その心をもって盾とならん
フェリスとグウィン、そしてガストンは、思わず顔を見合わせた。
――ラインスに、どこまで話すべきだろうか?
一瞬後、ガストンは大きな肩をわずかにすくめながら、目配せを送ってきた。
そちらに任せる、という意味だろう。
フェリスとグウィンのあいだを、素早く視線が交錯する。
これまで長い時間を共に過ごしてきた二人だ。
ことばなどなくとも、充分に意図は通じた。
フェリスが頷き、グウィンが、ふところから、布の包みを取り出す。
兄にも知らせたくない、というティアの意向を無視することになってしまうが、フェリスたちは、ラインスに事情を話し、紫の毛を渡すことを決断したのだ。
明らかに重要な証拠品を手にしていながら、それを帝都警備隊に提出しないというのは、事によっては「犯人を庇った」ととられても仕方のない行為だ。
発覚すれば罪に問われることが間違いないばかりか、帝都警備隊の捜査を妨げ、ひいては、犯人の逮捕を遅らせることにもなりかねない。
魔術師の指が慎重に布を広げると同時、ラインスの目が、ゆっくりと見開かれていった。
「これは……!」
「ご存知か?」
グウィンが、ラインスに鋭い視線を向ける。
ラインスは信じられないという顔つきで彼を見返した。
「ええ。先ほど、警備隊本部で、部長から見せられたものと同じです。
父が殺された現場から発見された、遺留品だそうです」
「あ、何だ」
やや拍子抜けしたような調子で、フェリス。
「じゃあ、警備隊の人たちも、もう、この毛のことはつかんでたんですね。良かった! もう、魔術で分析もしたんですか?」
「はあ……うちには、帝国魔術学院出身の、優秀な鑑定士がいますから。
念のために《黒の呪い》に関わるものではないかどうかを調べたのですが、結果はシロだったと――」
驚きのあまりか、思わず独り言のような調子でそこまで答えてから、ラインスは、不意に眼差しを鋭くしてきた。
「しかし、なぜ、警備隊の者しか存在を知らないはずのこれを、あなた方が?」
いまや、ラインスの表情から最初の驚きは消え去り、不審と警戒の色が見え隠れしている。
無理もない。
古来から、犯罪の真相にかかわる秘密を握る者は、警備隊か、さもなくば真犯人と相場が決まっているのだ。
(この人、あたしたちを疑ってるんだ)
フェリスは慌てて、ラインスに、これまでの経緯を説明した。
もちろん、どうかティアさんを叱らないであげてください、と何度も頼むことを忘れない。
話が進むにつれ、ラインスの表情から、疑いの色が拭い去られていった。
「そうですか……父の、仇を……」
そう呟き、うつむいた彼の表情は、フェリスの場所からはうかがい知ることができなかった。
これまで、幾人もの部下の死に様をみとってきたフェリスだ。
人の死がもたらす痛み、巨大な喪失感。
そして、いつかそれを乗り越えてゆく、残された者の強さ――
それらは、よく知っている。
だが、肉親を失った者の心は、フェリスには、想像することしかできなかった。
フェリスは、母の面影を知らずに育った。
身分が違ったために正式の結婚はできなかったが、父とは、心から愛し合っていたと聞いている。
その母は、フェリスをこの世に生み落としてすぐ、流行り病にかかって亡くなってしまった。
フェリスにとって今、肉親と呼べる唯一の人物は、父であるマクセス・レイドだ。
そのマクセスが、死んだとしたら……殺されたとしたら、自分は、何を思い、そして、どうするのだろう。
――考えられなかった。
「申し訳ありません、師匠」
そう言って顔を上げてきたラインスの目の端に、光るものがある。
彼は、それをぐいと手でこすり、ガストンを真っ向から見つめた。
「妹が言ったことは、お忘れください。
事件を解決する手助けをしてくれだなんて、とんでもない。
こんな危険なヤマに、民間の方を巻き込むわけにはいきません」
「民間か。いっちょまえの口をきくようになったじゃないか」
つい五年前まで現役の将軍だったガストンは、教え子の言葉に腹を立てることもなく、逆に、ぐわっと嬉しそうな笑みを浮かべる。
大きな手でどんとラインスの背中を叩き、力づけるように言った。
「口さがない奴らは、警備隊は無能だなどと言っとるようだが、わしらは、おまえたちが必死で捜査してることを知ってる。
ラインス、辛いだろうが、ティアちゃんのためにも、ここが踏ん張りどころだ。
わしらも、必要なことがあれば何でも援助する。
おまえは任務に邁進して、親父さんの仇を討て!」
「俺は、捜査から外されました」
ぼそりと口にされたラインスのことばに、えっ、とフェリスが口を開ける。
「ティアを置いて家を出ていたのは、緊急の総員呼び出しがあったからです。
そこで、部長から、しばらく休暇をとって家にいろと……」
ことばを途切れさせ、ラインスは、再びうつむいた。
こみ上げてくる思いを押さえ込むためか、固めた拳が、かすかに震えている。
「もちろん……できるなら、やった奴を、この手で殺してやりたいですよ!
