表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/34

帝都警備隊

「畜生!」


 彼は、振り上げた平手を、真上から書類の山に叩きつけた。  

 ばぁん! と激しい音が響き渡る。

 その衝撃で書類の山が崩れ、机の端からどさどさと滑り落ちても、彼は気にしなかった。

 それほど、怒り狂っているのだ。

 いつもの彼なら、散らかった場所を、一秒たりともそのままにはしておかない。


「くそっ」  


 もう一度、今度は両手で机を叩く。

 だが、今度の一撃には、最前ほどの力はこもっていなかった。

 口調からも、勢いが消えている。


 怒っていることに変わりはない。

 ただ、その質が変化したのだ。

 憎き殺人犯への怒りから――そいつを捕らえることのできない、無能な己に対する憤りへと。

 彼は、情けなさを噛みしめていた。

 自分たち、帝都警備隊が総力をあげて警戒していながら、またもや死人を出してしまうとは。  

 しかも、今回の被害者は――


「部長」  


 そう声をかけられて振り向いた時には、彼はすでにいつもの表情、どこか眠たげなしかめっ面に戻っていた。  


 彼の後ろに立っていたのは、痩せぎすの青年だ。

 肩を越すか越さないかという長さの柔らかそうな髪に、優しげな茶色の目をしている。


「葬儀の段取り、決まったそうです」


 言った若者の名は、アルシャ・ベリム。

 帝都警備隊・捜査部、その副長格である。

 まだずいぶんと若いが、犯罪捜査における彼の実力は、警備隊の誰もが認めるところだった。  


 そして、若いといえば、彼自身――捜査部の部長であるフィネガン・トロウとて、今年で弱冠三十五歳だ。

 捜査部に所属する百名近い隊員のうち、ほぼ七割が彼よりも年上である。

 当然、反発があってもよさそうなものだが、この若き部長は、並外れた統率力を示して部下を掌握していた。

 もちろん、部長への昇進自体、そんな実力を買われてのことだ。

 だが、普段は自負する己の実力も、こんな時には疑いたくもなる。  

 そんな思いを押し隠し、フィネガンは、言葉少なに答えた。


「いつからだ」


「明朝、朝日が昇るとともに《顔のない女神》の聖堂にて、です」


「そうか」


 いつにも増して無口な部長に、アルシャは何やら言おうとして、やめた。


「……何だ?」


「は?」


「言いたいことがあるなら言え」


「はい」


 見抜かれてしまった、そんな表情で、アルシャは小さく頭を下げた。


「あの……こんな時に、こんなことを言うのも、なんなのですが……

 クレッサさんは、いったいどうして、あんな場所にいたのでしょう?」


 アルシャの言葉に、フィネガンは顔をしかめた。

 それこそは、彼自身、この時までずっと考えていたが答えが出せない謎だった。  


 今日の朝、新たに殺された一人。

 帝都警備隊・警邏部・第三班の班長、クリル・クレッサ。

   

 連続殺人事件の捜査で夜も昼もない中、捜査員たちは交代で仮眠をとったり、着替えなどを取りに家に戻ったりしていた。

 クリルも、昨日から非番で、三日ぶりに家に戻れると笑いながら警備隊本部を出ていった。

 それが、同僚たちにとって、彼との最後の別れとなった。


 死因は、胸の傷からの大量出血。

 その傷は、今までに起きた三件の事件と同じく、鉤爪状の武器によってつけられたような形状をしていた。  


 遺体の発見現場は、小規模な酒場や娼館が軒を連ねる、治安が良くないことで有名な界隈だ。

 第一発見者は、未登録の街娼だった。

 鉄臭い異臭を嗅ぎつけて、細い路地をのぞき込み、血の海に沈み込むようにして倒れている遺体を発見したのだ。

 彼女の悲鳴で人が集まり、帝都警備隊に通報が来た。

 

 だが、今回の事件は、今までのものとは明らかに異質だった。

 クリル自身は、御前試合への出場を目指す者ではない・・のだ。

 これ以前の三つの事件が、いずれも予選出場者を狙った犯行であったことから、警備隊も、その線に絞って警備と捜査の方針を立てていたのだが――


「なぜクレッサさんが殺されたのか……もちろん、その疑問もあります。

 ですが、どうして、彼があんな場所にいたのか?

