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幻獣召喚士  作者: 湖南 恵
獣たちの王国
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二十一 再びカシルへ

 帝国の魔導兵たちはバーグル親子を連れ、船で島を離れていった。


 ユニたちは深夜に出立することにしていたので、村にとどまって獣人たちの饗応を受けていた。

 行きがかり上とはいえ、帝国の魔導兵と戦いそれを倒したのだから、彼女たちは獣人たちからすれば命の恩人に等しい。


 特にライガは下にも置かぬ扱いだった。

 彼らはライガが導いたことで、彼らの先祖が降臨したのだと、勝手に信じ込んでいるようだった。


 やがて夜も更け、多くの獣人に見送られてユニたちは島を離れた。

 漕ぎ手はフェイ一人だが、下流へ下るのだから問題はない。

 ユニとオオカミたちは来た時と同じで、上から帆布をかぶせられて隠れていなければならなかった。


「今度は密輸船に曳航されてるわけじゃないし、帝国とは話がついているんだから、堂々と昼間に出ればよかったんじゃないか?」

 アスカが帆布の下で不満を口にする。


 フェイは「やれやれ」といった顔で肩をすくめた。

「これだから素人は……。

 いいかい、おっきい姉ちゃん、この船は航行に必要な鑑札を受けていないんだ。

 のこのこ港に船をつけたら、すぐに御用だ。

 別に命までは取られやしないが、しこたま罰金をふんだくられるんだぜ。

 まぁ、あたいに任せときな!」

 彼女はすっかり立ち直ったようだった。


 川の流れにのって船は順調に下っていき、フェイは出発地点の洞窟のある岸に難なく漕ぎ寄せた。

 暗闇の中、どうやってその場所がわかるのか、ユニやアスカにはさっぱりわからない。


 フェイが器用に船を操って洞窟に隠すと、彼らはその川原で野宿することにした。

 夏の夜だから帆布を敷いて寝転がるだけでいい。肌寒くなったらオオカミたちの間に潜り込めばよかった。


 翌日、一行は再びカシルの街に入った。

 ユニたちは前と同じ宿屋に荷を解き、久しぶりに温かい湯で身体の汚れを落とした。


 その後、夕方まではだいぶ時間があるので、ユニとアスカは再び街の見物に出かけることにした。

 フェイも一緒だった。


 少女は自分のねぐらに帰ろうとしたが、アスカが今回の礼に晩飯を奢ると言って、少し強引に彼女を引き留めたのだ。

 フェイもお湯に入れ、アスカが彼女を洗ったが、垢だらけの身体でお湯が真っ黒になり、宿に追加の湯を汲んでもらわなければならなかった。


 アスカの一時間近い奮闘で、どうにかフェイは石鹸の香りがする少女に変身することができた。

 彼女の衣服は宿に頼んで洗濯に出したが、それを受け取った女中が思わず顔をそむけるようなものだった。


「洗濯女から割増料金を要求されるかもしれんな」

 アスカがぼやき、ユニは自分の着替えをフェイに着せてあげた。

 少し大きかったが、子どもにしては大柄なフェイと、大人としてはやや小柄なユニなので、問題なく着ることができた。


 アスカは自分の荷物の中から、薄いストールを取り出し、それでフェイの顔を巻いてあげた。

「なんかいい匂いがするな」

 フェイは単純に喜んでいたが、ユニは少し首を傾げた。


「ねえ、アスカ。フェイはもう顔を隠さなくてもいいと思うんだけど……。

 フェイはどうなの?

 あなた、自分のお父さんの一族に会って、いろんな話をしてきたんでしょう?

