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隠された真実を求めて

 戦いのときにも、平和のときにも――人の営みに関わりなく、朝はやってくる。

 長椅子に座り、書物に目を落としていたグウィンは、ふと顔を上げた。


「おう」


 のっそりと書斎の入り口に姿を現し、片手を上げてきたのはガストンだった。


「もう起きとったか、魔術師。……それとも、わしと同じかな?」


 言ったガストンの目の下には、うっすらと隈が浮いていた。

 昨夜《輝けるマーズヴェルタ》から屋敷に戻って以来、一睡もしていないのだろう。


《紫のケモノ》出現により、一時的に厳戒態勢となり、一切の出入りが禁じられたマーズヴェルタ城だが、その厳戒態勢は大方の予想よりも早く解かれることとなった。

《紫のケモノ》がドナーソン将軍の屋敷の庭で死骸となって見つかり、それを操っていた容疑で、将軍が逮捕されたためである。

 城内に留め置かれていた貴族たちは、早々にそれぞれの屋敷へと帰るように命じられた。

 それはおそらく、皇帝の情報戦略でもあったに違いない。


 ――一番人気の《鉄の男》が逮捕された!


 ――帝都警備隊と、城詰めの兵士たちが協力し、巨悪を暴いたのだ!


 ――ドナーソンは屋敷に化け物を飼い、魔術で操って、ライバルたちを殺させていた……


 ――《紫のケモノ》の死骸とともに、獣を操る魔術について記した本が、屋敷内で発見され、押収されたそうだ……


 ――もう、外出のたびに怯えることもない! ようやく安心して新年を祝うことができる……!


 この喜ばしい噂は、貴族たち、その屋敷に勤める使用人たち、そして帝都警備隊の面々の口から速やかに伝わり、朝日も射し初めぬ早朝から、帝都じゅうを駆け巡っていた。

 賑やかな市場の喧騒が、朝の微風に乗って、この屋敷まで届いてくる。

 昨日までは、これほどの賑やかさはなかった。

 皇帝の戦略は、見事に図に当たったと言えるだろう。


 グウィンは、肩をすくめ、小さく頷いた。


「閣下も、眠っておられないようだ」


「眠れるものか」


 赤い目をしてどっかりと長椅子に腰を下ろし、ガストンは、ごしごしとこめかみを擦った。


「やはり、信じられん。……わしには、どうしても信じられんのだ。ドナーソンが、あんな真似をするなど」


「閣下は、今回《ケモノ》が出現したとき、ずっとドナーソン将軍と共におられたのでしょう?」


「ああ、そうだ。その間、怪しい振る舞いなど一つもなかったわ。

 わしは、城で、正面切ってあいつを問い質した。今回の事件との関わりの有無をな。

 奴は、ただ、わしを見て『そんな卑怯者と思うのか』とだけ言いおった。

 ……わしは、あいつがそんな男だとは、どうしても思えんのだ!」


「しかし、死骸と、魔術の痕跡が出たとか」


「そんなものは誰かの陰謀に違いない!」


 どっしりとした低いテーブルを、岩のような拳で叩いて、ガストンは唾を飛ばした。


「確かに、あいつが最も疑われておったことは事実だ。そこに付け込んで、何者かが、あいつを陥れようとしたに違いない!」


「では」


 グウィンの鋭い視線が、ガストンを射抜く。


「閣下は……真犯人は別にいると?」


「その通り」


 ガストンもまた、揺らぐことのない真剣な表情でグウィンを見返す。


「魔術師、油断するな。この事件は、まだ終わってはおらんぞ。必ず裏がある。フェリスちゃんの身も、安全とは言えん……」


 少女の名を出したとき、ガストンは、お、と声には出さずに目を見開いた。 

 その瞬間、苛烈とさえ言えるほどだったグウィンの目の光に、ふっと柔らかさが戻ったような気がしたからだ。


「そのことについては、心配しておりません。あいつの身柄は今、皇帝陛下の庇護の下にある」


 口から出るのは、そっけなく吐き捨てるような言葉ばかり。


「それに、あいつは、一人で城に留め置かれたところで、心細いなどと思うようなタマではありませんから」


「だが……本当は、行ってやりたいんだろう?」


 ガストンの畳み掛けに、応えはなかった。

 グウィンは顔をそむけ、窓の外に視線を投げる。

 その視線の先には、フェリスがいるはずの《輝けるマーズヴェルタ》が、朝日の輝きを受け、その純白の威容を浮かび上がらせていた――



     *     *     *



 帝都警備隊本部、捜査部の詰所は、ここ一ヶ月で初めて、静かな朝を迎えていた。

 せわしなく駆け回る足音も、報告の大声も聞こえない。

 代わりに聞こえてくるのは、寝言といびき、そして歯軋りの音だ。


 散らかった空の酒瓶、つまみ、こぼれた酒の跡が、昨夜のどんちゃん騒ぎの様子を物語っている。

 ほとんどの隊員たちが床にぶっ倒れて豪快な寝顔を見せ、中には、酒瓶を抱えたままずるずると壁にもたれた姿勢でいびきをかいている者さえいた。

 無理もない。

 ここのところ、全員、連日の捜査で眠る間もなかったのだ。

 