 その点が、まず引っかかるんです。

 クレッサさんの人柄は存じてますが、あんな場所で遊ぶような人じゃない」


「その通りだ。何らかの手掛かりをつかんで、追っていたのかもしれん……」


「たったひとりで、ですか? それに、捜査ならば、武装するはずです。

 今までに三人も殺した奴を追うのに、何の武装もなくというのは、考えられませんよ!」


「武装できない理由があったのかもしれん」


 フィネガンは、険しい表情で宙を睨みあげ、拳を手のひらに打ちつけ始めた。

 考え事をするときの、いつもの癖だ。


「クリルは、私用で道を歩いていて……偶然、犯人を発見し……

 見失うことを恐れて、そのまま追った。武装する暇はなかった」


「だとすると、クレッサさんには、すでに犯人の目星がついていたということになりますね?」


 フィネガンは、ばしっ、ばしっと、拳を手のひらに打ちつけた。

 アルシャの言う通りだった。

 犯人の目星がついていたならば、その時点で、フィネガンに報告を入れるはずだ。

 部長の決定があれば、捜査部の全員を動員することもできる。

 しらみ潰しの人海戦術で、容疑者のこれまでの行動を洗い出し、現在の動向を見張し、決定的な証拠をつかむのだ。

 むろん、隊員の中には、功名心にかられて情報を出し渋り、自分だけで事件を解決したがる人間もいる。  

 だが、クリル・クレッサとの付き合いが長かったフィネガンには、彼はそんな男ではないという確信があった。


「分からんな。……分からんことは、他にもある。

 今までの殺しは、本職の消し屋の仕事みたいに鮮やかだった。

 三人とも、ろくに抵抗した様子もなく、一撃でられていた。

 だが、今回に限って、激しく争った形跡があった。

 おかしいと思わんか。どうして、犯人はそんなに苦戦したんだ?

 あれだけの技量の持ち主なら、武装もしていない相手は、一撃で殺れたはず――」


「部長!」  


 激しい音とともに扉が開かれ、フィネガンの言葉を中途で絶ち切った。

 礼もそこそこに入ってきたのは、遺体の発見現場で遺留品の探索にあたっていた若い隊員である。


「現場の壁と地面から、こんなものが!」


 差し出された小さな白い布包みを開き、フィネガンは眉を寄せた。


「これは……毛、か?」


 白い布の上に載っていたのは、数本の毛だ。

 指の半分ほどの長さがあり、ほとんどが茶色だが、一本だけ、鮮やかな紫色のものが混じっている。

 だが、よく観察してみると、茶色のものは付着した血液が乾いてそう見えているだけで、もとは、すべてが紫色だったようだ。


「獣の、毛のように見えますが」


 アルシャがそのうちの一本をつまみあげて、ためつすがめつしながら、自信なさそうに言った。

 

 自然界に、これほど鮮やかな紫色の体毛を持つ獣など、存在しない。

 少なくとも、確認はされていない。


「おそらく、染めたものでしょう。

 クレッサさんともみ合った際、犯人が身に着けていたものから抜け落ちたに違いありません。

 これは、有力な手掛かりになりますよ!

 現場付近で、紫の毛皮製品を身に着けた者を見かけなかったか、ただちに訊き込みを開始します!」


「待て」  


 毛を持ってきた隊員が勢い込んで叫ぶのを、フィネガンは手のひらで制した。


「染めたものには……見えんな」  


 爪を立てて、強くこすってみても、色が剥げない。

 光に透かせば、芯まで同じ紫色であることが分かる。

 染めたものならば、内側には地の色があるはずだが、それがない。  


 では――

 紫の毛皮をまとう野獣が、この帝都のどこかに潜んでいるということか?  

 そして、次々と人を殺している?  

 そんな馬鹿な。

 自然の獣が、ここまで狡猾に姿を隠し、あんなふうに獲物を選んで、人殺しをやってのけるはずがない。  

 それならば――


「獣、ケモノ、か。紫のケモノ……《呪われし者》……?」


「はあっ? ……いえ、しかし、それは、まさか」  


 そんな馬鹿な、と言いたげな口調で、若い隊員は呻いた。  

 無理もない。  

 この帝都は、リオネス帝国の建国当初より、変わることなく帝国の中心であった。

 ここが大魔術師アレッサによる《結界》で守護されていることも、帝都に住む者なら誰でも知っている。  

 その有効性を今さら疑うなど、非現実的なことだ。 

 現に《辺境》地区からは年ごとに数百件以上も報告される《呪われし者》による犯罪が、この帝都では、リオネス帝国建国以来の二百二十年間、ただの一度も起きていないではないか――


