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人と話をするの、得意ですか?

作者: 片桐ゆーな

 最近ちょっと、コミュニケーション系でイベントがあったので、考えてみることにしました。

 振り返りというか、なんというか。

 いまでこそ、私はぎりぎり接客業をしていますが。


 そもそも今でも「社会恐怖症」だったりするわけで。

 ええ、もう、キバっとしてる仮面ライダーさんの中の人もかかっていた、この世アレルギーまっしぐらでございます。

 仕事したくない、というよりは「家からでたくねぇ」です。まあ、最近はネットでの交流も、人と話をすることもできるっちゃできるのですが。


 人とがっつり話をするときは、気分を落ち着かせる白い錠剤が必須!

 っていう感じです。それとて、いろいろな強制と矯正の上なのですが。

 よく、接客業とかやってるよね、私、としみじみ思います。

 だって、「どもり」「きょどり」「だんまり」の三重苦でっせ?

 むろん、山下画伯クラスのどもりはないのだけれど。

 まあ、こんなでもなんとかなるのだから、なんとかなるんじゃね? というような感じもしないでもないです。


 で、学生期どうだったんだろう? とふと思ったんです。

 結論をいえば「まじやべぇ」なんですけどね。

 そもそも、人との交流が怖い。さらに言えば「自己主張をするのが怖い」時期がありました。

 まじ、「社交的な人は神!」です。逆にとある理由で哀れにも思いますけどね。


 私は昔から人見知りをする方でした。

 それはもう、知らない人がいると隠れるくらいな!

 おぉ、幼女隠れる的な! 今こうやって単語にすると、やばいな! 可愛いな! 私は可愛くなかったがな!(自己肯定感は低いのだぜ!)


 そして小・中は、ほぼ「やれと言われたことだけやる自動人形生活」だったので、正直自分から「これがしたい、あれがしたい」みたいなのはなく、とりあえず勉強しとけ、くらいな感じで「ああ、今日はいくつの嫌なことがあるんだろうか」と、鬱屈した毎日を過ごしていたものです。ただ、いいつけを守る良い子だったので、それはもう教師や親からのウケは抜群に良かったです。はいはい、優等生ってやつですよ。


 まあ、そこで妄想なりをし出すようになって、そこから小説書きになっていくわけなのだけれども。

 TSっ娘かわえぇなぁー! みたいな感じで!


 友達との会話は、基本受け身でした。

 こちらから話す内容が「ない」ので。

 思えば、給食の献立に一喜一憂もしなかった気がする。

 食事作法を教える特別室の掃除をしたときは、あぁ違う部屋もあるんだなぁと、ちょっとテンションあがりましたが。

 それについて、クラスメイトと言葉を交わしたかは、実際覚えていない。

 でもま、小学生の頃はそこまで何かがあったわけでもなかったように思う。

「意味のある会話」はできる方だったので、学級会で「シャーペンは認められるべきか論争」なんてのにも、一応参加はした記憶があるのだけど。


 うん。「コミュニケーションにおける意味のない会話」ってのが私はことさら苦手だったわけです。

 いまもだけどね!


 中学になっても受け身なのは相変わらずでして。

 その結果、「会話の起点となる、自分が伝えたい、嬉しいこと、楽しいこと」が全力で蓋をされたのだな、と分析します。


 というか、私は当時からがちオタだったので、普通に漫画やアニメ大好きっこだったのですが、周りは芸能界がーとか、歌がー、とかそっちにシフトしてしまって、アニメなんて子供の見る物じゃん、みたいな風潮になっておいででした。


 となると、まじで話すことないのな!

 伝達事項と、勉強でわからないところ教えるのと、くらい。

 好きな芸能人とかおらんし! え、どこの誰かっこいくね? とか? いや、わしゃー恋愛感情中学でなかったし、初恋的なものもないぞ? 敢えて言えば兄らぶだったくらいだ!

 うお、ブラコンかよ!? とか言われそうだったけど、さすがです、お兄様って言っちゃうよ?

 あ、あとはあれな! 中学生男子の足は細くて綺麗! これ! 足フェチだな! あれ、これ駄目な中学生じゃなイカ?

