刃のない剣の名誉
「イーサンの奴が喧嘩を吹っかけたようで、すまんな」
応接室の長椅子にどっかりと身を預けながら、ガストンは言った。
傍らの小さなテーブルでは、あの金髪の女性――ガストンの夫人であるキャッサが、一同のために手ずから茶を淹れている。
春の花のように可憐な印象のキャッサは、ガストンと並んでいると、一見親子のようにさえ見えた。
最近、茶の葉合わせに凝っているそうで、遠来の客人に美味な茶を淹れるのだと、たいそう張り切っている。
「あいつも、性根はいいんだが、どうも短気に過ぎる。
せっかく剣の筋がいいってのに、あの通りの猪突猛進なもんで、すぐに足元をすくわれちまうんだ。
御前試合の予選でも、いいとこまで行ったんだが、ちょっと挑発されてカッとなったところを、あっさりやられちまってなぁ」
「ああ……」
ガストンの言葉に、フェリスは、とりあえず相槌を打った。
なるほど、自分の名乗りを聞いてイーサンが逆上した理由は、これで何となく分かった。
だが、今、一番訊きたいことは他にある。
「閣下。ひとつお尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
グウィンも同じことを考えていたらしく、彼らしい率直極まりない物言いで、いきなり尋ねた。
「さきほど、閣下は門下生の方に『外で余計なことを言うな』と仰っていましたが……あれは一体、どういうことなのでしょうか?」
「おう、あれなぁ。まあ何だ、その」
グウィンの質問に、豪胆な人柄で知られるガストンが、いくぶん歯切れの悪い口調で唸る。
「つまり、あれなんだよ。
フェリスちゃんが、殺されちまうといけないんでな!」
「はぁっ?」
ガストンの言葉に、珍しくも、フェリスとグウィンの声がぴったりと唱和した。
もちろん『殺される』という穏やかならぬ単語に驚いたこともある。
だが、何より、いきなりそんなことを言われても、話の筋道がまったく見えない。
「やはりな。今朝着いたばかりで、その様子では、まだ知らんのだろうなと思っとったよ」
「はい……まだ、何も」
「遠路はるばる来てくれて早々、こんなことを言うのは心苦しいんだが。
実のところ、今年の御前試合は、かなり、きな臭いことになっておってな」
ガストンが重い調子で語り始めた内容に、フェリスたちは、目を見合わせた。
なんと、帝都ではここ最近、御前試合に関わる者たちが次々と殺害される事件が起きているというのだ。
これまでに、はっきり分かっているだけで、三人もの人間が殺された。
「連続殺人事件……!?」
「御前試合の出場者を狙って、ですか?」
「ああ、そうだ。……いや、正確に言えば、やられたのは『出場者』ではなく『その資格を得るための予選に出ようとしていた者たち』だな」
帝国の剣技の最高峰を決める戦いだ。
御前試合に出場するためには、フェリスがそうだったように、まず予選を突破して、その場に立つ資格があることを証明しなければならない。
予選は、帝国各地で行われるが、もちろん、この帝都でも、最も大規模な予選が開催される。
殺された者たちは、三人とも、帝都で行われた予選に出場しようとしていた剣士たちだった。
今のところ、それ以外には、被害者に共通点は見出されていない。
もともと帝都に住んでいた者、今回の予選のために遠くから旅をしてきた者と、出身地もばらばらで、おそらくは生前に互いが顔を合わせたことすらなく、三人の間に何らかの人間関係があったとは考えられなかった。
予選そのものは、厳重な警戒の中、何事もなく実施されたのだが、まだ犯人が捕まっていない以上、いつ、次の殺人が起きてもおかしくはない。
ライバルを抹殺するために出場者の誰かが暗殺者を雇っただの、いや、そうと見せかけた大掛かりな陰謀の一端だのと、噂だけが錯綜している状況だ。
「三人とも、抵抗したあともなく、ただの一撃で殺られていたそうだ。
大の男、それも御前試合を目指すほどの男たちを一撃で倒すとは、犯人は、相当な使い手とみていいだろう。
そして、変わった武器を使うらしいって話だ。
死体には、巨大な獣に引っ掻かれたような爪痕がついておったとか……
棍棒に、釘か刃を植えつけたもので殴られたのではないかと言われておるな」
「爪痕?」
ガストンの話に注意深く耳を傾けていたフェリスの顔色が、変わる。
「じゃあ、それって《呪われし者》の仕業なんじゃないんですか?
