二 護衛依頼
辺境の拠点村落であるカイラ村。
三月に入って三週間、春の陽射しは日に日に暖かさを増していく。
美味い料理と冷えたビールで近隣に名高い「氷室亭」の〝いつもの席〟で、ユニはマリウスと向かい合っていた。
彼は元帝国軍の魔導中尉で、今は王国に亡命の身である。
「南の隊商路にオークが出たんですよ」
マリウスはにこにこしながら言った。
「ごっごっごっごっごっ……」
ユニは運ばれてきた冷えたビールの入った陶器のビアマグを掴むと、半分近くを一気に飲み干す。
「ぶはーーーっ! それで?
それってハラル海の東端を通る街道でしょう。
あそこに隣接する森林地帯には昔からオークが棲んでいて、時々隊商が襲われるって聞いたことがあるわ。
今さら珍しいことでもないでしょう」
「ハラル海」とは海ではなく、王国南部と南方諸国の間に横たわる岩石砂漠地帯のことだ。
その南北の幅は二百キロ前後に及び、王国にとっては一種の防壁の役目を果たしている。
「それがですね、確かにこれまでも年に数回オークの襲撃はあったんですが、今回は様子が違うそうなんです」
マリウスはちびちびとビアマグに口をつけながら語る。
その口調に緊迫感はなく、まるで近所の噂話でもしているようだった。
「何が違うのよ?」
「まず、オークが単独ではなく、数頭の群れで襲ってきたこと。
そして、一度だけではなく、二度、三度と襲撃してきたことです。
これは今までにないことで、護衛の傭兵も追い払うのに苦労したみたいですね」
「ふ~ん」
気の乗らないユニに、マリウスはぐっと身を乗り出す。
「隊商としては後顧の憂いを除くために、襲撃してきたオークを追い払うだけでなく、追跡して殲滅したい。
そこで、辺境一のオーク狩りの名手と言われるユニさんの登場となるわけです!」
「あ~にが〝なるわけです!〟よ。
どーせまた、アリストア先輩が余計な〝推薦〟を出したんでしょ?」
マリウスはちょっと驚いた顔をした。
「へー、よくわかりますね。
実は、隊商は王都で警衛隊に相談したらしいんですけど、それがアリストア様に回されたみたいですね。
どうもオークがらみの案件は、自動的にそうなっているみたいですよ。
それでアリストア様が、『これはユニに行かせろ。ついでにお前も付いていけ』って」
「ごっごっごっごっごっ……」
ユニは残りのビールを残らず飲み干す。
「ダンッ!」
ビアマグをテーブルに叩きつけると、マリウスを下から睨め上げる。
「何であんたが一緒なのよ?」
ドスの効いたユニの声だが、マリウスは動じない。
「んー、多分いろいろ都合がいいからじゃないですか?」
「どういうことよ?」
「実は僕、来年度から魔導院の魔法研究所で教官になるみたいなんですよ」
「来年度って、来年の一月から?
それまでは何しているの?」
「〝経過観察〟だそうです。
半年前まで帝国軍にいた僕を、さすがにすぐ王都の中枢に入れるわけにはいかないそうですよ。
それで、来年までは様子を見るそうです」
「そりゃそうでしょうね。それで?」
「僕は居場所や行動をすべて報告しなくちゃいけません。
それはユニさんだって同じでしょ?
ユニさんと行動を共にすれば、軍としては手間が省けますからね」
「ごんっ」
鈍い音がした。
ユニがテーブルに頭を打ちつけた音だ。
テーブルに突っ伏したまま、ユニは片手を高く上げる。
すぐに給仕が駆けつけてきた。
「ビールお代わり。それと鶏の炭火焼き」
そのままの姿勢で注文を伝えると、給仕は愛想のいい笑いを浮かべ「毎度」と言って戻っていく。
この程度のこと、この呑兵衛のお客さんには珍しくもないことだ。
「あたしの行動報告義務、まだ解けないの……?」
「僕は来年までですけどね。
ユニさんはもう、ずっとじゃないですか?
