四 鬼の行方
「えー、つまり……」
ゴーマは短く刈り込んだ黒髪をバリバリ掻きながら若者の話をまとめる。
「オークが柵を乗り越えて村に侵入し、薬師の家に押し入った。
そして寝室でボーッと突っ立っていた。
それから目を覚まして逃げていった……でいいのか?」
「ええ、まぁ……そんなところです」
ハンスの表情には、自分の冒険が三行でまとめられたことに対する不満が表れていた。
「マリサさん、あなたはその時のことを覚えていますか?」
今度はユニがマリサに質問する。
「それが、よく覚えていないのです。
あの日は一日中気分が悪くて、夕方から床についていました。
かなり深く眠っていたみたいで、ハンスに起こされた時もぼおっとして何が起きているのかよく分かっていなかったんです」
「オークが侵入するような心当たりはありませんか?
例えばネコがマタタビに惹かれるみたいな、オークが特別好む薬草を調合していたとか……」
「いえ、私の家にある薬草はごく普通のもので、特別なものはありません。
私もどうしてオークが入ってきたのか、わけがわからないのです」
ゴーマは渋い顔をしたままアリに尋ねる。
「肝煎、オークの被害は?
家畜はやられたのか」
「その日はマリサの家の扉が壊されたくらいで何もなかったが、二日前に羊が一頭やられておる。
ちょうど親郷にオーク退治の依頼を出す準備をしているところだったんじゃ」
肝煎の答えにゴーマは首をひねる。
「二日前に? ずいぶん悠長だな。
ただでさえ依頼には時間がかかるんだ。
出すのが一日遅れればそれだけ家畜の被害が重なるんだぞ」
「それが、なにせあまりに久しぶりのことで、依頼の書式を探すのやら、報酬の相場を調べるやらで時間がかかってですな……」
アリは恥ずかしそうに弁解した。
「そういや、ここはオークがあんまり出ないんだったな。
久しぶりって、どのくらいなんだ?」
「十八年ぶりですじゃ」
「はあ?」
ゴーマとユニは声を揃えて驚きの声を上げた。
オークは年に一、二回は襲ってくるのが普通だ。
三年連続でオークが出なかった〝幸運な村〟がお祝いの祭りをやったという話は聞いたことがあるが、十八年はありえない。
「本当じゃよ。どうしてそうなのかは、わしらにもわからん。
この村が開村して、羊を飼い始めた当時は何度かオークに襲われたんじゃが、数年後には来なくなって、それがそのまま続いてきておる」
「オークが逃げたってのも気に入らないわね……」
ケド村の事件がユニの脳裏をよぎる。
あの村に最初に現れたオークは、村人に出くわした時に逃げ出したという。
オークは自分より強い者には立ち向かわないが、弱い者と遭遇した時には必ず攻撃する。それは種族的な習性といってよい。
ゴーマとユニがそれぞれ考え込んでいるのを見て、アリが声をかける。
「とにかく、羊も大切だがマリサの安全が一番じゃ。
彼女がいなければこの村は立ち行かなくなる。
くれぐれも頼みましたぞ」
「あら、私がいなくたって、もうハンスが立派にやってくれますのよ」
マリサの声には姉のような愛情が籠もっているのが分かる。
ハンスは耳まで赤くなった。
「まぁ、話は大体分かった。
俺はマリサさんの護衛、ユニはオークの追跡ってことでいいな?
