十九 突 破
「ふん、まぁこんなものか……。
どうせなら目の前であの鎧女がバラバラになるところを見たかったが」
言葉とは裏腹に、マグス大佐は満足そうだった。
敵の左翼はもうもうたる黒煙に包まれたままだ。
あれでは生存者を見つける方が難しいだろう。
大佐の機嫌が悪かろうはずがない。
敵軍の三分の一近くが消滅したのだ。
これで後続を失ったミノタウロスは、いったん引くしかあるまい。
態勢は立て直した。次はウエマクを引っ張り出す算段だが……。
マグス大佐は椅子に腰をおろし、副官にコーヒーを淹れ直すよう命じようとした。
その時、口を開きかけた大佐を遮るようにして、通信担当の魔導士が叫んだ。
「右翼前線から緊急通信!
敵が突撃してきます。
騎馬、遅れて歩兵! 数およそ千五百!」
「何だとぉーーーーっ!」
マグス大佐が怒鳴りながら立ち上がる。
「クソがっ、どこからだ! 敵の中央軍か?」
「いえ、それが……」
通信兵が口ごもった。
大佐の顔色が赤黒く染まり、こめかみに青筋が浮かび上がる。
「とっとと答えんか! 馬鹿者!」
怒号と共にコーヒーカップが飛んできて、通信兵の頬を掠めた。
後ろの方でカチャンと陶器の割れる音が聞こえる。
「敵の、その――左翼からであります!」
「貴様ぁぁぁぁぁっ、馬鹿なことを言うなっ!」
それはもはや絶叫に近かった。
大佐は慌てて望遠鏡を目に当てる。
未だ湧き上がる黒煙の中から、続々と敵兵が踊りだしてくる。
爆裂魔法で完膚なきまで叩き潰したところからだ。
彼女は自分が目にしている光景が信じられなかった。
しかし、今は戦闘中である。指揮官が呆けていて勝てる戦など存在しない。
少佐は「何故?」という言葉の首を刎ねて黙らせると、現実だけを受け入れた。
「予備隊を右翼両脇に投入しろ!
ミノタウロスを食い止めている隙に、奴らの鼻面にありたけの魔法をお見舞いしろ!
とりあえずは騎馬の壊滅に全力を挙げるんだ。
魔法を甘く見た王国の猿どもに、目にもの見せてやれ!」
マグス大佐は虎の子の予備魔導士部隊を投入し、予想外の敵の攻撃への手当てとした。
――まぁ、これでどうにかなるだろう。
所詮はただの人間がどれだけ突っ込んでこようと、魔導士を抜くことなど不可能だ。
大佐は一息つこうとしたが、副官がそれを許さなかった。
「大佐、あれをご覧ください!」
副官が望遠鏡を目に当てたまま、敵の左翼を指さしている。
マグス大佐もすぐにそれに倣う。
敵左翼ではやっと黒煙が収まり、視界が回復しつつあった。
そのため、敵陣の状況がようやく掴めたのだが、そこには奇妙な光景が広がっていた。
爆裂魔法は、攻撃範囲の地面ごと爆破して吹き飛ばす魔法である。
したがって、その攻撃の跡は地面が掘り返され、地崩れに遭ったかのような様相を呈する。
敵が陣取っていた荒野にも、確かにそうした爪痕が残っていた。
ただ、それはきれいな楕円を描いていて、その内側の地面は攻撃前と何の変化も見せていない。
「何だあれは! どういうことだ?」
大佐の問いに答えられる者はいなかった。
「まさか王国の奴らが対魔法防御の障壁を使ったのか?
