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ユーザ剣術道場にて

 大陸全土でも数箇所しかないと言われる百万都市のひとつ、リオネス市――

 皇帝の居城《美しきマーズヴェルタ》を擁し、国そのものと同じ名を冠された帝都は、新年祭のはじまりを半月後に控えていた。


 雲一つない冬晴れの空から陽光が降り注ぎ、美しい街並みを照らし出す。

 どの家の戸口にも、色とりどりの造花と吹き流しが飾られ、厳しい冬の風も、その彩りによって心なしか温度を上げているようだ。

 ――もちろん、例外もあるが。


『ユーザ剣術道場  

 ~その心をもって盾となり その腕をもって剣とならん~』


 前庭の入り口となる表門のアーチの上に、そんな文言を掲げたその屋敷は、もとは大商人の別邸として使われていたのを、現在の主人が買い取ったものである。


「本来、厳粛に迎えるべき新年祭を、浮かれ騒ぎの口実にするとはけしからん!」


 という現当主の信念を反映して、古来からのしきたりにのっとり、冬でも色褪せないヒイラギの葉の束を玄関先に吊るしている他には何の飾り気もない。

 しかし、彩りに欠けるからといって、その屋敷に寒々しい空気が流れているかというと、まったくそんなことはなかった。

 むしろ、その逆で、暑苦しいほどである。


「二百九十八……二百九十九……三百! よし! 休憩だ」


 師範代のイーサンが叫ぶと、冬枯れの芝生の前庭で一心に模擬剣を振っていた少年たちが、一斉に悲鳴のような音をたてて息を吐いた。  

 痛む腕をぶらぶらと振る者、いきなりその場に寝転がる者、息を切らしながらも隣の友人と喋り出す者、色々である。

 ほとんどが十代前半の少年たちで、中には、イーサンをはじめとした数人のように、もっと年かさの者も混じっていた。  

 そこへ、屋敷から出てきた小柄な金髪の女性が、にこやかに声をかける。


「みなさん! 今日も寒いのにご苦労さま。

 今、温かいお茶を淹れましたのよ。焼き菓子もありますの。

 どうそ、おあがりなさい!」


 ジャム入りの紅茶と甘い焼き菓子に、少年たちが蟻のようにわっと群がった。


 その様子を尻目に、イーサンはぶらぶらと表門のほうへ歩いてゆくと、開きっぱなしの門扉から出て、足元の石段に腰を下ろした。

 模擬剣をかたわらに横たえ、石段を見つめて溜め息をつく。


 短く刈った黒髪に、ややきつい目付き。

 荒削りながらも、整った顔立ちだ。

 こうして物思いに沈んでいる様はなかなか絵になる、と言えないこともなかったが――


「イーサンっ!」


 そんな雰囲気をぶち壊すように、いきなり彼の首に太い腕が巻き付き、思い切り絞め上げた。


「ぐえ!」  


 顔を真っ赤にして、足をばたつかせるイーサン。

 ようやく腕を振りほどいて振り向けば、年かさの連中が、ずらりと勢揃いして彼を見下ろしていた。  

 そのうちのひとり――先ほど首を絞めてきた、こちらも師範代のオルトが、呆れたような表情で鼻息を吹く。


「てめえよぉ、なーに、一人でシケてんだ?

 御前試合の予選に落ちたこと、まーだ、しつこく落ち込んでんのかよ?

 いい加減にしろ。てめえがそんなんじゃ、下のもんに示しがつかねえ」


 仲間たちも、口々に言った。


「そうだぜ! いつまでもヘコんでたって仕方ねえだろ」


「よく考えろよ。負けたのは、たしかに悔しいだろうけど――

 今の状況を見てみろよ!」


「そうそう。こりゃ、神々のおぼしめしってヤツだぜ。

 負けて、かえって幸運だった――」


「うるせえ!」


 仲間たちの言葉をまるで受け付けない態度で、イーサンは喚いた。  


 彼らの身分は、ばらばらである。

 例えばイーサンは、ほとんど勘当同然とはいえ商家の三男坊だし、オルトは地図職人の次男坊だ。  


 彼らも、新年祭の御前試合を目指すことができる。

 各地で行なわれる予選を通過しさえすれば、その権利は誰にでも平等に与えられるのだ。

 御前試合に出場し、優れた戦績をおさめれば、上からの『引き』によって騎士身分を得ることも不可能ではない。  


 イーサンは大きな手で頭を抱え込み、がしがしとかきむしった。


「そういうことじゃねえんだ……そういうことじゃ」


「あー……」


 一人の若者が、同情したように呟く。


「おまえ、やっぱその、何だ……あれか。ティアちゃんのことで」


 その瞬間、電光石火の速さで跳ね上がったイーサンの裏拳をがつんと一発小鼻に食らい、その若者は後ろ向きに引っくり返った。


「黙れっつってんだろっ!