獣みたいに変身して、相手を殺したってことじゃ……」
「いや、それはないな」
フェリスのことばに、ガストンは小さくかぶりを振った。
「確かに、よそから来たフェリスちゃんがそう思うのも、判らんではない。
特にリューネの辺りでは《黒の呪い》の害がすさまじいと聞くからな。
だが、この帝都リオネスだけは、話が違うのだ。
《アレッサの結界》の話は、聞いたことがあるだろう?」
「結界、ですか?」
「教えたぞ……以前にも、船の中でも……」
きょとんとした顔のフェリスの隣で、静かに頭を抱えるグウィンである。
魔術師たちは、現在のリオネス帝国において、学者たちを除けば最も学問に通じた存在であると言っていい。
彼らは幼いころから《帝国魔術学院》において高度な教育を受け、魔術の制御と同様に、歴史学、地理学、語学、そして科学や天文学といった広範な知識を習得するからだ。
マクセス・レイドがグウィンを娘の副官に任じたのは、戦場における相棒としてのみならず、家庭教師として、知識の面でも彼女を支えるようにとの意図があったからだった。
――まあ、そちらの意図に関しては、あまり成功しているとは言えなかったが。
フェリスは、学問に関してはまったく熱心な生徒ではなかった。
帝都への長い船旅のあいだ、グウィンが船酔いで青い顔をしながらも今が好機とばかりに寝台の上から様々な講義をしてくるのを「ふーん……」と聞き流しながら、となりで素振りをしていたくらいだ。
そんな二人の様子を見て、ガストンは、わははと豪快に笑った。
「フェリスちゃん、帝国の貴族たるもの、歴史はしっかりと学んでおいたほうがいいぞ。
よいかな。五百年前よりも以前、この大陸は《魔性》と呼ばれる者たちが支配する、恐ろしい世界だった。
人間種族が、彼らの奴隷、家畜、実験材料として扱われていた、暗い時代だ」
「あ……《暗黒時代》ですね。それは、習いました」
「おう。《魔性》は、遠い昔、こことは違う別の世界から攻め込んできて、人々を虐殺し、生き残った者たちを奴隷とした。
《魔性》による支配は長く続いたが、五百年前、とうとう人間種族が先頭に立って彼らに反旗をひるがえし、勢力関係は逆転する。
これが《大戦》と呼ばれる戦いだ。
《魔性》は、刃向った人間種族を返り討ちにせんと、さまざまな兵器や魔術を使い……
《黒の呪い》も、このときに生み出されたものだと言われておる」
「はい。それも習いました」
フェリスの返答に、力がこもる。
戦いに関することならば、よく覚えているフェリスだ。
「うむ」
フェリスの反応に気をよくしたように、ガストンは座り直し、おほんと咳払いをして喉の調子をととのえた。
武門に生まれた者ならば誰でも、この物語を知っていて、何度聞いても胸を熱くする。
それは、人間が――いや、この世界に住む全ての種族が過去に体験した中で、最大級の戦いだったのだ。
「《大戦》は長く続き、大地が沈み、海が干上がるほどの激烈なものとなったが、多くの英雄たちの活躍と、この世界を守護し給う十二の神々の御加護もあり、とうとう人間種族は《魔性》に対して勝利をおさめる。
それから百年にも及ぶ《大掃討時代》を経て、《魔性》はついに絶滅した。
そして、当時の混乱状態の中から、この大陸で最初に復興した都市、それが、このリオネス市だ。
もっとも、当時はまだ、帝国はなかったがな」
「ええっと、確か……人間の王国、レティカが建国されるんですよね?」
「そうだ。その立役者が、大魔術師アレッサ。
この名前は、フェリスちゃんも、むろん知っておるだろうな?」
「もちろん! 《黒の呪い》に対抗する方法を発見した、偉大な魔術師です。
《黒の呪い》を抑制する精油の素、アレッサの花の呼び名は、その魔術師の名前からとられたものだって。
その人がいたおかげで、あたしたちは今《黒の呪い》の脅威に対抗することができているんです」
