一 王の墳墓
その通路は石の回廊とでも言うべきものであった。
床も、壁も、天井も、正確な長方形に切り出された石で組まれている。
一定間隔ごとに壁の一部が抜かれており、かなり遠くの方から外の光が入ってくるので、昼なら明かりを必要としない。
そこを八人の人間がとぼとぼと歩いている。
もう歩き続けて丸二日が経っている。
この遺跡に入った時、彼らは十二人いた。
差し引きは四人。
アイシャは年増だが、乳のデカい、いい女だった。
何の気なしに触れた壁に塗られた毒で、全身が紫色に膨れ上がり、苦悶のうちに死んだ。
信心深いバハシュは祈りの時間を決して忘れなかった。
突然足元の床が崩れ、尖った杭が剣山のように植えられた落とし穴に転落して串刺しになった。
肌の黒いサーリムは、とても迷信深かった。
少し凹んだ床を踏んだばかりに、天井から落下した岩石で、カエルのように押し潰された。
お調子者のカリーファは、いつも好色な目でアイシャを盗み見ていた。
壁画に極彩色で描かれた踊り子の股間にあいた穴を覗いた途端、飛び出してきた矢に眼球から脳までを射抜かれた。
太古の遺跡にありがちな罠が、ここには何でも揃っていた。
だが、彼らとてそれなりの用意をして探索に臨んでいる。
先頭を行く小柄な盗賊、カーレットは罠外しのベテランだった。
それに続く、眼鏡をかけた若い男、ファイサルは手製の地図を持っている。
彼こそはサラーム教国家に点在するあまたの古文書を読み解き、ついにこの遺跡の内部構造を解き明かした考古学者だ。
彼の地図がなければ、千年にわたって盗掘者を退けてきた、この複雑な迷路を突破することなど不可能だった。
そして、この一行を率いるリーダーは、この遺跡の場所を発見した男、ムバラックだ。
古代王朝に君臨した七人の偉大な王。
その中で、唯一見つかっていなかったのがソレマーン王の墳墓であり、古文書によってその存在が確実視されながら、その位置が不明のままだった。
ルカ大公国との国境に聳えるアルカンド山脈にあるらしいことまではわかっていたが、未だに発見した者がいなかったのだ。
いや、もしかしたら見つけた者がいたのかもしれない。
ただ、その者が遺跡から生きて出られなかっただけの話だ。
腕のいい薬師であるヤスミンが、頭目のムバラックに話しかける。
「ねえ、もうこの遺跡に入ったんだからさぁ、いいかげんどうやってここを見つけたのか、教えておくれよ」
ムバラックはじろりと女の横顔を睨む。
周囲の仲間たちが耳をそばだてているのは見なくてもわかる。
「ふん……まぁ、いいか。
空から見たのさ」
「空から? どういう意味だい」
ヤスミンには頭目が何を言っているのか理解できない。
「そのまんまさ。
この遺跡は下から見上げても、ましてや近くに寄ったらなおさらだが、山肌と一体化していて遺跡だなんて絶対に気づかない。
山をくり抜いて作ったわけじゃない。
墳墓が築かれた時から、外壁が巧妙にカモフラージュされていたんだろうな。
――ところが上空から見るとわかるんだよ。
山の中に巨大な五角形――そうだ、偉大な予言者の聖なるシンボルのペンタゴンの形があることがな。
あまりに大きすぎて、上から見ないと気づかないのさ」
ヤスミンを始めとする一行は、ぽかんとしている。
「ちょいとお待ちよ。
聖なる五角形のことはわかった。
それじゃ何かい、お頭は魔法の絨毯にでも乗って空を飛んだとでも言うのかい?」
ムバラックは鼻で笑った。
「それじゃ俺がお伽話の主人公みたいじゃねえか。
――いや、だが案外似たようなものかもしれねえな」
いったん言葉を切った頭目の声が一段低くなる。
「〝鷹の目〟って術を聞いたことがあるか?
