八 誤 算
同じ頃、ユニたちは怒号と悲鳴を聞きつけたヨミの連絡で、現場へと駆けつけたところだった。
そこでもニックの分隊と同じような惨状が繰り広げられていた。
ユニたちが到着した時、白い民族衣装を血で赤く染めた長身の男が、片手で兵士の顔面を掴み高く掲げているところだった。
兵士の身体はぶらんと垂れ下がっている。もう死んでいたのかもしれない。
背の高い男は、駆けつけたユニたちに気づくと手にした男を放り投げた。
だが、その前に「ぱきっ」という音を立てて兵士の頭蓋を握り砕くことを忘れなかった。
オオカミたちの判断に迷いはない。
ライガ、ハヤト、トキ、それにヨミが左右から一斉に男に飛びかかる。
それぞれが敵の手足を狙い、まずは行動する力を奪ってから、ゆっくりと首を狩るというのが彼らの立てた作戦だった。
「ごきっ!」
嫌な音を立てて男の骨が砕ける音がする。
オオカミたちは巨大な牙と顎の力で男の手足の骨を噛み砕いた。
ライガに至っては、骨を砕くだけでなくそのまま右腕を肩の先から食い千切り、腕を咥えて地面に降り立つ。
だが次の瞬間、敵に噛みついていた残る三頭が軽々と吹っ飛ばされた。
完全に骨を砕いたはずなのに、男はしっかりと両足で立っている。
それだけではない、ライガに奪われた右腕が肩口からにょきにょきと生えてきたのだ。
再び襲いかかったオオカミたちを、男は難なく撃退した。
殴り、蹴り、二頭を弾き飛ばすと、自由になった手で残る二頭を殴りつける。
もちろんオオカミたちはそれを躱したが、敵との距離をとらざるを得ない。
『駄目だ、ユニ!
こいつ、骨を噛み砕いても一瞬で元に戻るぞ』
ハヤトが叫ぶ。
腕が生えるくらいなら、骨折を直すなど当然だろう。
『力も速さも昨日の奴とは段違いだ――まずいな』
ライガがユニの前に移動し、低い姿勢で威嚇を続ける。
「幻獣か……面倒だな」
男はそうつぶやくと、足元に転がっている二人の兵士の襟首を掴んだ。
二人とも手足が変な方向にねじ曲がっているが、苦痛に呻いているところを見ると生きているようだ。
恐らく逃げられないように手足を折っていたのだろう。
長身の男は二人の兵士を掴んだまま、ずぶずぶとその影の中に沈んでいく。
二人の兵士も同じように地面に引きずり込まれていく。
ユニたちは呆気に取られて見守ることしかできなかった。
男と兵士が消えた後、跡を叩いたり掘ったりしてみたが、それはただの地面でしかなかった。
* *
翌日の朝の会議は重苦しい雰囲気に包まれていた。
ユニがオオカミを使って各部隊に連絡をつけ、深夜を回ったあたりで巡回部隊は城壁内に撤退していた。
十二の部隊が襲われ、死者七十人以上、行方不明者は二十人に及んだ。
ユニと奇跡的に生き延びた兵士の証言によって、昨夜現れた吸血鬼はこれまでの者とは全く違うことがわかった。
怪力ということは変わらないが、理性を保っていて会話も可能であること。
そして身体を切断しても一瞬で再生すること、しかも首を刎ねても消滅せずに再生してしまうことが明らかになった。
つまり、敵は不死であり滅ぼす手段がないということだ。
そして、これまで謎だった敵の侵入手段もはっきりした。
吸血鬼は影から自由に出入りができる。
どういう理屈なのかは不明だが、事実としてそうだと無理やり納得するしかなかった。
幸いなことに、いくつかの部隊はこれまでと同タイプの吸血鬼に遭遇し、二名を捕縛して連れ帰ることに成功していた。
相手の手足を切断して芋虫状態にし、縛り上げたのである。
両手両足を失っても死なないのだから、十分化け物と言える。
「とにかく、その捕えた吸血鬼であらゆることを試せ」
リディアが不機嫌な顔で命じた。
「あらゆることとは?」
副官のヒルダが尋ねる。
「伝説上の弱点のすべてだ。
ニンニクでも聖遺物でも銀の武器でも何でもだ。
そして陽の光にもさらしてみろ」
そう言いながら、彼女自身あまりそれに期待していないのが表情でわかる。
「伝説というなら……」
ヒルダが静かな声で発言する。
「これまで行方不明になった者たちは、食料として吸血するためのほか、彼らの仲間を増やすためでもあると思われます。
伝説では、吸血鬼は自らの意志で犠牲者を眷属にして、新たな吸血鬼をつくるとされています。
そしてもともとの吸血鬼――真祖と言うそうですが、真祖の眷属は高い能力を持ち、眷属たちがつくる新たな吸血鬼はそれよりだいぶ能力が劣るということです。
昨夜現れた者たちの多くは、真祖の眷属なのではないでしょうか」
リディアは溜め息をついた。
「その推測が正しいとしたら、昨日出た化け物どもの上にその真祖とやらがいることになるな。
真祖は眷属とは比較にならない能力を持っているのであろう?
