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戦乙女の茶飲み話

 

 ユーザ家の台所は、その女主人たるキャッサの人柄をしのばせて、実にきちんと整頓されていた。

 レースのカーテンがかかった明るい窓辺には、貴重な冬の花が生けられたガラスの器が並べられている。

 ぴかぴかの調理器具が棚に並び、草花模様を描きこんだタイルがあちこちに飾られていた。


(あたしには、ない感覚だなぁ)


 見回して、思わず、そんな感想を抱くフェリスだ。

《辺境の戦乙女》と呼ばれ、五十人の部下を率いて戦う隊長。

 そんな自分の生き方を、恥じたことなど一度もない。

 でも、こういう光景を目にすると……こんな生き方もあるんだ、と、思う。


「ここだ」


 ガストンが言った。

 塵ひとつなく掃き清められた石敷きの床の真ん中に、分厚い木製の跳ね上げ式扉がある。

 手を貸そうとフェリスが前に出るよりも早く、ガストンは腿の半ばからが義足の右脚を円規のようにぐるりと回しながら、器用にその場に屈み込んだ。

 扉についた鉄の持ち手を、ぐいと力強く引き上げて扉を開け、手早くつっかい棒をかませる。


「食料の貯蔵庫だ。はしごで降りるようになっとる。

 段の幅は広いが、多少、がたつくからな。落ちるなよ?」


 言って立ち上がると、義足の不自由をものともせずに、ごとん、ごとんと音を立てて後ろ向きにはしごを降りていった。


「フェリス、おまえが先に行け」


「どうしてよ?」


 命令するようなグウィンの口調には、反射的に反抗するのが癖になっている。


「あんたが先に入ればいいじゃないの」


「尻を見られてもよければ、そうしろ。

 俺は特に嬉しくもないが、後からおまえに騒がれるのはかなわん」


 フェリスは憮然として、ガストンに続き、はしごを降りていった。

 外気とはまた違う、ひんやりとした空気が頬を撫でる。

 かすかに、香草の匂い感じられた。


 先に降りていたガストンが、備えてあったランプを灯してくれる。

 上から見下ろしたときには、暗くてよく分からなかったのだが、ユーザ家の地下室は四方を石壁に囲まれ、太い木の枠で補強された、かなり広い空間だった。

 壁際と、部屋の中央には、天井まで届く木製の棚が置かれている。

 そこに、様々な食材や瓶、壷などが整然と並べられていた。  


 フェリスに続き、音もなく床に降り立ったグウィンが、周囲を見回し、


「閣下、ここに結界を張ってもよろしいでしょうか?」


 最も広く床が開いた場所で、杖をとんとんと鳴らした。


「おう、かまわんぞ。さすがに食材や酒が腐るような術は困るが、そうでなければ何でも使え!」


「それでは」


 一瞬にして、グウィンの声の調子が変わる。


『優しき光よ、安息の巣となれ!』


 床を突いたグウィンの杖の先端から、白く、細い線が噴出した。

 純白の炎からできているように見えるその線は、床の上をいくつにも枝分かれしながら走り、たちまち、グウィンの立つ位置を中心とした幾何学的な紋様を作り上げてゆく。


 ガストンとフェリスは並んで立ち、目を見開いてその光景を見つめていた。

 戦場において、敵を打ち倒す武力としての魔術は見慣れている二人だが、このような繊細な術を目にする機会はめったにない。

 やがて、紋様は安定し、細いきらめく線だけが床の上に残った。  

 その中心で、グウィンが、例の毛を慎重に床の上に置く。


「グウィン……これって、どういう技なの?」


 邪魔をしないほうがいい、と思いながらも、好奇心には勝てないフェリスだ。


「《光子》の流れを和らげる結界だ」


「はぁ?」  


 説明を聞いても、何のことやらさっぱり分からない。  

 グウィンは顔を上げると、さも「物を知らん奴だ」と言わんばかりの顔で、解説を付け加えてきた。


「いいか。この世界では、絶え間ない《光子》の対流が起こっている。

 おまえの目には見えないだろうが、今、この瞬間、この地下室の中も、強い《光子》の流れにさらされているのだ」


「そう、なの?」


 言われて思わず、きょろきょろと辺りを見回す。

 だが、魔術師ならぬフェリスの目には、薄暗い地下室の光景が映るばかりだ。