 今はさすがに見てないよ! 半ズボンオタクとかでもないよ! 危ないからっ!

 ただ、男の娘の生足とかは、きれいやなー! とテンションあがります。

 中学時代は、「んなこといったら」絶対回りからはぶられると思っていたけれど。


 そんなわけで、話すネタがまったくなく、中学時代は軽くいじめにもあっておりました。

 現代みたいな過酷なのではなく、特定の個人に目をつけられただけ、なので特別なにがあったわけでもないですが。


 まあ、「話すネタがない」と基本、話しかけるのって難しいのな、という感じです。

 そして話しかけ方も上達せず、という感じで。


 それはある程度今もそうで、人と会話をしてても基本的には「聞き役」に回ります。

 三人で話すとかの状態になると、「二人と一人」という感じになります。

 話に割ってはいるタイミングもつかめないし、呼吸も合わない。

 必然的に、相づちを打つだけになります。

 社内の宴会とかは割とひどいっすよ。席の場所が真ん中だったりすると、「4+1+4」みたいなことになるから。まじで。下手すると聞き役に回るわけでもなく酒飲んでおしまいです。

 滅多にないからいいんですけれどね。


 それで、ピンポイントで話を整理したり、相手が望むような事を言えば株が上がるので、それはそれで悪くはないのですが。

 楽しいかって言われたら、まあ、うん。

 内容によるなぁ。(とほほ)



 とはいえ、ずっと話が合わない人の集団(コミュ)にいたかっていうと、そうでもないです。

 高校では、オタがほどよくそろっていたので、オタ話で盛り上がり、そもそも昼の放送がアニソン流れまくるという、「ちょ、おまえさんなにやってくれてんの」みたいな状態で、ほんとオタオタしい毎日でした。

 そんな中では「昨日のあれは」という話題で盛り上がったものだし、TS小説話を見せたりしながら、それはもう楽しかったものです。

 え、高校でTS話とかやるなって? いや、だって、面白かったしー。


 その対比を見て思うのは「ようは話すネタがないと聞き役になるしかない」し、「自己表現もうまくはならないよね」っていうことなのでした。

 小説とかエッセイとかバンバン書いてるなら、自己表現もできるだろうが、っていうのは……うん。

 まあ。高校に入って「自由にやっても大丈夫」って思えるようになってからかなぁ。

 伝えたい、共有したいっていう思いがあって、それから「話す」ことを覚えて、話術が上達するのだと思うし。どれだけそれを繰り返して上達させたか、というのもコミュ力の上昇というのはあるのだと思うのです。


 だから、人に伝えたいことがない、関わり合いになりたくない、と思ってると、そもそも「技術」も上がらないっていうわけで。

 まあでも、「学生時代のコミュ」なんて、ほぼ出会い運でしかなくて。自分に合うかどうかは運否天賦ですよ。

 文化系の人が、ほぼ体育会系のクラスに入れられたら毎日地獄じゃないかな?

 そこから飛び出すには勇気もいるし、最近は学校行かなくて良いよ的な風潮にはなっていても、「だからといってどこいくの?」というような感じもあるような感じで。(でも、コミュが変われば付き合いも変わるもんかなぁ)

 


 あとは、上述したけど、私は圧倒的に世界というものが昔から怖くて。

 外よりも、おうちかえるー派です。


 人は、「石橋をたたいて、大丈夫ってことを理解しない」と「怖い」のだと思います。

 そしてたぶんそれが私は強くて、石橋をがんがんたたいて、それでも渡れなかったりする感じで。

 

 で、じゃあ、どうして今渡ってるのか、っていったら答えは簡単「橋が壊れて溺れてもいいや」と思いながら生活をしているから、ですね。我が身はすでに覚悟完了です。

 いやぁ、我ながら危うい生き方だとは思うんです。

 基本、周りの物をほとんど信じていないのですが、「だまされても良いから、全肯定」するという生き方を選びました。

 いつくらいだろ。二十歳くらいからだろうか。

 