でも、今は、あいつの側にいてやらなきゃ……父が死んで、あいつを守ってやれるのは、もう、俺しかいないですから」
妹を守る。
そんな、兄としての使命感が、今の彼を支えているのかもしれない。
仲間たちとともに下にいるはずのイーサンのことを思い、フェリスは、複雑な心境になった。
――ティアの身を案じている者は、ラインスひとりだけではないのだ。
ガストンが、もう一度、かつての弟子の肩を叩く。
「わかっているとは思うが……おまえ自身も、重々気をつけろよ」
「ええ、ティアのいる家に、薄汚い犯人を、一歩たりとも入れさせるものですか。
もしも、俺たちの家を狙ってくるようなことがあったら、あの世で後悔させてやるまでです!」
そうだ。
真犯人は、いまだ、その正体すら明らかになっていない。
今度はティアが、ラインス本人が狙われる可能性だって、ないとは言えないのだ。
フェリスは、真剣に考えをめぐらせた。
この状況で、自分にできることが何かないだろうか。
どうすればいいのだろう、どうすれば……?
「あの」
ややあって、フェリスは、真顔で手を挙げた。
「あたし……やっぱり、囮やります!」
「フェリス!?」
グウィンが鋭くたしなめたが、フェリスは彼を片手で制し、そのまま続けた。
「実は、あたしも、御前試合に出場するんです。
この情報をわざと流して、あたしが囮になれば、犯人を捕まえられるかもしれませんよ!」
いきなりの申し出を受け、ラインスは、何を言われたのか理解できなかったらしい。
しばらくは表情も変えないまま、フェリスを見返して硬直する。
「あの」
たっぷり、三呼吸間は見つめ合ってから、彼は、目いっぱい戸惑った口調で尋ねてきた。
「失礼ですが、あなたは、いったい?」
「あらためて名乗ります。あたしは、フェリスデール・レイド。
本業は《辺境警備隊》の戦士です」
ラインスの目に、はっきりと驚愕の色が浮かぶ。
帝国において、女性の兵士は、皆無というわけではないが、やはり珍しい存在だ。
しかも《辺境警備隊》といえば、日々、怪物や《呪われし者》との激しい戦闘を繰り広げる、精強の猛者たちの集団である。
――だが、ラインスは、信じたようだった。
フェリスが彼の拳を受け止めた、あの瞬間の出来事を思い出したのだろう。
「あたしは、御前試合に出場するために帝都に来て、このお屋敷に泊めていただいてたんです。
《辺境》生まれの《辺境》育ちですから、切った張ったには慣れてます。
少々の襲撃なら、乗り越える自信があります!」
「フェリス! 何を考えている!? わざわざ敵を招くような真似をしては、閣下のご迷惑に――」
「わかってる」
言葉少なにグウィンに答え、フェリスは、呆気にとられているガストンを見上げた。
「もちろん、閣下やお弟子さんたちに、ご迷惑はかけません。
しばらくは、どこかの宿屋にでも泊まることにします」
「いや……わしらのほうは、まったく構わんのだが、いやはや……」
ガストンは、信じられん、と言いたげな表情で首を振った。
「本当に、勇猛果敢というか、猪突猛進というか。
こりゃあ、マクセスの奴がぼやくはずだわい」
どうやら独り言のつもりらしいが、全部丸聞こえだ。
なぜ、今日知り合ったばかりの、赤の他人のために、そこまでする必要がある?
しかも、同じく出場者であるラインス・クレッサは、言ってみれば、御前試合でぶつかることになるかもしれないライバルなのだ。
その彼を、なぜ、わざわざ手助けする必要がある?
