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ワールド・セネカ  作者: FRIDAY
壱 物語は校門からやって来る
1/51

まるで何かの続きのように非日常は始まっていく

 その日は、昨日と同じような何の変哲へんてつもない一日であるはずだった。


 とは言いながらも、日々と言うのは決して単一ではあり得ない。例え百年生きようとも、その三万六千五百日において一日として同じ日などはない。見方をほんのわずかに変えていけば、その全てが劇的なものであることだろう。毎日が変哲ありまくりだ。

 だから、「昨日と同じような何の変哲もない一日」、というのは言ってみれば、「物語として語られる程の物語にはならない一日」ということだ。


 続けて言う。彼――吉野よしの徹平てっぺいは、どこにでもいるような普通の高校生だった。


 しかしそうは言っても、「どこにでもいるような普通の高校生」というのは一体どんな高校生だというのか。人間というのは鬱陶うっとうしいほどに千花万色せんかばんしょく。似ている部分があったとしても、異なる部分の方が多いのだ。どんな誰を比べても。ならば、「どこにでもいるような」という形容も、「普通の」という説明も、描写として一切の意味を有さない。


 では、吉野・徹平とは一体誰だ。


 公立高校に通う二年生。十六歳。男子。B型。八月二〇日生まれ。身長百七十三センチ、体重五十四キロ。視力は右目が一・二、左目が一・0。体格は細身。癖毛気味の黒髪。日焼けはしていない。顔立ちは、同世代の異性に噂されない程度。人当りはいい方。学力、運動力ともに中の上。クラスは三組。席は窓際の最後列。部活動には所属していないため、残りふたつの授業消化後は速やかに帰宅し、先日購入したばかりのゲームに興じる予定。

 以上が淡々と列挙される彼であり、彼にとっての「何の変哲もない一日」だ。


 そしてもうすぐ、そんな彼の「日常」が終わる。


 現在五限目。時刻は十三時二十三分。科目は数学。彼にとっての苦手科目。だから注意力も散漫だった。

 成績上位者にはわかりやすいが下位者にはさっぱりわからないという評判の授業に、下位者であるがためにさっぱりついていけていない吉野は、ぼんやりと窓の外を眺めていた。授業開始時はせめて板書だけでも写し取ろうと動いていた手も今ではすっかり止まってしまい、ノートは半端な板書とわずかな落書き、それ以下は真っ白だ。

 頬杖をついて、窓の外を見やる。眼下は校庭だ。放課後にもなればサッカー部や野球部、陸上部がそれぞれに走り回る校庭も、この時間は誰もいない。体育の授業もないようで閑散としている。時折吹く風で砂埃が舞い上がる様子など、何だか世紀末だな、と彼に思わせるくらいだった。

 教師の説明を虚ろに聞き流しながら、これで犬の一匹でも入ってくれば面白いのにな、と考えていると、ふと校門の辺りで何かが動いたような気がした。とはいえ吉野がそちらに視線をやったのは、決して不審なものを見たからではない。視界の隅で何かが動けば、それが風に揺れる木の葉であっても反射的に視線を向けてしまうような、その程度のものだ。実際、そちらへ視線を向けながらも吉野は、どうせ学校周辺に住む老人か、営業周りの会社員か、その辺りだろうなどとうっすらと思っていたくらいだ。


「――ん?」


 しかしどうやら、そのどれもが違った。それどころか、全く予想だにしないものだった。

 とりあえず、犬ではない。遠目にも、それはどうやら人の形をしていた。目を凝らす。この暑い昼日中に足首まであるロングスカートで、足にからまないようすそを両手でわずかに持ち上げながら走っている。かなり走りにくそうだ。服装と、体格からも恐らく少女であろうと思われた。走って、校門から校内に入って来る。何と言うか、あまり余裕のなさそうな走りだ。何かから逃げている、かのような。近づいてくる。しかしながら、見えるようになってくるほど、それは暑苦しい服装だった。リボンやらフリルやら凝った装飾が至る所に施された上衣とロングスカート、ヘッドドレスまで身に着けていて、確かゴシック&ロリータとかいうファッションスタイルではなかったかとも思ったが、それにしては全身が真っ白だった。アクセントとしてところどころに縁取るように走る空色のラインが、その白さをより一層際立たせている。そう、よくよく確認してみると、風になびいている長髪までもが白かった。