 光のようなものが見えるわけでもなければ、特別な力の流れを感じることもできなかった。


 世間には、魔術師を必要以上に恐れたり、逆に蔑視したりする輩がいる。

 幼い頃からリューネで育ち、軍属の魔術師たちと接してきたフェリスには、もちろん、そういった意識はない。

 ――だが、やはり、こういう瞬間には、壁を感じる。

 魔術師というのは、普通の人間とは異なる、特別な存在なのだ。


「微妙な《光子》の揺らぎを見極めるためには、その激しい流れは邪魔になる。

 少しでも術の精度を上げるため、こうして結界を張り、《光子》の流れを緩やかにするのだ」


「へえ……そうなんだ」


 グウィンの言うことが実感できたわけではなかったが、真剣な彼の様子に、思わずこちらも神妙な調子でうなずくフェリスだ。


「術を始めるときには、照明も消す。

 何によらず、五感への刺激はできるだけ少ないほうがいい」


「では、わしらも、そろそろ出るとするかな」


 ガストンが言った。

 彼も、間近で見る魔術の準備に興味津々らしく、そう言いながらも、少し残念そうな様子だ。


「少しでも気を散らしてはいかんとなると、わしらがいては、術の妨げになりかねん。

 わしとフェリスちゃんは、上で待っておいたほうがいいだろう」


「お心遣い感謝いたします、閣下。ぜひ、そのように」


 答えたグウィンの手には、すでに、薬袋から取り出した《ヒュームの霊薬》の瓶が握られている。


「……大丈夫? グウィン」


「何だ、フェリス」


 心配げに問いかけたフェリスに対して、返ってきたのは、呆れたような視線と尊大なことばだ。


「リューネで最も優秀な魔術師といわれた俺が、術に失敗するとでも思うのか?

 案じる必要はない。いいから、さっさと出ていけ」


「な!? ……ちょっと、このあたしが珍しく心配してやってるのに、何よ、その巨大な態度はっ!? この……うわぁっ!?」


「では頼んだぞ」


 さすがは《不死身》と恐れられた武人というべきか、ばたばたと暴れるフェリスを片腕一本であっさりと抱え上げ、そのまま、ごとん、ごとんと地下室のはしごを上がっていくガストン。


 その様子を、グウィンは、フェリスには決して見せることのない眼差しで見送り――

 やがて、跳ね上げ戸が閉ざされると同時に、彼はガストンが置いていったランプを消し、《ヒュームの霊薬》を一気にあおった。



     *     *     *



「とりあえず、茶でも淹れるかな」


 フェリスを台所の床に下ろし、跳ね上げ戸をできるだけ静かに閉めたガストンは、そう言っておもむろに湯沸かしを取り上げ、水壺のほうに向かった。


「あ……それなら、あたしが」


「いや、いいから。フェリスちゃんは、そのへんの椅子にでも座っててくれ」


 下男が沸かした湯を使い、召使が用意した葉を使って茶を淹れる貴族ならば、いくらでもいるだろう。

 しかし、当主自ら台所に立ち、かまどに湯沸かしをかけるなど、他の貴族の屋敷では考えられないことだ。

 ガストン・ユーザは、確かに非凡な男であった。


「ありがとうございます、閣下」


 答えて、しかし、フェリスはその場に立ったまま、じっと壁の一点を見つめていた。

 剣の柄を握り、軽く眉を寄せている。

 考え事をするときの、彼女の癖だ。


 グウィンのことが気にかかる、というのも、もちろんある。

 だが、彼は、やると言ったことは必ずやってのける男だ。

 彼の魔術が失敗するなどとは、思ってもいない。

 グウィンは成功するだろう。

 ――問題は、その後だ。

 あの毛は、果たして《黒の呪い》に関わるものか、否か?


 もしも、あれが《呪われし者》の遺物だったとしたら……いったい、どうすればいい?

 帝都警備隊に連絡するか? 

 いや、下手をすれば、情報が漏れて、帝都じゅうがパニックに陥ってしまう恐れもある。

 帝国全土を揺るがしかねない一大事だ。

 知らせるならば、もっと上……できるならば、直接、皇帝陛下ご自身のお耳に入れることが望ましい。


 だが、どうすれば、そんなことができるだろう?

 そうだ、ティンドロック卿ならば、今は引退したとはいえ、宮廷に人脈もあるだろう。

 それを利用していただければ、あるいは――?