「……その通りだ。たまには、俺の講義を聞いていることもあるらしいな」
グウィンが重々しく会話に加わり、続けた。
「人間世界の復興の拠点として、大魔術師アレッサが、この街のいしずえを築いたのだ。
アレッサは《黒の呪い》が、ある種の《場》の中では発症しなくなることをつきとめた。
そして、その《場》を作り出す《結界》で、この街全体を囲んだのだ。
《結界》の発動以来、三百三十五年間――
リオネス市の城壁の内部で《黒の呪い》を発症した例は、これまで、ただの一件も確認されていない」
「……あれ!? でも、そんなことができるなら、どこの街でも、それをやればいいわよね!?」
「そんな大規模な《結界》を設置できるほどの力を持つ魔術師は、今はもう、この世界にはいないのだ」
そう呟いたグウィンの表情に、フェリスは、ある種の悔しさを読み取った。
過去、多くの魔術師たちが生涯をかけて求め、目指して、それでも果たせなかった目標――
この世界から《黒の呪い》を駆逐すること。
グウィンもまた、多くの先人たちと同じ道の途上に立っているのだ。
「えーと……それじゃ、とにかく《呪われし者》の線は消えるってことで……
犯人の目星は、今のところ、全くついてないと……?」
「うーむ」
話を戻したフェリスの問いかけに、ガストンは、がしがしと片手で顎髭をしごいた。
「それが、そうでもなくてな。
街の噂では、帝都での予選を通過した六人のうちの一人……
前回と前々回にも優勝しているドナーソン将軍が、最有力の容疑者ということになっとるんだ。
だが……わしは現役時代、奴と、ちょっとばかり付き合いがあってな。
わしの知る限りでは、そんなことをする人間には、とても思えんのだが……
ま、あくまでも噂ということだ。
帝都警備隊からは、犯人について、まだ何の公式発表もない。
決め手になる証拠が、何も出とらんのだ」
「そう……ですか……」
予想もしていなかった事態が明らかになり、フェリスは、思わず呆然として呟いた。
くもりひとつなく磨き上げられた模擬剣、光る鎧。
優れた技と、誇り高い心を持った剣士たちが、力のかぎりを尽くして腕を競い合う――
幼いころ、マクセスにねだって何度も話してもらった御前試合の様子は、フェリスの心に、輝かしいイメージとなって焼きついていた。
辺境の戦士たちには、『刃のない剣の名誉』という考え方がある。
辺境で生きることは、すなわち、不断の闘争だ。
絶えることのない《呪われし者》どもとの闘争において、きれいごとは通用しない。
多勢に無勢も、だまし討ちも、平然と行うことができなくては生き延びることはできないのだ。
中央の騎士たちのなかには、そんな辺境の戦士たちの戦い方を蔑む者もいた。
誇りを持たず、戦いの名誉を知らぬ輩だと。
だが、そうではない。
「ひどいわ」
ようやく、そう口にしたとき、フェリスの声は、怒りのあまり震えていた。
「誰の血も流れないからこその、試合じゃないの?
そりゃ、命のかかった実戦なら、どんな汚い手を使っても勝たなきゃならないわ。
だけど……試合には、誰の命もかかってないじゃない。
だからこそ、純粋に技を尽くして、思うぞんぶん競い合い、己の技量を確かめることができる……
そのために、試合では、卑怯なふるまいは、決してしてはならない。
そうじゃないの!?」
命のやり取りの場では、情けも容赦もなく、悪どいまでの策を弄する辺境の戦士たちだが、ひとたび「試合」の場に立ったときには、馬鹿正直なまでに規定に忠実に、正々堂々の勝負をしようとする。
常に生死の境に身を置いて戦う彼らにとって、それが、誰の命も奪うことのない、刃のない剣で戦うときに守るべき名誉なのだ。
「許せないわ。光輝ある御前試合を、血で汚すなんて。
あたしは、ずっと昔からこの試合に憧れて、楽しみにしてたのに……!