ことが片づくまで俺はここに泊まらせてもらう。
肝煎はユニの宿舎の世話をしてくれ。
じゃあユニ、荷物を取りにいくか」
「ええ。
あ、それとマリサさん、後で私のオオカミを家の中に入れさせてください。オークの臭いを確認させますから」
ユニは振り返ってそう告げると、外へ出た肝煎とゴーマの後を追う。
二人は何ごとか話をしていた。
「マリサさんはいつごろからこの村にいるんだ?」
「ああ、それならよく覚えておる。
村に最後のオークが出た時、退治を依頼した召喚士と一緒にやってきたのじゃよ。
だから十八年前ということになるな。
旅をしながら薬師の修業をしているというから、頼み込んで村に残ってもらったんじゃが、きれいな娘さんでの。
村の男どもは大喜びしたものだが……。
どうしたことか未だに独り者でなぁ」
アリは頭を振ってため息をつく。
「……そうか、それならいい。
つまらんことを聞いたな」
相変わらずゴーマは渋い顔のままだった。
ユニとオオカミたちは翌朝からオークの追跡に取りかかった。
ジェシカとシェンカにはヨミをつけて村周辺の探索を任せ、残りはユニも含めてオークを追うことにした。
オークの臭いは比較的新しく、雨も降っていなかったのでオオカミたちの足取りは軽い。どんどんと森の奥へと入っていく。
『妙だな……』
追跡を開始して二日目に入った。
昼に食事を兼ねた休憩をとっていた時、追跡の先頭に立っていたハヤトがつぶやいた。
「どうしたの?」
『オークの足取りなんだが、意味が分からん。
最初はまっすぐ森の奥を目指していたようだ。そのまま奥へ行くのかと思ったら、途中で北へ向きを変えて、そこからはもうぐちゃぐちゃだ』
「ぐちゃぐちゃ?」
『なんだか目的がない……わけじゃないか。
多分食べ物を探しているんだと思う。
うろうろしながらだけど、北上しながらまた森の端に近づいている感じだ』
ユニは地面に木の枝で三角形の図を描いた。
「つまり一度まっすぐ村から逃げたけど、本気で森の奥へ行く気はないってことね。
この辺で北西に向かって、村から距離を取りながらまた森の途切れるあたりを目指している?」
『あのオークは一度羊を喰って味を占めているわ。
イネ村には近づきたくないけど、家畜は襲いたくて別の村を探している……ってとこかしらね』
ヨーコが口を挟んで解説した。
「多分そうね。
でも、そこまでオークが怯えているって……一体あの村で何があったのかしら?
まぁ、森の奥へ逃げていくなら見逃してもよかったけど、ほかの村を襲う気満々じゃ、どの道やるしかないわね。
どう、夕方までには追いつけるかな?」
オークが北に向きを変えてからは極端に速度が落ちている。
オオカミたちはまったく問題ないと請け合う。
「じゃあ、追いついたらトキとヨーコさんは先回りして頭を抑えて。
明日の夜明けを待って一斉にやるわよ。いいわね」
打ち合わせを終えると、一行は追跡を再開する。
イネ村を襲ったオークはあっさりと見つかった。
針葉樹の森が途切れ、灌木が生い茂っているところでコハゼという黒紫色の小さな木の実を夢中になって摘んでは口に運んでいた。
コハゼの実は人間も食べるが、砂糖煮にしてジャムにするのが普通だ。
生で食べても酸っぱくて美味しいものではない。
オークはよほど腹が減っているのだろう。
ユニとオオカミたちは見つからないように取り囲み、監視に移る。
やがて周囲が暗くなるとオークは茂みの中に潜り込み、イビキをかいて眠ってしまった。
茂みの中では音を立てずに近寄ることは難しい上に行動が制限される。
打ち合わせどおり、夜が明けてオークが出てくるのを待つことにして、ユニたちもその場で休むこととした。
たとえ寝ていたとしても、オークが動けばオオカミたちの耳は聞き逃さない。
翌朝、日の出とともにオークは起き出した。
茂みから這い出し、少し開けた草原で寝ぼけたように突っ立っている。
目を閉じ鼻をひくつかせて餌の匂いでも探っているのだろうか。
手にした棍棒をだらんとぶら下げている。
襲撃にはうってつけのタイミングだった。
姿勢を低くしたオオカミたちが二頭ずつ左右から迫る。
少し遅れてライガが背後から駆け寄る。オークはまったく気づいていないようだった。