昨日の奴らでさえ不死の怪物だぞ。
真祖とはどれほどのものか、考えただけでも頭が痛いな」
「とにかく、夜間巡回は中止だ。
敵にわざわざ食料を提供することはあるまい。
それより奴らには必ず本拠地があるはずだ。
その捜索に全力を尽くせ」
リディアの命令に警備を担当する部門の指揮官たちは安堵の表情を隠そうとしない。
昨夜の惨状はたちまち噂となって兵士の間に広がっており、士気がガタ落ちになっていたからだ。
「私たちも赤城市の周辺を探ってみます」
ユニも立ち上がった。
「ただ、ねぐらを見つけたとして、どうやって不死の相手を倒すのかが問題ですが……」
ユニのその言葉に、答えられた者は誰もいなかった。
* *
〝真祖〟ナイラは上機嫌だった。
眷属たちを一斉に派遣した昨夜、小賢しくも赤龍帝は新市街の住民を城壁内に避難させていた。
それでも彼らの巡回部隊を襲って、かなりの数の〝餌〟は手に入った。
あれは眷属たちに与えて、少し下っ端の数を増やしてやろう。
そんなことよりも、眷属の一人が上げてきた報告の方が重要だった。
その男には城壁内への侵入を試させたのだが、やはり結界が邪魔をしてそれは果たせなかった。
「ただ、以前に試みた時よりも明らかに結界の力は弱まっています。
あの感じでは、あと十日もしたら結界が破れるのではないかと思います」
いまいましい結界が間もなく消える――これ以上の朗報はなかった。
そうなったら自ら赤城に侵入し、赤龍帝とかいう小娘の血を吸ってやろう。
いや、眷属にするのもよいな。
二十万もの餌が城壁の中に閉じ籠っているのだ、数か月は楽しめるぞ。
逞しい若い男の裸体を存分になぶっておいて、その首筋に牙を立てることを想像すると、ナイラの身体が熱くなってくる。
ふと気がつけば、彼女の天蓋つきの豪奢なベッドの側には、つい先日眷属にしたばかりの女が控えている。
はて、この女は何という名であったか?
「おい」
ナイラは女に呼びかける。
すぐに女は側に寄り、天蓋から下がる薄いベールの外でかしこまった。
「お前、名は何と言ったか?」
「モナと申します」
女は顔を上げて答える。
黒いウェーブのかかった髪に大きな潤んだ黒い瞳をした、典型的な南部人の顔立ちの娘だ。
ナイラは眷属とした娘に汚れた身体を清めるよう命じた。
素直に頭を下げたモナの赤い小さな唇からにゅっと犬歯が突き出す。
同時に舌がぞろりと伸び出してきた。
舌は何か別の生き物のようにぞろぞろと二十センチ近くまで伸びた。
モナは情欲にかられた眼で女主人の裸体を見つめ、その身体に舌を這わせようとした。
ナイラは眉を顰め片足を大きく上げると、モナの腹を蹴り飛ばした。
「ぐうっ」という呻き声をあげ、モナの身体は天蓋の外まで跳ね飛ばされた。
肋骨を数本折ったような感触があったが、瞬時に直るのでお互い気にもしない。
「誰がそこまで許したか。
勝手に発情するでない!」
「申し訳ございません」
モナは小さな声で詫びを言って、寝台の脇の小テーブルに置かれた手桶(中には柑橘類の皮が入った冷たい水が入っている)できれいな布を堅く絞った。
そしてそれを手に再びベッドに這い上る。
主人の身体を布できれいに拭き清め、「失礼いたしました」と言って寝台から降りた。
ナイラはふと憐れに思ったのか、モナにもう一度声をかけた。
「お前、眷属になった後、食事は摂ったのか?」
「はい、ナイラ様のお情けで三人いただきましたので、当分は十分でございます」
ナイラは少し考えてから下命した。
「ならばもう眷属をつくれるであろう。
昨夜の餌のうち、三人を与えるから、一人を眷属にしてみろ」