 もう「どうにでもな~れ~」の精神です。

 だって、怖いもんは怖いんだもん。


 そこは三つ子の魂的なもので、仕方ないのだと思う。

 というか、少子化なのに最近のベビーカーの遭遇率が高いのは、おそらく「なるべく小さいうちにたくさんの刺激を与えた方がいい」から、なのだろうと思います。

 まあ、若いママさんたちがたんに外に出て遊びたいから、というのもあるかもしれませんけれど。


 三歳までに刺激を与えておくと、その後刺激に強い子になるのだそうな。

 あとは自己肯定感、とかポジティブシンキング的なあれとか。


 とはいえ、今から三歳まで戻れるわけでもないし、過去にメールを送れるわけでもないので。

 今の性格自体は、もうどうしようもないわけですよ。

 だって、怖いもんは怖いんだもん。


 と、まあそんなわけで、自分から人に話しかけるのが苦手なのは今でもあまり変わりません。

 いわゆる「人好きのするタイプ」は「一突き」してやりたいくらいに、私は人の輪に入るのがうまくありません。

 だから、反動で愛され系小説書いちゃうんですけれどね!


 もはや、「話すの大好き!」「自己主張大好き!」な性格にはどうあがいたってなれないわけです。


 でも世の中って割と「きちんと話せないのはダメ」みたいな風な話があったりして。

 んで、それができないと「空気読めないやつ」とかいうレッテルはるのですよ。

 大人になってそれかい、みたいな感じの。


 なんていうのかな。日本って「身動き取れなくなっちゃってる人」に冷たい国で、原則自分の足で前に進まないとどうしようもないところがあるんですよね。

 恐れずに頑張れよ! おまえならできる! みたいな声かけをする人もいますけどね。

 でも、少なくとも私は学生期に「コミュニケーションの取り方」について学んだことはなかった。


 うん。なかったなぁ。

 でも、こんな性格をしていても、「技術だけ」なんとかしてればやっていけるっていうのは、大人になってからわかった感じです。

 ほぼぎりぎりですが。張りぼてだろうが、会話が成立する。

 どうして中学とかで教えてくれないんだろう? って思っちゃいますわ。


 ようはノンバーバルコミュニケーションっていう、アレです。

 人と話をするときは、「表情、仕草など、言語以外の部分のほうが重要だよ!」みたいな話。

 「聞く体制」ができてない相手に話しかけるのは論外だし、こちらに注目させるためには仕草と印象っていうのが必須になります。

 また、適切に「相づちを打つ」というのも会話の上で重要です。

 

 いわゆる女子高生がやる「へぇ~そうなんだー」「まじやばくね」「それあたしもスキー」みたいなのでしょうか。

 聞いてますよ、というサインをしっかり出すことは、話し手に話させる上で、重要なものです。

 特に一対一の会話は、聞いてますよアピールはとても有効なのです。

 逆に、なんの反応もしないと、話している相手は、この人ほんときいてんの? ってなるわけです。

 特に女性相手の場合は、「共感」を欲する生き物なので、あいづちはとても重要です。


 ちなみに社会人的には「そうなんですね~」とか「あ、そうなんですか。なら~」みたいにつなげます。

 ビジネス用語ですね。

 上級者は、さらに相手の身体を観察して、べた褒めしたりとかしたり、「見てますよ! あなたに興味があります!」みたいなアプローチをしたりもするのですが、私はコレを見るとげんなりする派です。

 いや、自分でできないからってのもあるんだけど、わしゃー、人に自分を見られたくない派なんじゃーー! ってな具合で。 

 髪型変えたのを見つけてもらいたい女心というやつが、私にはこれっぽっちもないので、「いけてる」「なうでやんぐ」な人達のようには生活ができません。



 いや、ネットだと言語だけじゃん! って言われそうなのだけれども。

 まあ、そういうコミュニケーションの基礎というか、ルールというか、作法みたいなものが世の中にはあって。

 それを知ってるか知らないかでは、相手の心証が全然違うっていうお話です。


 一昔前にネチケットという言葉が、泡沫(うたかた)のように浮かんでは消えたのだけれど、そこから逸脱すると眉をひそめられるわけです。


 私も厳密に守れているか、といわれればそうでもないし。

 私自身の感情が「おかしい」のは自覚しているので、やらかしたこともあります。


 そういう失敗体験も含めて、最低限これだけはというところを上げると。


「挨拶はする」

「返事はする」

「丁寧に書く」

「読み返してから登録する(誤字脱字的な意味合いでも)」

「感情的になったら、いったんクールダウン」

「誕生日やおめでたい日は、ちゃんとおめでたい」


 最後の一行は、私が原則自分の誕生日をおめでたく思っていないから起きてしまった事故で。

 (だって、生きてるの苦しいとか、社会怖いとかいってんだよ? 誕生日を祝える心境ではないのさ)