右からハヤトとミナのペアが、左からトキとヨーコのペアが同時に飛び出した。
もう姿を隠す必要はない。
それぞれがオークの腕や足、狙った箇所をめがけて跳躍しようとした瞬間、オークの腕が一閃した。
棍棒の太い瘤状の先端が「ブン!」という風音をたてて見事な弧を描く。
オオカミたちはすんでのところでジャンプする方向を変え、難を逃れる。
そのまま飛び込んでいたら簡単に頭蓋を粉砕されていただろう。
オークの反撃を見たライガは速度をあげて矢のようにその背後を襲う。
オークは後ろに目がついていたかのように体を反転させると、今度は大上段から棍棒を振り下ろす。
「ゴッ!」
鈍い音がして棍棒が地面を叩く。
ライガはその手前で横っ飛びに跳ねて方向を変える。
オオカミたちはオークの周囲を取り囲み、毛を逆立て、牙を剥き、唸り声をあげて威嚇する。
オークも腰を落とし、棍棒を構えてそれに対峙する。
「油断した!」
ユニは唇を噛んで自分の迂闊さに腹を立てる。
オークはオオカミたちに気づいていたのだ。
こんな開けた所で襲撃したのは、相手を甘く見た自分のミスだ。
ユニは腰からナガサを抜いて構えると、オオカミたちの囲みの後ろに立った。
オークの注意を引きつけ、一番弱そうな自分に攻撃を仕掛けようとすればスキが生まれるかもしれない。
それを見たライガが、敵から目を離さずに怒鳴る。
『邪魔だユニ! 出てくるな!』
ユニは引かない。
「大丈夫、距離はとるから。
オークがこっちに向かってきたら一斉にかかって!」
自分を囮にすることには十分な理由があった。
オークは自分より弱い相手には必要以上に攻撃的になる。
頭に血がのぼり、我を忘れてしまうのだ。必ず自分に向かってくる。
その時、一瞬でもオオカミから注意がそれればこちらのものだ。
案の定、オークは姿を現したユニを見ると、怒りの咆哮をあげ、猛然と突進してきた。
その一歩をオオカミたちは見逃さない。
ライガが横から飛びかかると、オークはそれを予想していたかのように下から斜めに棍棒を振り上げる。
ところが、ライガはオークを狙わずにそのまま跳躍して相手を飛び越した。そのため棍棒は虚しく空を切る。
重量のある棍棒を全力で振り切ったのだ。いかにオークの膂力といえども、簡単には引き戻せない。
その伸び切った腕にすかさずハヤトが噛みつき、鋭い牙を突き立てる。
オークの分厚い皮膚が薄紙のように破け、鮮血がハヤトの口元を染める。
食いついたオオカミを振り払おうと、オークが太い腕を必死で振り回すがハヤトは離れない。
同時にほかのオオカミたちが次々とオークに襲いかかり、オークを地面に引きずり倒す。
ライガにとって、仰向けに倒され動きを封じられたオークの首筋を噛み破るのは造作もないことだった。
彼の巨大な顎は筋肉の鎧で覆われたオークの太い首を頚椎ごと食いちぎり、わずかに残された皮膚と筋繊維でかろうじて体とつながるのみとなったオークの頭は、あらぬ方向へ転がっていた。
食いちぎった肉と骨の塊を吐き捨てると、ライガはユニの方を振り返った。
自分から囮になろうとする召喚士がどこにいる。
あのバカはもう少しきつく叱らなければと思いながら……。
だが、ライガが顔を向けたその先にユニの姿はなかった。
さっきまでそこに立っていたはずだがと狼狽えるライガの目が泳ぐ。
『ちょっと、ユニ! どうしたの!』
ミナとヨーコが同時に叫び、ユニがさっきまで立っていたところから二メートルほど離れた草むらに倒れている彼女のもとに駆け寄った。
ライガもほかのオスたちも慌てて後に続く。
心配そうに取り囲むオオカミたちの輪の中からミナが鼻面を突き出し、横を向いているユニの口元をフンフンとつついて確かめる。
『大丈夫、息はあるし、呼吸も安定している』
『おー!』
溜め息とも嘆声ともつかない声があがる。
ミナが冷たい鼻先をユニの頬に押しつけ、舌で優しく舐め続けると、ユニは目を開けた。
『おい、大丈夫か? 一体何があった?』
ライガが心配そうに尋ねる。
いつもの尊大そうな物言いはすっかり影を潜め、ひどく心細そうな声だった。
「う……、ちょっと、起きる……。ヨーコさん、手伝って」
ユニは盛大に顔をしかめながら上半身を起こそうともがいた。
ヨーコが後ろに回ってユニの背中を鼻面で押してそれを手伝った。