――いや、それにしては無傷の範囲が広すぎる。
それに、外側は間違いなく魔法が作用しているということは、少なくとも敵の半分は吹っ飛ばした計算になる。
なのに何で突っ込んでくる連中が千騎以上もいるのだ?」
大佐の困惑をよそに、戦いは容赦なく進行していく。
帝国右翼の両端に到達した予備隊の魔導士たちは、陣形もなにもあったものではなく、突進してくる王国騎馬隊に向け、次々に攻撃魔法を放った。
火、氷、風、雷――それぞれが得意とする必殺の魔法が、騎兵たちに襲いかかった。
しかし、何も起こらない。
悲鳴を上げて燃え上がり、物言わぬまま凍りつき、感電して黒焦げとなる兵士が一人もいないのだ。
そればかりではない、馬たちですら平気な顔で魔法をやりすごしている。
魔導士たちはパニックに陥った。
自分たちが拠り所とする魔法が効果を表さない――それは悪夢以外の何ものでもない。
彼らは魔力の限りを尽くして、狂ったように魔法を放ち続けた。
魔力の枯渇のことなど考えている余裕もなかった。
王国の騎馬隊は何ごとも起きていないかのように肉薄してきた。
――が、そこで止まった。
魔導士たちの目の前で騎兵たちは突進をやめ、ぐるぐると動き回って威嚇をする。
彼らは何の攻撃もしてこない。
魔導士たちが呆然としていると、その中の一人が騎兵に向かって走り出した。
突然のことで、周囲の者たちには止める暇がなかった。
その魔導士は、目の前に迫っていた騎兵の目の前に立つと、軍馬に向かって手を差し出した。
そして、そのまま一歩進む。
魔導士の身体が馬と重なり、溶け合う。
彼がそのままずんずんと歩いていくと、馬ばかりか騎兵の身体まですり抜けていく。
魔導士は振り返って声を上げた。
「これ……幻影です――」
* *
「幻影だとぉ!」
本陣ではマグス大佐の怒号が響き渡っていた。
彼女の足元には白い陶器の破片が散乱している。
もうテーブルの上には、叩き割る皿もカップも残っていなかった。
大佐は頭に上った血をなだめようと、彼女なりに努力はしていたのだ。
「そうか、奴らの幻獣の能力だな? そうとしか考えられん。
――ん?
ということは、敵陣の外側にいた兵士も幻影だったのか……。
クソッ、まんまと一杯喰わされた!」
「通信兵!
予備隊には騎馬兵を無視しろと伝えろ。
歩兵の方はどうなった?」
「は、騎馬隊に攻撃を集中していた間に肉薄されています。
あ、あの……」
「何だ、早く言え!」
「歩兵の先頭で突出しているのは、鎧女とのことです」
「何だとぉ~っ!!」
副官は「ぶちっ」という音を確かに聞いた思った。
どうか幻聴でありますように――彼は天に祈らずにいられなかった。
「まさかとは思うが、また幻影かもしれん。
魔法を放って確認させろ、というか本物なら黒焦げにしてやれ!」
* *
アリストアが当初立てた作戦は、ユニとアスカそれに三十人ほどの兵士を囮とし、それをマリウスの対魔法障壁で防御させる。
彼らの周囲にはリリのミラージュによる幻影の兵士を配置して敵を欺く――というものだった。
しかし、リリの周囲に千人の大軍を見破られないように発生させるためには、百人以上のモデルとなる兵士が中央部分に必要だと分かり、計画は頓挫した。
マリウスの対魔障壁が広範囲に張れるのであれば問題ないのだが、そのためにはベースとなるような広範囲に作用する魔法が必要なのだ。
第一軍の増援が壊滅したとの一報が入り、参謀本部が大混乱に陥っていた中、マリウスは自分が考えた作戦の修正案をアリストアに渡していた。
ユニが習得している仲間を守護する呪文が防御魔法の一種であること。それはユニを中心としてオオカミたちに作用し、かなりの広範囲に及ぶ。
