第九十七話:御伽・ファクシミリアン・有栖の場合。
御伽家の朝は早い。
執事の多野中が早朝4時に起床し、既に働いている厨房の方々に労いの声をかけながら中央ホールへ向かう。
そこには既にメイドが集合しており、この家の主が起きる前に簡単な掃除、朝食の準備、生け花等の管理などなどをこなしていく。
これが毎日の光景であるが、有栖はたまに早く目が覚めた時にその仕事を手伝う事がある。
「お嬢様。いつも言っておりますがこのような雑務は私達がやりますからもう少しゆっくりとお休みになられては如何ですかな?」
「爺。早く起きてしまったのに何もしないほうが気持ち悪いですわ」
多野中はやれやれと顔を横に振りながら諦めたように言う。
「勿論無理にお止めする事はしませんが…しかしこちらも新入りの教育もありますのであまり対応はできませぬよ?」
「対応ってなんですの?わたくしがいつもミスをしているような言い方はやめて下さいまし」
「先週は花瓶を二個。それとご主人様の大事にしている油絵に雑巾がけ…」
有栖はその言葉を無視して作業に入った。
「わたくしがそんなにいつもいつもミスをしているわけ無いですわ。先週はたまたまですのたまたま。それより、誰か新人を雇ったんですの?」
そんな話は聞いていない。が、多野中は「お嬢様も知っている人ですよ」と言う。有栖は誰か心当たりがないか考えてみるものの浮かぶのは彼くらいである。
さすがにそれは無いな。と首を振って頭からその顔を追い出す。
「おいじーさん次は何すりゃいーんだよ」
「これジャック。お嬢様の前でそんな口の聞き方をするのは辞めなさい。あくまでも今はここの執事見習いなんですぞ?」
有栖はその聞き覚えのある声と、ジャックと言う名前に顔を引きつらせた。
「…た、多野中っ!新入りってまさか…」
そう、行き場を失ったジャック・バウエル。通称ジャバウォックを多野中が拾ってきたのだ。
「へいへい。おいお譲ちゃん。いつかこんな爺さんよりも役に立つようになるから宜しくな」
「あ、あはははは…」
有栖には苦笑いしかできない。
「爺、わたくしやっぱり部屋で休んでますわ」
「それがよろしいかと」
多野中はまだ本調子では無いらしく、新入りへの教育係として本腰を入れるようだ。
自分に何かがあった時の代わりを今から育成しておこうという事なんだろうが、有栖にとって多野中の代わりなどいない。
「なんだか前途多難ですわ…」
自室に入り後ろ手にドアをしめて呟く。
そのままフラフラとベッドに近づき、ぼふっと倒れこんだ。
「今日は乙姫さん学校にくるかしら…」
あれから一週間ほど乙姫は学校を休んでいたが、それ以外の皆はすぐに学校復帰している。
休んでいる原因は主に最後に皆で殴ってしまった事であろう。
「わ、わたくしは…軽くしか叩いてないのですから早く帰ってきて下さいまし」
ふいに枕を抱きしめてそんな事を呟いてしまった事が恥ずかしくなりごろごろとベッドを転げまわる。
結局のところ彼女は自分の感情、気持ちがよく解っていなかった。彼の事をどう思っているのか。そしてそれに答えを出さなければいけないのかどうか。
でもその答えが解ってしまうときっと自分は挙動不審になっていつもの自分ではいられなくなってしまう。そんな予感もあった。
だから
「まだ、このままでいいんですわ」
御伽・ファクシミリアン・有栖は学校へ登校するまでの残り数時間、ベッドで転がりながら呻き続けるのであった。