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幻獣召喚士  作者: 湖南 恵
黒龍野会戦
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十六 行 軍

 黒蛇帝ヴァルターはつかつかと扉へ向かい、扉越しに怒鳴った。

「何を騒いでおる!

 召喚の間には許可なく近づいてはならぬことを知らないとは言わせんぞ!」


 一瞬、扉の外がしんと静まった。

 が、すぐに若い男の声が響くのと同時に、「あ、馬鹿!」とそれを押しとどめようとする門衛の慌てた声がする。


「恐れながら申し上げます!

 緊急の事態です、どうかアリストア様にだけでもお取次ぎを! 至急、至急でありますっ!」


 訴える声からは必死の思いが伝わってくる。

 黒蛇帝の傍らに来ていたアリストアは、ヴァルターの顔を見てにうなずき、ユニとアスカにはそのまま待つように言い捨てて召喚の間の外に出た。


 残されたユニとアスカもまた、顔を見合わせていた。

 何が起こっているのか、見当もつかないからだ。


 その横でウエマクが小さく溜め息をつく。

「やれやれ、今回は私も出なくてはならないようですね。

 あまり得意ではないのですが……」


 その言葉が終わらぬうちに、扉が開いてアリストアが顔を出した。

「ユニ、アスカ。

 会議室へ戻るぞ!

 くそっ、明日の配置を全部やり直しだ!」


 二人は訳がわからぬまま駆けだす。

 アスカが情けなさそうな顔をしている。

「――私の晩御飯はどこにあるのだろう? なぁ、ユニ」


      *       *


 野戦参謀本部は混乱の極みにあった。

 アリストアは黒蛇帝とともに部屋に飛び込むと、騒ぎ立てる将校を一喝して黙らせ、状況の説明を命じた。


 アスカが率いる第四軍の増援部隊は予定どおり到着したというのに、第一軍の方は夜になっても音沙汰がなかった。


 心配した黒城側が物見の騎馬を出したところ、街道を逃げてくる第一軍の兵たち多数と遭遇したのだ。

 敗走する兵たちから、増援の部隊が独断で黒龍野へ向かったこと、敵と接触する直前に敵の大規模魔法で騎兵のほとんどを失ったことが判明した。


「第一軍増援部隊のうち、騎兵を中心に約六百人が即死。残りの敗残兵を収容しつつありますが、負傷者多数です。

 再編成したとしても、歩兵三百人程度の規模が限界かと――」


 アリストアは即座に決断をくだす。

「収容した者のうち、負傷兵は応急手当てをして、すぐに運河で白城市へ送り返せ。

 馬と物資は後回しだ。

 兵の運搬と船の漕ぎ手は、軽傷を含めた無事な兵にやらせろ!

 黒城の病床を満員にしたまま戦争になど行けるものか」


 次いで参謀将校たちには、第一軍の増援をないものとして、配置を再検討しろと命じる。

 アリストアはどかっと椅子に腰をおろした。

 こめかみを片手で揉みほぐしながら、若い将校に声をかける。


「君、すまんが熱いコーヒーを頼む」

 こめかみはズキズキと脈打ち、頭痛は収まりそうにない。


 アリストアは片眼鏡モノクルを外し、今度は親指と人差し指で目頭を押さえる。

『くそっ、第一軍の指揮官はアントン大佐だったか。

 あの馬鹿者は何を考えているのだ!