「ああ。……まさか、な。  

 だが、ともかく、こいつは重要な証拠品だ。

 あるいは、魔術に関わるものかもしれん。

 ダンドレアのところに届けて、詳しく分析させろ」  


 ダンドレアは、この帝都警備隊の古株だ。

 彼自身、優秀な魔術師であり、《鑑定士》の肩書きを持っている。


 これまで、人間の魔術師で、本来の肉体の構造を――自分自身のものであれ、他者のものであれ――他の生き物のように変化させる、いわゆる「変身」を成功させた者は誰もいない。

 見た目だけならば、完全に変化させる魔術があるが、それは「幻術」の領域である。

「変身」の能力を有するのは《呪われし者》と、遠い昔に滅びた《魔性》たちくらいのものだ。


 だが、動物を操る魔術ならば実在する。

 凶暴化させ、人を襲うように仕向けることもできるのかもしれない。

 この事件には、あるいは、そういった術を使いこなす魔術師が関わっているのではないか?

 ――いや、駄目だ、想像による思い込みは危険だ。


 フィネガンは自分の顔をごしごしと強く擦ってから、驚いたような顔をしている若い隊員に視線を戻した。


「いいか。ダンドレアの鑑定で、はっきりした結果が出るまで、お前は誰にも、何も喋るな。

 俺が今、口にした推測も、誰にも漏らすなよ。

 現時点では、何の証拠もない、単なる俺の想像に過ぎん。

 もしも誤った思い込みが広まれば、今後の捜査に悪影響が出る」


「了解しました!」


「中でも」


 じろり、と視線の圧力を強めて、念を押す。 


「《呪われし者》のことは、絶対に口にするな。

 この帝都で《黒の呪い》が発生したかもしれんなどという噂が広まったら、市民がパニックに陥る。そんな事態は、絶対に避けねばならん。

 何も喋るなよ。喋ったら、俺の手で絞め殺すぞ。分かったか?」


「はっ!」  


 隊員が、緊張した口調で返事をする。

 急いで毛を包み直す手つきは、いまや、どことなくおっかなびっくりだった。

 部屋を駆け出してゆく隊員を見送ってから、フィネガンはアルシャに視線を戻し、言った。


「アルシャ、総員呼び出し。非番の奴も総動員だ。

 魔術師が関わっている線も視野に入れて、捜査を仕切り直す」  


 一呼吸置いて、表情は変えずに、続けた。


「……ただし、ラインスは、捜査から外す」  


 アルシャは、顔をかげらせた。


 ラインス・クレッサ――  

 殺されたクリル・クレッサの息子。

 御前試合への出場を控えた、警備隊の若き星で、今回の試合の優勝候補の一角とも見なされている。  


 二人とも、敢えて口には出さなかったが、息子が出場者であることと、クリルが殺されたこととが無関係であるとは、とても思えなかった。  

 今回の犯行は、あるいは……ラインスに何らかの警告を与えるために行われたのではないか?


「あいつは、落ち着いているように見えて、激しやすいからな。

 私怨に駆られて暴走しかねん。

 御前試合も近い。無理やりにでも休暇をとらせて、家にいさせろ」


「しかし部長、それはかえって危険ではありませんか?  