そこに彼の対魔障壁を重ねがけすれば、第四軍全体を防御することができるはずだ。
だったら、いっそリリを中央に置いて、第四軍の周囲に千五百の幻影騎馬兵を配置してはどうか。
爆裂魔法を凌いだ後、幻影の騎馬兵を突撃させれば、相手の魔法攻撃を集中させて消耗させることができるのではないか。
――それがマリウスの考えた作戦であった。
ユニとアスカは半信半疑であったが、アリストアは彼の案を採用した。
自らマリウスを尋問した際、何か思う所があったらしく、アリストアは彼の防御魔法に関する知識と技術に信頼を置いたようだった。
かくして第四軍は長方形の陣形を組み、馬が暴走しないよう騎兵を降ろして全軍を待機させた。
その周囲をユニのオオカミたち八頭が取り囲むように配置され、さらにその外側にはリリが生み出した乗馬したままの騎馬兵、千五百が取り囲む。
八百の現実の騎馬兵に取り囲まれたリリとミラージュにとって、その倍の幻影を作りだすなど雑作もないことだった。
ユニがシカリ師匠から教わった呪文を唱え、群れのオオカミたちを覆う力場が発生した。
呪文を唱えたユニも、効果が作用しているオオカミたちも、それと気づかぬものだったが、魔導の修業を積んだマリウスは明確にそれを感じ取ることができた。
その力の場に重ね合わせるイメージで、対魔障壁を張る。
まるで口から腕を突っ込まれ、内臓ごとずるりと引っ張り出される感覚があった。
思わず意識が飛びそうになるほど、一度に自分の魔力が引き出される感触だった。
顔面に脂汗を浮かべ、蒼白になりながらも彼は耐えた。
「これは……ここまで魔力を消費しますか……。
まいったなぁ~、やるなんて言わなきゃよかった――」
言葉とは裏腹に、がくがくする膝を両手で抑え込みながら魔力の供給を続ける。
やがて、魔力の消費が穏やかになり、対魔障壁が安定した。
彼は親指を立て、アスカに合図を送る。
爆裂魔法が炸裂したのは、その数分後のことである。
第四軍の兵士たちは、彼らの周囲で噴水のように吹き上がる土砂と炎と煙に恐怖した。
オオカミたちは彼らよりもだいぶ広い範囲に広がっていたのだが、降り注ぐ土砂と岩石で数十人の負傷者が出た。
対魔障壁は物理的な力には無力なので、飛んでくる岩石は防げなかったのだ。
骨折などの重傷者も少なからず出たが、幸いにも死者はいない。
爆裂魔法の威力を考えれば、それは軽微な被害だと判断された。
爆炎が収まるのを待って、アスカは全軍に突撃を命じた。
ただし、リリの幻影騎兵を先頭にして、現実の第四軍は馬を降りての突撃である。
案の定、帝国の魔導士たちは狂ったように騎馬兵に対して魔法攻撃を仕掛けてきた。
おかげでアスカを先頭にした第四軍は、ほぼ無傷で敵魔導士部隊に接近することができた。
しかし、そこでアスカは兵たちの前進を止めると、猛然たる勢いでミノタウロスを押しとどめている魔導士たちへ突進していったのである。
* *
マグス大佐の命令を待つまでもなく、右翼両端に展開していた魔導士の予備隊はアスカに攻撃を開始した。
幻影の騎馬兵に対して、過剰なまでの攻撃を行い魔力は枯渇しかけていたが、まだ数発は撃てる。
あまり味方の魔導士に接近され過ぎると攻撃が出来なくなるから、出し惜しみしている場合ではない。
ファイアボールが、マジックアローが、雷撃が彼女を襲った。
炎が舞い上がり、光の矢が刺さり、稲妻が落ちた。
――しかし、鎧の女騎士は倒れなかった。
魔法が何の効果も現さなかったのは明白だった。
やっきになって攻撃を続けようとする魔導士を、仲間が押しとどめる。
「やめろ、マグス大佐からも聞いている。あの鎧は何らかの魔法具なのだろう。