術をかけた相手の目と、空を飛ぶ鷹の目を取り換える――いや、違うな。
空の鷹が見ている視界を共有するって言えばいいのか。
そんな術をかけられる呪術師がいるんだよ」
「一体誰なんだい? その呪術師って」
薬師の問いに頭目は嘲笑う。
「バーカ、それを教えるわけがあるか。
知りたきゃ自分で捜せ。
ま、そいつの噂を掴むだけで大金が必要だろうがな」
* *
話をしながら歩いていくうちに、一行は回廊の行き止まりに達した。
丸一日以上、数十の分岐を経ながらぐるぐると渦のように廻り続けた終着点だった。
すかさず罠外しのカーレットが壁に張りつく。
指先で壁を撫でさするように調べていくうちに、何かを見つけたのだろう。
腰から薄刃の短剣を抜いて、石の隙間に差し込んだ。
慎重に短剣を動かしていくと、何かに引っかかったらしく「カチッ」という微かな音がした。
それと同時にいきなり壁が消え失せる。床下に落ちたのだ。
その跡には下へと降りていく階段が暗闇の中に消えている。
カーレットは黴臭い冷気があがってくる穴倉を覗き込み、後ろを振り返った。
「罠はないようだ。行けるぞ」
一行は火を点した松明を手に、次々と穴の中へと消えて行った。
* *
彼らはついに古代の王が眠る小さな部屋に到達した。
中央に巨大な石棺が安置され、それ以外に何もない石造りの墓室だった。
重い蓋を数人がかりでずらすと、中には金糸で織った豪勢な衣装を身に纏った骸骨が横たわっている。
伝説の王も死んでしまえばただの骨だ。
彼らはそんなものには用がない。
肝心なのは、王の周りにぎっしりと詰め込まれた副葬品の数々だった。
ありとあらゆる宝石、金銀の細工物、見事な陶磁器、華麗な装飾を施された宝剣、盾、鎧……。
彼らがかざす松明の明かりをキラキラと反射して、目が痛くなるようだった。
そこには考えられる地上の富のすべてがあった。
探索者たちは思わず嘆声を漏らし、そして歓声をあげた。
「こりゃあすげぇ! とても一度じゃ持って帰れないぞ!」
そして互いに顔を探るように見合わせ、自分がどれだけ分け前にあずかれるのかを計算し始めた。
そんな手下たちを見下すような目で見ていた頭目のムバラックが口を開く。
「これは何度か通うことになるだろうな。
人を雇えば楽ではあるが、お前たちも余計な揉め事は起こしたくないだろう?」
彼はニヤリと笑う。
遺跡を発見し、お宝を手に入れたと人に知られたら、どんな危険が身に降りかかるか、馬鹿でもわかることだ。
一同は黙ってうなずく。
「とりあえず、今日のところは自分で持てるだけのものを持ち帰ろう。
これから籤を作る。それで順番を決めて、一つずつ好きなお宝を取れ。
何周してもかまわんが、お宝は自分の荷物に入れて背負ってみろ。
これ以上荷物に入らない、あるいは持てそうにないと思った奴は申告しろ。
そいつと同じ個数を取ったらお終いだ。
いいな」
大男のラシードが不満を洩らした。
「それじゃ女のヤスミンが真っ先に重さで音を上げるだろう。
俺はヤスミンの倍は持てる。不公平じゃないか?」
頭目は事もなげに答える。
「だったら、おめぇがヤスミンの荷物を持ってやれ。そうすりゃその分お宝が余計に持てるだろう?」
公平な提案だったので、誰もがうなずく。
「ただし、俺はその籤に参加しない。
その代わり、最初に一つだけお宝をいただく。
悪くない提案だと思うが、どうだ?」
皆は顔を見合わせる。確かに最初のお宝は頭目のものとなるが、後は自分たちが何度も選ぶことができる。
有利な提案だが、どうにも引っかかる。
そこでラシードが再び異議を唱えた。
「そりゃあ、別に構わねぇけどよ。
先にお頭がどんなお宝を選ぶのか、そいつを見てからでもいいかい?