 実戦慣れした帝国に、寡兵の素人が突っ込んでいくとは……。

 六百の騎馬が全滅ということは、マグス大佐の爆裂魔法だろうな。

 まだ対策が未完成だというのに……』


 目を閉じたままのアリストアの鼻孔にコーヒーの香りが漂ってくる。

 あまり上等の豆ではなさそうだが、贅沢を言っていられない。


 ロゼッタを下がらせたのは失敗だったな。あれをいつも側に置いておけたらよいのだが――そんな思いが浮かんできた。

 「ああ、君。ありがとう……」

 彼は目を開けて、若い将校に礼を言いかけた。


 しかし、銀のお盆を胸に抱いて立っていたのは、マリウス中尉だった。

 アリストアの目の前には、コーヒーが注がれたカップ。そしてその横に折りたたまれた紙片が置かれている。

 彼はにこにこしているマリウスの顔をちらりと見上げ、黙って紙片を手に取った。


 一読したアリストアは、再び紙片を折りたたむと、胸のポケットにねじ込んだ。


「確かか?」

 じろりとマリウスの顔を睨む。

「はい。実験済みです」

 若者は動じる様子もなく答える。


 アリストアはカップに手を伸ばすと、コーヒーを口に含み、ごくりと飲み込んだ。

 熱い液体が喉を焼く。意識が一気に覚醒し、頭の中にかかっていた靄が晴れた。


 彼は突立ち上がり、兵の再配分によって変更される補給体制のことで言い争っている将校たちに向かって怒鳴った。

「明日の編成変えは中止する!

 中央と右翼は予定どおり、左翼は第四軍の増援部隊単独で支えてもらう。以上だ!」


 煙草の煙で霞んだ部屋が一瞬静寂に包まれ、すぐに参謀将校の抗議の声が上がる。

「それでは左翼の兵力が半減します! 第四軍を見殺しにする気ですか!」


「左翼の前衛にはミノタウロスを充てる。右翼はケルベロス、中央はスプリガン。変更するのはそれだけだ。

 これ以上の議論はしない。わかったら準備に取り掛かれ!