くそーっ、どこのどいつよ!? ぜったい許さーんっ!」
「待たんか馬鹿者」
ぶつぶつ呟いていたかと思うといきなり猛然と立ち上がり、ずかずかと出ていこうとするフェリスを、グウィンが腕を掴んで引き止める。
「どこへ行く気だ、どこへ?」
「知れたことっ!
その犯人とかいうやつを探し出して、この手でぶった斬ってやるのよっ!」
大胆というか豪快というか直情径行というか、すでに、発想が常識の範疇ではない。
「さっき、試合に殺しは厳禁だと、自分で言っていなかったか……!?」
「でも、このまま犯人を野放しにしといたんじゃ、これからもっと出場者が減っちゃうかもしれないでしょ!?
それじゃ、試合が面白くなくなるじゃないのっ!」
――それが本音だ。
「閣下!」
フェリスは、呆気にとられているガストンに向き直り、勢いよく膝を詰めた。
「その犯人について、なにか、少しでも分かってることはないんですか?
あっ、そうだ! 今までに殺しがあった場所は?
そこから、犯人の行動範囲を予想して……」
「落ち着け、フェリス!」
厳しい声が、ばしりとフェリスの耳を打った。
ガストンのものではない。
一度は高めた声を、すぐにいつもの調子に戻し、グウィンは言葉を続けた。
「ここは、リューネではない。辺境警備隊の男たちもいない。
たった一人で犯人を見つけだすつもりか? そんなことは不可能だ。
――おまえがここに来た、本来の目的は何だ? 御前試合で優勝することだろう。
ならば、余計なことは考えず、そのことにだけ集中しろ」
「でも、その試合自体が今、めちゃくちゃにされようとしてるんじゃないの!
それを、黙って見てろっていうの?」
「あのう、少し、よろしいかしら?」
不意に、激しい言い争いに割り込んだのは、和やかとしか言いようのない声だった。
それまで熱心な様子でやりとりに耳をかたむけていたキャッサが、会話に加わってきたのだ。
「わたくし、お話をうかがっていて、ひとつ、作戦を思いついたのですけれど」
芳しい湯気をたてる碗をテーブルに並べ、可愛らしく指を立てて言ってくる。
「あのね、こうですの。
フェリスさんが『私は御前試合に出場します』という看板を首からさげて、街じゅうを練り歩きますのよ。
そうすれば、犯人が目をつけて、寄ってくるかもしれませんわ。
そこをすかさず捕まえて、一刀両断に……!
ね? これって、名案じゃありませんこと?」
「は……はあ」
にこにこと見つめてくるキャッサに、さすがに呆気にとられながら、フェリスは曖昧な相槌を打った。
――確かに、自分自身を囮にするという作戦も考えないではなかった。
だが、それを、こうも堂々と他人から言われてしまうと、どう反応していいか分からない。
「どうする?」
キャッサの思いがけない提案にフェリスが勢いをそがれたのを見澄まして、グウィンが問いかけた。
むろん、彼は、夫人の提案など本気にしてはいない。
要するに、犯人探しなどという無謀なことはあきらめて、おとなしく試合を待て、と言いたいのだ。
かなり不本意な心持ちで、フェリスは歯噛みした。
だが、冷静になって考えれば、彼女自身の感情はともかく、グウィンの言うことが圧倒的に正しい。
土地勘もないこの帝都で、誰だか分からない犯人を探し出すなどという試みは、もはや、無謀を通り越して、現実離れしている。
「……そう、よね。ごめん、興奮しちゃって。
たしかに、グウィンの言う通りだわ。
試合が始まるまでは、この屋敷でおとなしくしてる……」
「うむ、そうだな、それが一番だろう。
わしとしても、親友の大事な一人娘に、危ない橋を渡らせるわけにはいかんからな!」
フェリスの言葉に、ガストンは、太い腕を組んでうんうんと頷いた。
「そう、気落ちするな」
抑えたつもりだったが、表情に悔しさが表れていたのだろう――
こちらを横目で見ていたグウィンが、不意に、低い声で言った。
「俺は武人ではないが……憧れの試合に泥を塗られて、おまえが悔しがる気持ちは分からんでもない。
だが、何も、その手で犯人を張り倒す必要性はないだろう。
おまえ自身が万全の態勢で試合に臨み、正々堂々と優勝しさえすれば、刃のない剣の名誉とやらは守られるのではないか?」
「え。……あ、うん」
意外な気持ちで、フェリスは答えた。
まさか、この男が、この場面で自分を励ましてくれるなどとは思っていなかったのだ。
「それに、何も、隠居みたいに屋敷に引きこもっていろってわけじゃないからな!」
茶碗を取り上げながら、こちらも励ますように、ガストンが言う。
「せっかくだから、うちにいるあいだ、暇をみて若いやつらの相手をしてやってくれんか?」
「若いやつらって、あの、お弟子さんたちですか?」
「おう。もっとも、あの様子じゃ、フェリスちゃんにとっては腕慣らしにもならんだろうが……やつらにとっては、またとない良い刺激になるだろうし。どうだな?」
「はいっ! 喜んで」
ガストンの申し出に、フェリスは微笑んで答えた。
御前試合当日まで、あと十五日。
それまでにイーサンと仲直りできればいいが、と、彼女は思った。
* * *
その翌日。
フェリスの心配に反して、イーサンは意外と潔い男だった。
「あんたには、完全無欠に負けたぜ!