 それ以上ぐだぐだぬかすとぶっ殺すぞ、このハゲッ!」


「ひでぇ。俺、別にハゲてねーのに……」


 顔を押さえながら情けない口調で呻く仲間にはもはや構わず、イーサンは引き続き頭を抱え、後ろ向きな物思いにふけりまくる。

 さすがにこれは放っておくしかないと判断し、仲間たちは目配せをしあって、そろそろと彼から離れ――


「……ああ? 何だ、ありゃ」  


 ふと道の先に視線をやった一人が、ぽかんとした口調で呟いた。

 その口調につられて、イーサンも顔を上げ、その方向を見やる。  

 道の向こうから歩いてきているのは、奇妙な二人連れだった。  



     *     *     *



 その、わずか数分前。


「ないわね……ティンドロック卿の屋敷……」


 旅装に身を固めたフェリスとグウィンは、帝都の街角で、これ以上ないほどに道に迷いまくっていた。


「親父の地図によると、確かに、このへんのはずなんだけど……」


 手にした地図と、手近の屋敷の門に刻まれた家名とを指差して比べながら、フェリス。


「そんなわけがあるか。ここは貴族街ですらないぞ。

 そもそも、こんなミミズの散歩道のような地図、信用できるか」


 グウィンは、隠そうともせず、うんざりした表情だ。

 ここ帝都までの長い船旅のあいだじゅう、ずっと苦しめられていた「船酔い」の影響が、まだ抜けきっていないのかもしれない。


「う~ん」


 グウィンの言葉に、フェリスは、唸るしかなかった。

 無理もない。

 何しろ、朝方に帝都に上陸してこのかた、マクセスから渡された芸術的なまでにわけの分からん地図のせいで、あちらこちらと無駄にさまよい歩き、道を訊いた相手をことごとく混乱に落とし入れつつ、昼近い今の今までティンドロック卿ガストン・ユーザの屋敷を探し回っているのである。


 このあたりは、富裕な商人たちの邸宅ばかりが立ち並ぶ区域だった。

 貴族であり、かつての将軍でもある人物の住まいとしては、あまりに場違いな一角である。

 だが、マクセスの地図によると、たしかにこのあたりのはずなのだ。


「おのれ、親父、ぜったい許さん……

 そもそも『このへんにわしの友達が住んでるから、行って泊めてもらえ』なーんて、適当すぎると思わない?