 そして、もしも隠密裏に討伐隊が組織されるなら、あたしも、そこに加えていただくのだ。

 リューネであろうと、帝都であろうと、人々の安息を《呪われし者》が脅かすならば、絶対に許すことはできない――


「ほい」  


 不意に、目の前に大きなカップが差し出されて、フェリスは、はっと物思いから覚めた。  

 甘い香りが、鼻先をくすぐる。  

 花の芳香を移した、高価な茶の香りだ。


「若いのに、ずいぶんと落ち着いた男だな」


「えっ?」


「下にいる魔術師だよ」


 一瞬、何のことだか分からず、きょとんとしたフェリスに、ガストンはいたずらっぽく片目をつむってみせた。


「フェリスちゃんは、あれと付き合っとるのかな? 

 マクセスの奴には言わんから、な! 正直なところ、どうなんだ?」


「つッ!?」


 渡されたカップの中身をふうふう吹いて冷ましていたフェリスは、危うく手を滑らせて、茶を全部床にぶちまけるところだった。


「なっ、そっ……そんなわけ、ないじゃないですか!!」


 こんかぎりの大声で、否定する。

 ――と、下で魔術に没頭しているはずのグウィンのことを思い出し、何とか声量だけは抑えて、ばたばたと激しく片手を振った。


「グウィンは、ただの目付け役で、副官ですから!

 なんにもないですよ? ほんとに、なーんにも!」


「そうなのか?」


 なぜか残念そうに、ガストン。


「それは勿体ない。実に似合いだと思うがなぁ」


「どこがですか!? いくらティンドロック卿でも、さすがに、怒りますよっ!」


「フェリスちゃん」


 こちらもカップ片手に――彼の手にあると、フェリスが持っているものと同じ大きさであるにも関わらず、ふたまわりは小さく見える――ぽん、とこちらの肩に手を置き、重々しく、ガストン。


「女は、恋をしてこそ、美しき花と咲く……」


「何のお話ですか!?」


「要するに、もっと肩の力を抜け、ということだ」


 ガストンは、穏やかに笑って言った。

 そう言われて、初めてフェリスは、自分がひどく気負いこみ、肩をいからせていたことに気付いた。


「まだ、何も、はっきりしてはおらんのだ。

 今のうちから、そう緊張しておったのでは、あとが続かん。そうだろう?」


 フェリスは、はっとした。

 それは、フェリス自身が、戦いを前にした新兵たちに何度となくかけてきたことばだ。


「こういうときは、茶を飲んで、くだらん話でもして、気持ちを緩めるのが一番だ。な?」


「はい……」


(さすがは、兵を率いて四十数年の眼力……完全に、見抜かれちゃってた)