 だが、昨晩、とうとう《紫のケモノ》が死骸となって発見され、それを操っていた疑いで、ドナーソン将軍が城詰めの兵士たちに逮捕された。

 ここにいる者たちの大多数が、昨日の突入のメンバーだ。

 通常ならば、貴族の屋敷の敷地内に、帝都警備隊が踏み込むことなどありえないと言っていい。

 しかし、昨夜は、皇帝の命令で動いている城詰めの兵士たちが一緒だった。

 敵が敵だけに、少しでも頭数が多いほうが心強い……というわけで、異例の共同突入となったのである。

 最初の殺人が起こって以来の帝都警備隊の苦闘、奮闘も、ようやく終結のときを迎えたというわけだ。


「うぅ……」


 茶色の目をだるそうに細め、柔らかそうな髪に指を差し入れてくしゃくしゃとかき回しながら、アルシャ・ベリムはふらふらと起き上がった。

 頭ががんがんする。

 窓の外からは、小鳥の声が聞こえた。

 まだ、日も射し初めぬ明け方だ。

 ――と、いうことは、飲み始めてから、それほどの時間は経っていない。

 それなのに、ここまで見事に全員が潰れてしまうとは。


「ひどいもんだなぁ」


 死屍累々、という言葉がぴったりと当てはまりそうなその光景を目にして、アルシャはため息をついた。

 倒れている者の中には、普段、酒豪で鳴らしている面子も交じっている。

 それだけ皆、疲労が溜まっていたということだ。


 不意に、猛烈な喉の渇きを感じ、アルシャは側に転がっていたゴブレットを手に取ると、倒れている仲間たちを踏まないよう、並んだ机に手をついて身体を支えながら歩いていった。 