 このぶんじゃ、あたしたちが行くって連絡すら、ちゃんと通ってるかどうか怪しいもんよね。

 先方には手紙を送ってあるから大丈夫だって、言ってはいたけど……」


 同意を求める調子でぶつぶつと愚痴っておいて、ちらりと反応をうかがうが、グウィンはすでにあきらめの境地に入ったか、黙々と歩を進めるのみで答えもしない。

 しかたなく、フェリスはふたたび通りの先に視線を戻した。

 大きな門の前を通るたびに家名を確かめるが、どれもこれも外れだ。


 おかしいわね、と、フェリスは心のなかで呟いた。

 ティンドロック卿の屋敷が見つからない、ということばかりではない。

 もうひとつ、さきほどからずっと気にかかっていることがあるのだ。  

 ――あまりにも、人通りが少なすぎる。  


 マクセスから聞いていた話では、帝都リオネスの人口は――驚くべきことに――百万以上。

 リューネ市の人口の、およそ百倍にも及ぶ。

 ふだんから活気に満ちた辻々は、新年祭の前ともなれば、人々でごった返し、道を横切ることすらも不可能なほどににぎわっている……ということだったのに。


「それにしても、静かね……」


 さすがに港の周辺は人通りも多く、それなりに賑やかだったのだが、いまや、通りにフェリスたち以外の人影は見当たらない。


「確かに、静かすぎる」


「何か、あったのかしら?」


「そうかもしれんな」


「何があったんだろ?」


「俺が知るか」  


 と、無意味な会話を続けながら歩いていた、そのとき。

 ふと目を上げたフェリスは、道を行った先の屋敷の表門に、数人の若者たちがたむろしているのを見つけた。


「あ、ちょうどいいわ! あの人たちに道を訊いてみない?」


「あいつらにか? ……何だか、ガラの悪そうな連中だが」


「この際、何でもいいわよ。ちょうど暇そうだし」  


 失礼な会話を交わしておいて、フェリスたちはずんずんとそちらに近付いていった。


「何だぁ? てめえらは」


 リーダー格とおぼしき黒髪の若者が玄関先の石段に立ち上がって、押し殺した声音で誰何してくる。  

 幼児が見たら、一発で泣き出しそうな形相だ。

 仲間たちもそろって青筋を立てているところを見ると、どうやら、こちらの会話の内容は丸聞こえだったらしい。

 だが、フェリスは気にも留めずに笑顔を作ると、


「あっ、すみません。少し、ものをお尋ねしたいんですけど。

 ティンドロック卿のお屋敷って、どのあたりにあるのか、ご存知ありません?」


「……何?」  


 フェリスの口から出たセリフに、イーサンは、目を丸くした。


「あんたら……うちの師匠に、何か用か?」  


 相手の言葉に、フェリスのほうも、は? と口を開ける。  

 と、後ろに立っていたグウィンが、杖でつんつんと肩を突ついてきた。

 振り向くと、彼は無言で、石造りのアーチを指し示している。  

 そこに刻まれた文字は――『ユーザ剣術道場』。


「あ! ここっ!?」


「あからさまに書いてある。さっさと気付け」  


 目付け役の皮肉を聞き流し、フェリスはたちまち表情を輝かせた。

 呆気に取られているイーサンの手を、強引に握りしめ、笑顔でぶんぶんと振り回す。


「はじめまして! あたし、リューネ市から参りました、フェリスデール・レイドです。こっちはグウィン。

 あなたがたは、ティンドロック卿の門下生の方ですね?

 ティンドロック卿にお取次ぎを願いたいんですけど……」


「だから、何の用だよ?」


 困ったように訊いてくるイーサンに、フェリスは、ぴたりと動きを止めた。

 ややあって、姿勢はそのまま、ぎぎぎぎぎ、と首だけでグウィンを振り向いて言う。


「どうしようグウィン……やっぱり、連絡が来てないみたい。

 板渡りと吊るし首と車裂き、親父を最も効果的に反省させられる方法はどれだと思う?」


「どれも処刑法だと思うのだが……」


 静かに呟いた目付け役から、目の前の若者に視線を戻し、フェリスは、とりあえず愛想笑いを浮かべた。


「あの、ごめんなさい。てっきり、もう連絡が来てるものとばかり――

 あたし、父がティンドロック卿と懇意にさせていただいているご縁で、帝都に滞在するあいだ、こちらに泊めていただくことになってるんです。

 あの、今度の御前試合に出場するために来たんですけど……」


「何だとおおぉぉっ!?」  


 出し抜けに、イーサンが吠えて掴みかかってきた。


「うわ!?」


「む……急に狂暴化したぞ。気をつけろフェリス、取って食われるかもしれん」


 フェリスは反射的に跳びすさって身構え、グウィンは落ち着いた口調で的外れな注意をする。

 この二人には知る由もないことだが、無論、イーサンを逆上させたのは『御前試合に出場』の一言であった。

 ようやく塞がりかけていた心の傷をざくざくと抉られて、まなじりを吊り上げ、激しく指を突きつけながら、イーサンが怒鳴る。


「てめえが……御前試合に出場だと!? 嘘だ! ふざけるんじゃねえ!

 てめえみてえなのが……女のくせに、予選を勝ち抜けるわけねえんだ!」


「何ですって?」


 その瞬間、フェリスの瞳の温度がすうっと下がった。

『女のくせに』――

 それだけは、フェリスに向かって決して口にしてはいけない、唯一無二の禁句だ。


 将軍の教育方針で、幼いころからガイガロス砦の兵士たちにまじって訓練を積んできたフェリスだが、九歳のころ、同じく従士見習いをつとめていた男の子たちに馬鹿にされ、大乱闘の末、相手の大将格の額を飼い葉おけでぶん殴って気絶させたという逸話はあまりにも有名だった。


