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旅立ちの朝

     *     *     *



《蜘蛛の瞳》団を徹底的に壊滅させ、辺境警備隊の兵士たちがようやくその任務を終えたのは、夜明け前のことだった。


 激闘に疲れ果てた兵士たちが、借用した倉庫や納屋の床に、魚のようにごろごろと転がって仮眠をとっている。

 戦いのあいだ一睡もできず、消火作業に走り回った村の者たちも、それぞれの寝床で久々の安らかな眠りを享受していた。

 アレッサ・ウォーターの効果か、人蜘蛛に食いつかれたガーニィも、今は納屋のひとつで安らかな寝息を立てている。

 起きているのは、先輩たちに歩哨の任務を押しつけられた不運な新兵たちだけだ。

 ――いや、もうひとり、いた。


「今回も、なんとか片付いたわね。

 よかった。一人も、死なせずに済んで……」

 

 ぶつぶつと呟きながら、無人の道をふらふらと歩いているのは、フェリスである。

 汚れた防具は脱いで、衣服は着替え、もちろん兜もかぶっていない。


 辺境の戦士たちを率いて戦う女丈夫、という評判から人がどんな想像をするにせよ、フェリスは、おそらくはそれを上回って美しい娘であると言えた。

 茶色がかった緑の、大きな目が印象的だ。

 つんととがった鼻と、表情豊かな口元。

 朝日に映える長い金髪は、任務のあいだじゅう、きつく編み上げて兜の中に押し込んでいたために、まだ少しくせがついていた。


 そう、任務は、成功に終わった。

 もう少ししたら皆を叩き起こして、急ぎガイガロス砦――彼女たちの帰る家であり、『人間世界の盾』と呼ばれる城塞――に帰還し、将軍であり父でもあるマクセスに報告を済ませ……

 そして、御前試合に出場するために、帝都へ向けて出発するのだ。

 ほとんど折り返しになるその旅程を想像し、彼女はため息をついた。


 御前試合。

 それは、帝都で催される新年祭において、四年ごとに開催される、剣術の競技会だ。

 無論、ただの競技会ではない。

 そこに集うのは、各地で行われる予選を勝ち抜いた、いずれ劣らぬ名高い使い手。

 帝国の剣技の最高峰とうたわれる達人たちだ。

 さらに、会場には、このリオネス帝国を統べたもう皇帝その人が来駕する。

 武門に生まれ、剣を志す者ならば誰でも、一度は立ってみたいと憧れる晴れの舞台――


 フェリスもまた、幼いころから、この試合に出てみたいと願い続けていた。

 御前試合は、帝国各地で行われる予選を勝ち抜きさえすれば、生まれや身分にかかわらず出場が許されることになっている。

 男女の別も関係ない。

 出場資格はただひとつ――『成年十五歳に満ちていること』。


 フェリスは今、花も恥じらう十七歳。

 誕生日を迎えたとき、フェリスが父親にねだったのは、香水でも宝石でもドレスでもなく、御前試合の場で身につける鎧だった。

 親愛のキスではなく、「必ず勝つ」という誓いと引き替えに、マクセスは娘に特別あつらえの武装を仕立てた。

 その誓いを守り、フェリスは、みごとに予選を勝ち抜いてみせたのだった。

 

 だが、幼い頃からの夢だった御前試合への出場も、新兵を六名抱えての《呪われし者》討伐という激務を終えた後では、棚に放り上げてベッドに潜り込みたくなってくる。


「くっそー、親父オヤジめ、非情な命令を……

 日程が、強行軍すぎるっての」


 歩きながら、ぶつぶつ文句を言うフェリス。

 彼女は貴族の娘でありながら、マクセスのことを「父上」などとは決して呼ばなかった。

「親父」と呼ぶ。

 彼女を孫のように可愛がっている古参の兵士たちが、冗談めかして、フェリスの前でマクセスのことを「親父さん」と呼ぶのがうつったのだ。


「ガイガロスからここまで来るだけで二日もかかったのに、それを、折り返し……」 


 なおもぶつぶつ言ううちに、フェリスはまさしく昨夜立っていた、村の西の端までたどり着いていた。

 呼子を胸にかけ、村の入り口を守るように立っていた歩哨が、彼女の姿を見て慌てて背筋を伸ばし、胸に拳を当てる帝国式の敬礼をする。


「おはようございます、隊長!」


「あ、おはよう、フィロス」


 若い歩哨は、あからさまに緊張していた。

 彼女の戦いぶりを目にしたことのある若い兵士は、例外なくこんな反応をする。

 単に、眠気覚ましに散歩をしていて、たまたま足が向いただけなのだが、もしかすると仕事ぶりを視察に来たと思っているのかもしれない。

 疲れてるのに、悪いことしちゃったな、と少し反省しながら、フェリスは労いの言葉をかけてその場を立ち去ろうとした。


「……あれ?」


 遥か向こうの赤茶色の丘を、朝日を浴びながら下ってくる幌馬車の列が彼女の目にとまったのは、ちょうど、その瞬間のことだった。


「何だろ?」


「あれは……」


 隣で目を細めていた歩哨が、呆気にとられたような顔になって呟く。


「マッカランさんじゃないですか?」


「え?」


 そう、確かに、近づいてくる幌馬車隊の先頭で御者台に立ちあがり、こちらに大きく手を振っている男は、ガイガロス砦で「荷馬車のおっさん」として皆に親しまれているトニー・マッカランに間違いなかった。