 部屋の隅には、水売りから買う飲料水を入れた壷が据えてあるのだが、


「あっ、くそ」


 蓋を取ってみると、中身はすでに飲み尽くされた後だった。


「そうだ、部長の部屋……」  


 なぜか代々、部長の執務室にだけは、専用の水壷が置かれる慣わしになっている。

 フィネガンの副官として用を務め、普段から執務室に出入りすることも多いアルシャは、ためらうことなくそちらに足を向けた。

 ――だが、一歩、執務室に入ったところで、アルシャの足はぴたりと止まった。

 眠っていない者は、もう一人いたのだ。

 この部屋の主である、帝都警備隊捜査部部長、フィネガン・トロウ。

 彼は椅子に深く身体を沈めて宙を睨み、ばしっ、ばしっと音を立てて、拳を手のひらに打ちつけていた。

 完璧に整頓された机の上には、ほとんど酒が減っていないゴブレットが置かれたままになっている。

 一種異様な気迫に圧され、アルシャが何も言えずにいるうちに、フィネガンはじろりと視線を向けてきた。


「他の連中は?」


「皆、幸せな夢の中です」


 言いながら、フィネガンが視線だけで促してくるのに応え、小さく頭を下げて水を汲み、一気に飲み干す。

 酒に焼けた喉を潤してくれる水は、いつになく甘く感じた。

 酒そのものよりも、この瞬間の水のほうが美味いと、いつも思う。


「部長は、お飲みにならなかったんですか?」


「……気分が乗らん」


「何か、気になる点でも?」


 問うと、フィネガンは、アルシャをじっと見つめてきた。

 相手の酔い具合が、果たして自分の思考についてこられる程度のものかどうか、慎重に見極めようとするかのように。


「見ろ」


 やがてフィネガンは小さく手を振り、アルシャは、机の上に置かれているものを見た。

 ゴブレットで押さえられた紙の上に、毛が数本、載っている。

 ――紫色の毛が。


「これは?」 


「昨晩、城の連中が死骸を持っていく前に切り取ったものだ」


 フィネガンの言葉を聞きながら、アルシャはそのうちの一本を手に取り、しげしげと眺め――はっとした。

 鮮やかな紫色の毛の、根元のほうだけが、黒い。

 爪を立て、強く擦ってみた。

 細かい(かす)のような粉を出して、紫の毛は、半分だけ黒い毛に変わった。


「染めてある……!」


 アルシャは、信じられないというようにフィネガンを見た。


「では、これは……偽物、ですか!? まさか――」


「これまでは神出鬼没だったケモノが、今回に限って、多くの人間の前に姿を見せた……」


 拳で手のひらを打ちながら、フィネガンは唸るように言った。


「ドナーソン将軍は、最も怪しい一人だと言われていた。

 ケモノが、城にその姿を現し、ドナーソン将軍の屋敷に姿を消し……そこで、ケモノの死骸と、魔術の書物が発見される。

 これまでのやり口の巧みさとは、似ても似つかん失策だ。

 ……気に入らんな! どう考えても、話が出来すぎている」


「では」


 もはや、酔いなど、どこかに吹っ飛んでしまっている。

 アルシャは慎重に毛を置き、真剣な表情でフィネガンを見つめた。


「部長は、ドナーソンはシロだと? ――真の黒幕は別にいて、そいつが、ドナーソン将軍に罪を着せたというのですか?」


 フィネガンは、はっきりと頷いた。


「アルシャ、考えてもみろ。誰かが、試合に勝つために、ライバルを消して回る。そして優勝する。……さあ、最も怪しいのは誰だ?」


「ゆ、優勝者です……」


「その通りだ。子供でも分かる。

 これまでの犯行から見て、犯人は相当に慎重で、抜け目のない奴のはずだ。

 そいつが、そんな間抜けな成り行きを許すと思うか?」


「なるほど! だからこそ、真犯人は、試合前のこの時期に、やはりドナーソン将軍こそが黒幕だったのだという演出をして、自分から疑いの目を逸らそうと……!?」


 そこまで言ったアルシャの目が、限界まで見開かれる。 


「それでは、危険な犯人が、まだこの帝都に野放しになっているということじゃないですか!?

 こうしてはいられません! すぐに、皆を起こして……!」 


 勢い込んで叫んだアルシャを、素早く上がったフィネガンの手のひらが制する。


「な」


 アルシャは、口をぱくぱくさせた。


「なぜです、部長!? こんな――」


「事件は、もう終わった。そういうことになったんだ」


 フィネガンは、静かに言った。


「皇帝のお膝元、帝都を揺るがす連続殺人事件……とっとと犯人を挙げなければ、国内外に対して示しがつかん。お偉方は、相当に焦っていたはずだ。

 そこへ、今回の逮捕劇。……完璧な筋書きだよ。お偉方は、一も二もなくその筋書きに乗った。

 俺たちの手元にある物証は、数本の毛だけ。あとは全て、推測に過ぎない。こんな脆弱な証拠で、このうまい筋書きの流れをひっくり返すことなどできん。物証は全て、城詰めの連中が持って行ってしまったことだしな。

 ドナーソン将軍は、数日中に貴族審問院で裁かれる。おそらく、将軍が真犯人だったということで事態は決着するだろう。それで、終わりだ」


「そんな!」


 アルシャは思わず、ばんと執務机に両手をついてフィネガンに詰め寄る。


「部長は、それでもいいのですか? 無実の者が断罪され、真犯人は、野放しのままだなんて! 三人が殺され、僕たちの仲間も殺されたのに!

