十三 密 航
〝海馬の穴〟を出ると、店の横の暗がりからすっとライガが出てくる。
彼はユニたちと一緒にいるフェイにすぐ気づき、すかさず匂いを確認しに寄ってきた。
フェイはライガの大きさに少し驚いたようだったが、怖がることもなく落ち着いていた。
落ち着かなかったのはライガの方だった。
フェイの匂いを嗅ぎながらぐるぐると彼女の周りを回っている。
耳がぺたんと後ろに寝て、頭を低くしているのは警戒を表しているのだが、一方で尻尾はばっさばっさと横に振れている。
『おい、ユニ!
何だ? こいつ何だ? 人間か?
なんか変な匂いがするぞ!」
ユニは苦笑いをしてフェイを紹介する。
「この娘はフェイよ。
私たちを島まで案内してくれることになったの。
お父さんがライカンスロープだったそうよ。
だから、あんたたちの遠い親戚みたいなものね」
『獣人のハーフか?
なるほど狼系だからか、どうにも懐かしい匂いだと思ったが……』
ライガはやっと納得したようだった。
「そうだ、ライガ。
悪いけどこの娘を乗せてあげてちょうだい。
アスカ、お願い」
ユニに頼まれたアスカがフェイの両脇に手をやり、軽々と持ち上げる。
「おいおい、大丈夫なのかこれ?」
さすがにフェイは少し慌てるが、特に暴れたりはしない。
九歳だというのに、どうやったらこんな度胸がつくのだろう。
「これは練習よ」
そう言いながらユニは慣れた様子でライガの背中に飛び乗った。
後ろからフェイを抱えるような格好でライガの背中の毛を掴み、収まり具合を確かめる。
「船の場所は町から離れた所なんでしょ?
そこまで行くのにオオカミに乗って行くから、あなたにも慣れてもらいたいの。
このオオカミはライガって言うの。よろしくね」
十分ほどで一行は宿に戻った。
すでに荷物はあらかたまとめていたので、チェックアウトするだけでよかった。
宿の主人と話をつけ、アスカの馬は応分の料金を払って戻るまで預かってもらうことにした。
町を出たら、アスカはライガの背に乗ることになり、馬から外した鞍と鐙が付けられた。
オオカミは情けない顔をして、不満を隠さなかったが仕方がない。
実を言うと旅の途中、何度かアスカをオオカミに乗せてみたことがあるのだ。
アスカの体格と、プレートアーマーを含めた重量を考えると、余裕をもって彼女を運べるのはライガだけだとわかった。
さらに、アスカが金属鎧を着込んでいるせいもあって、そのままでは騎乗姿勢が安定しないということも判明した。
そこで鞍の装着ということになったのだ。
ユニとフェイは、町を出たら合流するハヤトに乗ることになっている。
鞍をつけた巨大なオオカミと、背に大型の盾を背負った(それまでは馬に装着していた)全身鎧の騎士の姿は人目を惹いたが、もはや夜で人の行き来は少ない。
町から出るときも、門衛のチェックは簡単なもので特に支障はなかった。
町の門を少し離れると、すぐにオオカミの群れが集まってきた。
彼らもまた、一緒になるなりフェイに強い興味を示した。
一頭一頭、じっくり匂いを嗅ぐまで彼らは納得しなかったので、ユニたちはずいぶん待たされた。
ユニとライガの説明もあり、どうやら群れはフェイを歓迎したようだった。
中でもジェシカとシェンカの姉妹はフェイが気に入ったようで、なかなか彼女から離れようとしない。
『ねーねー、ユニ姉』
『フェイは誰が乗せてくの?』
「誰って、ハヤトにあたしと一緒に乗るわよ」
『えー、ジェシカが乗せるー』
『やだー、シェンカがいいー』
『よーし、それじゃぁ……』
『ジャンケンで決める!』
姉妹は言い争いながらフェイの周りをぐるぐる回っているので、彼女は困惑してユニに何が起こっているのかを尋ねた。
「あー、この子たち――ジェシカとシェンカっていう姉妹なんだけど、あんたを乗せていきたいってケンカしてるのよ」
「あたいを?」
「そう。あなた、オオカミたちに気に入られたみたいね。
珍しいのよ、ライガを別にすれば群れのオオカミたちって、あんまり人間と打ち解けないから」
「ふーん……。いいわ、あたいこの子たちに乗っていくわ」
ユニは少し驚いた。
「大丈夫なの?」
「平気、もうコツは掴んだし、この子たちは少し小さいから安心だわ」
「そう……。わかったわ、そうしましょう」
「それで、どっちの子に乗ったらいいの?」
「ちょっと待って、今ジャンケンしてるから」