 捜査から外せば、彼は、ひとりで犯人を突き止めようとするかもしれません。

 組織のなかに置いたほうが、独走は防げると思いますが?」  


 アルシャの言葉に、フィネガンは首を振った。


「その心配はないだろう。

 奴には、今、放り出すことのできないものがあるはずだ」


「妹さんのことですね……」  


 沈痛な面持ちでアルシャは呟いたが、フィネガンは、これでこの話は終わりだとばかりに背を向けた。


「後で、こっちに何人かよこしてくれ。

 他の街の警備隊から回ってきた資料の中に、似たような事件がなかったか、洗い直させる」


「はい。……あの、あまり、ご無理はなさらないでくださいね」  


 アルシャは、遠慮がちに付け加えた。  

 フィネガンが、一連の事件が始まって以来、誰よりも熱心に動き回り、睡眠もろくにとっていないことを彼は知っている。


「何が無理だ」  


 思った通り、フィネガンは不機嫌そうな声音になった。

 自分が崩した資料の山を、がさがさと荒々しくかき集める。


「俺より、ずっと大変な奴はいくらでもいる……」



     *     *     *



「嘘つき!」  


 言葉と共に振り下ろされた拳を、若者は、甘んじて受けた。  


 死者の聖堂。

 この世界を守る十二の神々のうちの一柱、運命を司るという《顔のない女神》――


 その神殿の半地下に築かれたこの場所に、今、命ある者は、彼ら二人しかいなかった。  

 天界に棲むという様々な生き物が、無数の柱の上にレリーフとなって凍り付き、二人を見下ろしている。


「お兄ちゃんたちが、ちゃんと警備してるから、もう誰も殺させないって……

 大丈夫だって、言ったじゃない!  

 どうして、こんなことになっちゃうのよぉ! 嘘つき!」  


 茶色の髪の娘は、涙を流しながら、目の前の若者の胸を叩き続けた。

 その仕草に、力は、ほとんどこもっていない。

 だがそれは、若者にとって破城鎚の一撃にも等しい痛みをもたらした。


「すまない、ティア……本当に……」  


 若者の容貌は、背は遥かに高く、身体つきはたくましいものの、少女とよく似通った面影を宿している。

 若者――ラインス・クレッサは、声を震わせることのないよう、驚異的な意志の力で自制しながら静かに言った。


「親父がこんなことになったのは……俺のせいだ。

 俺が……御前試合に、出場しさえしなけりゃ、こんなことには……」  


 歯を食いしばった呟きは、ティアの耳にはほとんど届いていなかった。


「父さん……父さん……!」


 兄の胸を打ち疲れた彼女は、くずおれるように床にひざをつくと、傍らに安置された棺に取りすがって泣いた。  

 棺の蓋は開かれており、その中に横たわる死者の姿をあきらかにしている。  

 清めの儀式はすでに済み、血に塗れた衣服は純白のそれと取り替えられていた。

 その男は、一見すると、静かに眠っているように見えた。

 

 ティアが、父の冷たい手をとり、涙に濡れた頬に押し当てる。

 まるで、自分の温もりを相手に注ぎ込めば、再びその血に熱が戻るのではないかとでもいうように。  

 だが、その大きな手が彼女の肩を抱くことは、もう二度とないのだ。


「父さ……っ」  


 不意に、ティアの嗚咽が止まる。

 それは、すぐに苦しげな呻き声に変わった。

 彼女は棺の縁にすがったまま、胸元をつかむようにしてあえいだ。


「ティア!?」


「だい、じょ……ぶ」


 悲鳴のような兄の呼び声に応えたのは、切れぎれのささやき声だった。


「馬鹿、大丈夫なわけがあるか! ――おまえ、また、熱が上がってるじゃないか! もうだめだ、戻って寝ろ!」


「嫌……あたし、父さんの側に、いてあげる……」


「だめだ!」


 痩せた両肩をつかんで揺さぶり、ラインスは妹を怒鳴りつけた。


「今すぐに家に戻って寝ろ! でないと、怒るぞ!?

 おまえまでいなくなったら――」


 はっとして、彼は口をつぐんだ。

 まるで、口にしたことばが、不吉な運命を呼び寄せることを恐れるかのように。

 妹の肩をつかんだ手から、急速に力が抜けてゆく。

 やがて彼は、ずっと低い位置にある額に、こん、と自分の額をぶつけた。


「兄ちゃん、一人になっちまったら、淋しいだろうが」


「お兄ちゃん……」  


 涙をこぼして呟いた少女の目が、そのとき、はっと見開かれた。

 それから、彼女は静かに、視線だけを動かした。

 いまだ離していなかった、物言わぬ父とつないだ手のほうへと。  


 一方、ラインスは、ひとりごとのように呟き続けている。


「心配はいらない。おまえは、なんにも、心配することはないからな。

 俺の手で……必ず……」  


 ラインスの両手が、華奢なティアの肩をしっかりと包み込んだ。

 彼の目には、妹を守ろうとする兄の、揺るぎない決意が浮かんでいた。  


 ティアの片手がゆっくりと上がって、兄の指にそっと触れる。  

 彼女の、もう片方の手が、何かを密かに握りしめたことに、ラインスは気付かない。  



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