アリストア様がいつでも呼び出せるように」
若い男はにこにことして残酷なことを言う。
ユニはぐすぐすと鼻をすすりながら、彼を睨んだ。
「それで、あんたは付いてきて何をすんのよ?
オーク退治でもするつもり?」
「まさか。
でも、僕の防御魔法は知ってるでしょう。
ユニさんが危ない時は、完璧に守って見せますよ。
アリストア様が同行するようにって言ったのも、そのためだと思いますけどね」
「南から付いてきた護衛の傭兵はそのままだそうですから、オークが出たらそこから別行動になってもいいみたいです。
証拠の耳と報告書をレリンの町に届ければ、成功報酬が渡される手筈になってるようですね」
ユニはがばっと身を起こした。
すかさず空いたテーブルの上に給仕が、手慣れた動作でビアマグと一皿料理を置く。
ユニはまだ熱々の鶏肉を齧りとり、冷たいビールで流し込む。
「どうせ嫌だって言っても、アリストア先輩が許してくれるわけないものね。
いいわ、行く!
報酬はいいんだしね。
四月一日出発なら、一週間後に赤城市に着いてりゃ十分間に合うわ……。
あれ?」
「どうしました?」
ユニは不思議な顔をしている。
「ねえ、あんた王都をいつ出てきたの?」
「十八日ですけど。それが何か?」
「――ってことは、今頃隊商は帝国に向かっている途中でしょう?
四月までに戻って来れるわけないじゃん!」
今度はマリウスがきょとんとする。
「何を言ってるんですか。
年末の戦いでウエマクが大隧道を潰しちゃったでしょう。
どうやって隊商が帝都まで行くんですか?
今年は黒城市まで行ったら、白城市経由で引き返すそうです。
大損害だって、商人たちがぼやいてましたよ」
* *
この時代、物流の主役が船であることはすでに述べた。
大量輸送を可能にする船舶に比べ、牛馬やラクダで荷を運搬する隊商は圧倒的に効率が悪い。
それなのに、商人たちが陸路を選択するにはそれなりの理由がある。
海運の場合、船は難破するものだとされていた。
航海技術も造船技術も天候予想も未熟で、風と人力に頼った船では、一定の確率で難船することが避けられないのである。
それでも、長距離を大量輸送できる海上輸送の優位は圧倒的であった。
一定のロスは必要悪のようなものだった。
ところが、商品の中には「運悪く海に沈みました」では済まないものもある。
高価な美術品、装飾品、骨董品、貴重な薬種など、代替えの効かない品々だ。
そうした希少な商品は必然的に量も少ない。
十分陸路での輸送が可能であった。
輸送コストは相当にかさむが、それを上回る莫大な利益が上げられるのである。
そのため、隊商を襲う野盗の類は引きも切らない。
当然、隊商は護衛の傭兵団を率いてこれに対抗したので、襲撃が成功することは稀であった。
傭兵は戦闘のプロではあるが、それはあくまで人間相手の話だった。
オークの集団に襲われても、撃退することは可能であったが、それなりの被害も蒙る。
しかも二度、三度と襲撃が繰り返されるのではたまったものではない。
直衛の傭兵団とは別に、オーク討伐用の傭兵を雇ったとしても、彼らには追跡する手立てがない。
隊商の商人たちが、日常的にオークと戦っている辺境の二級召喚士に目を付けたのは、必然と言える。
そして、逃亡したオークを捜索して狩ることにかけては、ユニの右に出る者はいない。
アリストアがユニを推薦したのは当然で、そこには(珍しく)何の他意もなかったのである。
むしろ、彼女の安全を図るためマリウスに同行を命じるなど、厚意すら感じられた。
* *
「赤城市までは三日もあれば着くわね。
じゃあ、出発は二十五日ってことにしましょう。
丸三日あるけど、それまであんたどうするの?」
ユニは脂まみれの手で鶏の骨を掴み、肉を歯でこそげ取りながら、そっけなく訊いた。
『この女はもう少しお淑やかにしていれば、モテるんだろうけどなぁ……』
内心の思いを気取られぬようにマリウスが答える。
「そうですねぇ……。旅の支度は一日あれば十分ですし――。
そうだ、一度オオカミたちの狩りの様子を見せてもらえませんか?」
「あんた、黒城市の郊外で見たことあるでしょう」
「いや、あれは真似事でしょ?