 伯父さんのバーグルさんを見ても、やっぱり顔を隠していたいの?」


 フェイは伯父のことを思い出したのか、少し神妙な顔になったが、やがてにこりと笑った。

「……そうだな。

 あたいが顔を隠すってことは、獣人の血が恥ずかしいからだと思われるのは、少し癪だ。

 伯父さんも『誇りを忘れるな』って言ってたもんな。

 まぁ、顔を隠してたのは余計な揉め事を避けるためだったから、別に顔を出したってかまわないよ」


「いや、駄目だ」

 ユニが彼女の言葉に笑ってうなずこうとした時、アスカの口から予想外の言葉が洩れた。


「カシルは自由都市と言われるが、正直治安はよくない。

 フェイが揉め事を避けるために、今まで顔を隠してきたのは正しい判断だと私は思う。

 獣人の誇りを忘れないのは大切なことだが、今はまだ顔を隠しておいた方がいい」


 ユニとフェイが少し驚くくらい、その口調は強いものだった。

 ユニはアスカに何か考えがあるのだろうと感じたので、それ以上の主張を諦めた。

 フェイはあまり深く考えていなかったようで、「あたいはどっちでもいいぞ」と軽く答えた。


 三人はフェイの案内で、賑やかな市場や壮大な倉庫街を見て回った。

 フェイは生まれ育った街だけに、思いがけない珍しい建物や、見晴らしのいい穴場、美味しい屋台の食べ物などを次々に教えてくれた。


 ユニの動きやすい小ざっぱりした服を着て、はしゃいで走り回るフェイの表情は、それまで二人に見せていた顔とは違い、年相応の子どもっぽいものだった。


 ユニはこの街歩きを大いに楽しんだが、時々アスカが何かを考え込んでいるのが気にかかった。

 やがて日が傾き港町が茜色に染まった頃、三人は〝海馬の穴〟に向かった。


 海馬の穴の主人は店に入ってきたユニたちを見て、「ヒュー」と口笛を鳴らした。

「お前ら、帝国の魔導兵と、しかもあの爆炎の魔女とやりあったんだって?

 よく五体満足で帰ってこれたな!」


 一体この短時間でどこからそんな情報が入ってくるのか、裏の世界というのは空恐ろしい。

 彼は笑いながら顎で奥の個室の方に入れというジェスチャーをした。


 ユニたちがテーブルについてくつろいでいると、主人がすぐにビールのマグを運んできた。

「フェイにもジュースか何かを頼む。

 それと支払いは私が持つから、この子に好きな物を食べさせてやってくれ」


 アスカがそう言うと、間髪入れずにフェイが注文を出す。

「オレンジジュースにチキンのパテ、あと辛子抜きのソーセージとパンだ!」

 主人は「ふん」と鼻を鳴らし、「お前いつものボロはどうしたんだ?」と言ってフェイの頭を小突いた。

 そして「ちょっと待ってろ」とフェイの注文を手にした紙片に書き込んだ。


「どうだ、こいつはそこそこ役に立っただろう?」

 主人はアスカにそう言うと、再びフェイの方に向き直り、懐に手を入れて彼女の前に銀貨を二枚置いた。


「ほれ、今回の分だ」

 フェイは礼も言わず、当然の権利だという顔で、その銀貨を自分の懐に入れた。


 慌てたのはアスカの方だった。

「おい待て、まさか今のがフェイの報酬なのか?」


 主人はきょとんとしている。

「そうだが、それがどうかしたのか?」


「いや、少なすぎるだろう!

 下手したら殺されるかもしれない危険な仕事だぞ?

 ご主人が軍からいくらで請け負ったのか知らんが、金貨十枚くらいは出ているんじゃないのか?」


「銀貨二枚で足りなければ、受けなければいい。

 喜んで代わりにやろうってガキどもが、この街には掃いて捨てる程いるんだよ」

 主人が呆れたように説明すると、フェイも「うんうん」とうなずく。


「まーまー、おっきい姉ちゃん。そういうことだ。

 あたいにとっちゃ銀貨二枚は大金なんだ。

 親方の機嫌を損ねるような野暮はやめてくんな」


「フェイの言うとおりだ。

 この街にはこの街なりのやり方ってもんがあるんだよ。

 それじゃ、こいつの飲み物を持ってきたら、俺は料理にかかるからな」

 主人はそう言うと個室を出て行った。


 アスカは憮然としている。

「どうしたのアスカ?

 あなた、フェイのことになると少し変よ。

 何かあったの?」


「そうだよおっきい姉ちゃん。

 銀貨二枚っていったら、銅貨五十枚だぜ?

