そして世界はこれからも
はっと目が覚めたとき、初めに見えたのは天井だった。
見紛うはずもない、自室の天井だ。
次に感覚していくのは四肢。肌に触れるのは慣れたシーツと布団。自分のベッドだ。
自分のベッドに寝ている。
目覚める前、眠る前のことを思い出そうとするが、どうにもぼんやりとして遠い。何やら高いところから落ちたような気もするが、こうして五体満足にいることを考えると、落下する夢でも見たのだろう。
つまり、
「夢オチだ」
「ダウト」
「ですよねー」
わかってはいたのだが、お約束は大事だろう。もう物語の序盤でもないわけだし。
ベッドの傍らに座り、半目ですげなく切って捨てたのは、今回は真柴ではなく秋東だった。ゆっくりと上体を起こして見回すと、秋東の隣にセネカが座っていた。
こういう状況でまず訊くことといえば、決まっている。
「俺、どれくらい寝てたの?」
「丸一週間よ」
そんなに寝ていたのか、と思わず驚いてはみたものの、しかしどうしてだったのかを思い出せないためにいまいち現実味がない。
「……えーっと」
説明をしてもらいたそうな目で秋東を見ると、その意を汲んでくれたのか盛大にため息をつきはしたものの、口を開いてくれた。
「あんた、何も覚えてないの? よくよく思い出してみなさいよ」
「あー……」
必死で記憶を探る。夢でなかったというのなら、ここまでの全ては現実のはずだ。確か協会の日本支部に乗り込んで真柴と面会し、協会の代表と敵対し、その果てで、
「世界を変えた――んだよな」
そのはずだ。それを吉野が想像し、セネカが創造したはずだ。見たところ何も変わっていないが。吉野の自信なさげな視線を受けて、ええ、と秋東は頷いた。
「それはそれとして、そのあとよ」
「そのあと?」
世界を変えたあと。……そういえば、その先が思い出せない。
「どう、なったんだっけ」
恐る恐る訊いてみると秋東は心底呆れたという風に吐息した。
「落ちたのよ。あんたは。あの高々度から、真っ逆さまに」
「え、落ちたの? ……何で?」
どうやら、あの落下の間隔は夢ではなく現実だったようで、戦っていたのは確かにかなりの上空だったからよく無事に生きているなと思うことしきりだが、しかしその原因に未だ心当たりがない。
本気で首を捻る吉野に、ますます果てしなく呆れを深めながら秋東は説明してくれる。
「あんた、自分がどんな世界に変えたのか、覚えてないの?」
「……えーっと」
それは、覚えている。まず手始めに、吉野はこんな風に変えたのだ。
「『世界は誰のものにもならない』、だ」
誰のものにもならない。
それはつまり、セネカを手に入れても世界は手に入らない、という意味だ。あまりにも漠然として捉えどころのない変化だが、
「誰もが聴いたわ。あの瞬間、自分の声とも、誰の声ともつかない声で、その言葉を聴いた。あの場にいた私たちだけじゃない、世界中の、それも錬金術とは何の関わりもない一般人まで、地球全人類が、それぞれの言語であの言葉を聴いた。とんでもないことをしてくれたものよ、世界中が軽いパニックになったわ。新興宗教が現れまくり――でももっと酷いのは、そんなことじゃない」
「……え、どんなこと?」
「あんた、魔法を変えたのよ」
言われてみてもピンと来ない。は? と首を傾げる吉野に、苛立ったように秋東は言う。
「だから、あんたは魔法を変えたの。魔法の『法』を変えたのよ! お陰で全員が魔法も魔術も使えなくなって、当のセネカちゃんまでがそうなっちゃったものだから、あんたもまとめて落っこちたのよ」
「あー……」
言われてみれば、ぼんやりとそんな記憶がある。
セネカの魔法が発動した瞬間、ハルカと、吉野を支えるセネカもろとも魔法の力を失い、真っ逆さまに落下したのだ。ジェットコースターの類が苦手な吉野はさっさと失神してしまっていたようだが、しかし。
「……それって、つまり」
『世界は誰のものにもならない』という、そんな世界とはつまり、『魔法の存在しない』世界ということだったのか?
そんな大それた想像を、吉野はしてしまったのだろうか……いや、待て。
「魔法が変わった、って言ったな」
吉野は、秋東に確認する。
「魔法がなくなったわけじゃない、んだな?」
魔法の存在しない世界、という想像は、創造は、失敗したということだ。
「ええ。初めはみんなそう考えたんだけど、真柴・鈴沙だけが冷静に、飄々と魔術を使ってあんたとセネカちゃん、ついでにあのハルカって子も掬い上げてたわ。『法』がズレただけだって言って。――本当に、得体の知れない女よね」
「ズレただけ……」
そう聞くと、随分小さな変化に思える。ならば、吉野の想像は、失敗していたということだろうか。想像力が足りなかった?
