十四 教主アルケミス
「あんた、確か百歳に近いんじゃないのか?
まだ生きていたのか……」
ゴーマは素直に感心する。
この時代、人の平均寿命は六十代半ばである。七十を越せば長生きと言われ、八十歳以上は稀な大長寿とされる。
アルケミスはふと思い出したように応える。
「おう、貴様はゴーマか。久しいのお」
「……いや、俺はあんたを何度も見たことがあるが、直接の面識はないはずだぞ」
「ん? いやいや、会ったことはあるぞ。
お前が六歳で魔導院に入った年じゃ。
わしはまだ審問長官をやっておったからの。
まぁ直接教えたわけではないから、覚えていないのも無理はないか。
翌年には院を辞めたしな」
「あんたはそれだけで、今でも俺を覚えていると言うのか?」
「おうともよ。
自慢じゃないがわしが院にいた間の生徒は、すべて名も顔も覚えておるわい」
老人は楽しそうに笑った。が、すぐに真顔に戻る。
「お前たちは昔話をしに来たわけでもあるまい。
聞きたいことがあるのだろう」
「素直に答える気があるというのか?」
ゴーマは疑わし気な顔つきだった。
「お前たちは間に合った。その褒美とでも思ってよいぞ。
わしも信徒やオークどもしか話し相手がいなくての。
まっとうな人との会話に飢えておった」
ゴーマの声が低くなり、凄みを増した。
「聞きたいことは山ほどある。
ありすぎて何から聞いたらいいかわからんくらいだ……」
「なぜオークに村を襲わせた!」
ユニがたまらず口を挟む。
自分を巻き込んだあの戦いの理由を聞かずにはいられなかったのだ。
「オーク? 最初の質問がそれか……。
……ふむ、なるほどの。
思ったより早く来たと思えばそういうことか」
「どういう意味だ」
そう問うたゴーマはもちろん、ほかの二人にも老人の言葉の意味がわからなかった。
「まぁよい。答えてやろう。
あれは実験じゃ。
転移門のことは知っておるか?」
「ああ、聞いている」
「あれの制御は難しくての。
ある程度転移先を絞れるようになるまでかなりの失敗をした。
おかげで人もオークもずいぶんと死なせてしまったよ」
「実験ならば村まで襲わせることはないだろう」
老人はきょとんとした顔をする。
「どうしろというのだ?
お前らの国まで戦力となる規模の兵を送ることに成功したのじゃぞ。
そやつらに千キロの森を踏破して戻ってこいと言うのか?
それは酷というものだろう」
「あ……。
ひょっとして、転移門では戻ってこれないのか?」
「あれはそこまで便利な代物じゃないぞ。
送り出したものは仕方がない。せっかくの兵力だ。
攻撃させてみるのは当然だろう。
――大規模な侵攻に軍が出てくるのはわかりきっておる。
ならば小規模戦力による辺境の侵攻に王国はどう対応するか。
それも確かめられた。
実験としては成功だろうな」
「オークたちがどうなったかも知っているというのか」
「観察者を付けるのは当たり前じゃろう。
何のための実験だと思っておる」
老人はふんと鼻を鳴らすと話を続けた。
「正直あれだけ早く、王国が軍を動かすとは思っていなかったよ。
ロック鳥で国家召喚士を送り込むというのは良い手だの。
さすがに参謀本部には頭のよい奴がいるものだな。
大方お前たちをここまで運んだのもロック鳥じゃろう。
だが頭が切れるのも善し悪しだのう……」
「まて、さっき転移門は一方通行だと言ったな。
どうやってその観察者と連絡を取ったんだ?」
「ほっほっほ、そこまでは教えてやらんわ。
帝国の奴らにも秘密にしておるのじゃ、お前たちに教えては不公平というものだろう?」
ゴーマの目が鋭さを増す。
「帝国だと?