「そう……そんなに、試してみたいの? あたしの実力……」


「やめておけ」


 断固とした調子で両者のあいだに割り込んだのは、グウィンだった。

 彼はゆっくりとイーサンに近付くと、ぽん、とその肩に手を置き、


「おまえは、まだ若い……命を粗末にするな」


「どういう意味よっ!?」


 フェリスが、思わず表情を元に戻して喚く。


「入れ」


 門柱に立て掛けていた練習用の剣をつかみ、庭のほうへ手を振りながら、押し殺した声でイーサンは言った。

 他の少年たちが驚いてざわめくが、気にも留めない。


「往来でやり合ったんじゃ、警備隊に逮捕されちまう。

 最近、取り締まりが厳しくなってるからな……

 だが庭でなら、心置きなく戦えるぜ。

 練習試合でケガ人が出ても、どこからも文句は出ねえ」


「おい、イーサン! 師匠の客だぞ!?」


「しかも女の子じゃねえか! 落ち着けよ!」


「黙れ」


 黒髪の若者は、本気で頭に来ているようだ。

 仲間を押しのけ、ずかずかと二十歩ばかり庭に踏み込んだところで、早くもこちらに向かって剣を構える。


「……性急すぎる男は、女にもてないわよ?」


「うるっせえっ! とっとと、かかってきやがれっ! 叩っ殺してやる!」


「できるなら、ね」


 さすがに腰の真剣は抜かず、フェリスは、荷物から引っ張り出した模擬剣を手に身構えた。

 瞬間、集まった若者たちから、おおというどよめきが起こる。


 その構えは、明らかに、彼らの誰よりも戦い慣れした戦士のそれだった。

 ただ立っているだけのはずなのに、大地に根を下ろした巨木のような安定感と、威圧感がある。

 イーサンもそのことを感じ取ったか、濃い眉をぐっと寄せ、すぐには仕掛けてこない。


「あれ、どうしたの? ためらうことないわ。思い切って来なさいよ」  


 フェリスはわざと挑発的な言葉を投げかけ、左手を柄から離して、ひらひらと動かした。

 ――思った通り。


「なっ……なめんじゃねえぇっ!」  


 怒り狂って、イーサンが突っ込んだ。


「遅いっ! 一本!」  


 ばしっ! と派手な音が響き、ほとんど何をどうされたのかも分からないうちに、イーサンは首筋をしたたかに打たれて危うく目を回しかかった。  

 どうにか踏み止まって顔を上げると、ほとんど元と同じ構えに戻ったフェリスが、余裕ありげに笑っている。


「このっ……でゃああぁぁっ!」  


 イーサンは雄叫びをあげ、腰だめに剣を構えて突っ込んだ。

 フェリスの身体が剣風を避ける羽根のように動いたと思うと、すいっ、と彼の背後に回り込む。  

 あっと思うより先に腰の後ろを軽く蹴られ、イーサンは突進の勢いもそのままに、顔面から芝生に突っ込む羽目となった。

 そのはずみで剣が手からすっぽ抜け、芝生の上を勢いよく滑っていく。

 完全に野次馬と化していた少年たちが、慌てて飛び退いた。


「二本。……武器をなくしたわね。投降する?」  


 地面に這いつくばった若者の首筋にぴたりと模擬剣の切っ先を当てて、フェリス。


「つ、強え!」


「圧倒的だ! ありえねえ!」


「何なんだ、この女……!?」  


 予想を遥かに上回るフェリスの戦いぶりに、動揺しまくって唸る少年たち。

 フェリスは芝居がかった仕草で髪を払いのけると、得意げに笑った。


「ふはははは! このあたしに剣をもって挑もうとは、身の程知らずもはなはだしいわねっ!

 今すぐその場にひざまずいて命乞いをするなら、命だけは助けてあげてもいいわよっ!」


「悪役か……お前は……」


 すっかり役柄に酔っているフェリスに、呆れて呟くグウィン。

 物語に登場する悪の女王――というよりは、邪神といった風情だが。

 と、その瞬間、イーサンの顔が真っ赤に膨れあがる。


「うぉおおおっ!」  


 フェリスの剣を払いのけ、彼は猛然と跳ね起きた。  

 剣を拾いに走るか、という周囲の予想を裏切り、なんと、徒手のままフェリスに殴りかかる。

 並大抵の人間ならば、なすすべもなく張り倒されていただろう。

 だが、いかんせん、フェリスは断じて、並大抵の戦士ではなかった。


「むうっ! その根性、気に入ったわっ!

