十五 会 見
アスカが黒城市に到着したのは、予定どおり夕方のことだった。
第四軍からの増援は約千五百人規模。騎馬五百騎、歩兵八百人、輜重隊・工作隊が二百人の内訳で、その中核をなすのはアスカの第一野戦大隊である。
騎兵・歩兵といった戦闘部隊の割合が多いのは増援部隊だからで、通常であれば輜重隊・工作隊はこの倍近くになる。
ちなみに、輜重隊は軍需物資や食料の運搬を担うほか、兵士の食事を作る炊飯部隊や軍医・衛生兵なども含まれる。
工作隊は、道路づくり、穴掘り、防護柵、橋、野戦施設の構築まで、さまざまな作業を担い、兵たちからは〝何でも屋〟と揶揄される。
だが、いずれの部隊も、その存在なくして戦争の遂行は不可能と言われている。
今回は主力である黒城市の第二軍が、工兵作業や物資輸送を主体的に担うので、増援部隊は戦闘部隊の比重を高めているのだ。
黒城に入城すると、まずは兵たちの宿舎を割り当てた上、夕食の手配を行う。
帝国軍がノルド地方東方に進出していることは、すでに伝令で伝えられていた。
蒼城市を出立した時点では警戒任務の応援であったのが、黒城に到着してみれば、明日にも実戦だという緊迫した状況になっていたのだ。
本格的な戦闘を経験した者のいない王国軍の兵士たちは、皆一様に興奮と緊張で落ち着かない様子だった。
アスカをはじめとする指揮官、撃隊長たちは、すぐさま参謀将校や第二軍の幹部たちとの打ち合わせに入る。
輜重隊の将兵は、黒城の糧秣倉庫で食糧や飼葉をできるだけ多く確保しようとして現地の管理部隊と掴み合い、喧嘩一歩手前の騒ぎを引き起こしていた。
打ち合わせで帝国軍の詳しい現況の説明を受けた後、翌日の行軍や配置の指示を受け取り、各部隊長は部下たちにそれを伝えるため走り去る。
アスカはやれやれといった顔で野戦参謀本部を退出しようとした。
行軍の埃もそのままであるし、腹ペコでもある。
ところがアリストアに呼び止められ、もう一仕事残っていると言い渡されてしまった。
軍ではよくあることだ。
アスカはげんなりした顔で、アリストアに従い次の間に入った。
そこには意外にも黒蛇帝ヴァルター、そしてユニが待っていた。
「おお、アスカ。久しぶりだな。遠路ご苦労。
どうだ、フロイアは元気でやっているか?」
ヴァルターはにこやかにアスカと握手を交わす。
第四軍の大隊長の一人であるアスカは、当然、黒蛇帝と面識があり気安い仲でもあった。
「疲れているところすまんな。
もう少し付き合ってくれ」
アスカは傍らのユニの顔を見て、怪訝な表情を浮かべる。
「それは構わないのですが、ユニも一緒なのですか?」
「そうだ。何でもお前たちの顔が見たいのだそうだ」
それだけ言うと、ヴァルターは先に立って部屋を出た。
アリストアが続き、その後ろをユニとアスカが並んでついていく。
アスカはかがんでユニに顔を寄せ、小声で尋ねた。
「なあユニ、これは一体どういうことだ?」
ユニは黙って肩をすくめる。
ヴァルターは大股に歩を進める。
アリストアやアスカは長身なので苦も無くついていくが、背の低いユニは大変である。
時々小走りになりながら、珍しそうに城の内装を横目で眺めていく。
黒蛇帝はどうやら城の最深部に向かっているようだった。
窓の両側にまとめられているカーテンや敷かれた絨毯が、だんだん豪華で重厚なものになっていく。
ところどころに置かれている花瓶も、恐らく海外からの輸入品だろう。東方の伝説をもとにした色鮮やかな絵柄が精緻な筆致で描かれている。
一体いくらぐらいするんだろう? ――ユニは下世話なことを考える。
こんなところにお転婆なフェイを連れてきたら、エマさんが心臓麻痺を起こしそうだ。
かなり長い時間を歩かされ、いくつかの階段も下った。
とある部屋の扉の前に至り、やっとヴァルターは歩みを止めた。
高さが三メートルほどもある装飾だらけの扉の両側に、武装した兵士が立ち警備をしている。
黒蛇帝が軽くうなずくと、二人の兵士は扉に手をかけて手前に引いた。
大きな扉なのに、音も立てずにすっと開くのは、余程建てつけがいいのだろう。
中に入るとそこは円形のだだっ広い部屋だった。
壁面には古代神話を題材にしたタペストリ-が掛かっているが、家具の類は一切ない。
よく磨かれた大理石の床には、巨大な魔法陣が描かれている。
ユニにとってはお馴染みのものだ。
魔導院の召喚の間に描かれている魔方陣によく似ている。
恐らくここは黒蛇ウエマクを召喚する部屋なのであろう。
「これは……。
召喚の間とお見受けしますが。
失礼ながら……その、この広さで大丈夫なのでしょうか?」
アスカがかなり驚いた様子で黒蛇帝に訊ねる。
横に立つユニには、アスカの言う意味がわからなかった。
見たところ、このがらんとした部屋は十分な広さと天井の高さがある。
さすがに魔導院の召喚の間より小規模だが、決して狭い部屋ではない。
ユニは白虎ラオフウも、蒼龍グァンダオも見たことがなかった。
噂でかなり大きいという知識は持っていたが、実際に見た者でなければ、その大きさを把握しきれるものではない。
彼らはいずれも十メートルを超える巨大生物だ。〝怪獣〟と言ってもよいだろう。
ユニが連れ歩くライガを見た者は皆〝巨大なオオカミ〟だと恐れ驚くが、白虎や蒼龍はそれとはケタが違うのだ。
アスカは白虎や蒼龍を身近で見たことがあるし、蒼城の召喚の間を知っている。そこは舞踏会を開催できるほどの大広間であった。
ウエマクには会ったことはないが、並みの大きさの蛇ではないだろう。
こんな会議室程度の部屋で大丈夫なのだろうか……?
