初めての魔法
「ハァ、ハァ」
エイダは森の中を全力で走っていた。
彼女は村近くの森で薬草採取していたところ、運悪く複数の虫と遭遇した。大きさは中型犬程の肉食の蜘蛛が3匹。大人なら撃退は可能かもしれないが、まだ9歳の少女には無理であった。採取中の薬草も放り出して逃げたが、虫は飢えていたのか執拗に追いかけてきた。
エイダは転びながらも、必死で逃げた。シルクのような肌はいくつもの引っ掻き傷ができ、綺麗な長い金髪も泥まみれになった。ある程度距離を稼いだところで息が続かなくなり、膝から崩れ落ちた。
「お母さん、お父さん」
涙ながら呟いた。「薬草採取、一人で本当に大丈夫なの?」と両親が心配していたのを「大丈夫、私強くなってるもん」と軽く流した自分を悔いていた。
「死にたくない」
エイダには夢があった。
戦士の父、魔導師の母のように、自分も冒険者になる。物心ついた時から、その思いは変わらなかった。訓練してと頼んだ時も、両親は丁寧に教えてくれた。一生懸命勉強し、訓練を続けた。少しは強くなったと自負していたが、生死を前にして恐怖しか感じなかった。
冒険者になりたかった自分が、こんな普通の森で、魔物でもない唯の虫に殺されるかもしれない。ただそれだけが悔しかった。
「誰かそこにいるのか?」
静かな森の奥に男性の声がこだました。エイダは辺りを見回したが、誰もいない。
「こっちだ」
声がした方向に目を凝らすと、木の根元に古びた本が半分埋まっていた。母親が持っている魔導書に似ている。
「もしかして魔導書さん?」
エイダは恐る恐る聞いてみた。
「うむ、そうだ」
エイダは目をパチクリした。喋る魔導書などお伽話でしか聞いたことがない。母が寝かしつける時によく話してくれた、英雄ヴェクトールと魔導書グリモワール。
今自分の危機的状態も忘れ、魔導書に近寄り、手を伸ばし持ち上げる。
長年雨風にさらされていたとは思えないほど魔導書は綺麗だった。がっしりとした革製の表紙に綺麗な宝石が装飾されて、これぞ魔導書という感じだ。ただ、いくつかの装飾の宝石が割れ、中身のページが一枚しかなかった。
「先程『死にたくない』と言っていたが、何かあったのか?」
エイダは急に現実に引き戻された。
「そうだ私、虫に追われて‥」
言い終わる前に背後から物音が聞こえ、エイダは反射的に木の後ろに隠れた。魔導書に気を取られている間に、稼いだ距離は無くなっていた。
(もしかして虫達は匂いで追ってる?)
エイダは絶望に震えた。
(だとしたら隠れても、いずれ見つかってしまう)
エイダはうな垂れた。ふと顔の前にある魔導書のページに、文字が次々と浮かび上がるのに気が付いた。
『私と契約すれば、君に魔法を授けられる』
『私の魔法があれば、虫共を退治するなど造作もない』
『どうする?』
「契約する」
エイダは即断した。両親には甘い話には裏があると言い聞かされていた。契約など軽々しくするものではない。だが『どんな酷い事が起きよう』と死ぬよりはマシだ。
『ページに触れてくれ。マスター登録をする』
エイダは祈る思いで、ページに手を置いた。
『登録完了』
エイダは少し拍子抜けした。魔法陣が出たり、光が溢れたり、お伽話のようなカッコ良い何かを期待してたのだ。
「じゃあ、早速魔法で‥」
「マスター、本当に済まない」
魔導書がエイダの言葉を遮った。
「マスターの魔法量では初歩の攻撃魔法も唱えられない」
「えっ?」
「とにかく今はこの場を離脱する事を提案する」
「えっ?」
「思い切って契約したのに、さっきと変わらないじゃない〜!」
エイダは泣き叫びながら、逃亡を再開した。
「fireは最低でもMP4必要だから、MP3ではちょっと無理だな」
「どうするのよ〜。魔法でチョチョイのチョイじゃなかったの!?」
エイダは走りながら、魔導書に恨みがましく言った
「しばらく走ってくれ。代案を考える」
虫は相変わらず追ってくる。少しは休んだとは言えスタミナが全回復するわけもなく、数分でエイダは走れなくなった。
「ハァハァ。も、もう、無理」
限界まで走り、エイダはフラフラと止まった。森を抜け、河原の近くまで来ていた。
「マスター、投擲はできるか?」
「とうてき?」
「手で物を投げる事だ」
「できる。お父さんに教えてもらった」
「良し。この計画で行こう。ここら辺に投げられる石はあるか?」
エイダが辺りを見回すと、河原特有の丸い石がゴロゴロしていた。
「ある。沢山ある」
「良し。それを投げて虫に殲滅する」
「えっ、えっ?」
「それで駄目なら、川に飛び込め」
虫はそこまで迫っていた。距離は約20m。後ろは川、下流には確か滝があったような。エイダはヤケクソ気味に、拳大の石を一つ掴んだ。
「よし、それを投げてみろ」
エイダは虫の一匹に向けて、石を全力で投げた。投げた瞬間、石に小さな魔法陣が展開した。そして石は恐ろしい程『加速』した。風を切り裂き、石は虫の頭上を越え、地面に一回バウンドし森に消えていった。森から木の破壊音が聞こえてくる。
「当たったか?」
「駄目。狙いが上に行った」
「今度は重力の影響を考えずに、直線的に投げろ。『真っ直ぐ』にだ」
「わかった」
石を拾い、虫に向かって一直線に投げた。
魔法陣が展開した瞬間グンッと加速し、石は虫の硬い攻殻を物ともせず虫を粉砕した。
「あ、当たった」
「あと何匹だ?」
「二匹」
「MPは充分足りる。健闘を祈る」
「ん」
エイダは残る二匹も軽々と粉砕した。二匹の虫は仲間が殺されたのを物ともせずに近づいてきたが。エイダは冷静に1匹ずつ片付けていった。粉々になった虫の残骸を見ながら、彼女はその場に座り込んだ。もう身体を動かす気力もない。
「生きてる」
頬には涙が流れた。エイダは父に「石を投げるなんてカッコ悪い。剣や槍を教えて」と困らせた。「何があるか分からない。武器がない場合もある」と諭され、嫌々ながら訓練した。けどそのお陰で、今日は生き延びた。
「うぇ〜ん、お父さん…お母さん…」
エイダは堰を切ったように泣き出した。
「コッホン。あ〜、え、エイダ。よく頑張ったな」
「あ、ありがどう」
魔導書を抱きしめ、エイダは一層泣きじゃくった。泣き止むまで魔導書は「頑張った」「偉かった」と彼女を励まし続けてくれた。