 他人の誕生日はきちんとお祝いしなきゃなんないんだな。と。

 一般常識には習わなければならないのだな、と。ちょっとやらかしちゃったことから、学びました。


 まあ、そんなところです。いや、しっとるし! ってみんなから言われそうだけれども!


 こういうのって、どうやって覚えるものなんですかね?

 身近な大人数人に「コミュニケーションで気をつけてること」とかを聞いてみる、とかですか?

 いや、でも、大抵の人は自然にできていることだろうし、意識もしないから、むしろ意識的に考える人はあまりいないのかもしれません。

 

 えええ、成長段階でコミュニケーションをとる上で、自然に切磋琢磨して覚えるんですか?

 いや、だって最初躓いちゃったらその後、どんどん躓いちゃうじゃん。

 もっとこー、それを解決するようなHOW TO的な物ってないものですかね?


 相手の気持ちを考えてー、とかっていうのは、まあ。これができるんだったら、技術なんざいらん、と思います。

 そこがずれてる人達が、常識から乖離して、普通ではないって落胤をおされてしまうのだもの。


 たぶん「理解すべき」なのは相手の気持ち、ではなく「常識的な感覚」というやつなのだろうと思う。

 このシチュエーションなら「こう思ってしかるべし」というのを共有することで人は円滑にコミュニケーションを取っているんじゃないかなぁと。こんな風に思ってしまうのはがっかりなのだけど。

 なぜならば、「こう思う」がずれてしまっている私としては、大幅な矯正をしなければならないから。

 

 無意識に「自分の考えをベースに」「相手もそう思うだろう」と感じられる人は幸せだと思う。

「自分と他人は違って当たり前」だという前提での生活は、どうしても一歩が踏み出せず、そしてワンテンポ遅れる。


 性格だから仕方がないとは思うのだけど。

 だから、私はやっぱり「人とのコミュニケーションをするため」に、技術なりのアシスト無しでは、この世に太刀打ちはできないのだろうと思う。

 

 そして、だからこそ。

 あっさりそれができちゃう、なろう小説にはまってしまうのだろうな、とも思う。

 やはり自分の考えをベースに好き勝手できるのは、とっても楽ちんだから。

 主人公が悩み混まないでどんどん進んでいく話は、多少チートだろうが大好きです。


 まあでも実際はその「大衆の意見っぽいの」を押さえていきつつ、探りながら話をしていくことになるのだろうなぁと思っちまうわけです。

 さて。また一週間が始まります。

 

 あれ。おかしいな。なんとかなるって話を書こうとしたのに、なんかこう、なんともなってない感が!

 あれ。いや。でも。

 苦しいけどなんとかなる、のと、苦しいけどなんともならない、だったら、前者の方がましかな。

 どうでしょうか?

 

 ええと。コミュニケーション能力を高める方法とか、あったら是非に!

 みなさま! エッセイなどを書いていただけると、嬉しく思う次第でございます。

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― 新着の感想 ―
[一言] わたしも中学高校の時は社会恐怖症っていうか対人恐怖症っていうかコミュ障っていうか陰キャっていうか、すごーくヤバいくらい病んでた時期があって・・・・。当時はお部屋の中に閉じ籠って一日中お布団に…
[良い点] 自分と同じだーって所とここは違うなって所があって興味深かったです 自分の場合は人にそれなりに好かれていたのに喋れなくなっちゃった感じでした 人見知りして無言でニコニコしてたら、ぽけっとし…
[一言] なんか、すごく共感というか……。 私もこどものころからアニメ漫画大好きコミュ障で会社の飲み会でも基本ぽっつりだなぁなんて思いながら読みました。
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