渋い顔になる吉野に、しかし秋東は大きく鼻を鳴らした。
「全く小さなことじゃないわよ。魔法というのは世界を構成する法則のひとつ。言うなればあんたは、物理法則を根本から変えたようなものなのよ。全世界が大混乱だったんだから。――それに」
「それに?」
吉野の促しに、今度は秋東が渋い顔になった。
「『とりあえずはよくやった』、だって。真柴・鈴沙からの伝言よ。意味、わかる?」
ん、と吉野は小さく頷いた。
魔法の『法』を変えた。成程それは吉野が思っていた以上に大きなことだったようだが、しかしそれ自体は、一見すると吉野が想像した『世界は誰のものにもならない』という創造とは関係がないように思える。それだけを考えると失敗ではある、が。
とりあえずはよくやった、と真柴がそう言ったのなら。
満点正解ではなくとも、及第点には届いたということか。
……それでもまだ、どういう風に上手くいったのかがピンと来ないが。
「あ……そういえば、その真柴さんは?」
真柴だけではない、あのあと協会がどうなったのか、状況がどのように収拾したのかも気になる。それに対して、秋東はなぜか渋い顔になった。
「こればかりは、さすがとしか言えないわ……あの状況で唯一魔術を行使できた真柴・鈴沙が、詭弁と脅迫で綺麗にまとめたの。言わば停戦よ。人形師や人形遣いが新たな『法』に慣れるまで、お互いに何も行動はできないんだから、しばらくは休戦としようって」
「それで……収まったのか」
「ええ。ジルヴェスターも割にあっさり同意したからね。『至高の三師』の決定なんだから、誰も逆らえないわよ。それからジルヴェスターとあのハルカとかいう人形はスイスに引き上げて、真柴・鈴沙はまた行方をくらませたわ。『一式』を探すとか、また頭のおかしいことを言っていたけれど」
秋東はどうしても真柴が嫌いらしい。そのことに苦笑しながらも、真柴の動向に少し首を傾げた。『一式を探す』とは……? しかし、詳しいことは秋東も知らないようだった。
「……あんた、これからどうするの?」
のそのそと膝上に移動してきたセネカを撫でる吉野に、秋東は気の抜けた顔で問う。
「どうって?」
「確かに、どうやらあんたとセネカちゃんの魔法で世界は『誰のものにもならなくなった』。でも、それでセネカちゃんがもう狙われないということにもならないわ。魔法の『法』を変えてすらみせたんだから、むしろ協会から狙われる理由は強くなった。今はほとんどの人形師たちが混乱しているけれど、遠からず適応して来るでしょう。実のところ、状況は今までと何も変わってないとすら言える。――どうするの」
どうするか。
「なあ、セネカ」
吉野に頭を撫でられるに任せている白髪の少女に、問う。
「俺は、どうすればいいと思う?」
「テッペーの思うようにすればいいと思う」
迷いなく、はっきりとセネカは答えた。
「テッペーが想うなら、私がそれを創るから」
ずっと、変わらず、揺るがない答え。そうだな、と吉野は笑った。
「俺は、錬金術がセネカで終わるわけじゃない、世界はもっと大きくて途方もないものだっていうことを、少しくらいは示せたと思うんだ」
考えながらの吉野の言葉に、そうかもね、と秋東は同意する。だから、
「もっと、考える」
「考える?」
「もっと想像するんだ。世界っていうのはどんなもので、どうなっていけるのか。正直、俺ひとりの手に収まるものでは、ないと思う。でも――俺が描けるのなら、俺はその世界を見てみたい」
はっきりと言ってみせた吉野の顔を秋東はしばらくの間半眼で見ていたが――やがて、深々とため息をついた。
「あんたなら、独りよがりで自分勝手にはしないって、そう思えてしまうのが不思議ね」
「……ん?」
「勝手にしなさい」
ふいって横へ顔を背けて、秋東はそう言った。
「あんたが暴走しない限りは、あんたを手伝ってあげてもいいわ。今はちょっと出てる向日も、適当に言いくるめて従わせる。――でも、忘れないでよね。私とあんたとはあくまでも停戦状態。ちょっとでも気に入らなかったらすぐに灰にしてやるんだから」
秋東の物言いは相変わらず攻撃的だったが、不思議と以前ほど棘はなかった。だから吉野は苦笑して、有り難う、と応じる。
そして、膝の上に移動してきたセネカの手を取った。
「俺はこれからも、もっとたくさん想像する。だから」
「私はこれからも、もっとたくさん創造する。テッペーと一緒に」
返る確かな応えに、ああ、と吉野は頷いて、笑った。
きゅ、と握る手に、力は返ってくる。
「これからも、よろしく」
「ん」
少年は想像し、少女が創造していく。
世界はこれからも、変わり続ける。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました!
またどこかで機会の御座いましたら、よろしくお願いします。