「…………?」

 一体、何だろう。ドラマの撮影とか。まさか。吉野の他には誰も気が付いていないようで、授業は粛々しゅくしゅくと進んでいる。遠目には、少女はただ走っているだけなのだが、どうしても何かから逃げているように見えた。

 淡々と授業の進むこちら側と、誰もいない校庭を必死で走っているあちら側。全く、テレビ画面の向こう側を見ているかと言うほどに別世界だった。


 と。

 ついっと、少女の顎が上がった。視線も上がる。

 それはあまりに不意のことで、吉野が視線を逸らす暇はなかった。

 ばっちりと、視線が合う。


 ――――!


 うお、と吉野が身を引くも、遅い。この距離だ、視線が合ったというのは錯覚で、向こうからこちらを視認できようはずもないと思ったのだが、次の瞬間、くるっと少女は方向を変えた。完全にまっすぐにこちらへと駆けてくる。何だ、何なんだ一体。だが吉野がいるのは校舎の三階。物理的な距離もあって、そこまでの危機感は感じていなかった――と。


 もうひとつ、見えた。

 少女が走ってきた、校門。その向こう。

 ぬ、と。何かが出てきた。

 あれは何だ。

「……怪獣?」


 小さく、つぶやいた。だがそれにしか見えない。

 分厚い円盤のような胴から四方へ蟲のような脚が伸びている。そして、大きい。胴体らしき円盤は、吉野のいる校舎三階よりもさらにやや上方にあった。

 化け物だ。


 しかし、それだけの巨体であるにもかかわらず、吉野には直前までその姿が見えなかった――気が付かなかったというわけではない。そんなはずはない。寸前まで町の向こう側まで景色が見えていたはずだし、校庭にもこれだけ大きな影ができているのだ。視力や注意力の問題ではない。

 まるで、直前まで何か、不可視のベールにでも包まれていたかのように、それの出現は唐突だったのだ。

 そして、そいつから何かが、放たれた。安直だが、表現するなら、

「……ビーム砲」


 校庭が爆発した。

 轟音。


「う――うわああああああ!?」

 思わず絶叫して立ち上がってしまった。土煙がもうもうと立っているが、校庭に大きく開いたクレーターが透かし見えた。


 何なんだ一体。

 だが、爆撃音と自分の悲鳴の他には、何の音もしない。慌てて周りを見渡すと、

「――え?」


 え、と声をもらしたのは自分だったが、周囲の全員が、え、と言いたそうな顔をしていた。

 まるで、静粛な授業中に吉野がいきなり立ち上がって悲鳴を上げた、みたいな。


「おいおい吉野、どうしたんだ一体」

 教壇に立っていた数学教師が、呆れたように言う。え、いや、だって、と窓の外を見やると、その向こうには確かに、あの化け物が存在している。だが、ああ? とつられて窓の外を見た数学教師は、そのまま視線を吉野に戻した。何事もなかったかのように。

「何だ、居眠りして変な夢でも見たのか? 驚かすなよ。というか授業に集中しろ。吉野、成績危ないんだからな」

 茶化すような数学教師の言葉に、はは、とクラスメートが笑う。だが、当の吉野だけは全く笑えない。

 依然として、いるのだ。窓の向こうには。化け物が。怪獣が。


「あ、あれ、あれ、あれ」

 上手く口が回らないままに必死で校庭を指さす。あ? と教師含めクラス一同が吉野の指さした校庭へ視線を向けるが、数秒ですぐに戻って来て、

「何だ、何もないぞ。まだ夢見てるのか? いい加減に目ェ覚ませ――」


 ――見えてない?


