第10話 カ・ナン王国宰相のとある一日 その6
「閣下、黒豆茶をご用意しました」
この日も遅くまで明かりが灯っているのを見て、執事が黒豆茶を用意してくれた。
「すまない。気を使わせてしまって」
「いえいえ。これも務めですから」
前宰相ワジーレも夜遅くまで仕事を持ち込む事が多々あったので、彼らも対応することには慣れているという。
だが、自分が起きているという事はその時間は彼らは皆、起きていなければならないということでもある。
「だけどやれることはやらないと……」
自分の行動がカ・ナンの未来に繋がっているので、やれる事をやりきらなければならないと、ソウタは考えていた。
淹れてもらった黒豆茶には何も入っていないブラックなもので、頭が少し覚めてくる。
「この国は識字率は高い方だから、紙の生産も向上させたいな……」
カ・ナンでは識字率の向上が図られた先主、エリの親の頃から製紙技術の開発が続けられていた。
現代の技術を導入するのではなく、日本古来からの和紙の製法を参考にした方向で進められ、カ・ナンの山間部で容易に採取可能な低木の樹皮を原料にした紙が生産されていた。
質も上々なものが生産されているが、如何せん高価である。
そのため子供たちの文字の練習には各々に水に濡れると変色する樹木の板を、ノート用にはおおよそB5版サイズに切られた裏地が灰色になる樹皮が用いられている。
なお、現代の地球では木材チップからパルプ紙を製造するのが主流だ。
カ・ナンは木材資源は豊富なので、導入が可能であれば将来の役に立つのだが、木材を粉砕してチップにしたり、蒸解・漂白の過程で薬品を使用しなければならないなど、複数の分野に渡る大規模な工業施設が必要になるのだ。
「そういえば教育、あの二人はちゃんとしていたんだよな」
ふいに思い起こすのは、この屋敷の家政婦の年若い姉妹の事。
姉がファルル、妹がフィロロで、姉が17歳、妹が14歳だという。
今でも十分愛らしいが、このまま成長すれば二人とも評判の美人になるだろう。
この屋敷に住む事になった二日目に、二人の事が気になったので、夕食後に自室に呼んだのだ。
若い主人に夜中に呼び出されたので、家政婦長から言い含められていたのか、二人ともできるだけ身奇麗にして、ガチガチに緊張しながら、恐る恐る入室してきた。
「ああ、そんなに緊張する必要は無いよ。俺の国だと君たちぐらいの子が住み込みで働いていたのって、随分と大昔の事だったから……」
二人はソウタから夜伽を命じられるのを覚悟して来たようだったが、ソウタには全くそのつもりはなく、単に二人の身の上話が聞きたかったので呼んだのだっだ。
ソウタが持っていた小袋入りのチョコレートを与えると、二人ともその甘さに感動している様子。
緊張が解けたところで、姉のファルルが語ってくれた。
二人はある村の村長の三男の娘として生まれたという。
だがこの国で流行った病が原因で、二人が幼いうちに両親が亡くなり、そのまま祖父の家で育てられてきた。
だが、四年間の義務教育が終わると、ほどなく花嫁修業も兼ねて、家政婦として働きに出されたのだという。
「私たちは身元がはっきりしているので、身分が高いお方のお屋敷勤めに出されたので幸せな方です」
二人の場合、身元がしっかりしていた上に村長の孫娘だという事で、王都の有力者向けの家政婦として口利き屋に登録されていた。
そしてタイミングが合致していたので宰相宅の家政婦として雇ってもらえたのだ。
これが貧しい家に生まれた娘の場合は、家政婦として雇われるならまだしも、遊女として売られてしまう事もまだ珍しくないというのだ。
さらに家政婦として雇われても、主人たちとの身分差は圧倒的に大きいので、酷い仕打ちを受けても抵抗ができない上に早々と辞める事もできない。
その上、主人やその家族の手篭めにされた上に捨てられる事も周辺国では珍しくないという。
「大丈夫。俺は絶対にそんな事はしないから、その心配はしなくていいよ」
『ありがとうございます!』
特に姉のファルルは感涙するほど感謝していた。
「家政婦友達の中では、私たちは幸運な方です。でももっとお勉強したかったな……」
妹のフィロロが思わず本音を漏らしてしまったので窘める姉のファルル。だがソウタは黙って頷くとこう告げた。
「俺は飛び回らなきゃいけないから、あまりこの屋敷には居ないと思う。だからそんなに忙しくはないはずだ。だから空いた時間を見つけて勉強すればいい。エリ女王も国民全員が読み書きと計算ができるようにしたいって言ってたからな。宰相の俺は率先しないと」
翌日ソウタは古書店から尋常学校の教科書と師範学校の初等書を購入すると、使用人たちに時間があるときに勉強するよう勧めた。
「読み書きできるに越した事はないからね。時間ができたら皆も勉強してくれ」
屋敷に居るもの全員に電池式のLED懐中電灯かランタンを渡し、夜間の明かりとするよう指導した。
夜警に当たる衛兵や男の使用人たちは雨天でも消えない明かりだと大いに喜び、ルルとロロは夜に勉強ができると喜んだ。
勉強については家政婦長はあまり気乗りしていなかったが、ソウタ自らが改めて説得し、姉妹は夜に時間を作って励んでいるという。
「言い出した俺が負けるわけにはいかないからな……」
冗談半分でエリが直々にカ・ナンの文字の読み書きをテストしてやろうかと言われたが、そのときは全力で拒否した。
だが、ゴ・ズマが攻めてくるまでには、自力で読み書きできないとマズいとも思う。
そんな訳で勉強もしているが、やがて時刻が日付を越えそうになったので、照明を落として床に就いた。
明日も王宮に出仕。そして明後日には国内視察が控えているのだ。
「どこまで届くかな……」
自分の行動で国が一つ、見る見る変貌していく。その様子を見るのはワクワクするし、次に何をしようかと励みにもなる。
だがそれは、ヒトミとエリが世界帝国に立ち向かって打ち勝つ為の足掻きでもある。
足掻きが届かなければ、この国が、そして二人が無残に潰されてしまうのだ。
「とにかく全力で掛からないと……」
ソウタは悲観と楽観を抱えながら、ゆっくりと眠りの底に沈んでいった。