それがアスカの疑問であった。
「やれやれ、人前に姿を見せないのも考え物ですね……」
召喚の間に入った全員の頭の中に、突然声が鳴り響いた。
低く、柔らかく、穏やかで、男性とも女性ともつかない不思議な声だ。
窓のない部屋の奥、十分に明かりが届かず薄暗くなっているあたりの柱から、何か黒いものがするすると滑り降りてきた。
それは黒く、大きな蛇だった。
体長は五、六メートルといったところか。南方に棲む大蛇ならそれほど珍しくもない大きさだった。
見た目の印象では、むしろライガの方が大きく感じる。
そんなことよりも、異様なのは体の表面だった。
頭から尻尾まで真っ黒なのだが、それは鱗が黒いのではない。全身を鴉のような黒い羽毛に覆われているのだ。
羽毛は光線の具合で青、緑、赤といった金属光沢を放ち、非常に美しかった。
神獣・黒蛇ウエマクは「ケツァルコアトル」と呼ばれることもあり、その名は「羽毛のある蛇」という意味である。
文化や農耕の神、あるいは風の神だとされる場合もあるが、ここリスト王国においては〝智慧と地脈〟を司るとされている。
ウエマクは床を滑るようにしてユニたちの側に寄ってきた。
口元からチロチロと細い舌が出入りするのは普通の蛇と変わらない。ただ、その目は爬虫類のものというより、人間のそれに近い形をしていた。
アーモンド型の目はかなり大きく、水色のしゅん膜に覆われている。
彼もまた蒼龍グァンダオと同じく、召喚主以外の人間にも直接意思を伝えられるらしい。
「アリストアとは久しぶりですね」
参謀副総長は、優雅なお辞儀でそれに応える。
ウエマクは次いでユニの方に首を向ける。
「あなたがユニですね。
……なるほど、面白い娘ですね」
ユニは思い切って神獣に話しかけた。
「あの――ウエマク様、どうして私に会いたがられたのでしょうか?