 あんたも、辺境警備隊に入隊してみないっ?」


「はぁっ?」


 妙なせりふにイーサンが戸惑ったそのとき、フェリスの姿が、ばっと視界から消えた。


「!」


 その瞬間、いったい何が起きたのか、イーサン自身には、おそらくわからなかっただろう。

 相手の視界に入らないほど深くかがみ込んだフェリスは、突っ込んできたイーサンの両脚を抱えこみ、そのまま、自分の肩ごしにイーサンを投げ飛ばしたのである。


 うら若い乙女が、体格で遥かに上回る男をぶん投げるという常識外れの光景に、外野たちはそろってあんぐりと口を開けた。

 相手の勢いを殺すことなく利用する体術――

 理屈はわかるが、そんじょそこらの人間が実戦で用いられるものではない。  


 イーサンは、空中でほとんど一回転して、背中から芝生に叩き付けられた。

 これはさすがに効いたようで、ううっと唸ったきり、起き上がろうともしない。  

 と、そこへ。


「いやあ、見事、見事!」  


 突然、野太い声と一緒に、ぱちぱちと拍手が響き渡った。  

 全員が、弾かれたようにそちらを見やる。  

 いったい、いつからそこにいたのか。

 頭をつるつるに剃り上げた髭面の巨漢が、満足げな笑みを浮かべてこちらを眺めていた。

 その後ろには、小柄な金髪の女性が、やはりにこにこと微笑んで立っている。


「あっ!?」 


 その巨漢の右脚が木製の義足なのを見て、フェリスはただちに背筋を伸ばし、拳を胸に当てる帝国式の敬礼をした。


「閣下! お初にお目にかかりますっ!」  


 ティンドロック卿、ガストン・ユーザ。  

 五年前のクラウディオ戦役で右足切断の重傷を負って退役するまでは《不死身》のガストンと恐れられた陸軍の猛将であり、マクセスと並んで《帝国陸軍の双璧》とまで謳われた男である。

 今では、貴族社会との交わりをほとんど絶ち、こうして市井の少年たちに剣術や兵法を教えているという変わり者だ。


「帝国陸軍、リューネ常駐師団所属、フェリスデール・レイド!  

 このたび、えある御前試合に出場するため、同じくリューネ常駐師団所属の公認魔術師、グウィン・ホークをともなって参りました!」


「閣下ってのは、よしてくれ。わしはとっくに引退した身だ」


 フェリスの改まった名乗りに、ガストンは、ぐわっと笑みを大きくした。


「遠いところを、よく来てくれたな! マクセスから、話は聞いとるぞ。

 いや、しかし、聞きしに勝る腕前じゃないか。

 実のところ、その歳で、しかも女の子の出場は無謀じゃないかと思っとったが……こりゃあ、心配はいらんようだな!」


「あの、師匠?」  


 目いっぱい戸惑った口調で、オルトが声を上げる。


「こいつら……じゃねえや、あの、この方たちは、いったい……?」


「おっ? おう。そういえば、おまえらにはまだ話しとらんかったな」


 意外とひょうきんな仕草で、ぽんと手を打ち、ガストン。


「こちらのフェリスちゃんは、わしの親友のお嬢さんでな。

 今回の御前試合に出場するために、はるばる、リューネからやって来たってわけだ。

 おまえらも、聞いたことくらいあるだろう?

 辺境侯マクセス・レイドの秘蔵っ子、《リューネの戦乙女》フェリスデール・レイド……」


「げぇっ!?」  


 ガストンの説明に、悲鳴じみた声をあげ、若者たちがざざっとフェリスから離れた。

 驚き、どころではない。

 その表情からにじみ出ているのは、本物の畏怖だ。


「なんか、名前に覚えがあると思ったら……!」


「あの伝説の、リューネの戦乙女かっ!?」


「辺境地区最強の女……《皆殺し》のフェリスデール!?」


「ひいい! すっ、すんません! イーサンには悪気はなかったんです!

 どうか、とどめを刺すのだけは勘弁してやってください!」


「ひでえな、てめぇ!

 どうして、早くイーサンに教えてやらなかったんだよ!?」


「……なぜ俺が責められるのだ?」


 なぜか詰め寄られて迷惑そうなグウィンと、顔面蒼白の若者たちを見比べ、フェリスは、思わず顔を引きつらせた。


「あ、あのね。あんたたち……」  


 だが、彼女が苦情を申し立てるよりも早く。


「くぉら、おまえらっ!」  


 ガストンの大喝に、若者たちがびくりと肩を震わせ、口を閉じる。

 引退したとはいえ衰えのない迫力は、さすが《不死身》のガストンというべきか。


「どでかい声を出すなあっ! 今の状況を考えろっ!

 ……いいか! 絶対に、外で余計なことを言うのではないぞっ!?」


 ん? とフェリスは首を傾げた。

『状況を考えろ』とは、客人に対する非礼を咎める言葉だと思ったのだが――

『外で余計なことを言うな』とは、一体?


「分かったかぁっ! 返事はっ!?」


「はいぃっ!」


 内臓を突き抜けて腹の底まで響くような力強い怒鳴り声に、思わずフェリスも一緒になって踵を合わせる。

 それを見ていたグウィンが、頭が痛いとばかりに、こめかみをこすった。



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