、わたくしは諦めたわけではないの」
そう言ったシャーロットの目には、決意が宿っていた。
「あ。スティーヴン様には内緒よ、呪いを解こうとしているなんて」
「ご相談した方が情報を得られるのではないですか?」
「駄目よ。案外心配性みたいだから」
それはシャーロット様相手だからですよ、と言ってしまいたいが、余計なお世話だろう。それに自分でしっかりこの鈍い主に伝えてもらわなければ。
「承知いたしました」
「そうだわ!この後久しぶりにお茶しましょうよ!リュカから頂いたお紅茶、とても美味しいわよ」
(嗚呼、この人は本当に。)
憎しみや怒りの火種をいとも簡単に鎮火してしまう。悲しみを優しく掬って受け止めてくれる。
「……はいっ」
どうかこの先の未来が明るいものでありますように。
心からそう思う。