「ジャンケン? オオカミにできるの?」
「口ジャンケンよ」
勝負は結局、妹のシェンカが勝者となったようで、ぶんぶん尻尾を振りながらフェイの前で伏せをする。
フェイはそれに跨ろうとせず、意外なことを言った。
「あ、大体わかったから、立ったままでいいわよ」
シェンカが言われたとおり立ち上がると、フェイはオオカミの背中の毛を両手で掴み「よっ」という気合とともに体を引き上げる。
そのままの勢いで片足を反対側の胴に回し、ストンと背中に収まった。
ユニは素直に感心した。勘がいいだけではない、バランス感覚や筋力も優れている。
とても九歳の子どもとは思えない。やはり獣人の血が混じっているからなのだろうか。
船曳街道を戻る格好となった一行は、先頭にフェイを乗せたシェンカとジェシカ、それに続いてアスカを乗せたライガとユニを乗せたハヤト。
そしてほかのオオカミたちが続く格好となった。
すでに夜の十時を回っている。街道には街灯などないから周囲は真っ暗で、わずかに時々顔を覗かせる月明りが差す程度だった。
しかし、夜目が効く上に嗅覚と聴力に優れるオオカミたちはまったく意に介さない。
町から離れて十キロ程だろうか、突然先頭のフェイが停止を命じる。
そして道の脇を指さして、そこへ入るように告げた。
道の脇はずっと藪が続いていたが、言われるままに分け入ってみると、すぐに細い獣道が現れた。
この暗い中、目印もなさそうなのに、よくわかるものだ。
獣道を進んでいくと、すぐに川の音が聞こえてきて、やがて狭い河原に出た。
生い茂る灌木が川岸まで迫っている中で、そこだけ小さな足場となっているようだった。
フェイはシェンカの背から滑り降りると、ユニたちにここで待つように言った。
彼女は身を包んでいるポンチョを脱ぎ捨てると、まったく躊躇することなく川に入っていく。
腹のあたりまで水につかりながら、少女は岸沿いに歩いていたが、ふいにその姿が消えた。
ユニたちは暗い中、目をこらしていたが、フェイが足を滑らせて水中に没したのではないことだけはわかった。
少しすると再び少女は現れたが、その手にロープを握っている。
こちらに向かって戻ってくると、ロープに繋がった船が岸から姿を現した。
どうやらフェイが姿を消したあたりに短い洞窟があるらしい。
その中に船を隠していたのだろう。
彼女はユニたちの待つ河原に上がってくると、手近な木にロープを結び付け、ユニたちに乗船するよう促した。
船は中型の川船だが、ユニとアスカ、八頭のオオカミたちを乗せるだけの十分な広さを持っていた。
フェイは舳先に小さな携帯用ランタンを掛けると、準備が終わったらしくユニたちの側に腰を下ろした。
彼女は濡れた衣服を脱ぐと、船から手を差し出して絞った。
下着まで脱いでいるので、小さなお尻まで丸見えになったが、背中には茶色の和毛がびっしりと生え、尻の上部まで続いていた。
そして、彼女の尻には短い尻尾が生えていた。
くるりと輪を描いた尻尾は、彼女が身動きするたびにぱたぱた動いて、とても可愛らしかった。
絞り終えた衣服を再び身に着けると、フェイはユニの隣に座った。
「乾いていないのに、それでいいのか? 風邪をひくわよ」
「ん? 大丈夫、あたい体温が高いから、すぐに乾くよ」
「この船で漕いでいくの?」
フェイは頭を横に振る。
「まぁできなくもないけどね。手筈は整っているから、もう少し待って。
そのうち船が来るから、それに曳いてもらうのよ。
その時になったら、悪いけど姉ちゃんたちとオオカミは帆布を被ってもらうからね」
そう言って、彼女は船に積まれていた折りたたんだ帆布を顎で指した。
それから一時間以上経った頃、川の下流にぽつんと小さな明かりが現れた。
フェイはユニとオオカミたちの上に広げた帆布をかぶせると、木に繋いでいたロープを解き、長い棒を使って船を岸から押し出した。
櫂を器用に使って川の中寄りに漕ぎだすと、下流から出現した明かりはどんどん大きくなり、やがてユニたちの船に並んだ。
フェイは再び舳先の方へと走り、ロープを現れた船に向けて放り上げた。
船の方でもそれを受け取ったらしい。
そのまま船はユニたちの船を追い越していく。すれ違いざまに何本もの櫂が川の水をかいているのがわかった。
その船はユニたちの船の数倍はある大型の川船だった。
やがてロープがぴんと張られ、ユニたちの小船は先行する船に引っ張られる形で後に続いていく。