やはり帝国と通じていたのか!」
老人は軽蔑するかのように鼻を鳴らした。
「何を今さら……。
この村の維持、この馬鹿ばかしい神舎の規模、帝国が噛んでいることなど子どもでも気づくじゃろう」
「ならば帝国に与して己れの復讐を果たそうというつもりか?」
「復讐?
……ふむ、そうだな。
オークどもが全滅させた村、今はダキニ村といったかの。あの村のことは知っておるのか?」
「いや、詳しくは……」
「参謀本部の連中は教えてくれなんだか。不親切じゃのう……。
わしら清新派が辺境を追われた経緯は知っておるのだろう?」
「ああ、大体は」
「わしらが辺境で開拓した村が、あのダキニ村じゃ。
清新派が追放されたあと、しばらくは荒廃に任せていたようじゃがの」
「そんな……。
あの村の人たちは清新派の追放とは何の関係もないじゃない。
そんなのは復讐とも言えないわ!」
ユニが再び叫ぶ。その瞳は怒りに燃えている。
老人、いやアルケミスは肩をすくめて溜め息を漏らす。
「じゃから、復讐ではないのじゃよ。
お前たち、聖職者は人々のために尽くし働くべしという清新派の教義をどう思う?」
再びゴーマが相手となる。
「ああ、それ自体は立派な考えだと思うさ。
だからこそ新興の教団があれだけの短期間で辺境に根を張ったのだろう」
「そりゃあそうじゃろうて。
辺境の連中にとっちゃ得することばかりだからの。
大半の連中はわしらを便利な奴らだと思って歓迎する。
中には一人、二人だが、わしらの教義に心酔して無償の労働で奉仕したり、在宅で出家するものも出てくる。
――そうした単純な奴らが集まれば、大きな工事もできるようになる。
治水・灌漑といった、辺境で何より求められる公共工事というやつだ。
それを清新派が行えば、わしらへの信頼はますます高まる。
支援者や入信者が加速度をつけて増えてくる。
――わしはその力で国を変えようと思った。
だが、ゆっくりと時間をかけてじゃ。
それなのに愚かな弟子どもは急ぎすぎた。そしてこのザマじゃ」
アルケミスは自嘲の笑い声をあげて言葉を続けた。
「追放されたわしは魔導院で得た知識を餌に帝国を誘い込んだ。
この地に密かに村を築き、召喚と転送の実験を繰り返し、オークの飼育と使役に挑んだ」
「なぜそこでオークが出てくるんだ?」
アルケミスはにやりと笑った。
「なぜ農民の暮らしが楽にならないかわかるか?
収穫の半分を国が持っていくからじゃ。
――王族や役人ども食わせるためだけなら、せいぜい二割もあれば事足りる。
わしらの教えが国中に広まれば公共工事の予算も半減するじゃろうからな。
なぜ五割も税が必要なのか、それは軍を維持するためじゃ。
もっとも王国は召喚士をうまく使っているからこれで済んでおる。
帝国は六割近くを搾り取っておるからな。
――オークを召喚すれば言うことを聞かせられる。
それだけでは数が足りんから、オークを繁殖させて生まれた時から調教すれば、召喚したオークのよい配下となるし、人間でもある程度のコントロールができる。
――それを軍の戦力として組み込めばどうじゃ。
給料はいらん。それなのに戦力は人間の数倍じゃ。
軍事費は激減するぞ」
ゴーマはうんざりしたような声で問う。
「オークを生ませた女はどこから調達した?」
「帝国が用意してくれたから詳しくは知らんがの。
奴隷だとか捕虜だとか犯罪者だとか、まぁ用意するのに苦労はしなかったようじゃったな」
「その女たちはどうなった?」
「……ふん、知っておるのだろう?