仲間たちが一斉にうなずく。
ムバラックは苦笑した。
「疑い深い奴らだな……。
まぁいい、俺が取りたいのはこいつだ」
彼はそう言うと、骸骨の頭の横に埋もれている宝石を取り出して見せた。
それは鶏卵ほどの大きさのターコイズだった。
あざやかなスカイブルーの宝玉一面に蜘蛛巣のような模様が走っていて、一目で上物とわかる。
それに金細工の蛇が幾重にも巻きついたものだった。
「それで……いいんですかい?」
ラシードがぽかんとした顔で訊く。
確かにターコイズも高価な宝石だが、副葬品の中にはもっと値の張りそうなお宝がいくらでもあったからだ。
「――ああ」
ムバラックは短く答える。
手下たちは再び顔を見合わせ、納得したようにうなずいた。
「じゃあ、お頭。籤を作ってくれ」
* *
彼らのお宝選びにはずいぶんと時間がかかった。
今日持ち帰れる分は限られている。他人より少しでもいいものをと、選ぶのに慎重になるのは人情だ。
ムバラックはそんな手下たちを冷ややかな目で見ながら、荷物から大きめの水筒を出して口に運んでいた。
やがて長かった宝選びが終わり、石棺の蓋は再び閉じられた。
手下たちは重い荷物を背負いながら、三々五々頭目のもとへ集まってくる。
目ざといカーレットがムバラックから漂う匂いにいち早く気づいた。
「何でぇお頭。そいつは葡萄酒じゃないか!
そんなもん持ってきていたのかよ。
そういや喉がカラカラだ。おいらにも一杯奢ってくれよ」
罠に神経を削り、緊張で唾液も出ないような状態で歩きまわったのだ。
彼らとて水筒は持っていたが、その中はただのぬるい水だった。
ムバラックは嫌そうな顔をして、物欲しそうにしている手下どもを見回した。
「ちっ、仕方ねぇな。
これはあらかた飲んじまった。
ほれ、こっちも入ってるぞ」
そう言って、荷物からもう一つの水筒を取って放り投げた。
カーレットは歓声をあげてそれをキャッチする。
彼は仲間たちがわれ先に差し出すカップに、順番に注いでいく。
乾杯をするまで待つ者などいない。
それぞれが勝手に口をつける。
「あれ? この葡萄酒、冷たいよ」
ヤスミンが驚いた声をあげる。
確かにカップに注がれた赤い液体はよく冷えている。
「ああ、その水筒には呪術師の婆さんにまじないをかけてもらっててな。
中のものの温度がある程度保たれるようになってるんだ。
葡萄酒を入れた時に、凍る寸前まで冷やしておいたからな」
「へぇ~、呪術師のまじないってのは便利なもんなんだね。
北の帝国には魔導士ってのがいて、魔法を使うって聞くけど、こんな感じなのかねぇ」
手下たちは冷たい葡萄酒に喜び、それぞれが三杯ずつ飲んで水筒を空っぽにしてしまった。
ムバラックは返された空の水筒を振ってみて、いまいましそうに舌打ちをした。
そして「よっこらしょ」と言いながら立ち上がり、ぱんぱんと腰の埃を払う。
「もう休憩は十分だろう。
そろそろ戻るぞ」
そう手下たちに声をかけた。
――しかし、誰からも返事が返ってこない。
ムバラックは小さく溜め息をついた。
「そうか、まだ休み足りんのか……。
なら、好きなだけ休むがいい」
彼はそう言い残し、墓室を後にした。
墓室の床には七人の手下たちが、思い思いの格好で横たわっている。
彼らの口はだらしなく開き、舌がだらんとはみ出している。
その舌は紫色に変色し、鼻と口からはどす黒い血が流れ出ていた。