 これで一か月は残飯あさらずとも食っていけるからな。

 親方はああ見えて、あたいのこと結構買ってくれてるんだ。

 あんまり突っかかるのはやめてくれよ」


 アスカはそれには答えず、別の質問をした。

「フェイ、お前のねぐらはどんなところだ?」


「え?

 ああ、町はずれにあるあばら家だよ。

 空き家になって三年くらいになるのかな。

 ボロだけど雨風は防げるからな」


「そこで一人で暮らしているのか?」

「いや、あたいと同じような孤児が五、六人いるよ。

 出たり入ったりでいつも同じじゃないけどね」


「出て行った者は戻ってくるのか?」

「たまにはね。

 くたばって、戻りたくても戻れない方が多いな」


「そうか……」

 そう言ったきり、アスカは黙ってしまった。

「変な姉ちゃんだな」

 フェイもあまり気にしていないようだった。


 やがて主人が料理を次々と持ってきた。

 フェイは自分が注文した分に夢中になってかぶりついている。

 ユニとアスカには、ビールのお代わりとともに、炒めた茶色の麺料理が出された。


 ユニが初めて見る料理だ。

 麺は小麦粉を練ったものらしく、かなり太めのものだ。

 それを茹で上げ、細かく刻んだ野菜や肉とともに炒めたもののようだった。

 口にしてみると、かなり塩辛く、強烈な魚の風味がした。


「これは……魚醤ぎょしょうか?」

 ユニの感想に、主人は笑みを浮かべる。

「ほう、よく知っているな。

 この辺じゃ魚醤はめったに使わないからな。

 ビールによく合うだろう?」


 主人の言うように、かなり濃い目に味付けられた麺はビールが進むものだった。

 ユニは満足して頬張っていたが、ふと気づくと彼女に負けないほど大ぐらいのアスカの皿がほとんど減っていない。

 アスカは手にしたフォークを皿の上に置くと、主人に座るように椅子を勧めた。


「なあ、ご主人。

 フェイはあなたの使用人ということではないのか?」

「いや、仕事がある時に声をかけるだけだ。

 別にこいつの面倒を見てるわけじゃない」

「……では、私がフェイの面倒を見ると言っても構わないか?」


「どういうことだ?」

 主人は立ったままアスカを睨みつけた。その表情も声の調子もこれまでとは一変していた。


「あんた、冗談で言ってるならそのくらいにしとけよ。

 この街のことをろくに知らない余所者が、思い付きで言ってるんだったらな」


 ユニも慌てる。

「アスカ、ご主人の言うとおりよ。

 同情したらきりがないのよ。この街に孤児がどれだけいると思ってるの?

 それに子どもを引き取るっていうのは、犬猫を拾うのとは訳が違うんだから」


 ドスの効いた主人の低い声にも、ユニの常識的な意見にも、アスカはまったく動じなかった。

「いや、これはこの娘と初めて会った時からずっと考えていたことだ。

 フェイはこのままこの街にいては、危ないのではないかと」


「危ない?

 ……なぜそう思う」

 主人の眉がぴくりと上がった。


「フェイはまだ九歳だが、身体の発育はいい。

 私は年齢を聞くまで、この娘は十二歳くらいかと思っていた」


「……それがどうした」

「世間もそのくらいの年齢だと思うだろうということだ」

「だから、それが一体どうしたというんだ!」


 彼は明らかにいらついていた。

 フェイは少し怯えた表情で二人のやりとりを見守っている。

「ご主人なら言わずともわかるだろう。

 もう一度聞くが、フェイはこのままでは危ないのではないか?」


 主人は恐ろしい形相でアスカを睨みつけたままだった。目力で人が殺せるのなら、アスカの息の根を止めていたかもしれない。

 そして、しばらくして「はあー」という、大きなため息をつき、空いている椅子を引きよせてどかっと腰をおろした。


「……あんた、本気なのか?」

 アスカは主人の問いに黙ってうなずく。


 彼はぶすっとした顔でフェイの方を向いた。

「おい、フェイ。

 おめえ、この鎧の姉さんと一緒に街を出ろ」


 慌てたのはフェイだった。

「ちょっ! おい、親方、なに寝惚けたこと言ってんだよ?