オークの子は女の股からは出てこんのだよ。
あ奴らは女の腹を破って生まれてくるからの」
「オーク一匹に奴隷女一人か……非効率な話だな」
アルケミスはゴーマの皮肉をなんとも思っていないようだった。
「まぁ、よいではないか。
召喚士の素質のない人間でもオークを召喚できる。
さらに繁殖させて軍勢とする。その技術を確立したんじゃ。
十分な成果だとは思わんか」
「それを帝国に売り渡したんだろう?」
「まぁな。
だが、オークの召喚はこの地でなければ不可能。
帝国内で可能なのはオークの繁殖ぐらいじゃろうが、頭となる召喚オークの存在がないのでは、ほとんど軍事上の意味をなさんだろうの」
「召喚士の素質がない人間がオークを召喚できるのは、ここが〝穴〟に近いからだということだな」
アルケミスはゴーマの問いに答えず、何事か考えているようだった。
「お前たちはこの〝穴〟をなんと見ておるのかな?」
「それは……。
俺たちが聞いている範囲では、歪みのようなものだと……」
「うむ、まぁ大体は正しい。
よかろう。せっかくじゃからお前たちに講義をして進ぜよう」
アルケミスは楽しそうだった。昔の教師時代を思い出して懐かしくなったのかもしれない。
「そもそも召喚術は、異世界との親和性を持った召喚士を触媒として、現世と異世界を無理やりつなぎ合わせる技術じゃ。
今の王国が採用している方法は召喚士の能力に負うところが大きいが、場の役割も重要であることは承知しておるであろう。
――場とは時空の歪みが蓄積している特異点じゃ。
代表的なところでは魔導院で儀式を行っておる召喚の間じゃな。
これは魔導院でも教えていないことじゃが、この特異点の真の特徴は歪みが蓄積していることではない。
歪みが蓄積していながら、そのまま安定しているところにある」
「ううう、なんだかわかんなくなってきた」
エディスが頭を抱えるが、ユニも同じ気持ちだった。
「ふん、不出来な生徒じゃな。
よいか、召喚士が召喚の儀式を行い、現世と異世界をつなげると、そこに歪みが生じる。
これは理屈としてわかるな?
――普通であれば、この歪みはその場に蓄積する。
何度も繰り返せば簡単に歪みは飽和点を超え、そこに暴走が起こる。
じゃが、特異点は召喚によって生じる歪みを吸収し、どこかへ飛ばしてしまうという性質を持っておる。
したがって、歪みを抱えていながら常に安定している。
だからこそ〝特異点〟と呼ばれるのじゃ。
――だが考えてみよ。そこで生じた歪みはどこかに飛ばされるにせよ、決して消滅するわけではないのじゃ。
生じた歪みは〝どこか〟に蓄積される。
それが飽和点を超えて暴走した結果、現出するのが〝穴〟というわけじゃ。
――したがって〝穴〟は一定の間隔で、まぁ百年、二百年に一度という頻度じゃがの、必ず現れる。
一度それが現れれば、蓄積した膨大なエネルギーを消費して、でたらめに現世と異世界をつなぎ、召喚でもないのにこの世ならざる怪物どもが送り込まれてくるというわけじゃ」
「いや、ちょっと待ってくれ。
それが本当なら、〝穴〟が異世界から怪物を呼び出すたびに、ますます歪みが生じていくんじゃないのか」
ゴーマが手をあげて質問する(すでに生徒の気分になっているらしい)。
「その辺は推測でしかないのだが……」
アルケミスは難しい顔をする。
どうやらまだ完全に答えが出ている問題ではないらしい。
「召喚の場合は特異点に蓄えられたエネルギーを消費する以上に、召喚士の精神エネルギーを消費する。
その差が歪みの増大につながるわけじゃ。
――ところが〝穴〟は召喚士なしで異世界へのパイプをつなぐものだから、特異点で消費される数十倍の場のエネルギーを必要としているようなのじゃ。
したがって、〝穴〟は召喚士の精神エネルギーの代わりに溜まったエネルギーを吐き出し続けるのよ。
――これを繰り返すことによって、〝穴〟は百年足らずで消滅する。
それは歴史的にも記録されておるから、まぁ間違っておらんじゃろう」
コホン、とわざとらしい咳ばらいをして(今度は手をあげなかった)、ゴーマは話を変える。
「〝穴〟の話はわかった。
だが、本題が逸れているぞ。
今回のオークの襲撃が実験だということも、納得はしないが一応理解はする。
だが、そんな騒ぎを起こして、そもそもあんたちは何をしようとしている。
目的は何なのだ?」
「なんじゃ、さっきまでの話を聞いておらんかったのか?