 だが、なぜ彼が、このタイミングで、幌馬車隊を引き連れてツェルマート村に現れるのだろうか?

 二人がその答えを出せずにいるうちに、幌馬車隊は、すぐそばまで近付いてきた。


「おーいっ! お嬢さん、皆さーん! どうも、おはようございまーす!」


 みずから手綱をとっているマッカランが、がらごろと景気のいい音を立てて村の入り口に幌馬車を乗りつけ、爽やかに挨拶してくる。


「何だ、何だっ?」


「何事だ?」


「ありゃ、マッカランのおっさんじゃねえか?」


 騒ぎを聞きつけて、村人や兵士たちが次々と起き出してくる。


「いやあー、どうもどうも! お疲れさまです。

 ほい、これ、ガイガロス砦より愛をこめて。ツェルマートの皆さんにね!」


 集まってきた者たちに、荷馬車の積荷――食糧、毛布、薬品などの援助物資――をどかどかと手渡しておいて、マッカランは、年のわりには身軽な動作で、ひょいと馬車から飛び降りた。

 そこで急にあらたまった態度になり、懐から取り出した一通の封書を、うやうやしくフェリスに差し出す。


「どうそ、お嬢さん! レイド将軍から、ことづかってきたもんです」


「……親父から?」


 何が何だかさっぱりわからないままに、フェリスは紋章の入った蝋の封印を開け、手紙の文面を追っていった。



『おはよう! 我が娘よ。元気にしとるか?

 これがそっちに着く頃には、ちょうどいい感じにカタがついてるだろうな?

 おまえが率いる部隊に敗北はありえないと信じて、マッカランを送り出したぞ。


 マッカランには、ツェルマートへの援助物資と一緒に、おまえたちが準備していた帝都行きの旅支度を丸ごと持たせた。

 それを持って、そのまま帝都に向かえ。

 港町オドネスまでは、マッカランが馬車で送ってくれる。

 わしのサイン入り乗船許可証も荷物の中だ。


 部隊の帰還の指揮は、バウルに任せてしまっていい。

 彼には、もう話をつけてある。

 ――わざわざガイガロスまで引き返してから出直す手間を省いてやろうという、この親心! ありがたくて涙が出るだろう?


 あとは、オドネスから帝都まで、優雅な船旅だ。

 帝都に着いたら、試合までは、ティンドロック卿ガストン・ユーザの屋敷に泊めてもらえ。

 わしの古い友人だ。先方には、すでに連絡してある。

 屋敷への道順は、同封の地図を参照。

 数年前に訪ねたときの記憶をもとに描いたもんで、ちょっと怪しいか知らんが、そのへんはカンで何とかしろ。


 まあ、とにかく元気に行って帰ってこいよ! じゃあな。


                    父より


 追伸1 みやげは《道化》屋のひねり飴! 試合を忘れてもこれは忘れるな!


 追伸2 暴飲暴食は控えること!


 追伸3 優・勝!! ――勝てなかったら帰ってこなくていいぞ。』



「あ……あ……あンの親父はぁ~……っ!」


 読み終えた手紙を力いっぱい握りつぶし、それだけでは足りずにばりばり引き裂きながら、フェリスは唸った。

 その形相を目にした若い兵士たちが、ぎょっとして一歩退く。


「バウル! あんた、このことを知ってたのっ!?」


「はあ」


 大柄な身体を、申し訳なさそうに縮めて、バウル。


「すんません、隊長。任務遂行にあたって、変に気負うことになってはいかんというので、将軍閣下から、かたーく口止めされてまして……」


「くぅ」


 明らかに嘘くさい。

 こちらが驚くのを想像して面白がっていたに決まっている。

 あのタヌキ親父め、どこまで人をこけにすれば気が済むのか。


「おのれ親父~ッ、先に一言、言っといてくれさえすれば、あれほどやきもきせずに済んだのにっ!

 まあ、いいわ! これで、ゆとりを持って旅ができるわけだし……」


 自分自身を納得させるように呟き、フェリスは幌馬車の荷台によじ登って、荷物の点検をはじめた。

 出場許可証。新品の武装一式。旅費に携帯食料、薬、着替え……

 よし、何もかもそろっている。


「俺の荷物は?」


 そこへ、おもむろにグウィンが顔を出した。

 彼は、フェリスの目付け役兼護衛として、帝都への旅にも、当然のように同行することになっている。


「あるわよ。これでしょ?

