第七十八話:ネムリという天使。
アルタの言葉をステージ裏で聞いていたネムは静かに微笑む。
「アルちゃんは、きっと大丈夫です。私の力なんて無くてもきちんとアイドルですよ」
実はまだストックされていたエネルギーに余力はあった。それでもネムがあんな態度をとったのは、ここがいい機会、いい場所だと思ったからだ。
力を使って他のアイドルより注目を集めている事に対してアルタが罪悪感を感じているのは知っていた。そして、いつかそれを乗り越えたいと思っている事も。
だからネムはその機会を探っていたのだ。
もしかしたら力を使わないそのままのアルタの歌は観客に受け入れられないかもしれない。その時アルタが大きく傷つくかもしれない。それはネムにとってもとても悲しい事で、そんな事にならないように今まで力を貸してきた。
観客が受け入れてくれるか、拒絶するか。それは実際試してみないとわからない。きっと大丈夫なんていうのはただの希望でしかないのだ。そして、今までファンだった人達に拒絶された時、きっとアルタは耐えられない。
そう、思っていた。
しかし、アルタは変わった。
人々との出会い、それも一番はあの男との出会いで。今までアルタの中心にあった曖昧であやふやだった芯の部分が、以前とは比べるまでも無いほど強くなっているのを感じる。
今のアルタには目標がある。
今まで恐れていた壁を乗り越えてでも叶えたい事が。
だから、やるなら今しかない。万が一観客に拒絶されてしまったとしても今のアルタなら耐えられるしそれを乗り越えてまた一から歩みだす事が出来るだろうと、ネムはそう思ったのだ。
結果。
アルタの今、その全てを詰め込んだ新曲は、お世辞にも今までの彼女の歌と比べて優れているとはいえない物だった。
それでも。
それでも観客達はそのメロディ、その歌詞、その声、その歌に心を奪われていた。
ただただ自分を奮い立たせて、逃げてきた事から目を背けずに乗り越えたい、そしてあの人の役に立ちたい。そうすれば今までちっぽけだった自分が少しでも変われる。少しでも前に進みたい。たとえそれが人に受け入れられなくても、飾り立てた自分じゃなくてそのままの自分を見て欲しい。弱い自分を、見て欲しい。そうすれば強くなれるから。
そういう歌だった。
アルタの弱さも強さも脆さも危うさも。全てが伝わってくる素敵な歌だった。
皆静かに聞き入っていたが、やがて曲が終わると、アルタがその場にへたり込んでしまう。それを見てあちこちからアルタを心配する声があがった。
「アルタちゃん大丈夫ー?」
「どうしたのー?」
「新曲すごくよかったよ!」
そんな人々の声を聞き、ゆっくりアルタは立ち上がった。
「みんな…こんな私だけど、これからも応援してくれるかな…?」
「あたりまえだー!」
「アルちゃんサイコー!」
「けっこんしてくれー!」
「はは…。みんな、ありがとう。私、これからも…がん、ばる…から。でも、ごめん。もう…無理」
ゆっくりとその場に倒れこむアルタ。
会場からは悲鳴があがる。
『アルちゃん、お疲れさま。…これは嘘ついちゃったお詫びのサービスだからね』
静かにネムがステージに上がり、アルタを抱き起こす。
アレは誰だと騒がしくなる会場へ向けてネムが歌う。
常人には聞き取れないような周波数で。ネムの力を込めた声、音が観客の記憶を改竄する。
ほんの30秒間ほどの記憶を。
何事もなく無事にステージが終了したのだと錯覚させていく。
それでも大勢の観客全ての記憶を書き換えるのには相当のエネルギーがかかる。
アルタの新曲で得られた分も含めてこれでほぼすっからかんだった。
「何よ、まだ…残ってたんじゃない。いじわる」
「なんの事ですかねぇ~♪ちょっと私には何言ってるか解らないですぅ~♪」
「こんにゃろー…でも、でも…。ありがとう」
感謝の言葉を告げて意識を失うアルタ。
ネムはアルタを抱えたままステージ裏へと下がり、呟いた。
「いえいえ。アルちゃんを支えるのが私の務め…。あくまで、天使ですから♪」