もちろん王国に再び清新派の教えを広め、民の暮らしを豊かにすることじゃよ。
それを邪魔だてするというのであれば、国であろうと倒す。
例え帝国の力を借りてでもじゃ」
ゴーマは呆れたような表情を隠そうともしなかった。
「本気でそんなことを考えているのか……」
「そうか?
わしの信徒どもも、帝国の奴らも納得しておったぞ?」
「いやいやいや、おかしいだろ!
例えオークを百匹、千匹、一万単位で揃えたって、国軍に勝てるわけがないだろう。
軍にはオークなど比較にならない怪物を従えている国家召喚士がいるんだぞ。
おまけに四神獣だっているんだ。
あんたたちはそんなこともわからないのか?」
くっくっく……アルケミスが顔を伏せ、楽し気な笑い声をたてる。
「まぁの、さすがにオークどもで国を倒せるとは、わしも言えんでのう。
ちょいと別口を用意しとるのじゃよ。
――だがの、それにしたって一国を倒せるとは思わんよのう……。
それが普通じゃ。常識というものじゃ」
アルケミスの笑いは止まらない。
「ほんに宗教と便利なものじゃ……」
「どういうことだ」
「信徒どもは容易く信じたぞ。
信じて疑わなかった……。
そして、帝国の奴らも、〝狂信者〟とはそういうものだと納得しておった。
まさしく宗教とは便利なものじゃ」
アルケミスの笑いはしばらく止まらず、ユニたちはそれがやむのを見守るしかなかった。
「まぁ、お前たちは〝常識人〟らしいからな。建前はやめておこう。
今日のわしはすこぶる機嫌がよい。
九割くらいは本当のことを話してやろうかの。
お前たち、わしが元院生であったことは聞いておるかな?」
「ああ……」
ゴーマが短く答える。
「ならば、わしが魔族を呼び出して召喚を中止されたことも聞いておろう?」
「確かに」
「……わしが召喚したのはイブリース。
異世界の神話では堕天使、あるいは〝かの唯一なる悪魔〟アル・シャイターンと呼ばれる者じゃった。
――お前たち召喚士ならば覚えがあろう。
初めての召喚の時、互いの記憶と知識を共有するあの恍惚とした瞬間のことを……。
かの者の知識は膨大であった。
一度は全能の神に愛された、大いなる存在の全知識。
それが一部とはいえ、わしの頭の中に流れ込んだ。
――じゃが、それを途中で生木を裂くように引き剥がされたのじゃ。
……あの苦痛と屈辱!
いまだに忘れることはできん」
それまで眠るように閉じられていたアルケミスの目が、激しい感情に巻き込まれたようにかっと見開かれた。
少し間があいて、再び彼の目は閉じられ、口調も穏やかものに戻った。
「お前たちはシドの背中に彫られた魔法陣を見たであろう」
三人は黙ってうなずく。シドとはケド村を襲ったオークの召喚士のことだ。
「シドは少し惜しいことをした。
あれはなかなかに優秀な男だったが……」
「それを使い捨てたのは、あなたではないのか」
憮然としてゴーマが指摘する。
「無論。
じゃが狂信者の末路など、あんなものだろうよ」
「あなたは自分を信じて付いてきた弟子を、狂信者と言うのか!」
「ほかにどう言えと?
帝国とオークの力を借りて王国を倒し、清新派の教えでこの世の楽園を現出する。
そんな夢みたいな話を本気で信じた愚か者を、狂信者以外に何と呼べばいい?