 ――アスカとユニ、マリウスは私の部屋へ。

 誰か使いをやってリリを呼んでくれたまえ」


 そう言い残すと、アリストアは自分の執務室へさっさと引き上げる。

 ユニたちもその後に続いた。


 マリウスは情けない顔をして歩いているアスカのわき腹をつんつんと小突く。

 彼は不審な顔をしているアスカの手を取り、すばやく何かを握らせ、小声でささやいた。


「さっきコーヒーを淹れにいった時、くすねてきました」

 それは銀紙に包まれたチョコ――ナッツをチョコで固めたバーだった。

 アスカは涙目で感謝の仕草をすると、先を行くアリストアに気づかれぬよう、すばやく口に放り込んだ。


      *       *


 翌早朝、大勢の市民に見送られて第二軍の主力部隊が出発した。

 すでに市民の間にも、帝国軍がノルド方面に現れたという噂が広まっていた。

 何十年と絶えてなかった戦争が現実になろうとしている。


 誰もが不安を顔に浮かべていた。歓声も、紙吹雪もない静かな行軍は、まるで葬列のようだった。


 本隊中央には黒蛇帝とアリストアがくつわを並べて進み、その後方には、大きな輿こしを三十人ほどの兵士たちが担いでいる。

 輿の上には刺繍が施された厚手の布地で作られたテントのようなものが乗っていた。


 中には黒蛇ウエマクがとぐろを巻いて収まっているのだが、市民ばかりか兵士たちも気づいていない。

 ウエマクはこの数十年、人前に姿を現していないので無理からぬことだった。


 アスカが率いる第四軍の部隊は本隊の後に続く。その数千五百。

 黒づくめの第二軍に対して、第四軍の兵士は革鎧の胸当てに艶消しの青い金属プレートを装着している。


 その中でもひときわ目立っているのが、巨大な軍馬に跨ったアスカである。

 鈍い銀色に輝くプレートアーマーの女騎士。

 並みの男など足元にも及ばない体格。


 蒼城市では蒼龍帝フロイアと人気を二分する有名人だけに、ここ黒城市でも多くの女性たちの注目を浴びていた。


 何しろアスカの出陣を見送るため、わざわざ蒼城市からツアーを組んで来ている女性の集団がいるくらいだ。

 その女たちは、アスカの姿が見えると黄色い歓声を上げて、周囲の黒城市民をどん引きさせていた。


 ところが、「アスカさま~!」という嬌声は、すぐに「何じゃ、あのガキは~!」という怒声に変わった。


 アスカの前に体を密着させ、ちょこんと跨っている小柄な少女を発見したからだ。


 ウエーブがかかった黒く長い髪はアスカの胸の下あたりで広がっている。

 その顔は不安を隠すことなく、周囲の群衆を落ち着きなく見回している。

 手綱を握るアスカの両腕は、そんな少女の肩を抱くかのように回され、アスカの〝追っかけ〟たちを激怒させていた。


 その少女はリリであった。

 乗馬経験の少ない彼女を、アスカが申し出て同乗させたのだ。

 アスカの横には、巨大なオオカミに跨ったユニが並ぶ。

 ユニとしては迷惑な話だが、彼女もまた自然と人々の耳目を集めていた。


 そして、その後ろには第二軍の黒い軍装を借りたマリウスが続くが、彼を気にする群衆はいない。

 マリウスは革兜の下に面頬を付けるという、少し異様な姿だったが、帝国軍に顔を見られたくないためだと理解できた。


「本当に大丈夫なのでしょうか? 私、ちゃんとできるのか自信ありません……」

 不安そうな顔のまま、リリが上を見上げてアスカに話しかける。


 アスカは笑みを浮かべて、少し身をかがめた。

 リリの小さく頼りない体が、鎧を通して感じられる。


「アリストア殿が承認した作戦だ。心配はあるまい。

 リリ殿は自分のできることをすればよい。

 そなたの身は私が守ろう」


 アスカの言葉と、自分の身を包み込む逞しい身体を感じて、リリは耳まで赤くしてうつむいてしまった。

 その様子を横から眺めていたユニは「やれやれ」といった顔をして頭を横に振った。


「アスカ、あなた自覚してないでしょうけど、そうやってやたら女の子相手に二枚目なセリフを言うからキャアキャア騒がれるのよ」

「そうなのか? 私は、その……本心から言っているのだが……」

「知ってるわよ、そんなこと!

 だからね、たまには男相手にやってみなさいよ」


 今度はアスカが真っ赤になった。

「そっ、そんな恥ずかしいことができるか!

 第一、私が男を守っては駄目だろう。

 女は男にこそ守られるものだぞ」


 ユニはきょとんとして、アスカの顔をまじまじと見た。

「あら、意外だわ。

 アスカ、あなたひょっとして白馬の王子様を信じているクチなの?」


 アスカの顔は、もはや赤いのを通り越してどす黒くなっている。

「わっ、悪いか!

 女性であれば、誰しも夢見る話だろう――」


 ユニはライガに合図して、アスカの軍馬にぴたりと寄る。

 そして、身体を伸ばしてアスカに小声で訊いた。


「からかってゴメン。

 真面目に聞くけど、あなたの夢って〝お嫁さん〟だったりする?」

 もはや茹蛸のようになっているアスカは小さくうなずいた。


「わかった、あたしが悪かった!

 もう訊かないから、この件は帰ったらゆっくり話しましょう。

 リリ! わかっているでしょうけど誰かに洩らしたら折檻だからね!」

「はいっ! 絶対秘密にしますっ!」

 とばっちりが来た少女は背をぴんと伸ばして叫んだ。


 ユニは溜め息をついた。

「やれやれ、行軍中にとんだガールズトークだわ。

 ――ところでアスカ、黒龍野って確か泥炭地帯よね?