フェリスの脳裏には、そんな疑問は、存在すらしていなかった。
誰かを、何かを守り、そのために戦う。
フェリスにとっては、それが当然のこと――
物心ついたときから繰り返してきた、生き方そのものなのだ。
ラインスは、なおもしばらく、ぽかんとしていたが……ややあって、その顔に苦笑じみた表情が浮かぶ。
「フェリスさん。あなたの勇敢なお申し出には、感謝します。
しかし、いくら何でも、民間の方を囮にするなどという方法をとることはできません。あまりにも、危険が大きすぎる」
言って、彼は、不意に真剣な表情になって首を振った。
「だめだ……各地から集まってきている出場者の方たちを、完全に把握することさえできていないんだから、警備隊は無能だと言われても仕方がない。
あなたのことは、上に報告しておきます。そちらでも充分な対策をとっておられるようですが、それとなくこの辺りの巡視も行なわせるように、手配しておきますから」
しまった、これじゃ、かえって相手の負担を増やしてるじゃないっ、とフェリスは内心、自分をののしった。
「すまん、ラインス。何も、隠し事をしようというんじゃなかったんだが、フェリスちゃんが出場者であることが漏れると、かえってややこしいと判断したんでな」
ガストンが、そう言ってラインスに軽く頭を下げたので、フェリスはますます身の置き所がない。
ラインスは、申し訳なさそうに小さくなっているフェリスに視線を向けると、再び笑顔を作って、
「しかし、まさか、こんなところにライバルがいるとは思っていませんでしたよ。
しかも、こんなきれいな女の方だとは。
――お互い、試合の前に、妙なかたちで顔を合わせてしまいましたね。
本番では、早いうちに会わずに済むように祈りましょう。
ただし……ぶつかった時には、手加減なしですよ!」
「あ……はいっ!」
試合は試合、と割り切ったラインスの言葉に、フェリスは思わず笑顔になって、勢いよく頷いた。
「刃のない剣の名誉にかけて! 卑怯な妨害なんかに負けずに、お互い、いい試合をしましょう!」
その言葉の意味が分かったかどうかは定かでないが、とにかく、彼はフェリスの目をしっかりと見返しながら頷き返す。
そこへちょうど、キャッサ夫人が、ティアをともなって出てきた。
ティアは、無言で兄の腕にすがった。
ラインスの手が上がり、その手にそっと触れる。
一同は、それ以上は何も言わず、そろって玄関口まで出た。
心配ですからお家まで付き添いますわ、というキャッサ夫人の言葉を丁重に辞退し、兄と妹はそろって頭を下げると、ティアの歩調に合わせ、ゆっくりとユーザ邸を去ってゆく。
「……フェリス」
二人の姿が完全に見えなくなると同時、グウィンが、頭痛でもするように片手で額を押さえて呻いた。
「今朝のことがあったばかりだというのに、おまえは、一度ならず二度までも……いや。もう、いい」
「ごめんね、グウィン」
本気で頭を抱えている目付け役に、普段の彼女にはありえない素直さで、フェリスは謝った。
それは、ティアを気遣うラインスの態度が、無意識に、自分に対するグウィンのそれに重なり合ったせいかもしれない。
「あんたには心配かけてばっかりで、悪いと思ってる。
でも、あたし、やっぱり、この状況を放っておくことには納得できないの」
いつもの癖で、ぐっと剣の柄を握りしめる。
「どうしても、犯人が許せないのよ。
ティアちゃんやラインスさんみたいに苦しんでる人がいるのに、今も、そいつがどこかで笑ってると思うと、どうしようもなくムカッ腹が立って、この手で叩き斬ってやりたくなるのっ!」
「フェリス。おまえは、無事に試合に出て、戦って、優勝することだけを考えていればいい。それが、おまえの夢なんだろう?」
「それは、そうだけどっ!」
「いやぁ……」
ぼりぼりと後ろ頭を掻きながら、独り言のような調子で、ガストンが唸った。
「いきなり屋敷を出ていくなどと言い出すから、わしも、本気で焦ったぞ。
もう、二日もないというのに……」
「へっ?」
思わず、ぴたりと動きを止めるフェリス。
もう、二日もない?