 わけがわからない。これでは自分はただのハズカシイ奴だ。

 どういうことなんだ、と窓の外を見やる。


 また、ばっちりと目が合った。


 しかし今度は例の少女ではない。では誰とかと言えば、誰ではない。何、か。光の球だ。その巨体に比すれば小さいが、恐らく実寸は巨大であろう、紅く光る球。ひとつしかないそれは決して怪獣の目だと思えるものではなかったが、目が合ったような気がしたのだ。

 意思のある、何かと。

 そしてその紅光が、きらりと光った。

「――っ!」


 反射的に、悲鳴をも呑み込んで、吉野は全力で走り出した。机を蹴倒して、とにかくその場を離れようと、走る。クラスメートの驚きの声も、数学教師の制止も、聞こえない。

 確信があったわけではない。さっきだって、あのビーム砲がどこから放たれたのかを見たわけではない。

 ただの直感、というか生存本能か。

 それほどの猶予ゆうよはなかった。

 もう少しで教室を出られる、戸に手を掛けた瞬間、背後から爆発した。


 衝撃波。


 吉野の痩身そうしんは戸やら壁やらと一緒にまとめて向こう側へ吹っ飛んだ。暴力と、それに同じく翻弄ほんろうされる破片やらなにやらにもみくちゃにされ、訳も分からないまま天地も不明になり、気が付いたときには瓦礫がれきの中に埋もれていた。


「……う、ぐ」


 うめく。あちこちぶつけたらしく、全身が痛む。だが幸運なことに、手足は繋がっていてちゃんと動くし、瓦礫に挟まれているということも、身体のどこかに破片が刺さっているということもなかった。それどころか出血もかすり傷くらいのもので、もはやこれは奇跡だ。一生分の幸運を使い果たしたのではないか。


 とにかく起き上がる。あの化け物は何だ。他のクラスメートたちは。だが、それを確認するよりも早く、逃げなくては。下階に降りて、あの化け物の目に留まらない遠くへ――

「――ん?」


 妙だ。何かが妙だ。何が。そう――静か過ぎる。風の音しかしない。これだけの惨事だ。巻き込まれた生徒らの悲鳴やら、警報機やら、とにかくもそういう、何かしらの音がしてもおかしくないはずだ。音がなければおかしいはずだ。だが何の音もしない。だからこれは、おかしい。


「――――」

 息を呑んで、走り出す。瓦礫を避けて、くぐり、直感で砂煙を抜けると運よく階段があった。駆け下る。壁に巨大な亀裂などは走っているものの、すぐに崩れそうな気配はない。悠長なことはしていられないが――


「――くそっ」

 二階に降りたところで階段を離れ、直近の教室に突っ込んだ。余程の混乱が予想され、戸を開けた途端に蹴倒されることすら覚悟した。が、

「……え、誰も、いない?」


 教室は無人だった。この教室が偶然別の教室で授業をやっていたのかと隣の教室を、さらに隣の教室も覗いた。だが、誰ひとりとしてそこにはいなかった。

「これは、どういう――」


 呆然とつぶやく吉野の視界に、無人の教室の窓が映った。先の衝撃で大きく歪んだ窓からは当然、外が見える。そして外には当然、あの化け物がいて、そしてその脚らしき巨大物体がこちらへむけてゆっくりと――


「こっち」


 突然、誰かの声がするとともにぐっと腕を引かれた。思わず転びそうになった体勢を立て直しながら、何とかその誰かについてきびすを返して走る。十メートルほど廊下を走ったところで、背後から爆砕音と、衝撃波、瓦礫が飛来してきた。その勢いはすさまじく、一瞬で足が浮いた。背中から突き飛ばされるようにして宙を滑空する。道はまっすぐな廊下だ。だが先の衝撃で既に校舎の大部分が半壊し、瓦礫やら何やらが散乱している――咄嗟の判断で、吉野はともに吹っ飛んでいる誰かを身を丸めるようにして抱え込んだ。そのままごろごろと破片まみれの廊下を十メートル以上に渡り転がり続け、廊下の終わり、壁に思いきりぶつかってようやく止まった。