先行する船の舳先に灯されていた明かりはすぐに消され、フェイも同じように自船のランタンを消す。
後は暗闇に包まれ、先行する船の櫂が水をかく音だけが聞こえてくる。
「あの船はなんだ? 夜間に川を航行するのはあまり聞いたことがないぞ」
アスカが帆布の下から顔を覗かせてフェイに尋ねる。
川では通常、夜間に船が運行することはない。言うまでもないが、暗闇の中での航行は危険すぎるからだ。
だが、ユニたちの船を曳航する船は、夜間にも関わらず川を遡上している。
しかも、現れた時に舳先に灯していた明かり以外、一切の照明がなかった。
フェイが曳航のためのロープを投げ渡した時も、無言のやり取りであった。
「余計なことは知る必要がない。
って言うより、知らない方が身のためなんだ」
それがフェイの答えだった。
「……密輸船か」
アスカがぼそりとつぶやいた。
恐らく彼女の推測どおりなのだろうとユニも思う。
正規の貿易船が運ぶ荷物はすべて公式に記録される。
だが、世の中には秘密裏に運ばれる荷物が必ず存在し、それは必要悪として人々に認知されていた。
それに引っ張ってもらよう話をつけられる〝海馬の穴〟の主人は、やはりそれなりの力を持った人物なのだろう。
幅の広い、流れの緩やかな下流域のボルゾ川を、密輸船はかなりの速度で遡っていく。
数時間で川の左手に黒い塊が見えてきた。中之島だ。
島を左手に見ながら船はなおも遡っていき、やがて島の姿は左後方へと去っていった。
そして島が船の後方、百メートル程になった所でがくんと速度が落ちた。
密輸船がユニたちの船を繋いでいたロープを解いたのだ。
フェイは予定どおりだと、慌てもしないでロープを水中から引き上げると、すぐに後方へ移って櫂を操り始める。
船は川の流れに沿って向きを変え、下流へと進み始める。
後方にあった島が、黒い塊となってみるみる近づいてくる。
フェイは櫂を漕ぎ、島の手前で南岸に大きく船を近づけた。
島の南側に入ると、流れは明らかに緩やかになった。
フェイは島を左手に見ながらしばらくやり過ごし、やがてここと決めていたらしい地点で岸に漕ぎ寄せた、
そこはあまり広くはないが、砂浜となっている所だった。
ユニたちには知る由もないが、帝国の特殊部隊が上陸したのと同じ浜である。
岸に舳先が浅く乗り上げると、フェイは水の中に飛び降り、ロープを持って浜に走る。
続いてオオカミたちが浜へと飛び出す。
彼らは元々船の上で揺られているのは気に入らず、一刻も早く陸に上がりたかったのだ。
ユニとアスカも船を降り、空になった船をフェイとともに浜に引き上げた。
ロープを川岸の灌木に結び付けると、やれやれといった様子で戻ってきた。
ユニとオオカミたちは集まって、簡単な作戦方針を決めた。
いつもどおりである。
まず、オオカミたちが潜入して周囲の安全を確認する。
その上で目的地――恐らくは獣人の集落を発見し、様子を窺う。
可能であれば、ユニとアスカも集落に近づき、直接観察するというものだ。
すぐにライガを除いたオオカミたちが砂浜の近くまで迫っている密林に散っていった。
ユニたちはとりあえず砂浜近くの灌木の中に入った。
浜に留まっていては周囲から丸見えで、危険だと判断したからであった。
フェイも同行した。船とともに待っているのは自殺行為であったから、互いに異存がなかった。
灌木に囲まれた、小さな空き地の砂混じりの地面に腰をおろして一同は息をつく。
「今、何時くらいだ?」
アスカの問いに、フェイは夜空を見上げる。
月は雲に隠れているが、その隙間からは結構な数の星が見えた。
「多分、二時過ぎってところだな」
「そうか。……お前は怖くないのか?」
フェイは特別感情を見せずに答える。
「別に……いつものことだよ。
姉ちゃんたちが殺されたら、あたいは一人で逃げるから恨まないでくれよ」
「お前だけ逃げ切れるとは限らないだろう?」
「そん時はそん時さ。
それに、ここは獣人がいるって噂なんだろ?
獣人の血が混じってるあたいだったら助かるかもしれないじゃないか」
――そこへ偵察に出ていったオオカミたちが次々に戻ってきた。
『ユニ、まずいぞ。
ここはすでに囲まれている!』
『上陸した時点で気づかれていたようだ。
敵の数はおよそ二十、こちらの位置は把握されているようだ。
包囲の輪が狭まっている!』