御前試合の当日まで、あと十数日はあったはずだ。
「あの、閣下。二日というのは……?」
「あ」
しまった、という表情を隠そうともせずに、ガストンは口に手を当てた。
「うっかり、口が滑ったわい! ……やれやれ、仕方がないな。本当は、なるべく直前まで知らせるなと言われとったんだが」
言って、懐をごそごそと探り、取り出してきたのは、一通の封筒だ。
「ほれ。マクセスのやつから、おまえさんへの伝言を預かっとる」
「親父からの、伝言!?」
予想だにしなかったものの登場に、フェリスは呆気にとられたが、すぐに我に返ると、慌てて封筒を受け取った。
封印を破り、中の紙に書かれた文面を、食い入るように追っていく。
『やっほう、娘よ。元気かあ?
帝都の暮らしはどうだ? ド田舎のリューネ暮らしに慣れてるおまえにとっては、何もかもが珍しくて、退屈することなんかないだろう。
そんなおまえに、父さんから、さらに珍しいプレゼントがあるぞう。
じゃんじゃかじゃ~ん!
実は、マーズヴェルタで開かれる、新年祭の仮面舞踏会への招待状を用意しておいた!
かの名高き《輝けるマーズヴェルタ》、皇帝陛下の居城での舞踏会だぞ?
帝国の娘なら、誰もが一度は憧れる華麗な舞台! おまえにはもったいないよーな華やかな場だ。
試合を控えて緊張するなどとゆー繊細な神経をおまえが持ち合わせているとは到底思えんが、気分転換にはぴったりだぞ!
どうだ、嬉しいかな?
――おおっと、そう慌てることはない。衣装も、ちゃんと見たててそっちに送ってある。ガストンが受け取ってるはずだ。
おまえには、直前まで言うなと言ってある……びっくりさせようと思ってな!
ま、そーゆーことだ。一夜の夢を楽しんできたまえ!
素敵な男を何人か引っ掛けてみてもいいぞ? できるならな。
父より、愛をこめて
追伸 おっと、言うまでもないが……会場では、喋るな走るな暴れるな。
この三つを守って微笑んでさえいれば、おまえも立派な姫君だ!』
「――うおおおおお!」
ぶるぶると手を震わせて手紙の内容を読み終えたフェリスは、とうとう雄叫びをあげると、高価な紙をバリィッ! と真っ二つに引き裂いた。
「あンの、ちゃらんぽらんのクソ親父、謀りやがったな!?
おのれ、一度ならず二度までも……ッ! 許さん! 燃やすッ!」
「燃やすのか!?」
床に落ちた封筒から、美しい金の箔押しがほどこされた招待状を拾い上げながら、さすがに思わずつっこむグウィンだ。
フェリスが、紙ではなく、マクセスのことを言っているのだと、付き合いの長い彼にはわかる。
フェリスは、子どものようにだんだんと地団駄を踏んだ。
マクセスのあまりにも軽すぎる物言いと、現状の深刻さとの落差が、怒りを増幅している。
もちろん、マクセスがこの状況を知るはずもないから、悪気がないということは理解できるのだが、それでも、やはり腹が立った。
「こんなときに、舞踏会? 男を引っ掛けろ? ふざけるなぁっ! 誰が行くかぁー!」
「何!? 行かんのか?」
「行きませんよ!」
驚いたように問うてくるガストンに、激しく言い返すフェリス。
しかしガストンは、信じられないというように言い足してきた。
「だが……この夜には、招待客に対して、皇帝陛下が直々に《翼持つ女神の剣》のお披露目をなさるんだぞ?」
「……え?」
地団駄を踏む動作を、思わず、途中でぴたりと止めるフェリスだ。
「それが、仮面舞踏会の伝統だ。
《翼持つ女神の剣》は、ふだんはマーズヴェルタ城の宝物庫に厳重に保管されとる。
直接目にするには、御前試合に優勝するか、さもなければ、この仮面舞踏会に出るかしかない」
「それ、じゃ……」
フェリスは、思わず呟いた。
(それじゃ、あのふざけた手紙の書きぶりは、単なる冗談で――
本当は《翼持つ女神の剣》をこの目で見て、御前試合に向けて気持ちを高めろってこと……?)