体を起こすと両腕を前に伸ばし、慎重に開いたり回したりする。
時々痛みに顔をしかめるが、腕の動きに問題はなさそうだった。
今度は右手をあげ、右の脇腹に左手を当てて慎重に触っていく。
痛みは強いが我慢できないことはない。
どうやら骨は折れていないようだが、ヒビくらいは入っているかもしれない。
ユニは顔をしかめながら綿シャツごとジャケットを首までめくり上げ、腕を上げてライガに見せた。
「どうなってる?」
『ふん、……脇の処理が甘いな』
ユニは黙って服をおろすと、ライガの鼻面を殴りつける。
脇腹に激痛が走り、ユニは小さな悲鳴をあげた。
「いててて、バカ言ってないで!」
『脇の下に見事な青アザができてるな。本当になんでこうなったんだ?』
「あー、あんたたちはオークに飛びかかってて気づかなかったのね……。
ほら、こいつが当たったのよ」
ユニが顎で指した先にはオークの棍棒が転がっていた。
ハヤトがオークの腕に噛みつき、それを振り払おうと腕を振り回した時に、オークの手から棍棒がすっぽ抜けたのだ。
それが運悪くユニの身体に当たり、彼女は数メートルふっとばされた。
一瞬激しい衝撃とともに呼吸が止まり、そのまま窒息するかと思えた。
意識が遠くなりかけた時に突然肺が復活し、「ヒューヒュー」という苦しげな音を立てて新鮮な空気が喉を通る。
同時に脇腹から激痛の信号が脳に送られ、そのままユニは気絶してしまったのだった。
ユニは顔をしかめたままどうにか立ち上がり、倒れているオークの死体のもとへ歩み寄った。
振動が脇腹へ響くが歩行に問題はなさそうだ。
オークはこれまで相手をしてきた〝はぐれ〟と変わりなさそうだった。
持ち帰る耳を切り取ったあと、ナガサで腹を裂き、胃の内容物を確かめる。
胃は空っぽだったが紫色に染まっていて、昨日食っていたコハゼ以外、大したものは食べていないようだった。
ユニは背嚢から油紙を取り出してオークの耳を丁寧に包んでしまい込んだ。
「とにかく、わずか三日で任務完了。
みんなに怪我がなくてよかったわ」
『バカ! 肝心のお前が怪我をしてどうする』
「これは不幸な事故よ。
あたしは一つも、まったく、どこも、完全に、悪くないわ。
ああ、もちろん、あたしを守れなかったあなたの責任も追及しないわよ~」
痛いところを突かれたライガは沈黙する。まったくこの娘はだんだん扱いづらくなる。
「幸い村には薬師のマリサさんがいるから、湿布薬を調合してもらえるわね」
ユニはあくまで前向きだ。
『お前だって魔導院で本草学を学んだんじゃないのか?』
「きっとその時間は寝てたんだと思うわ」
本草学とは本来〝博物学〟のことだが、実際には漢方薬学だと言ってよかった。
薬草を中心として、一部の昆虫や動物をも対象とした生薬の知識を学ぶもので、敵地での単独活動も想定される召喚士には必須の学問である。
そうは言っても薬師ほどの専門性はなく、あくまで基礎的なものだ。
ちなみに薬師と医師の違いは外科的な処置ができるかどうかの差であるが、実際には、骨接ぎや傷口を縫うといった外科的処置まで行う薬師は多く、「若い医者より年寄り薬師」という〝ことわざ〟は、辺境の常識とされていた。
ユニたちはイネ村に戻ることにした。
オークを倒した場所は、結局村からは十キロメートルほどしか離れていなかったので、ゆっくり歩いても三時間ほどだ。
ユニは一人で歩けると主張したがライガは許さなかった。
仕方なく彼の背に乗っていくことになったが、正直ありがたかった。
やはり動くと脇腹に痛みを感じるのだ。
ユニは胸を抑えている下着をはずし、少しでも呼吸を楽にする。
『俺から言わせれば、そんなものの必要性が理解できんな』
それを横目で見ていたライガが感想を洩らす。
「胸が揺れると走れたもんじゃないから仕方ないのよ」
『ほう、揺れるほどの胸があるとは初耳だな』
鼻面まで手が届かないので、ユニはライガの横腹を踵で思い切り蹴ってやる。
ライガはユニに負担をかけないよう、ゆっくりと歩を進めた。
それでも人間が歩くよりはずいぶんと速い。
二時間もしないうちにイネ村が視界に入ってきた。
そろそろ入口が近づいてきたところで、ヨミとジェシカ・シェンカの姉妹が出迎えにきた。
