十六 聖 地
翌日、ユニとアスカはバーグルの案内で彼らの聖地に向かった。
オオカミたちは村に残してフェイのお守をさせ、ライガだけを連れて行くことにした。
聖地は村から二キロほど東方の森の中にあった。
そこだけが少し開けた草地になっていて、バーグルの言うとおりただの原っぱである。
ただ、大きな石が積まれた祭壇のようなものがあり、そこには花束が供えられていた。
萎れていないところを見ると、毎朝新しいものと取り換えられているのだろう。
「ずいぶん大事にされているのですね」
ユニの感想にバーグルは大きくうなずいた。
「年に一度、先祖が降臨された日にここで祭りを行うが、それ以外にも毎日当番を決めて祈りを捧げ、手入れを欠かさないのだ」
ユニとアスカはその草地を歩いてみた。ところどころに岩が土の中から顔を出している。
自然のものと言うより、意図をもって埋めたような感じだった。
草地はきれいに刈られていたが、線状に土が露出している部分があちこちにある。
「アスカ、悪いけどあたしを肩車してくれない?」
ユニの求めに応じて、アスカはしゃがんでユニの股の間に頭を入れると、両足を抱えるようにして軽々と立ち上がった。
約三メートルの高さから聖地を見下ろしたユニは確信した。
これは魔法陣だ。
初めて見るタイプのものだが、魔導院の召喚の間に描かれた魔法陣と少し似た部分があった。
ユニはアスカに礼を言って降りると、バーグルに尋ねた。
「この土が出ているところは、あなたたちが草を抜いているのですか?」
村長は首を振った。
「いや、これは昔からこのままだ。
放っておいても草が生えないんだよ。
言い伝えでは、先祖が降臨した時の炎で焼かれたためだと言われている」
「ユニはどう見る?」
「おそらく帝国はここでオークの召喚か、転移の実験をするつもりでしょうね」
アスカの問いにユニはあっさりと答えた。
「この聖地でオークなどという汚らわしいものを呼び出すだと!」
バーグルが吼えた。怒りのあまり牙をむき出し、鼻に皺が寄っている。
「それでユニはどうするつもりなのだ?」
再びアスカが問うた。
「どうもしない――いや、どうもできないわ。
もちろん王国としては、そんな企みを阻止したいでしょうけど、ここは帝国領よ。
戦争を覚悟しない限り何もできない。
それは軍人であるアスカの方がよくわかっているでしょう?」
「む……。それはそうだが、帝国軍の好きなように荒らされるのは業腹ではないか」
どうやらアスカは心情的に獣人たちに肩入れしているようだった。
帝国軍を嫌っているということもあるのだろうが、フェイのことといい意外に情にもろいのだな。
ユニは少し意外な感じがした。
彼女は辺境で長く生活してきたせいか、〝どうにもならないこと〟への諦めが早かった。
これは獣人たちの問題なのだ。
「アスカ殿、これはわれわれの問題だ。無論、帝国の好きにさせるつもりはない。
余計な心配は無用にしてもらおう」
バーグルの言葉は、ユニの心の声が聞こえたかのようだった。
「そうだな。出過ぎたことを言った。許してくれ」
アスカは素直に謝った。
「なに、気にはしていない。
それよりもうよかろう。村に戻らんか?」
* *
同じ頃、中之島南岸の浜辺に面した森の樹上には、若い獣人が陣取っていた。
イアンというまだ十八歳の若者である。
帝国が聖地の明け渡しを求めて実力行使に踏み切って以来、獣人たちは二十四時間体制で上陸可能な浜を監視していた。
たまたま今日の日中の当番がイアンの担当だった。
森に紛れて侵入者が来ないかを見張る役目は、楽ではあるが退屈な任務だった。
もう夏の盛りに入った季節では、木々が陽光を遮るとはいえ、じっと座っているだけで汗が噴き出してくる。
イアンは水分補給用に腰につけていた甜瓜を齧っていた。
甘い果汁が喉を潤し、つかの間だが暑さを忘れさせてくれた。
その時、ぴくりと彼の耳が反応した。
川の瀬音とは別の響き、かすかな船音を捉えたのだ。
イアンは慌てて目をこらす。
オオカミは狩猟種族であるため、鋭敏な嗅覚や聴覚を持ち、視力にも優れている。
だが、村の獣人たちの能力は、本来のライカンスロープが持つ優れた五感からはだいぶ退化していた。
それでも、彼らは人間に比べれば、優れた感覚の持ち主だと言える。
捉えた音は間違いなく上流だ。イアンは注意深くそちらに視線を送って待つ。
やがて小型の船が下ってくるのが見えてきた。
イアンは警報を出すべきか否かの判断を保留して辛抱強く待った。
通常の客船か輸送船なら、流れの緩い中之島の南側の水路に入ってくることはない。
だが、絶対とは言い切れない。
やがて船の姿はみるみる大きくなり、明らかに島へ上陸する意図を見せてきた。
枝葉をかき分ける「ザッ」という音とともに、同僚のヒアリがイアンのいる大枝に飛び移ってきた。
「おい、見たか?」
「ああ、上陸しようとしているのは間違いないな。
あの船なら十五、六人といったところだろう。村に伝えてくれ」
ヒアリはすぐさま村の方を向いて頭を高く上げる。
「オオオオオウゥゥゥゥ-------------」
オオカミの遠吠えが、低く長く響く。
少し間を置いて、遠くの方で同じような遠吠えが上がる。
知らせはうまく中継されたらしい。すぐに仲間が迎撃に集まってくるはずだ。
その間にも、船はどんどん島に近づいてくる。
やがて船は南の浜に乗り上げ、船から人間たちがぞろぞろと降りてきた。
人数は十二人。帝国軍の黒っぽい軍装だが、武器は見当たらず、いずれもフードがついたケープ(短いマント)を羽織っている。
「帝国の魔導部隊だ!