そうじゃなくて実際の狩りですよ。
同行してあなたを守る以上、そういうのもちゃんと体験しておきたいんです」
「いいけど……そう都合よくオークなんて出てこないわよ。
普通の獲物狩りでいいなら連れてってあげるけど」
そう答えるユニの口の端には、意地の悪い笑みが浮かんでいた。
* *
「のわぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー!」
マリウスの素っ頓狂な叫び声が森に木霊する。
『おい、ユニ!
この小僧うるさいぞ、何とかしろ!』
マリウスを背に乗せたライガが、矢のように茂みを駆け抜け、振り向きざまに怒鳴る。
そのすぐ後を疾走するハヤトに乗ったユニも大声で怒鳴り返す。
「マリウス!
あんた、口閉じないと舌を噛むわよ!」
ライガの背にへっぴり腰でしがみついているマリウスは、返事をするどころではない。
氷室亭で打ち合わせをした三日後、彼はユニのオオカミたちが獲物を狩る現場に同行していた。
オオカミたちがシカを見つけたので、マリウスをライガに乗せ彼の望む〝体験〟をさせてあげたのだ。
オオカミは獲物を追って、信じがたいスピードで森の中を駆けまわり、急停止、急ターン、ジャンプに落下を繰り返す。
そのたびに慣れないマリウスは振り落とされないように、それこそ死ぬ思いでライガにしがみついていた。
冗談ではなく、もの凄い速度で走るオオカミから落下したら、それこそ命を落としかねないのだ。
別にオオカミたちが意地悪をしているわけではない。
必死で逃げるシカが、突然急ターンしたり崖を駆け上がったりするので、追うオオカミたちもそれに合わせているだけなのだ。
実を言えば、実際には狩りにおいてユニがオオカミに騎乗することはない。
そんなことをしてもユニにできることはないし、オオカミの負担になるだけだからだ。
オーク狩りではあらかじめオオカミたちと打ち合わせ、彼女は獲物を追い込む予定の場所で待ち構え、囮となるのがいつもの手である。
もしマリウスが振り落とされたら、地面に激突する前にライガが彼の身体を咥えて助ける手筈となっていたし、ライガなりに手加減して走っていたのである。
散々マリウスに大自然のジェットコースターを満喫させておいて、オオカミたちはシカを追い詰めた。
逃げ場を失ったシカは絶望的な抵抗を示し、角を振りかざしてオオカミたちに向かってきた。
鋭く尖った角を、ライガは間一髪でかわす。
サービスとしてマリウスの革のコートを角で掠めさせ、見事に引き裂いてみせる。
ライガに身をかわされたシカに、横からトキが飛びかかり、喉笛に喰らいついてどうと倒す。
たちまちほかのオオカミたちが殺到し、あっという間に哀れなシカは絶命した。
ライガの背から滑り落ちるように落下したマリウスは、泡を吹いたまま仰向けになってぴくりともしない。
ユニを乗せたハヤトがゆっくりと近づく。
「おーい、生きてるか~?
どうよ、狩りを体験した気分は?
でもあんた、結局ライガの背から落ちなかったわね。
なかなか見所あるわよぉ」
仰向けに転がったままのマリウスは力なく笑った。
「そ、……それはありがとうございます。
僕、ベッドでじゃじゃ馬を乗りこなすのは得意ですからね……へへへ」
「……ふ~ん。
喉乾いたでしょ、水でも飲みなさい」
ユニは冷やかな目で彼を見下ろし、腰に下げていた水筒(羊の胃袋製)を放り投げた。
「ドスッ!」
狙いは外れず、鈍い音とともに水袋がマリウスの鳩尾を直撃する。
――まこと、口は災いのもとである。