モナは驚いて顔を上げる。
「そんな、私ごとき新参者にそのような……」
しかし、言葉とは裏腹に彼女の瞳は黒から血の赤に変わり、唇からは白い犬歯が数センチもはみ出している。
ナイラは楽しそうにその様子を眺めている。
「ふふふ、男を眷属にするのは楽しいぞ。
お前もわらわの精気を与えられた時、強烈な快感に襲われたことを覚えておろう。
わらわは男のその時の反応を見るのが大好きでな――お前も楽しむがよい」
ナイラの言葉を聞いて、モナが堪らなく発情しているのがわかる。
腰が引け太腿をもじもじと擦り合わせている上に、唇からはみ出た犬歯は五センチほども伸びている。
ナイラはその様を見て、少し気の毒そうに付け加えた。
「わらわであれば、眷属を夜伽に使えるのだがな……。
お前の眷属ではろくに理性もあるまい。
盛りのついた猿のようなものだから、とても抱かれる気にはならんだろう」
* *
巡回部隊が捕らえた吸血鬼には、リディアが命じたようにありとあらゆる実験が行われた。
だが、各地の伝承に伝えられた吸血鬼の弱点は、ことごとく〝デマ〟に過ぎないことが明らかになるだけだった。
ニンニクを嫌うなどという、はなから眉つば物の言い伝えはもちろん、わずかに期待された銀の短剣も何の効果もなかった。
十字架、イコン、聖水などという宗教がらみの聖遺物もがらくた同然である。
唯一、効果が認められたのは太陽光だった。
陽の光にさらされた吸血鬼の身体はたちまち焼けただれ、手足を切り飛ばされても苦痛を見せなかった吸血鬼が悲鳴を上げてのたうち回った。
また、とてつもない怪力の持ち主である彼らの抵抗する力が、陽光のもとでは並の人間程度まで低下することもわかった。
しかし、ただそれだけだった。
陽光のもとで皮膚が焼けただれ苦しんでも、吸血鬼が滅ぶわけではなかったのだ。
これが驚異的な再生能力を持つ上位眷属であったらどうだろう?
――そう思うと、実験に立ち会った幹部将校たちの顔色はさえなかった。
* *
コツコツとリディアの執務室の扉をノックする音がした。
「入れ」
という応えに扉が静かに開き、ヒルダがするりと部屋の中に滑り込んだ。
リディアは執務机に向かって何か書きものをしている。
視線を上げずにリディアが尋ねる。
「出るのか?」
「はい、上空偵察で怪しそうな場所を洗い出します。
それをシラミ潰しに当たるしか手はないかと……」
「そうだな。
ただ、問題はユニが言ったように、不死の化け物相手にどう戦うかだ」
「どうなさるおつもりですか?」
「泣きつく」
「は?」
意外なリディアの答えにヒルダは思わず訊き返した。
「参謀本部のアリストア殿に救援を要請する。
今、その書状を書いているところだ」
「しかし、それは……」
ヒルダが言い澱むのも無理はなかった。
四帝は実態として地方君主に近い。
そして四古都に配置された第一軍から第四軍までは、互いにライバル関係となっている。
自分が直接支配している古都が危機に陥り、他の軍に救いを求めるのは恥辱以外の何物でもない。
軍の統制上、上位の参謀本部に救いを求めるならいくらか面子が立ちそうだが、そうなった場合に参謀本部が他軍の援助が必要と判断したら、それを拒むことができない。
リディアの判断は、そうした危険性を秘めているのである。
「仕方なかろう。
こちらの頭では対抗策が考えつかんのだ。
軍の頭脳と呼ばれるお方の知恵を借りるしかないだろう」
ヒルダは何も言えなかった。
そのまま敬礼をし「行ってまいります」とだけ言って執務室を後にした。