真昼間に堂々と……いい度胸じゃねえか」
イアンはにやりと笑ったが、その実心臓はばくばくと早鐘を打ち、手にはじっとりと汗が滲み出ていた。
帝国軍における魔導士の位置づけは、第二次世界大戦でのドイツ軍の突撃砲(旋回砲塔のない戦車)のようなものだった。
歩兵部隊に随伴して、その圧倒的な火力と防御力で支援する存在。
攻撃では先頭に立ち、退却では殿を務めるだけに、一般兵からの信頼は絶大なものがあった。
ただし、魔導士の絶対数が少ないこともあって、中隊規模に一名いればいい方だった。
ちなみに王国の国家召喚士は、彼ら帝国魔導士の火力を遥かに凌駕していたが、逆に数は比較できないほどに少なかった。
そのため、運用の仕方もまったく違っていた。
その魔導士だけで構成された魔導部隊は、十人前後の通常なら小隊規模で一個大隊に匹敵する戦力を持つ、帝国最大の暴力装置だった。
それが今、中之島の南浜に上陸してきたのだ。
彼らの動きは悠然としたものだ。
船を引上げ、荷物を運び出すと、集まって打ち合わせをしているようだった。
イアンが慎重に見守っていると、早くも村から戦士たちが駆けつけてきた。
「どうだ?」
イアンの隣りに上ってきたファングが手早く聞く。
迎撃部隊のリーダーを務める三十代後半の大柄な獣人だ。
「見てのとおり、のんびりしたもんです」
イアンは顎で浜の方を指し示す。
「こっちはいつもどおりだ。
森に入ったところで仕掛けるぞ。
お前も配置につけ」
ファングはそう言ってイアンの肩をぽんと叩き、素早く姿を消した。
イアンは背中に回していたクロスボウを手に取った。
それは単発式の標準的なクロスボウだったが、彼らは場合に応じて連弩と呼ばれる連射や一度に数本の矢を発射できるものまで使っていた。
打ち合わせを終えた魔導士たちは、特に陣形も構えずにぞろぞろと森に向かってきた。
迎え撃つ獣人たちは樹間に姿を巧妙に隠し、狙いを定めて待っている。
最後尾の魔導士が森に入った少し後に、先頭の魔導士があらかじめ決められていたラインを越えた。
それを合図に獣人たちのクロスボウから一斉に矢が放たれた。
十メートルと離れていない、必中の距離である。
魔導士たちの大半は初撃で倒れる――獣人たちの誰もがそう確信した。
だが、そうはならなかった。
矢は魔導士たちの身体に突き刺さる直前、突然力を失ったかのようにパラパラと地面に落ちてしまったのだ。
マジックシールド。
魔導士は脅威となる分、敵から狙われやすかった。
狙撃の危険が常に彼らには付きまとっていたのである。
そこで、肉体的には脆弱な魔導士たちが編み出した防御魔法がマジックシールドと言われるものだ。
弓矢や投石といった物理攻撃をほぼ無力化できる上、攻撃があった場合にのみ発動するカウンターマジックであるため、魔力消費が少ないという利点もあった。
もっとも、万能というわけにはいかず、接近しての斬撃や打撃には無力という弱点もある。
中~高位の魔導士は、この防御魔法を無意識的に発生させているのが帝国の常識だった。
迎撃隊のリーダーであるファングはすぐにそれと気づいた。
相手は魔導士のみのようだから、急襲して接近戦を挑むという手もあった。
だが、魔導士たちがどんな攻撃魔法を持っているのか不明であるし、探知魔法を使う可能性もあるから不意をうてるか確信が持てない。
彼はただちに攻撃の中止を命じた。
そして一人を伝令として村へ走らせたほかは、十分な距離をとって監視を続けるよう、方針を変更した。
それは、恐らく賢明な選択だったのだろうが、血気にはやる若者たちには理解されなかった。
リーダーの命令が聞こえなかったかのように、突如イアンが樹上から飛び降り、姿勢を低くして茂みを利用しつつ魔導士たちに突進していった。