「ごっ、ふう……」


 転がる過程であちこちぶつけ、今度こそガラス片が至る所に刺さっているようで焼けるように痛く、おまけに口の中まで切ったようで血の味がする。ぶつかったときに衝撃で肺の中の空気が強引に吐き出され、勢いよく噎せた。

「……あ、が」


 だが、動けない吉野の腕の中で、動く者があった。もぞもぞと這い出してきたのは例の、先程ぎりぎりのところで吉野を連れ出した誰かだ。

 少女だった。それも、

「お前、さっきの……」


 装飾過多のブラウスとロングスカート、ヘッドドレス、そしてそれらと、腰まである長髪までもが雪のように白い――もっとも、派手に転がったせいで随分汚れていたが。

 しかしどうやら、見たところ怪我はない。

 すっきりと整った顔立ちにはまだ幼さが残っており、身の丈から考えてもせいぜい中学生くらいだろうか。作り物めいて見えるほど素材が端正なためか、豪奢な衣装にも負けていない。細く伸びた手足も相まって、黙って座っていればまるで人形のような少女である。

 しかし、それだけ印象的な容姿格好でありながら、どこか掴みどころのない雰囲気が不思議だった。


「――大丈夫?」

 吉野の顔前に膝をついて、銀瞳ぎんとうで吉野を覗き込む少女。だが、

 ……大丈夫じゃ、ないな。

 骨折こそしていないが、すぐに動ける痛みではない。呼吸もままならない吉野は、歯を食いしばり見上げるだけだ。すると何を思ったのか、少女はそっと吉野の肩に手を置いた。

 そして、何かをつぶやく。


「――『アイラの光』」


 少女が何を言って、何をしたのかはわからない――だが、とにかくもそこから、吉野の肩に置いた少女の手から、暖かな何かが流れ込んでくるような感覚があり、その何かとともに徐々に全身を覆う痛みも消えていった。呼吸も、落ち着いていく。

「……ぅ、あ……なに、を」

「これで、大丈夫」

 訊く、というより断定するように、少女は言った。それからやや強引な手つきで吉野の身を引き起こす。痛みは消えても、衝撃から覚めていない吉野は急な動きにやや面食らう。

「起きて」

「ちょ、待ってくれ。お前は誰だ。今何をした? あのでっかいのは一体何だ。今何が起こってて、」

「私を使って」

 少女は、そう言った。だが言っている意味が解らない。

「――は?」

 使って、とはこれいかに。ま、まさか、

「そんな――破廉恥な!」

「何を悶えているの……時間がない。私と契約して」


 校舎が激震した。

 吉野らのいる場所からは離れているらしく、いきなり壁が吹き飛んできたりはしないものの、ぱらぱらと天井などから漆喰しっくいが剥がれ落ちてくるし、ここも危険であることに変わりはない。少女の言う通り、時間はないのだろうが……だが、契約するとは一体何だ。魔法少女にでもなれというのか。

「お――俺は男だ!」

「何を言っているの」

 それはこちらの台詞だ。


 また揺れた。それも、今度は先程よりも近い。

「契約して」

「だから、契約って」


 揺れた。大きい。近い――そして間隔が短くなっている。

「契約って何なんだよ。わけわかんないことばっかりだ。あれも、お前も。他の人たちはどこに行ったんだよ、おい!」

「今は時間がない。説明は後でする。だから今は、仮でいいから――」

 少女は吉野の目をまっすぐに見据えて、繰り返す。

「私と契約して」

 直後、激震が再び校舎を襲った。しかも、

「うわっ――」

 思わず顔を腕で覆った。目の前の空間が横薙ぎに消え失せたのだ。だが、先のような衝撃波は襲ってこない。見ると、眼前には少女が立ちはだかっていた。両手を広げて、吉野を庇うように。