女だからって侮って悪かった。すまねえ。この通りだっ!」
昨日は長旅の疲れもあり、早々に寝室に引きとって休んだフェリスは、イーサンたちと顔を合わせることがなかった。
今日になって、さて、一体どんな顔をして会うべきか……と内心思い悩みながら若者たちが集まっている前庭に顔を出したのだが、彼女の顔を見るやいなや、イーサンが猛然と走ってきて、がばと頭を下げたのである。
すわ反撃か、と身構えていたフェリスは、あまりの潔さに一瞬ぽかんとしてしまったが、イーサンばかりでなく、その場の全員が寄ってきて「姐御様」「姐御様」と伏し拝むので、ぽかんを通りこして、大声で叫んだ。
「『姐御』に『様』までつけるなぁぁぁっ!
一体何者なのよ、あたしはっ!?」
どうやら、道場一番の乱暴者であるイーサンをあっさりと下したことで、彼らはすっかりフェリスに心酔してしまったらしい。
今も、フェリスが事件についてちょっと質問をしたところ、練習そっちのけでぞろぞろと集まってきて、口々に自分の考えを述べている。
「犯人は、何てったって、ドナーソンが怪しいですよ!」
「そうそう。前回と前々回の優勝者ですからね。
ほら、名誉欲ってんですか? 連続優勝の栄誉は、手放したくねえでしょうよ」
「師匠の知り合いだって話っスから、疑いたいわけじゃねえっスが……
噂じゃ、かなり横柄なおっさんみたいっスよ。
自分の評判を守るためなら、やりかねねえ」
「なるほどねー……他には、怪しいっていわれてる人はいないの?」
本職気取りの重々しい口調で、顎に手などやりつつ、フェリス。
グウィンが見ていれば、苦笑いのひとつも浮かべただろうが、彼は今、当初の宣言通り、ガストンの書斎を借りて、黙々と読書にいそしんでいる。
「怪しいっつってもなぁ。何しろ、この状況だ。
出場者は全員怪しいっつうか……あ、悪い」
「ん? ……あ、いいって。気にしないで」
自身も「出場者」であるところのフェリスは、軽く手を振り、イーサンのことばを打ち消した。
「それじゃ、質問を変えるけど。
今のところ、他に、帝都の予選を勝ち抜いた人で、優勝候補って言われてるのは誰なの?」
「優勝候補ですか? そりゃ、もちろん――」
一人の少年が勢いよく言いかかって、なぜか、急に続きを飲み込んでしまった。
「……どうしたの?」
「いや、えーと……やっぱ、ここは自分たちの先輩を押すところだと思ったんですけど。それが、ちょっとばかりその、アレで」
「実は、今度の御前試合、この道場の先輩の、ラインス・クレッサさんも出場するんっスよ!
