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天空海戦物語 魔法機環と少女と  作者: 天菜 真祭
クッキーとガス燈の灯る街角と
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鈴猫焼菓子店と法印皇女と

#星歴 684年11月 4日

  ティンティウム市赤猫東通28番地の小径


 銀葉月。秋も深まった街角に、暖かい橙色のガス燈が灯り始めた。

 少女は、赤猫通駅で市内循環線のトラムを降りた。急いだ様子で馬車通を横切り、石畳の街路を走った。生糸問屋が並ぶ通り、隅から数えて四軒目の隣に、地元の子供しか知らない抜け道への入り口がある。


 曲がりくねった路地裏の石階段を五十セタリーブほど駆け上がった。


 そして、お菓子屋さんが集まる鈴猫通に抜ける。まだ銀葉月になったばかりなのに、真紅のリボンや雪の結晶のきらきらした飾りでいっぱいだった。

 もう冬至祭向けの飾りを始めている、気の早いショウウインドウをわき目に、夕暮れ時の銀杏色に染まる並木通を走った。


 市立芸術学院音楽科の青い制服に、ストールを羽織った姿。小柄な黒髪の少女は、息をついて立ち止まると――鈴猫交差点の角に立つ銀時計を見上げた。

 それから、白い息を吐く。胸元を押さえてから、また、金色に染まる銀杏並木を走り出した。

 少女が向かう先、鈴猫焼菓子店の閉店時間は、もうすぐ、午後七時だった。


  ◇  ◇


 からん、からん……

 しっぽに鈴をリボン結びした猫の絵で飾られた扉を開けた。もう、お客さんは誰もいない。お目当てのクッキーの棚もすっかり寂しくなっていた。

「おや、まあ……どうなさいました?」

 鈴猫焼菓子店のパティシエさんは、いつものとおりに穏やかに声を掛けてくれた。

「あの、お友達と仲直りしたいんです。だから……クッキー、いっぱい、ください」

 息を切らして飛び込んで来た私が、そんなことを口走ったから――パティシエさんは、最初ちょっと驚いた顔をした。でも、すぐに泣きそうな私の顔に気づいて、事情を察してくれた。

「今日焼いたクッキーは、おかげ様で売り切れました。生地も残っていません。でも、卵や砂糖、小麦粉はたくさんありますよ」

 そして、パティシエさんは優しく微笑んだ。

「お嬢さんは、いつもココアクッキーをお買い上げくださる芸術学院の生徒さんでしたね。お手伝い頂けるなら、ご希望の数のクッキーを焼きましょう」

 放課後にお友達と良く買いに来るから、これでも私は、この焼菓子店の顔なじみ客のつもりだった。覚えて貰えたことが嬉しくて、微かに頬に赤い熱があがった。

 息があがっていた胸元を押さえた。

「音楽科二年生、沙夜・イス・メートレイアです。お友達と喧嘩しちゃったんです。ずっと本当のことが言えなかった私が悪くって……だから、お願いします」


 ぺこりと頭を下げた。


 優しい言葉を掛けられたから、内緒にしていたはずのフルネームを思い切って口にした。

 パティシエさんは驚いた様子の後に、もっと、優しい微笑みになった。

「帝都からいらっしゃった方だろうとは、薄々気付いておりましたが……」

 小さくうなずいて応えた。黒髪に雪肌だから、私が北部地方の出身だってことは隠しようがない。北部には帝国の直轄領があるから、貴族か、そのゆかりの者という辺りまでは気付かれていると思っていた。


 数年前から、有名な天空貴族の子女が、このティンティウム市内に隠れ住んでいるって噂話があるのだけど……実は、毎週のようにクッキーを買いに来ていた、私のことだったとは、今、気づいたみたい。

 この名前は地上の街での居場所を守るために、ずっと、隠していた。

 パティシエさんが隠した一瞬の表情は、畏怖に近い色だった。微かな後悔と逡巡を、微かに黒髪を揺らして打ち消した。


 閉店後の鈴猫焼菓子店のキッチンへ、パティシエさんは私を招き入れてくれた。レシピ帳を少しだけ見せてもらった。

 真銀製のボールに卵をどんどん割り入れた。片手で卵割りをしたら、上手いって褒めてもらえた。私の家、メートレイア伯爵家は、天空貴族の中でも武家として知られている。だけど、ちゃんと卵くらいは扱えるよ。

 小麦粉と砂糖をふるい、牛乳でバターを溶かして……


 たくさん作った型抜きクッキーをオーブンで焼く合い間に、お茶も出して頂いた。

「頑張りましたね」

 ううんと首を振る。

「ご無理を言って、すみません」

 いくら放課後の常連客だからって、私のお小遣いで買える枚数は知れている。閉店間際に押しかけて、特別にクッキーを焼いて頂くなんて。


 それに恐縮してしまう理由がもうひとつ。ティンティウム市、それも老舗が建ち並ぶ古い街角には、ちょっとしたお伽噺があるの。

 毎日、毎日、お気に入りのお店に通っていると――ある日、店主がその常連客をお店の奥へ招き入れて、跡継ぎにしてくれるっていう、そんな素敵なお伽噺だったはず……

 お伽噺だから、古い記憶が脚色されて語り継がれているだけと思う。実際はそんなに簡単に跡継ぎを決めたりしないはず。

 そして、お伽噺だとしても、絶対にそれが無理だって分かった後も、それでもパティシエさんは、クッキーの焼き方を教えてくれた。たぶん、私は泣きそうな顔をしていたと思う。


 すると、パティシエさんは白い帽子を脱いで深く頭を下げた。

 その意味に気付いて、深呼吸した。

「沙夜法印皇女様とお見受け致します。私の店の流儀にお付き合い頂き申し訳ありません」

 これが、ずっと、お友達にも秘密にしていたこと。大人を相手に、メートレイア伯爵家の名前を口にしたら、当然、気づかれると思った。

「恥かしいから、そういうの、なしにしてください。私、今は、ただの音楽科の生徒にすぎないですから」


 法印皇女というのは、妖魔からこの世界を護る役目を負う特別な役職だった。

 そう、名前のとおり。私は法王家とも親戚関係にあって、漆黒の妖魔を封印できる法印魔法をこの身に宿している。


 でもね、正直に言うと、重すぎる役目だった。だから、二年前に大怪我をした際に、静養を口実にこの地上の街に移り住んでいた。つまり、怖くなって逃げ出して、この街に隠れていたの。

 だけど、小首を振って黒髪を揺らした。

「このクッキーも、この場所も私のお気に入りです。今日は、勇気が欲しくってここに来ました。お友達に本当のことを言える勇気、もう、一回だけ戦える勇気……それが欲しくて」

 ぽつぽつと紡ぐ言葉をパティシエさんは、静かに聴いてくれた。

「わたくしのクッキーが、皇女様の勇気の源ですか? 光栄です」

 もう一回、黒髪を揺らして首を振った。

「ううん。鈴猫のクッキーは女の子、みんなの元気の源と思います。だって、美味しいもの」

 それから、冬至祭色の飾りが揺れる可愛らしい店内を眺めて、心の中だけで誓った。


 ――だから、たとえどんな妖魔が襲って来たとしても、この街を守り抜きます、と。


 焼きたての甘い匂いを詰めた大きな紙袋を抱いて、扉の前で再び深くお辞儀した。お店を出ると、晩秋の夕闇にガス燈の橙色が零れていた。


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