私は二級召喚士でしかありません。何の能力もないただの人間で……」
「人は――」
ウエマクはユニの言葉を途中で遮った。
「人は時々、自覚せぬまま大きな役割を果たすことがあります。
あなたは運命の神に見初められたのでしょう。
この一年半というもの、自分が成したことを考えてみなさい。
おそらく、これはまだ始まりに過ぎないと思いますよ。
――あなたはこの先、もっと大きな出来事に巻き込まれていくでしょう。
ただ、恐れることはありません。
あなたはこれまでどおり、自分の成すべきことを成せばよいのですから」
ユニは片手をあげた。
「あのぅ……。
正直に言いますけど、何を言われているのかさっぱりわからないのですが」
ウエマクはくすくすと笑いだした。
「そうですね、予言なんてそんなものですよ。
わかりやすく言えば、あなたはこの先もいろいろ苦労するだろう、ということです。
そして、その苦労の元凶は、たいていそこのアリストアが持ってくることになるでしょうね……」
ユニは溜め息をついた。
「ああ、ウエマク様。
最後のところはとてもよく理解できます。
何だか目に浮かぶようです」
ウエマクは愉快そうに目を細めた。一瞬だが水色のしゅん膜が開き、深い緑色の瞳がのぞいた。
ユニは底なし沼にでも引きずり込まれるような感覚を覚えてぞっとした。
「そうですね、無責任な予言を与えるだけでは気の毒です。
……いいでしょう。
この先あなたが本当に困った時、一度だけ私の智慧を貸してあげます。
その時が来たら、遠慮なく黒城にいらっしゃい」
「それはその――ありがとうございます」
ユニとしてはとりあえず礼を言うしかない。
ウエマクは最後にアスカを見た。
「アスカでしたか、お腹がすいているのに待たせてすみませんでした。
あなたのその鎧は、グァンダオのものでしたね?」
アスカは腹が鳴ったのを聞かれたのかと、顔を赤くしながらうなずいた。
「フロイアに無理やり取り上げられたみたいですが、グァンダオはそれを手放すのをだいぶ渋ったようですよ。
ミスリル合金とは言えもともと人間用の鎧だというのに、本当に龍族は欲が深い……困ったものです」
〝ミスリル〟という言葉にアリストアがぴくりと反応した。
どうやら彼ですら、アスカの鎧がミスリル製(合金だが)だと知らなかったらしい。
「実を言うと、それはもともと私のものだったのですよ。
グァンダオを王国の神獣にした時、彼を納得させるために私の宝物を一部分け与えたのですが、その中に入っていたものです。
ところで、その鎧と対になった剣があるのですが、知っていましたか?」
「いえ、それは初耳です」
「そうでしょうね。
それは私が持っていますから――」
ウエマクが言葉を切ると、黒蛇帝がうなずいてウエマクが潜んでいた部屋の奥へと向かった。
そして戻って来た時には、一振りの剣を携えていた。
ヴァルターはそれを無造作にアスカへ渡す。
受け取った剣はアスカが使っているものよりもやや小振りだが、やはりブロードソードと言うべき幅と長さを持っていた。
しかし、手にするとその軽さは歴然としていた。むしろ剣としては頼りない感じすらする。
装飾の少ない鞘から抜き放つと、鈍い銀色に輝く両刃の刀身が現れる。
刀身の中央部に樋と呼ばれる溝があり、その中には神聖文字が彫り込まれていた。
「その剣もミスリル合金で作られていますが、鎧と同じであまり高い比率ではありませんから、気にせず使ってください。
刃こぼれがしにくいので重宝すると思いますよ。
むしろ鎧と一緒で、魔法効果の方が重要なんですが、それはご存知ですね?」
「申し訳ございません。私には何のことやら……」
アスカは困った顔で正直に答えた。
逆にウエマクの方が驚いたようだ。
「その鎧の特殊効果について説明を受けていないですと!
それは驚きですね……。
しかし、あなたは中之島で帝国魔導士の攻撃を耐えたと聞いていましたが……違ったのですか?」
「それは確かにそうですが……。
ミスリルの断熱効果が優れていることは普段から感じておりましたので、そのせいだとばかり」
アスカの答えを聞いたウエマクはしばし絶句する(ユニは「蛇でも呆れた顔ができるのだな」と感心した)。
黒蛇は溜め息をついた(「溜め息までつけるのか!」)。
「よいですか、アスカ。
ミスリルに断熱効果があるのは事実ですが、それはせいぜい百度程度の気温差での話です。
ファイアボールが生み出す数千度の熱量まで遮断できるわけがないでしょう。
それも知らずに魔導兵に向かっていったとは……。
そもそも、純粋なミスリル製ならいざ知らず、たかが合金製の鎧が龍の宝物になると思いますか?」
ウエマクはコホンと咳ばらいをした(「この蛇は何でもありだな」――ユニはもう驚くのをやめにした)。
「あなたが着ているプレートアーマーに盾、そしてこの剣も含めての話ですから、よく聞いてください。
これらは古のドワーフの名工が鍛え、エルフが祝福して魔法を付与した装備です。
――もう五百年以上の昔ですが、さるドワーフの名族の大工房が暴龍に襲われた時、その討伐に向かった人間の英雄のために作られたものなのですよ。
ほとんどの魔法やブレスに強い耐性を持ちますから、きっとあなたの身を護ってくれるでしょう。
心して使ってください」
彼(彼女?)の話はアリストアにもユニにとっても驚きだったが、何と言っても一番驚き、うろたえたのはアスカである。
「そのような貴重なもの、私がいただくわけには――そうだ、フロイア様にお返しせねば!……」
「落ち着きなさい。第一、あの娘にはグァンダオがついています。
あなたもユニと同じですよ。まぁ、運命に選ばれたのだと思って諦めなさい。
この先、あなたには守るべき存在が増えていくはずです。
今だって、あなたの無事な帰りを待つ小さき者がいるのではありませんか?
