祭
祭
「お父さん、もうすぐ時間」
しおりに言われ、時計を見ると23時50分を指していた。アルバムを見始めてすでに2時間が経っていたのだ。自分の横で笑う妻の写真には何度も胸を締め付けられる。
しおりと共に港に出ると、すでに多くの島人が集まっていた。道路沿いには屋台が出され、あちこちで笑い声が起きている。皆毎年の行事を楽しみに来ているのだ。昔馴染みの人も他の島から来た人も、笑顔に満ちている。
目の前の明るい光景が、自分のいるところとはまるで別世界のように感じた。
出島にはすでに黒の帆を纏った「愛芽丸」が海に向かって面していた。
「お母さん」
しおりが声をかけると、船は2人に気づいたようだった。
「2人とも、あっちに行かなくていいの」
「あんなの、いつもやってるじゃない。それに最期くらいそばにいたいのよ」
「お別れみたいなこと言わないで」
「だって…」
愛芽丸はすでに誇りと土にまみれていたが、その全てが愛おしかった。船体にあるいくつもの傷は、ひとつひとつが何によってできたものか思い出せる。結婚と同時に購入し、毎朝出航しては共に日の出を見て来た。
「お父さん」
声をかけられたことに気づき、そっと船体に手を添えた。
「苦労をかけたな」
「こちらこそ。あまり無理しちゃダメよ。しおりも大人なんだし、少しは体のことも考えて」
「…わかってるさ」
自然と胸に手を当てた。癌を宣告されたのは2年前だが、余命宣告されていた時期よりも長生きをしている。自分はこの船に生かされてきたのだ。
しかし、その船も今日は出てしまう。
島の小さな鐘がなった。人々がこちらの方に歩いてくる。
やめろ、来るんじゃない。
彼女は渡さないぞ。まだ生きてるんだ。
7月1日の0時、この島では百火祭が行われる。漁港の守護として選ばれ1年間黒の帆を張られた船が、その役目を終え火葬される日だ。
島長の指示により、船のロープが解かれた。
「出してあげなさい」
そうして松明を渡された。周囲の視線の中で私は船をじっと見つめた。隣でしおりが泣いているのがわかった。
船に松明を投げた。他の島人も次々と松明を投げる。隣でしおりのひくつく声がする。
漆黒の帆に次々と炎がもえうつる。
私は力いっぱいに船を押し出した。
操縦士のいない船は、月明かりに向かってゆっくり、まっすぐと進んでいく。水面に映る炎は月明かりよりも美しかった。
妻の愛が亡くなったのは10年前だ。皮肉にも私と同じ癌だった。
亡くなった直後、結婚してすぐに購入した船に愛がいると、当時まだ5歳だってしおりがはしゃいだ。しばらくは信じられなかったが、それは間違いなく愛だった。本人がいたわけでも、亡霊がいたわけでもない。脳に囁くように彼女は私たちに語りかけ、見守り続けたのだ。
ゆらめく炎がまだ見えているはずが、もう自分には何も見えなかった。何も見ることができなかった。真っ黒になった手で眉間を抑えると、たちまち顔も黒くなった。それでも誰にも気づかれないだろう。こうしている間にも、君が私の煤を洗い流してくれるのだから。
百火祭