古文書アーカイブ
♯星歴682年7月 28日
アゼリア市港区甲羅虫通12番地
午後十一時を過ぎていた。工廠の天井に並ぶ水銀灯も灯を落とされて、赤煉瓦の建物にも静かな夜が訪れていた。
ラファル技巧官は、ひとり工廠中二階に居残り、調べ物に没頭していた。
支給された頃は真っ白だったはずの作業着は、油汚れや塗料の飛沫で見る影もない。しかし、その出で立ちがこの若い技巧官には不思議と似合う。もしも問われたならば、彼はきっと、こう答えるだろう。
――技術屋はこんなものですね。と、何食わぬ顔で。
その若い技巧官が珍しく、帝都公文書館にある古文書アーカイブにアクセスしていた。
帝都公文書館地下には、巨大な魔法機環があり、その中に無数の古文書データが収められていた。それをネットワーク越しに蛍砂表示管に呼び出して読み耽っていたのだ。
数日前の出来事以来、ラファル技巧官は調べ物が増えた。ふだん、機械弄りしかしない彼が古文書漁りなんて……沙夜も不思議がったほどだ。
あの機械獣魔の暴走事故の経緯と結果に、運命的な疑問を抱いたのは、沙夜だけではなかった。
「沙夜様は、あの白い機械騎士を〈ガストーリュ〉と呼んでいました」
彼の足下にも、魔法機械仕分け作業に携わる学士との人脈を頼って取り寄せた紙製の古文書が積まれていた。
「……間違いないですね。参りましたね」
砂糖もミルクも入れない、カフェイン摂取だけが目的みたいなブラックコーヒーをすすった。
六百年前、フェリム第4期と呼ばれる太古の時代――「漆黒の貴姫」と呼ばれ、尊敬と畏怖を集める少女が、この世界の全てを敵に回して戦い抜いた時代があった。
――天空に咲き乱れる朝顔の華と形容される、漆黒の貴姫が指揮した天空艦隊は、世界史上、類例のない戦績を残していた。
貴姫艦隊は、当時、この世界に存在した天空艦隊の全て――女神の許に組織された守護艦隊群八個及び、漆黒妖魔軍艦隊四個の全てと連戦し、勝利した。
その貴姫の座乗船には、たった一機の白亜の美しい魔法機械騎士だけが載ることを許されていた。常に漆黒の貴姫の傍にあり、貴姫を守ることだけを役目として与えられた魔法機械騎士の存在が史料には断片的に残されていた。
古代表意文字で記されたその魔法機械騎士の名前は、これまで発音不明とされていた。
軍記物語の中や、あるいは演劇で漆黒の貴姫の物語が催される場合は、貴姫役の少女の傍らに佇む機械騎士役には、「ガルサール」や「ガスタール」など仮の発音が当てられていた。
今日の復元作業で、ついに白亜の魔法機械騎士の右肩に、あの朝顔の徽章が彫られていることが判明した。
もう間違いはなかった。
漆黒の貴姫に付き従い、貴姫を守る絶対命令を与えられた唯一の存在は、ガストーリュという名だったのだ。
ウラシル魔法機械工廠の傍らに灯るカンテラの灯が消えたのは、深夜零時を回った頃だった。