この装備はあなたに、そしてあなたに守られる者のために必要なものです。
黙って受け取りなさい」
アスカはどうにか納得したようだった。
言われたように黙って(この辺がアスカらしい)剣を押し頂いた。
ウエマクは満足したようだったが、ふとユニの表情に気がついたようだ。
「ユニ、どうかしましたか?」
「あの……このようなことをお尋ねしてよいのか――。
もし、お許しいただけるのなら教えていただきたいのですが、先ほどウエマク様は〝グァンダオを神獣にした〟とおっしゃいました。
それはどういう意味でしょうか?」
ウエマクは面白がった。
「なるほど、アリストアが気に入るはずですね。
アリストア、これは教えても構わないことですか?」
アリストアは肩をすくめる。
「もはや昔話の類です。どうぞご随意に」
ウエマクは軽くうなずき、ゆっくりと、懐かしそうに語り始めた。
「私が初めてこの国に召喚されたのは、もう四百年ほど前のことです。
私ほどの幻獣を召喚したのですから、召喚主はよほどの才能に恵まれていたのでしょうね。
その者の名はセントレアと言いました。
ご存知ですか?」
「えええええ……。なんか聞いたことがあるような気もしますが――誰でしたっけ?」
ユニの答えを聞いたアリストアのこめかみに青筋が浮き立った。
「おや、そうですか……。
アリストア、彼のことは歴史で教えていないのですか?」
気の毒な参謀副総長はぶんぶんと顔を横に振る。
「ふむ。それでは〝統一王〟ならどうですか?」
「あっ、ああ、そうですそうです!
思い出しました。この国の初代の王様の名前でしたね!」
ユニの隣りのアスカも「ああ!」という顔をしているから、彼女も同類だということだ。
アリストアは肩を落とし「情けない……」と嘆いている。
「当時この地は、多くの小領主が割拠していました。
召喚術はまだ未熟で、運と才能に恵まれた者が召喚に成功すると、その者が幻獣の力を借りて領主に成り上がるのです。
しかし、二十年もすると、知ってのように彼らは幻獣とともに消えてしまいます。
召喚士としての才能が子どもに遺伝することはごく稀ですから、領主が二代目になるとたちまち次の召喚士に領土を乗っ取られる。
そんな繰り返しだったのです。
私とセントレアも、始めは同じような道をたどりましたが、彼は一領主で満足しませんでした。
国土の統一に乗り出したのです。
武力と知力、駆け引きに陰謀、同盟に裏切り……いやはや、あの頃は本当に楽しかった。
結局、私たちは十年の歳月をかけて全土を統一し、リスト王国の建国を宣言したのです。
ただ、やがてはセントレアの能力は尽き、私と共に幻獣界に去ることは止めようがありません。
そこで、私はある細工をしました。
私が幻獣界に去っても、すぐに次の召喚主が現れるようにしたのです」
「細工ですか? 一体どうやって……」
口を挟んでよいものか迷いながらも、好奇心に勝てずにユニが尋ねる。
「ふふふ、それは秘密です。
と言うより、説明してもあなたたちには理解できないでしょうから」
ウエマクは話し続ける。
「幸い、セントレアの長子は聡明な子どもでした。
彼は召喚能力など持っていませんでしたが、国の体制が固まってしまえば、もはや王個人に武力など必要ないのです。
私は新たな召喚主とともに王国の守護神となりました。
召喚主を通して王に助言と知恵を与え、召喚士の育成と技術の向上にも努めました。
国中で行われるようになった召喚能力発見の儀式も、魔導院の設立にも関わったのですよ。ご存知でしたか?」
「はい、鈴については魔導院で教わりましたが……学院設立のお話は初耳です」
「その辺の話まで始めると長くなるので、またの機会に――。
とにかく、百年ほどは国の体制固めに忙しくしていましたが、いろいろと不都合が起きてきたのです。
当時は周辺諸国との紛争が絶えず、大小さまざまな戦争があったのですが、私は守護神といいながら、そっちの面ではあまり役に立たなかったのです。
セントレアが国土の統一に十年もの時間をかけたのもそのためです。
――私とて、それなりの力は持っているのですが、あまりに大きすぎる力は味方にも被害を与えてしまいます。
私の力は地脈を操るものですから、どうしても効果が広範囲に及んでしまうのですよ。
そこで三百年ほど前、局地戦に向くような幻獣を選び、私同様、継続的な呼び出しを可能にして、王国の守護神に加えたのです。
それが白虎、蒼龍、赤龍の三体です。
もちろん、彼らがそれを承諾するまでにはいろいろありましたがね。
まぁ、ざっと説明するとそんなところです」
ウエマクの話は終わったらしい。
あまりに衝撃的な話が多く、一体何から訊いたらいいのかユニが躊躇していた時、召喚の間の外で何やら揉めているような声が聞こえてきた。
分厚い扉を通して聞こえてくる怒号と叫び声。それもかなり切迫した雰囲気が漂っている。
何事かが起きていることは間違いなかった。