「お、お前――」

「私と契約して」


 少女はそれだけを繰り返す。吉野の目をまっすぐに見て。

 だが、その少女の背後に、ぬ、と巨大な影が現れた。あの化け物だ。あの紅光が何かを探すように彷徨さまよい――こちらを向いた。

「ひっ――」

 思わず吉野は息を呑んだ。だが少女は背後を振り向かない。


 光がこちらを捉え、瞬く。

 来る。あのビームが、放たれる。

 もう逃げ場はない。逃げる暇もない。

 死ぬ。


「うわ――」

 思わず、無駄とわかっても自分の身を守ろうと身を小さくした。

 閉じたまぶたの裏に炸裂する紅い光。

 死んだ――


 と、思った。だが、

 ……あれ、生きてる?


 どうやら死んでいない。手の感覚も、脚の感覚も、どうやらまだある。

 恐る恐る目を開けて、腕をけると、そこには少女がいた。同じ姿勢のまま、両腕を広げて、吉野を庇うように。そして、その背後では、

「な――」


 光が、炸裂していた。真っ赤な閃光が、一面に弾けていた。それは確かに、あの怪物から放たれているものに他ならなかった。だがそれは、

「か、壁……?」

 目に見えるものではない。だが、透明な白の壁のようなものが、紅を阻んでいる。


 凄絶な背景を一顧だにすることなく、少女はひたむきに吉野の目を見つめ続ける。ただでさえ白かった顔肌かおはだは輪をかけて蒼白になり、頬を汗が伝っている。何が起こっているのかは依然として理解できないが、目の前に立つ少女が何かをして、そして相当に無理をしているのだろうということだけはわかった。

 顔と同様、色を失いつつある唇が、動く。


「私と契約して」

 繰り返す。

「私を使って」


 ビシッ、と何かに亀裂が入るような音が聴こえた。少女の向こう、紅を阻む白からだ。

 壁が、壊れそうになっている。

 さらには、小さくではあるが少女の膝が揺らいだ。こちらも限界が近いのだ。

 時間が、ない。


「――く」

 全くもって、何から何まで全く意味がわからない。

 だが、時間がない。選択肢も、ない。


「わ――わかったよ! 契約する! するから、どうすればいい!」

 ほとんど自棄やけになって、吉野は叫んだ。もう、どうにでもなれというほどの勢いで。

 それを聞いた少女は――この状況で、うっすらとだが確かに、笑った。


「了解した。――ホムンクルス七式、セネカ。ヨシノ・テッペーと契約を、結ぶ」

「な、ほむん、なに? 何で俺の名前――ぅわっ」


 少女の誓言と同時、ふたりの足元に、不意に光が渦巻いた。それは瞬く間に円陣となり、走る光が紋様を描いていく。それはまるで、

「魔法陣……的な」

 それが維持されたのは一瞬だった。円陣が完結するや否や解けるように消失し、同時に少女はおもむろに腕を大きく振り上げる。呼応するように、その痩身から閃光が炸裂した。

「な……なにが」

 吉野が戸惑っている間にも、状況は進む。少女がようやく背後を振り返った。つられて見ると、先程まで防壁に走っていた亀裂がみるみるうちに消えていった。それどころか、轟音とともに白が紅を弾き返す。