 多少、気恥ずかしい思いで苦笑しながら、フェリスはようやく椅子に腰を下ろし、あらためてカップに口をつけようとする。

 そのときだ。


「師匠っ!」


 遠慮のない大声とともに、ばたん! と荒々しい音が玄関のほうから響き、ガストンとフェリスはほとんど同時に腰を浮かせた。


「師匠、師匠ーっ! 先生を、連れてきたぜ!」


「馬鹿者っ! どでかい声を出すなあっ!」


 こちらも負けていない大声で怒鳴り返すガストンだ。

 たちまち、ばたばたと足音が近づいてきたと思うと、台所の入り口に、まずイーサンが顔を出した。

 続いて、小太りの初老の男が、汗まみれの顔を白いハンカチで拭きながら姿をあらわす。

 太い指には、帝都の医師組合に加盟していることを示す、紋章入りの指輪がはまっていた。


「かっ、患者はっ……!? ティア・クレッサさんはっ、どこですかっ?」


 どう見ても運動向きの体格ではない医師は、イーサンに凄い剣幕で急き立てられ、この屋敷まで全力疾走してきたらしい。

 顔を真っ赤にし、ぜいぜいと息を荒らげ、自分のほうが今にも倒れてしまいそうだった。


「こっちだ、上だ、先生! 早く!」


「イーサン。おまえは、ここにいろ」


 勢い込んで言ったイーサンを、ガストンが、有無を言わせぬ口調で制止した。


「わしがご案内する」


「どうしてですっ!」


「ティアちゃんが、今、どんな身なりでおるか分からん。

 若い男が、むやみに近づくものではない」


 噛み付くような調子で食ってかかったイーサンだが、ガストンの冷静な返答に、うっと言葉に詰まった。


「いいから、ここで待っとれ。もう大丈夫だ。……よくやった」


 弟子の腕を、励ますように軽く叩いておいて、ガストンは医師を促し、二階へと向かっていった。  


 イーサンは、その場に立ち尽くしたまま、肩を激しく上下させている。

 彼の顔じゅうに、大粒の汗が光っていた。

 医師を探して、心当たりのあらゆる場所を走り回ってきたのだろう。


「……ん」


 フェリスは、ポットに残っていた茶を手近のカップに注ぐと、彼に向かって突き出した。


「あぁ?」


「お茶。ティンドロック卿が淹れてくださったの」


「……おお」


 唸るように言って、カップは受け取ったものの、口をつけようともせずに、イーサンは天井を睨みつけている。

 その心は、視線の先――ティアがいるはずの、二階の部屋へと飛んでいるのだろう。

 やがて、彼は視線を下げると、小さく首を振って、カップに口をつけ――

 あぢっ、と小さく呻いた。

 茶が、思ったよりも熱かったらしい。


「ねえ」


 再び沈黙が戻る前に、フェリスは、思わず口を開いていた。


「どうして、ティアちゃんのこと、そんなに好きになったの?」


「はあっ!?」


「いや、ほら」


 あんた何言ってんだ、という表情を隠そうともせずに振り向いてきたイーサンに対し、慌てて付け足す。


「だって、あんたの態度見てると、ほんとに一途、って感じがするんだもん。

 それだけ人を好きになれるって、凄いことだなぁと思って。

 何か、きっかけでもあったわけ?」


「きっかけ……なんて、別にねえよ」


 イーサンは、むすっとした顔つきで、吐き捨てるように言った。

 そのまま、しんとなる。

 居心地の悪い沈黙のなかで、


(これは、まずい話題を振っちゃったかな)


 と、フェリスが内心、後悔しはじめたときだ。


「……あの子が、ここに、兄貴の練習を見にきてたんだ」


 ぼそぼそと、イーサンは口を開いた。


「三年くらい前……ラインスの野郎が、警備隊に入る前のことだ。

 あいつも、この道場で、一緒に練習してたからよ」


 仮にも年上の相手を「野郎」呼ばわりもないものだが、想い人の兄という存在は、彼にとって、手ごわい敵以外の何者でもないのだろう。


「その日、俺、ちょっとむしゃくしゃしててよ……

 練習試合で、ついカッとなって、相手に蹴りを入れちまって。

 そしたら、審判についてたラインスの野郎が、いきなり、俺のこと反則負けだとか言い出しやがって!」


「ああ……」


 フェリスは、思わず顔を引きつらせた。

 それからの展開は、予測の通り。

 イーサンとラインスの口論が、つかみ合いに発展し、しまいには殴り合いの喧嘩にまでなったところで、ティアが姿を現したのだという。


「最悪のタイミングね……」  


 道理で、先ほどイーサンを見たとき、ティアがあんなふうに怯えたわけだ。  

 ティアのなかでは、イーサンはあくまでも「兄に暴力を振るった乱暴者」という認識でしかないらしい。


「俺は、ティアちゃんを見た瞬間……何つうか、もう、一目惚れしちまってよ。

 それからは、努力もしたんだぜ! 誰かにムカついても、キレるのは、二回に一回くらいに抑えるようにしたし――」


「いや、せめて、十回に一回くらいまでがんばったほうがいいんじゃ……」


「何だと!?」


「あっ、ほら。それそれ」


 すかさず指を向けられ、うっ、と黙るイーサンだ。

 フェリスは、うんうんと頷いた。


「そうか……なるほど、そういうことだったのね。はぁ、そうかぁ……」


「……何なんだよ? 気味わりいな」


 こいつ大丈夫か、という目を向けてくるイーサンに、フェリスは、感慨深げな眼差しを返した。


(それは、本当に……いつか、気持ちが通じるといいよね……)


 自分の生き方を変えようと思うほどの、誰かとの出会い。

 それが、幸せな結果になればいい、と思う。

 フェリスは、にっこりと笑った。


「大丈夫だよ。きっと――」


「失礼する!」


 出し抜けにフェリスのことばを断ち切ったのは、そんな怒鳴り声。

 そして、玄関の扉が叩き開けられる、ばんっ! という物音だった――


 

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