そして一瞬遅れてヒアリもそれに続く。
「ばかっ! 戻れ!」
ファングの叫び声が空しく響いた。
魔導士たちは襲撃を受けて円形の陣を敷いている。陣の中に三人の魔導士が守られている。
彼らの指揮官か、上級者なのだろう。
その中の一人――目深にフードを被った人物が、何事かを部下に命じていた。
襲撃に慌てる様子はまったくなかった。
「ふん、獣風情が……」
その口元には微かに笑みさえ浮かべている。
イアンは疾走しながら、腰からシミターと呼ばれる半月刀を抜いて構えていた。
後ろから幼馴染のヒアリが続いていることには気づいていた。
自分が先頭を切って飛び込み、敵を混乱させる。たとえ攻撃魔法で自分が倒れても、後に続くヒアリがその隙を突いて敵を倒すはずだ。
最悪でも敵の手口を仲間に知らせることはできるはずだ。
若い獣人はそう覚悟をしていた。
決して何も考えずに突っ込んだわけではなかったのだ。
身を隠せる最後の茂みを飛び出すと、すぐ目の前に魔導士の円陣が現れた。距離は五メートルと離れていない。
次の一歩で跳躍すれば、魔導士に襲いかかれる。
彼は一人の魔導士を目標に定めてその一歩を踏み出す。
狙われた魔導士は、本能的に身を守ろうとしたのか、片手を前に出し、もう片方の手で自分の顔を覆った。
「殺れる!」
イアンが確信した瞬間、魔導士が差し出した手の前で異変が起こった。
魔導士の手の前、何もなかった空間に光の球が出現したのだ。
それはぐるぐると渦を巻いて大きくなり、そのまま恐ろしい勢いでイアンに向かってきた。
すでに跳躍の体勢に入っていた獣人に避ける術はない。
イアンに光の球がまともにぶち当たった。彼の全身が白に近い黄色の光で包まれる。
彼が一瞬だけ見ることができたのは、眩いばかりの強烈な白い光だった。
瞬時にイアンの眼球の水分が沸騰し、蒸発した。
数百度の熱風が鼻腔の粘膜を蒸発させ、泡のような水ぶくれが盛り上がって空洞を塞ぐ。
その水泡も次の瞬間には蒸発し、粘膜が焼けただれてめくれあがる。
同じようにして喉が、肺が焼き尽くされ、一瞬で彼は絶命した。
剛毛が密生したオオカミの頭部は派手な火花を挙げて燃やし尽くされ、炭の塊りとなった。
全身の皮膚が焼けてめくれ上がり、剥き出しとなった皮下脂肪が燃え上がり、蒸発し、ぐちゅぐちゅと嫌な音を立ててスポンジ状の穴が一面に広がる。
イアンの後に続いて飛び出したヒアリにも、別の魔導士が放った光の球が襲いかかる。
しかし、わずかに距離があいた分、彼は幸運だった。
光の球が衝突する寸前、人間離れした筋力で横っ飛びに避けたのだ。
さっきまで自分の身体があった空間を光の球が通過するのを、ヒアリは視界の隅で捉えた。
彼の目には同時に黒焦げの棒きれみたいになってゆっくりと倒れていく幼馴染の姿も映っていた。
ヒアリは怒りの咆哮を上げ、イアンに魔法を放った魔導士に飛びかかった。
「がっ!」
しかし、短い悲鳴を上げたのはヒアリの方だった。
彼の背中に、やり過ごしたはずの光の球が背後からまともにぶつかったのだ。
イアンに起きた悲劇が、ヒアリの身でも再現された。
彼は空中に跳躍したまま消し炭となった。
ぼとっという重い音を立てて地面に転がったヒアリの身体は、もとの半分程度の大きさの燃えカスとなっていた。
その横を円陣の中央にいた魔導士が通り過ぎる。
その人物は、嫌な臭いのする白い煙をあげている死骸をちらりと見やると、吐き捨てるようにつぶやいた。
「……ばかめ。
ファイアボールが目標を追尾することも知らんのか」
それ以上の襲撃がないと判断したのか、魔導士たちは何事もなかったかのように森の中へと分け入って行った。




