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ワールド・セネカ  作者: FRIDAY
弐 天使を従えた少女
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その視線

 理由もわからず、ただ恐怖だけを確かに刻まれた吉野は、可憐な転入生に沸くクラスにあってただひとり、彼女を警戒していた。


 だが距離を置く吉野をよそに、秋東ときとうはすぐにクラスの、いや学年の人気者にまでなった。その端麗な容姿に加え、それを鼻にかけない人当たりの良さから、初めこそうとましそうであった女子陣からさえ人気を集めた。すぐに明らかになった秋東の学力や運動能力の高さも、彼女の地位を上げるのに一役買っていた。


 そして秋東は、吉野に対して何もしてこない。

 強いて絡んでくることはない。常に誰かに囲まれているから、吉野との接点が自然に生まれるということもまずなかった。初日のようにこちらへ視線を向けてくることもなく、お互いにただの一クラスメートとして日々が過ぎていく。


 それが数週間も続くと、さすがの吉野も警戒を解きつつあった。初日のあれは思い違いだったか。あの嗤いは見間違いだったようだ、と。


「可愛いよなあ、秋東さん」

 男女合同の体育の授業中も秋東の話題でもちきりだ。男子がハードル走、女子が反対側で百メートル走を行っており、走順外の男子らは皆、秋東の出番を今か今かと待っている。

 漠然と眺めていた吉野は、同意を求められて「はあ」と曖昧に頷く。初日の警戒心はかなり薄れてきているものの、しかしあの背筋も凍るような冷笑だけはどうしても忘れられない。それに、セネカのこともある。


 ――何かあったら、必ず呼んで。


 毎朝のように学校へ連れて行けと袖を掴み、三十分は説得する。最終的には何とかセネカが折れてくれるのだが、最後に必ずセネカは言うのだ。


 何かあったら必ず、自分を呼べと。


 呼んだところで、吉野の家にいるはずのセネカに聞こえようはずがないと思うのだが。初日は、帰宅したとき朝と全く同じ場所にセネカが立っていたのに仰天し、以来自分が外出している間は部屋にいるよう説得もしたし、部屋にいるのは確かなはずだ。


 しかし、日に日に説得に時間がかかり始めているのも事実。

 セネカには何か、懸念することでもあるのだろうか。

 相変わらず、真柴が戻って来る気配はなく、あれ以来電話も一切繋がらないし……。


「お、次、秋東さんが走るみたいだぞ」

 クラスメートの期待を含んだ声に、つられて吉野もそちらを見る。確かに、秋東が数人とともにスタートラインに立つところだった。声援を送る男子たちにもちゃんと愛想よく返しながら、構える。

 体育委員が、走者全員の静止を確認してから、号砲を撃つ。


 圧倒的だった。


 スタートダッシュから既に、秋東は群を抜いていた。あっと言う間に二番手以下を引き離すと、陸上部顔負けの速度でゴールする。しかも、まだまだ余力を残してさえいそうな余裕のある走りだった。

「すっげーな……やっぱ秋東さん凄いわ」

 口々に男子らが彼女を賞賛するが、吉野だけはどうしてもその輪に入れない。

 確かに、秋東の実力は疑いなく大したものだ。


 しかし、何かがわずかに引っかかる――初日の印象が引っ掛かっているのだろうか。

 あの冷笑は何だったのか……そう思いながらひとり、釈然としない気持ちで何となくゴール後の秋東を目で追っていると、ふと彼女がこちらを向いた。


 校庭の反対側にいるのだから、彼我には結構な距離があった。にもかかわらず、吉野ははっきりと明確に、秋東の視線を感じた。


 そして、見る。

 秋東が、笑った。

「――――!」


 ぞ、と背筋に冷水の流れる感覚を得る。

 それは、彼女がついぞ見せることなく、初日に吉野だけが見た、あの冷酷な笑みと同質のものだった。


 口端は鋭角に、眼光鋭く。

 獲物を捉えた餓狼がろうのような。


 一瞬、だったのだろう。吉野の他には誰も気が付いていない。はっとしたときには既に秋東は視線を切っており、近くにいた女子と談笑している。そこにはあの冷たさは欠片もない。

 だが、今度こそ、確かに吉野は見た。


 秋東・七星ななせは――何か、マズい。


 何がどうマズいのかはわからない。だが、吉野は警戒を新たにする。

 自分が何をしたのかはわからない。身に覚えは全くないのだ。けれど、さすがに二度も当てられれば吉野にもわかる。わかってしまう。


 秋東の視線に含まれるもの、あれは明確な敵意、そして殺意――


「――おい、吉野。大丈夫か?」

 気が付くと、眉根を寄せたクラスメートが顔を覗き込んできた。

「え、あ、ああ。何?」

「いや、お前の番が次の次だってさ。大丈夫か? 顔色すげー悪いけど」

 余程青い顔をしていたのだろう、気が付いた他数人も、保健室行くか? などと声をかけてくる。やはり誰も、秋東の視線には気が付いていないのだ。ということは、あれを向けられているのは疑いなく、吉野自身。

「いや、大丈夫――だ、けど」

 無理して笑みを作りながら、吉野は手を振る――そして、見た。

 そうか? などとまだ疑わしげなクラスメートの向こう。そちらには校舎がある。四階建ての校舎だ。そしてその屋上。逆光になっていてやや見にくいが――


 何か、いる。


 誰か、ではない。そもそも屋上は基本的に立ち入りを禁じられているから、まして授業中に誰かが進入できようはずもないのだが、しかしそれだけではない。

 人の形には見えるものの、あれはまるで、翼を背負っているかのような――


 しかし、吉野が目を凝らして数度瞬きをするうちに、その影は陽光に溶けるように消えてしまった。幻だったと言われても否定できないほどに、曖昧な数秒だった。


「おい、吉野?」

「悪い……俺、やっぱり保健室行くわ」


 額を押さえて、クラスメートに言う。それがいい、先生には言っておく、と背を押してくれる彼らに軽く礼を言って、吉野は授業を抜け出した。

 校舎へ向けて不自然のないよう歩いていく。その間にも、吉野は強い視線を感じていた。

 さりげなく、校舎に入る間際に肩越しに振り返る。

 遠く、個々人の判別は難しい。だが。


 吉野の背に強い視線を当てていたのは、やはり、秋東だったように思われた。


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