 契約とやらが、少女に力を与えたかのように。


「テッペー、手を」

「は? 手? 手って、」

「まだ契約したばかりだから、触れていないと魔力が流れてこない。だから、手を」

 言われるままに、吉野は少女の手を取った。と、少女の全身を淡く白い光が覆っていった。続けて、少女はもう一方の繊手を怪物に向ける。

 一呼吸。


「――『ラビルスの光壁こうへき』」


 莫大な光が、少女の繊手から放たれた。圧倒的な質量をもった光だ。少女の前面から、膨大な空間に花開いた光は化け物をも凌駕りょうがし、押しのけて見せた。


「な……何が」

「次、移動する。手を」

「だから説明を――くっそ、もうどうにでもなれ!」

 叫びながら手を突き出す。少女はその手を取り、


「――『ユーストライアの位相いそう転換』」


 次の瞬間には吉野は少女とともに上空にいた。

「と――うわああああああ!?」


 宙に留まっていたのは一瞬だけで、すぐに豪風を巻いて落下を始める。自由落下だ。眼下には広大な円がある。あれは間違いなく、あの怪物だ。となるとここは、あの巨大な怪物のさらに上空だ。空気も薄く、気温も低い。だが絶叫する吉野に対し、隣を同じく落下中の少女は至って平静だ。


「ホムンクルス四式『ガルガリア』は超巨大。その物量だけでも十分に脅威となりうるし、周縁を浮遊する光球から放射されるエネルギー砲も強大。そして攻撃のみならず防御においても、前進を覆う分厚い外殻装甲が生半可な攻撃を通さない。だけれどひとつだけ、その装甲の薄い部分がある――上辺外殻中心部。そこに、一点集中して攻撃すれば、通用する」

 だから、と少女は続けて、手を伸ばした。言通りに、円盤の中心部にかざすようにして。

 そして、言う。

「手を」

「ああ、もう、ほら、勝手にしろ!」

 吉野が叫び、少女が手を取る。そして再び少女の腕に光が宿った。


「――『フロウティティアの天柱てんちゅう』」


 白は一条の光となって、まっすぐに、円盤の中心にポイントされる。

 ふっと、少女が息を詰めた。


 輝く。


 先のどの衝撃をも凌駕する爆圧が迸った。

 少女の繊手から解き放たれたのは、ビーム砲などというにも生易なまやさしいほどの、天地をつらぬく光の柱とすら呼べるほどの、絶対的な暴力だ。その風圧は、自由落下の途中にあった吉野をわずかに上昇させるほどの勢いを有していた。

 小さな少女から放たれた光柱が、円盤の化け物を射貫く。

 照射は数秒。


 白光が止むと、空白のように静寂が一面を覆った。だがそれも数秒。

 ゆっくりと、地鳴りのような轟きを巻きながら、円盤が沈んでいく。


 勝っ――た。

 いや、それよりも、


「お――落ちる落ちる落ちる! 落ちてるって!」

 少女の光で一瞬浮いたとはいえ、依然として支えもない空中だ。すぐにまた落ち始める。

 内臓が無重力感覚。

「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ――!」

「死なない。手を貸して」


 ともに落下しながらも、少女は小憎らしいほどに平静である。ふ、と少女は吉野の手を取った。


「――『トトスの浮行ふこう』」


 するとまた少女の痩身が光を帯び、そして今度は吉野自身にも光がまとわりついた。途端に落下速度が減速し、ゆっくりと降り始める。

「そ、そんな……」

 続けて流転るてんした状況に、混乱の極みに至った吉野は思わず叫んだ。

「飛行石もないのに!」

「何を錯乱しているの」

 冷静に返してきた少女に向かって、吉野はぐりんと顔を向けた。

「一体何なんだ! あの化け物は! お前は! 何をして、どうなってんだ!」

 混乱を当り散らすように怒鳴る吉野を、少女はまっすぐに見返して、答えた。

「あれはホムンクルス四式『ガルガリア』。私はホムンクルス七式『セネカ』。あなたは私と契約して、ガルガリアと戦い、勝った」


 説明されても、理解できるような内容ではなかった。だから吉野がさらに畳みかけようと口を開く寸前で、先に少女が言葉を続けた。


「私はセネカ。あなたは私の契約者。あなたは私と一緒に戦わなくてはいけなくなった必然的に不運な人」


 思いのほか強い語調に、ぐ、と思わず言葉に詰まった吉野の手を取って、きゅ、と繋いだ手指を握って、言った。


「――よろしく」


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