 ……でかっ! しかも、重い! 何が入ってるの?」


 丈夫な布製の背負い袋を持ち上げて、フェリスは顔をしかめた。

 グウィンの荷物は、その簡素な袋がひとつきりだったが、その袋が、漬け物石でも入れているのかと疑いたくなるほど重い。

 荷物の主は、重々しく答えてきた。


「主に書物だ。俺はおまえと違って、ちゃんばら大会などに興味はない。

 帝都では、じっくりと読書に勤しもうと思っている。

 普段はどこかの凶暴な娘の目付けに忙しく、心静かに書物をひもとく暇もないからな……」


「誰が、凶暴な娘よっ!?」


 フェリスは荷台から飛び降り、鞘に収まったままの切っ先をグウィンに突きつけた。


「それに、ちゃんばら大会なんて、失礼なこと言わないで!

 四年に一度の栄えある御前試合を、何だと思ってんの?

 皇帝陛下から優勝者に下賜される《翼持つ女神の剣エルベリオン》は、剣士として最高の名誉の証で――」


 だんだん近づいてくる切っ先を、うるさげにつまんで横へどけ、グウィンはあっさりと言い返した。


「御前試合か何か知らんが、実戦でもないのに、あんな野蛮な鉄の塊を振り回してわざわざ殴り合うことの意義が理解できんな」


「野蛮ですってっ!? ふざけるなー!

 あんたなんか、真剣で百回素振りしたら、腕が上がらなくなっちゃうくせに!

 そんなんで御前試合にケチをつけようなんて、千年早いわっ!」


 フェリスとグウィンの口喧嘩を、若い兵士たちがぽかんとして見守っている。


「まあ、まあ、まあ!」


 言い争う二人のあいだに割って入ったのは、年かさの兵士たちだった。


「とにかく、思う存分暴れて、優勝をかっさらってきて下さいや!」


「そうだぜ。やわな都の剣士どもを、うっかり叩き殺さねえように気をつけろよ!」


 言って、どかどかとフェリスの背中を叩く。

 フェリスの初陣の時から兵士稼業をつとめている彼らにとっては、フェリスは、戴くべき指揮官であると同時に、娘のような存在でもあるのだ。

 若い兵士たちとは、彼女に対する口のきき方も違う。


 一方、バウルは、グウィンと向き合っていた。

 兵士と魔術師とは、戦い方も、物の考え方も、まったく異なっている。

 先程の、剣での戦いを蔑視するような発言からもわかる通り、グウィンは、ガイガロスの兵士たちとはあまり反りが合わなかった。

 バウルとグウィンが間近で視線を合わせたことで、周囲にちょっとした緊張が走る。

 ややあって、バウルは、ぽんっ、と若い魔術師の肩に手をかけ、言った。


「困難な任務とは思うが、おまえさんを信頼している。

 隊長の目付けを、くれぐれも頼んだぞ」


「ああ。周囲の被害を最小限に食い止めるべく、力を尽くそう」


「そこっ! 何の話っ!?」


 幌馬車に乗り込もうとしていたフェリスが喚き、兵士たちがどっと笑った。


「くっそー、みんな、何よっ!?

 あたしを、怪獣か何かだとでも思ってるの?」


「自覚があるなら、自重しろ」


 荷台におさまってぶつぶつ言うフェリスに、グウィンは、柵をひとまたぎにしながらそれだけ言った。

 そのまま、早々に仮眠をとりなおすつもりか、荷物を枕に、ごろりと横になる。

 その頭を拳で打つ真似をしてから、フェリスは、元気よく合図を出した。


「いいわよ、マッカランさん。出して!」


「頑張って下さい!」


 ずらりと並んだ兵士たちは、ごとごとと動きはじめた幌馬車に向かって大きく手を振りながら、思い思いに激励の声を張り上げた。


「絶対に、優勝しろよー!」


「実力を出し切って下さいね!」


「人間は、半殺しまでだぞ!」


「強盗は犯罪だぞー!」


 ――ちょっと違うのも混じっている。


「ひどい言われようだな」


「あんたが言うなっ!」


 薄目を開けて呟いたグウィンの頭を、今度こそ拳で一撃しておいて、フェリスは、荷台の後ろから大きく身を乗り出した。


「行ってきまーすっ!

 ぜったいに《翼持つ女神の剣エルベリオン》を勝ち取ってみせるからねっ!

 みんな、楽しみに待っててよーっ!」


 満面の笑顔で、手を振り返す。

 長い金色の髪が朝日を跳ね返して、本物の黄金のようにきらめいた。




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