どうせミノタウロスですら抜けない対物障壁が待ち構えているのだ。
人間一人に何ができる」
アスカはそれ以上の攻撃を受けることなく、ミノタウロスのもとへ達した。
牛頭の怪物は、二十人ほどの魔導士が張る対物障壁に取り囲まれ、前進を阻まれていた。
それでも、凄まじい怪力でじりじりと押してはいたのだ。
対物障壁は、一見ドーム状の防壁を張り巡らせているように思えるが、実際には術者を中心とした球状に効果が及んでいる。
障壁を力で押し返そうとしても、地下の障壁内に存在する膨大な質量の土砂岩石が重しとなり、それを許さない。
それをわずかではあるが、ミノタウロスは押し込んでいる。呆れるほどの怪力に、対峙している魔導士たちは戦慄していた。
いつまで魔力が持つのか――受ける力の大きさに応じて魔力は消費されていくのだ。
そこへ銀のプレートアーマーに身を包んだ一人の騎士が現れた。
魔導士たちもそうだったが、ミノタウロスもまた怪訝な顔で彼女を注視した。
「何をしに現れたのだ、この女は?」
敵味方が同じ疑念を脳裏に浮かべている隙に、アスカは剣を抜き放った。
いつもの大段平ほどではないが、ウエマクに与えられたブロードソードも十分に幅広く、長大な剣である。
女騎士はその剣を一閃させた。
横一文字の抜き打ちは、彼女の目の前に存在する見えない障壁を〝切った〟。
アスカには確かな手ごたえがあった。
剣先に感じた餅のような抵抗感。それを一気に突き通し真横に切り裂いた感触。
「切った!」
一方、対物障壁を張っていた魔導士もそれに気づいていた。
直径五、六メートルほどの球体の障壁の中を、自分の魔力が循環していることを術者である彼は感じていた。
その完璧な調和に、わずか一メートルほどだが切れ目が入ったのだ。
魔力の循環が乱れ、切れ目から外へと漏れ出しているのがわかった。
「切った! ……だと?」
アスカのすぐ側にいたミノタウロスも、その異変を感じ取ったようだった。
彼はアスカに目で合図をし、彼女を脇にどかせた。
アスカが切った場所は目に見えないが、そこから魔力が漏れ出ていることは感じられる。
ミノタウロスはそこへ丸太のように太い腕を突っ込んだ。
ずぼりと抵抗なく腕が差しこまれる。
戦斧を持ったままの右手もそこへねじ込む。
「ブモォォォォォーーーーッ!」
雄叫びが上がり、二の腕の筋肉が膨れ上がり、血管が浮き出る。
両腕に渾身の力を籠め、上下に穴を広げていく。
実際には無音だったが、めりめりめりっという音を立てて、一メートルほどの切れ込みがみるみる広がっていく感触があった。
そしてミノタウロスは物理障壁をついに突破した。
いや、障壁の中に入り込んだと言う方が正しい。
彼の目の前には目を見開き、なすすべなく立ち尽くしている小さな人間がいた。
戦斧を使う必要もない、とでもいうようにミノタウロスは左手で魔導士を弾き飛ばす。
水を入れた袋を壁に叩きつけたような〝べしゃっ〟という音がして、何もなかった空間にいきなり真っ赤な壁が出現した。
障壁の形状に沿った局面をなす壁だ。
血と脳漿と臓物と、肉と骨と、その他訳のわからないものが、障壁にぶつかり、押し潰された結果できた壁だ。
しかし壁は一瞬で崩壊し、べちゃべちゃという音を立てて一人前の人間ミンチが地面にぶちまけられる。
術者が即死し、障壁そのものが消滅したのだから当然の結果だった。
アスカとミノタウロスは互いに顔を見合わせ、小さくうなずいた。
アスカは剣を高く掲げ、待機させていた部下たちに前進を命じる。
そして、次の対物障壁を張っている魔導士へと向かう。その後ろには戦斧を構えたミノタウロスの巨体が続いていた。