 何であたいがこの街を出なきゃなんねえんだ!」


「おめでたい奴だな……。

 だからてめえはガキなんだ」

 そう言うと、主人はフェイの頭を拳で殴りつけた。

「ごん」という音がしたが、ぎりぎり手加減したものだということはわかった。


「ひと月ほど前のことだがな、俺のところにある依頼があった。

 お前を売ってくれという、な」

「あたいを?

 何であたいなんかを欲しがる奴がいるんだ?」

「おめえが獣人と人間のハーフだからに決まってるだろ。

 世の中にはな、おめえみたいな奴を欲しがる金持ちの変態がいるんだよ」


 その一言でフェイはすべてを理解したようだった。

 子どもとはいえ、この街で一人で生き抜いてきだけに、そうした知識も十分に持っていたのだ。


「それで、親方は……」

「馬鹿野郎!

 断ったに決まっているだろう。

 第一俺はおめえの保護者でも雇い主でもねえ。

 だが、話を持ってきた奴は、俺がおめえを飼っていると誤解をしていたらしい。それでひとまずは引き下がってくれた。

 てめえの幸運に感謝しろ!」


 ぽかんとして聞いていたユニにも、やっと話が飲み込めてきた。

 要するに獣人の血を引く少女であるフェイを、性的な玩具として商品にしようとする動きが出てきているということらしい。


「じゃあ、このままフェイが今の暮らしを続けたら……」

「ああ、こいつが孤児どもの溜まり場で暮らしていることなんざ、すぐに調べがつく。

 奴が諦めてないのだとしたら、近いうちに間違いなくさらわれて売り飛ばされるだろうな。

 神様の加護で、奴が諦めてくれたとしても、必ず別の奴がフェイに目をつける。

 珍しい女のガキで初物らしいとなりゃ、必ず買い手がつくからな。

 この街はそういうところだ」


「それでご主人は何もしてやらないって言うの?」

 ユニが堪らずに抗議する。


「だーかーら!

 俺はこいつの保護者でも何でもないって言ってるだろ!」

 主人は憮然とした顔で吐き捨てると、にやりと笑った。

「第一、こいつが金持ちの変態に買われたとして、それが不幸だと誰が決めるんだ?

 案外贅沢でいい暮らしができるかもしれんのだぞ」


 フェイは黙ってうつむいていた。

 その顔はストールに包まれているものの紅潮し、目に涙が浮かんでいることが見て取れた。

「……ちくしょう」

 小さく身体を震わせて、つぶやいた言葉が哀れだった。


 アスカはフェイの頭の上に、革手袋をした大きな手をぽんと乗せた。

 そして彼女の顔を上にあげて、自分の顔を近づけた。


「フェイ、お前は一人で生きていきたいのだろう。

 私はそれを止めようとは思わない。

 だが、お前が一人で生きていくためには、まだまだ学ぶべきことがたくさんある。

 それを私が教えよう。

 その間だけでもいい、私の家族となってくれ」


 アスカは少しためらったあと、思い切って言葉を続けた。

「正直に言おう。

 私の両親は早くに亡くなった。

 たった一人残された肉親である兄は、事情があってもうじきこの世を去る。

 ……私は一人になるのがたまらなく怖いのだ。

 だから……お願いだから私を助けてほしいのだ。

 ……頼む!」


 アスカの大きな手に包まれたフェイの頭が、しばらくして小さくこくりとうなずいた。


 店の主人は、がたりと乱暴な音を立て、椅子から立ち上がった。

 目が充血しているのを見られたくないらしく、そっぽを向いたまま怒鳴った。


「馬鹿野郎、俺の店で辛気臭え芝居みたいなことするんじゃねえ!

 おい、フェイ!

 今日はこの姉ちゃんの奢りだそうだからな。

 てめえ、でかくなってまたこの街に戻ってきたら、必ず顔を出せよ!

 そんときゃ、俺が奢ってやる。

 顔を見せなかったら、探し出してぶん殴るからな! わかったか!」


 フェイはアスカの大きな体に顔をうずめてしがみついたまま、主人のすねを蹴飛ばした。


 それは「わかったよ、バーカ!」という彼女の返事の代わりだった。

 すくなくとも主人はそう受け取ったようだった。

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