――ああ、話がそれたな。
ゴーマよ、お前が余計な茶々を入れるからじゃ。
そもそも魔導院に残されていた魔法陣はゴブリンを召喚するものじゃった。
かの地ではそれが限界だったらしい。
――じゃが、この〝穴〟に近い場所なら、もっと霊格の高い……、いや素直に言おう、もっと戦力になる幻獣を呼び出せるとわしは睨んだ。
魔法陣に書き込まれた、幻獣を表す紋章と神代文字さえ入れ替えればよいのじゃからな」
「だが、ゴブリン以外の幻獣を表す情報は失われたと聞いたぞ」
「それもお前たちが知りたかったことの一つであろう?
わしは知っておったのじゃ。
イブリースを召喚した時、わしの中に流れ込んだ膨大な知識の一部には、そうした者どもの情報がたっぷりと含まれておった。
――人を喰らうもの。
人を堕落させるもの。
人の街を破壊するもの。
……そんな者どものな。
――じゃから別にオークしか召喚できぬわけではないのだ。
憑代が人間というひ弱な生き物だから、仕方なく霊格の低いオークを召喚したに過ぎぬ」
そう言ったきり、アルケミスはしばらく黙りこんだ。
ゴーマは少しいらつきながら催促する。
「それで結局、あなたの目的は何なのだ?
宗教的な理由でないとすれば、帝国に情報を売り渡して王国に復讐することか。
それとも召喚の実験をしたいという知識欲だとでも言うのか?」
「察しが悪いのぉ……。
さっき言ったではないか。
わしは召喚の儀式を中断されて契約はなせなんだが、その際に不完全だがイブリートとの融合は果たしたと。
――あの時から八十有余年、わしはイブリートから受け取った知識、感情、記憶を数え切れぬほど反芻し、わが血肉としてきた。
もはやわしはイブリートの切り離された一部だといってよい存在なのじゃ。
――かのイブリートの願いこそ、わが願い!
……そういうことじゃよ」
アルケミスはにこりと笑った。邪気のない、子どものような素直な笑顔だった。
「だったらそのイブリートの願いとやらを教えてちょうだい。
魔族の願いなんてろくなものじゃなさそうだけど」
話が核心に近づいていることを感じて、ユニも口を挟む。
「ふむ……。
これほど気前よく話してやってよいのかの……。
まぁ、この際じゃ、教えてやろう」
アルケミスは軽い咳払いをして、朗々と声を張り上げる。
「それこそは大いなる神の愛、その実現である!」
しんとして誰も口を開かない。次の言葉を待っているのだ。
「……ん?
これではわからんか。
――イブリースは全知全能にして唯一の神に仕える天使であった。
もちろん、その神はわしらの世界の神ではないがな。
神は人間を造り、愛したもうた。
――イブリースには、なぜ神が自分たち天使ではなく、不完全で愚かな人間たちに愛を注がれるのかが理解できなかった。
そして人間に嫉妬して神を恨んだ。
……結果、イブリースは堕天して魔界に堕ちたのじゃが、そこで初めて気づいたのよ。
――悪魔となって人間を誘惑し、争わせ、滅ぼそうとすること。
それが神から与えられた自分の役割だとな。
人間は悪魔によって堕落し滅ぼされるか、神への愛を貫いて生き延びるのか試されているのだと。
――ならば大いなる神の愛に応えるべく、自分は悪魔として全力を尽くそうとな」
「つまり、あなたはこの世界でも人間を滅ぼそうと願っているということ?」
「ま、そういうことじゃな」
「ばかばかしい。それこそ狂信者と変わらないだろう。
アルケミス殿、あなたを拘束して連行する。
その後の処分は我々の関知するところではない。
よろしいですな?」
ゴーマはそう言うと、祭壇の陰に続く階段に足をかけようとした。