今は道場を卒業して、帝都警備隊に入ってらっしゃるんス。
すっげえ強い人なんっスけど……何つうか……イーサンと、ラインス先輩は、コレ関係のアレで」
小指など立てながら、引きつった笑いを浮かべて、口々によく分からないことを言ってくる。
そんな彼らを、イーサンが、ものすごい目付きでにらみつけた。
「てめえら、それ以上一言でも喋ったら張り倒すぞ」
その瞬間、どかっ! と鈍い音が響き、つんのめったイーサンは危うく地面に口付けをするところだった。
「……ってぇ! このクソ野郎、何しやがる!?」
「阿呆。てめえ、いつまでグダグダ言ってりゃ気が済むんだ? 男らしくねえ!」
びしりと言い放ったのは、オルトだった。
背後からイーサンに容赦のない蹴りを入れた彼は、いささか呆気にとられているフェリスのほうに向き直ると、さばさばと言い始めた。
「ま、要するにですね。
こいつは、ラインス先輩の妹さんの、ティアちゃんに惚れてるんですよ。
しかし、この通りの性格なもんで、ラインス先輩から、妹に近付くな! って睨まれてましてね……」
「そうそう。しかも、この前の予選では、運悪く、ラインス先輩と対戦が当たっちゃって!
見事にボロ負けした上に、説教まで食らっちまったという……」
「う、うっるせええぇっ! 黙れてめえら! 好き放題言いやがって!」
ずばずばと痛いところを突かれ、イーサンは地団駄を踏まんばかりの剣幕で喚いた。
「なっ、なるほど……それは確かに辛いもんがあるわねー。
あ、でも、あんまり気を落とさないで!
大丈夫よ、試合で負けても説教されても恋が実らなくても死なないから」
「てめえもうるせえっ!」
「ああ、優勝候補っていやあ、《無冠の貴公子》なんて呼ばれてる、キリエってのもいますよ」
わめくイーサンを完全に無視し、オルトたちが、あっさりと話題を戻した。
「あー、そうそう、あの男な!
いつでも優勝候補だが、いつでも次点っていう。
実際に優勝したことが一回もねえから《無冠の貴公子》」
「俺はあいつ、気に入らねえな!
顔がいいってんで、やたら女に人気があるが、男のくせにちゃらちゃらしやがって、鼻持ちならねえ野郎だ。
きっと、今度こそ優勝を狙って、ライバルを消してやがるに違いねえ!」
「……そりゃ、単なるおまえのやっかみじゃねえのかあ?」
「ふーん……」
腕組みをして、フェリスは唸った。
疑わしいとされる人物は何人もいるようだが、やはり、噂の域を出るものではないようだ。
「まあ、あたしたちは、昨日帝都に入ったばっかりだから、いくら何でも、疑われることはないだろうけど。
確かにこれは、あんまり、迂闊にうろうろしないほうがいいかもね……」
下手にうろついて、もしも近くで次の殺人など起ころうものなら、冗談抜きで容疑者扱いされかねない。
悔しいが、やはり、ここは自重して、御前試合の本番で、ばっちり優勝を決めるしか――
「……おぉーいっ!!」
門の外から、ほとんど転がるような勢いで一人の若者が駆け込んできたのは、ちょうどそのときだった。
恋人に贈る耳飾りを買うのだと言って、市場のほうへ出かけていた、ガストンの門弟の一人である。
「ガリス!? どうしたっ!」
「あ、あいつだ!」
怒鳴るように問いかけたイーサンに、唾を飛ばして、若者が喚いた。
「例のやつだ! ――例の、殺人犯が、出やがったってよっ!」
「!」
若者たちは、一斉に顔を見合わせた。
フェリスは、素早く立ち上がっている。
この時すでに、彼女の脳裏から「自重」の文字は跡形もなく吹っ飛んでいた。
「どこにだっ!」
「どこにって……ええと、ソレン通りを東にずっと行ったほう――」
「よし、行くぞっ! 案内しろっ!」
反射的に剣の柄を探って確かめつつ、完全に辺境警備隊の隊長の口調に戻って叫ぶ。
「俺も行くぜぇっ!」
即座に、イーサンがのってきた。
そのまま駆け出す三人の勢いにつられて、
「うおお! 姐御に続け!」
「姐御に続けーっ!」
若者たち全員が、どどどと土埃を立てながら後に続く。