 一万近い軍が展開するには足場が悪いんじゃないの」


 ユニが話題を変えてくれたことに、生真面目なアスカもほっとしたようだった。

「ああ、だから敵陣に近づいたら街道から外れて大きく迂回する。

 街道の南側は地盤がしっかりしているから、南から街道を挟んで帝国と対峙することになるはずだ」


「あたしたちは左翼だから、一番遠回りに迂回してノルドに近い方に布陣するわけか……。

 いかにも標的にしてくださいと言ってるようなものね」


 ユニは少し真剣な表情になる。

「……ねえ、喰いつくと思う?」

「マリウスの言うとおりならな。

 私とユニが並んで出てきたら、魔女殿はさぞかし喜ばれるだろうさ」


「でもぶっつけ本番なんて、大丈夫なんでしょうか……」

 不安げに口を挟んでくるリリに、ユニは先輩として気合を入れてやる。

「こら、リリ! あんたが一番責任重大なんだからね、しっかりしなさいよ!」

「はっ、はいっ!」


 アスカが振り返ると、すでに黒城市はかなたに小さく見えるだけになっていた。

「そろそろ頃合いか……。

 リリ殿、幻影に時間の制約はないのだな?」

「は、はいっ。日を跨がなければ特には……」


「では、そろそろやってくれ。

 副官、兵たちに合図を。打ち合わせどおり騒ぐなと伝えろ。

 馬を暴走させるようなヘマをやらかすなよ!」


 ユニは少し意外な面持ちでいる。

「ちょっと、アスカ。まだ黒城からそんなに離れてないわよ。

 いくら何でも早すぎない?」

「いや、私だったら可能な限り斥候の足を延ばす。

 マグス大佐が労を惜しむとは考えない方がいい」


「ふ~ん……ま、あんたがそう言うならそうなんでしょうね。

 ほら、リリ。頑張んなさい!」

「はっ、はいーっ」


      *       *


 一方、同じころ、帝国軍の幕営では刻々と入る斥候からの念話で、王国軍の動きをほぼ把握していた。

 テーブル上に広げられた地図の街道上に、敵部隊を示す赤いプレートが延々と続いている。


「黒城を出た王国軍は総勢一万、こちらとほぼ同じ規模と思われます。

 主力は黒蛇帝率いる第二軍およそ七千。参謀としてアリストアがついているようです。

 後続のおよそ三千人は軍装が異なることから、第四軍の増援部隊とみられます」


 マグス大佐はうなずいた。ほぼ予想どおりの兵力だ。

 ただ、昨日叩いた第一軍の残存部隊が入っていないのが意外だった。


 黒城市の防衛部隊に組み入れたのか……。

 まぁ、負け癖のついた兵は脆い。当然の処置かもしれない。


「それで、ウエマクの姿は確認できたか?」

「今のところ、それらしき姿は発見できません。

 ただ、黒蛇帝の後ろに輿が続いています。中は見えませんが、何か重要なものを運んでいるようです」


「それがウエマクという可能性は?」

「小さすぎます。輿には天幕らしきものが見えますが、およそ二メートル四方ですから、神獣が入っているとはとても……」


「ふん……。ウエマクを呼び出すための儀式に使うものかもしれんな。

 よい、引き続き監視は続けよ。

 ほかに何かないか?」


 通信担当の魔導士は、目を閉じて何かぶつぶつとつぶやいている。

 やがて念話が終わったのだろう、目を開いてにやりと笑った。


「面白い報告が一つ……」

「何だ?」

「第四軍の増援ですが、指揮官は例の鎧女らしいです」

 マグス大佐の目つきの悪い瞳が光る。


「間違いないのか?」

「はっ。しかもなぜかは知りませんが、オオカミ使いの召喚士も同道しているそうです」


「ほう……。

 あの生意気な召喚士が生きているということは、やはりアルハンコはしくじったのか。

 まぁ、あのくそ生意気なガキもくたばったろうからよしとするか。

 雁首揃えて出てきたのならかえって都合がいいというものだな」


 大佐の顔に極上の笑みが浮かんだ。

「……では、それなりのもてなしを準備しないと失礼というものだ。

 ふふふふふ、そうかそうか」


 報告を終えた魔導士は、大佐がその場で踊り出すのではないかと一瞬身構えた。

 少なくともスキップをしそうなくらい、彼女は上機嫌だったのだ。

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