「無理じゃな」
アルケミスは面白そうな声で答えた。
「なんと言った」
「お前たちにわしを連れていくことはできんよ、と言ったのじゃ」
「それは試してみればわかること」
ゴーマはずかずかと階段をのぼり、椅子に座っているアルケミスの肩に手をかけようとした。
が、その手は空をきった。
慌てたゴーマが何度老人の体に触れようとしても、手がすり抜けてしまうのだ(椅子も同様だった)。
「ほっほっほ、じゃから無理だと言っただろうに。
わしはもう歳じゃ。
今さら王都になんぞ行く気はないから諦めることだな」
そう言うと、彼の姿は椅子ごと煙のように消え去ってしまった。
確かにアルケミスは今の今までゴーマに語りかけていた。
質問に答え、きちんと会話が成立していた。
声だけがするならまだしも、姿が見えている分、その現実に不気味さが増した。
ユニはこの光景を下から見上げていたが、傍らに寄り添っていたライガが語りかけてきた。
『香の匂いがひどくて確信が持てないが、あの爺様は実体ではないような気がするな』
「いや、それは見てたらわかるけど」
『あれが幻なら、どこかに本体が隠れているということだろう』
「そういうことになるわね」
『幻が上なら、本体は下と相場が決まっているぞ』
「なるほど!」
ユニはオオカミたちに本殿の床を調べるよう命じた。特に祭壇の裏の方は念入りにと。
『ユニ、来てくれ!』
祭壇の裏の床を嗅ぎまわっていたライガとハヤトが同時に声をあげる。
ゴーマとエディスにもそれを伝え、全員が集まった。
ゴーマは祭壇から太い蝋燭を二本持ってきて床を照らした。
「タイルに不自然な隙間があるな。
剣…じゃ入らんか、エディス、お前のレイピアを貸してくれ」
「オオカミたちが隙間から嫌な臭いがするって」
「爺さんが立て籠もっているなら、毒ってことはないだろう」
そう言いながら、ゴーマはタイルの隙間にレイピアを差し込み、少しずつ位置をずらして探っていく。
やがて手応えがあったのか、何度か同じ所で角度を変えて探っていると、かちゃりと音がして、床板が数センチ、扉のように浮き上がった。
ゴーマが引き上げると地下室へと降りる階段が現れた。なるほど少し異臭が漂っている。
「先に降りる」
そう言ってゴーマが中に入り、床に降り立つと周囲の安全を確かめ、上を見上げて手招きをする。
ユニとエディスがそれに続き、オオカミたちも飛び込もうとしたが、ユニに止められた。
エウリュアレを守るようにとユニに言いつけられたオオカミたちは不満そうだったが、おとなしく従った。
地下室は照明がなく、暗くすえた臭いがした。
ゴーマが持ち込んだ蝋燭で照らすと、奥の方に簡易ベッドと祭壇の後ろで見た椅子、それに座る老人の姿がぼんやりと見えた。
「かくれんぼにしてはお粗末だな」
そう言いながらゴーマが近寄り、今度こそと肩に手をかける。
「おい」
呼びかけるが返事がない。
ゴーマが蝋燭を傍らの小さなテーブルに立て、両手を使ってアルケミスの肩を揺する。
何かに気づいたかのようにゴーマは老人のだらんと垂れた腕を取り、手首を握った。
同時に顔を老人の口元に寄せる。
少し遅れて近寄ってきた二人の女性に、ゴーマは簡潔に報告する。
「死んでいる」
「え?……だってさっきまで」
「体が冷たい。
内臓の腐敗も始まっているようだ。
少なくとも俺たちが神舎に入るよっぽど前に死んでいただろうな」
「じゃあ、さっきの会話は何なの?」
「俺が知るか!
だが、少なくとも爺様の言ったとおりだな。
生きたまま連れ帰るのは確かに不可能だ。
この死体を持ち帰ってもあまり意味はなさそうだが、後で収容しよう」