「それに、おそらく会場には、試合のライバルたちが大勢やってくるはずだぞ!」
「えっ?」
「当然だろう? ラインスのような例もあるとはいえ、御前試合の出場者は、その半分以上を貴族が占めているからな。
皇帝陛下主催の舞踏会だ。彼らも、ほとんどが登城してくる」
敵を打ち負かしたければ、まず、敵について知れ。
昔、マクセスに言われたことばが、耳の奥によみがえった。
(そうか……試合相手の、戦力調査!)
マクセスの真意がわかってくるとともに、フェリスは、先ほどの自分の激昂ぶりを恥ずかしく思った。
おどけたことばの裏に、巧みな策略をひそませる。
実に、マクセスらしいやり方だった。
常に韜晦し、他人を惑わせ、容易には本心を読ませない。
「申し訳ありませんでした、閣下。見苦しいところをお目にかけてしまって」
フェリスは、ガストンに小さく頭を下げた。
「あたし、登城します。ライバルの様子を、この目で確かめたいし――」
続いて心に浮かんだことを、フェリスは、あえて口には出さなかった。
出場者が集う、仮面舞踏会。
もしかすると、犯人もまた、そこに来るのではないか?
そう、あの、もっとも怪しいと目されているという将軍――ドナーソンも、姿を現すだろう。
直接、人物を見極めるいい機会だ。
「ところで、俺は同行できないのか?」
それまで黙っていたグウィンが、不意に声をあげてきた。
「え? そりゃ、そうでしょ。だって、招待状、一枚しかないじゃない」
「フェリス……」
あっさりと言い放ったフェリスに、グウィンは、凄みを感じるほど真剣な眼差しを向けてきた。
「な、何?」
金色の視線にまっすぐ見つめられ、フェリスは、奇妙に動揺する自分を感じた。
グウィンは、フェリスの肩にそっと両手を置くと、ぐっと顔を近づけ――
「いいか……頼むから、何も問題を起こすな!?
料理を食い散らかしたり貴族どもを投げ飛ばしたり、あまつさえ、皇帝陛下に喧嘩を吹っ掛けたりするなよ!?
ああ、おまえを行かせたくない。俺がついてさえいれば、最悪、術で吹き飛ばしてでも止められるというのに……」
「あ……あんたねえ……ッ!? あたしを、いったい、何だと思ってるのよおおおっ!?」
苦悩に浸る様子の魔術師の胸倉をひっつかみ、がくがくと揺さぶりながら、思わず絶叫するフェリスだ。
「いや、魔術師、おまえも行けるぞ?」
何をやっとるんだ、と言いたげな調子で、ガストンが分厚い手のひらを二人のあいだに差し込む。
「フェリスちゃんの衣装と一緒に、従者のお仕着せが入っとったからな。
さすがマクセス、気が利いとるわい。
貴族の女は、どこへ行くにもお供を連れて歩くのが普通だから、お仕着せを着ていれば、怪しまれることはない。
さすがに、皇帝のおわします《青の広間》まで入ることはできんが、その手前の控えの間までなら、従者の身分であっても自由に出入りができる。
まあ、言い方は悪いが、手荷物か附属品みたいな扱いだな」
「よかった……寿命が縮まる思いをしたぞ……」
「あー、もー! いいわよいいわよ。くそーっ! 何よ、まったく……」
グウィンは胸を撫で下ろし、フェリスは絨毯を蹴飛ばしてふて腐れる。
一方、ガストンは、横にいたキャッサとにこやかに目を見合わせ、うん、と頷いた。
「よし、それでは、さっそく衣装合わせだな!」
「……え?」
「そうですわ。本当は、直前に、急いで合わせるつもりでいたのですけれど。
今から取り掛かっておけば、ゆっくりと寸法を調整することができますもの!」
キャッサは、新しい着せ替え人形を前にした少女のように、にっこりと表情をほころばせている。
「あ……あの」
反対に、フェリスの表情は、徐々にひきつってきていた。
嫌な予感がする。とてつもなく。
何しろ、他でもない、あの親父が用意したしろものなのだ。
「キャッサさん。その衣装って、どういう――」
「それはもう、素晴らしいものですの!」
キャッサは、感動を抑えきれないというように、重ねた両手を胸に押し当てた。
「愛らしくて若い貴婦人にふさわしい、美しいドレス。もちろん、最新の型ですのよ。お父上の愛情を感じますわね!」
きっかり一呼吸の後、フェリスの悲鳴が、ユーザ邸をゆるがした。