『ユニ姉だいじょうぶー?』
『〝痛いのとんでけ〟するー?』
二頭は口々に心配してライガの周囲をぐるぐると回る。
ユニは笑顔で「大丈夫」という顔をして、ヨミに尋ねる。
「母さん、村の周囲に変わったところはなかった?」
ヨミはちょっと顔を曇らせて答える。
『それが……あの娘たちが変なものを見つけたのよ』
「変なもの?」
姉妹はその場でピョンピョンと跳び上がり、早口で訴える。
『オークいっぱい見つけたー』
『でも骨なのー』
『がいこつー』
『おこつー』
「オークの骨? どこで見つけたの?」
『崖の下ー』
『下りるの大変だったー』
ヨミが補足する。
『村から少し離れた森の高台に沼があるのよ。
ほら、この村の人間たちが水路を作って村まで水を引き込んでいるでしょう。
その水源。その先にかなり深い裂け目みたいなのがあって、その底にオークの骨が散らばっていたの』
ユニは少し考え込む。
「それ、ちょっと見たいわね。
村に入る前に確認しておきたいわ。母さん、案内してくれる?」
『あたしも案内するー!』
『するのー』
「わかったわ、あなたたちもお願いね」
姉妹はぴょこぴょこ跳ねながら先に立つ。ユニたちはその後に続く。
イネ村の人たちが「堰」と呼ぶ水路は、沼から数キロメートルにわたって掘られ、村の飲料水と農業用水として利用されている。
沼の底からはかなりの量の湧き水が噴き出していて、以前は小川となって流れ出していたが、堰が完成するのと同時に設けられた水門が下げられ、現在は涸れ川となっている。
沼は直径が七メートルほど、水深は深いところで三メートル。
水は澄んでいてそのまま飲むことができた。
そこから二百メートルほどの坂を登ると〝裂け目〟が現れる。
幅は五メートルほど、長さは三十メートルほどだ。
上から覗き込むとかなりの深さがある。二十メートルはあるだろうか。
ヨミが説明する。
『この辺でオークの臭いがするのよ。
本当に微かなものだから、結構古い臭いだと思うわ。
だから底まで下りてみたのよ』
「これ、どうやって下りるの?」
『見つけるのに苦労したわ。ついてきてちょうだい』
ヨミと姉妹は裂け目から引き返すと坂を下りていく。
沼の手前まで戻ると方向を変え、森の奥へと向かう。
しばらく進むと少し急な下り坂となり、藪をかき分けて進むと洞窟が現れた。
穴はライガの巨体でも通れそうな広さがある。
『この穴が裂け目の下まで続いているのよ。
大丈夫、危険はなかったわ』
ヨミを先頭にして一行は洞窟に入る。
明かりがなく、真っ暗だがオオカミたちは気にする風もなく進む。
それほど距離は長くなく、五分ほどで明かりが見え、外に出た。
そこは裂け目の底で、幅は裂け目の幅と同じく五メートルほど。
つまり崖は垂直に切り立っていることになる。
しばらく進むと姉妹がいう〝骨〟があった。
それは異様な光景だった。
同じ所に積み重なるようにしてオークの骨が小山を作っていた。
周囲には腐敗臭が染みついた空気が澱のようになって溜まっていた。
吐き気を催すような臭気は、岩壁に、地面に、空気に、ありとあらゆるものを汚染して漂っている。
相当古そうで茶褐色に変色しているものから、比較的新しく真っ白な骨まであった。
周囲に散らばっている頭蓋骨や骨の破片もあったが、小動物に食い荒らされたもののようだった。
一体どのくらいのオーク死体を集めればこうなるのか、少なくとも二十体分はありそうだった。
「どう思う?」
ユニはライガの背に乗ったまま尋ねる。
『まず間違いなく上から落ちた結果だな。
一番新しい骨で一、二年前。古い奴は十年以上経っているかもしれない』
「オークを裂け目の前まで連れてきて、同じ場所から突き落としたって言うの?
しかも十年以上かけて、これだけの数を?
誰がそんな真似をするのよ……。
母さん、この辺で幻獣の気配はなかったの?」
『そんな感じはなかったわ。オーク以外の臭いもなかったし』
どういうことなのだろう。
今回の事件と関わりがあるのだろうか。
もう少しでパズルのピースがぴったりはまりそうだという予感がするのだが、何かが足りない気がしてもどかしい。
ユニはしばらく考え込んでいたが、やがてオオカミたちに村へ戻ることを告げる。
いつの間にか夕暮れが迫っていたのだ。