 そう、このままでは、クリル・クレッサさんも浮かばれませんよ! それに、残されたラインスさんと、ティアさんの気持ちだって――!」


「だから、このことは、誰にも言うな!」


 急に跳ね上がったフィネガンの声量に気圧され、アルシャは口をつぐむ。

 フィネガンは額を押さえ、いっそう深く椅子に身体を沈めると、今度は呟くように言った。


「アルシャ。これ以上、俺たちには、手が出せん。……俺たちの仕事は、もう終わったんだ」


 彼は、それきり、もうアルシャの方を見なかった。


「家に帰れ。久しぶりに、ベッドで眠ってこい……」


 それ以上、何を言うこともできず、アルシャは執務室を出た。

 そのまま、隊員たちがぶっ倒れている部屋を突っ切り、がらんとした廊下を通り、本部の建物から出る。


 ようやく日の昇った空は、雲ひとつなく青く澄み渡っていた。

 久しぶりに戻ってきた平穏を祝うかのように、市場からは賑やかな喧騒が伝わってくる。

 ――この平穏は、偽物なのだ。

 腹の底に感じる勝利の美酒の余韻は、いまやとてつもなく重く、苦いものでしかなかった。


「くそっ!」


 玄関の柱に、拳を叩きつける。

 見上げた空には、朝日に照らされた《輝けるマーズヴェルタ》が、白々と佇んでいた。



     *     *     *



「こいつじゃない!」


 開口一番、フェリスが叫んだ言葉に、周囲からどよめきが沸き起こった。


 貴族審問院の敷地内に設けられた、遺体安置所だ。

 貴族が関わる事件についての裁判は、貴族審問院が行う。

 通常、遺体安置所は、殺人などの被害者の遺体を証拠として保管するために用いられるが――

 今、フェリスと、そしてキリエの目の前の床に置かれているのは《紫のケモノ》の死骸だった。


 ただ二人、《紫のケモノ》の姿をはっきりと見、そして生き残ったフェリスたちは、死骸の検分のために召喚されたのである。

 がっと剥き出された牙、凶悪な爪。

 そして、薄暗い蝋燭の明かりにもはっきりと浮かび上がる、紫色の毛皮――

 フェリスは、激しくかぶりを振った。


「あたしたちが戦った相手は、こいつじゃありません。絶対に確かです! ね、そうでしょ、キリエ!?」


 審問官たちのどよめきを意にも介さず、傍らに立ったキリエを見上げる。

 キリエもまた、まじまじと死骸を見ていたが、やがて、審問官たちに向かい、はっきりと首を横に振った。


「確かに、フェリスさんの言う通りです。もっと、狼のような姿をした奴でした。これは、どう見ても違う……」


「そう! それに、目の光が異様だったわ。普通の動物じゃなかった。これは、ただの熊じゃないですか!」


 帝都の人間には、馴染みのない獣だろう。

 だが《辺境》育ちのフェリスは、幼い頃から何度も熊を見たことがあった。


「よおっく、ご覧になってくだされよ」


 金の筋が三本入った純白のローブ――審問長官の法服をまとった老人が進み出て、なだめるように言った。


「庭園は、かなり暗かったはず。しかも、急に襲われて、神経が動転しておるときですからな。細かい部分を見間違えたり、見落としたりということもありましょう。

 これが、あなた方を襲った《ケモノ》であることは、疑いのないところじゃて。ほれ、爪に、血の跡が見られる」


「そんなもの、芝居の化粧と同じよ。塗っておけばすむことだわ!」


「それに、この紫の毛皮……」


「な……何、これ!? ちょっと、これ、染めてあるじゃない! あたしは、帝都警備隊の人から、本物の《ケモノ》の毛を見せてもらったことがあります。あれは、染めたものじゃなかった!」


「ほう、そんな報告は、受けておりませぬがのう」


 しわの奥に埋もれた審問長官の目が、ぎろりと光った。


「しかし、他の証拠もまた、これこそが帝都を騒がせた《紫のケモノ》に間違いないという事実を示しておりますぞ。

 ドナーソン将軍の屋敷からは、獣を操り、意のままに動かすための魔術について記した書物が発見されたのです。そのための、特殊な道具もですぞ。

 これぞ、決定的な証拠ではありませんかな?」


「でも、こいつじゃない」


 フェリスは、頑強に言った。

 証拠がどうの、というようなことなど、フェリスには関係なかった。

 ひとかどの戦士は、己自身の目に頼るもの。

 権威ある者の言葉などで、その確信は揺らがない。


「絶対に、こいつじゃないです! ねえ、本当に、これが屋敷で発見された死骸なんですか?」


「ぶ、無礼な!」


「何ということを!」


 周囲に集まっていた審問官たちが色めき立ち、長官が、しわだらけの拳を振り回して叫んだ。


「言葉を慎まれよ! フェリスデール・レイド殿、あなたは、貴族審問院を侮辱なさるおつもりか!?」


「でもっ、どう考えても、おかしいですよ! こんなの……」


「フェリスさん!」


 この瞬間、キリエが素早く制止しなければ、フェリスは決定的な一言を発してしまっていただろう。

 こんなの、偽物じゃないですか! という一言を。

 キリエはフェリスの肩を押さえ、耳元に口を寄せて、鋭く囁いてきた。


「堪えて! この場で、これ以上うかつな発言をしては、ドナーソン将軍を庇っていると見なされる。あなたまで逮捕されてしまいますよ!」


「でも!」


 フェリスがなおも言い募ろうとしたとき、その目の前に、ずいと灰色の衣に包まれた腕が突き出された。


「そこまでになさい、フェリスデール・レイド。貴族審問院への侮辱は、このわたくしが許しません」


「陛、下……」


 薄い灰色のヴェールの下から、ルーシャの青い目が、斬りつけるような視線でフェリスを一瞥する。

 それだけで、フェリスは口をつぐんだ。

 ルーシャ――皇帝ルーシャ・ウィル・リオネスは、一転して柔らかな微笑を浮かべると、恭しく頭を下げた審問長官たちにことばをかける。


「ドナーソン将軍の屋敷の者たちへの調べは、進んでいますか?」


「は、もちろんでございます。程なく、将軍の事件への関与を示す証言が出て参りますでしょう」


「むろん、その調べというのは、定められた法に基づき、適切に行われているのでしょうね」


「はは。もちろんでございます」


「よろしい。次の報告を待っていますよ。……さあ、おいでなさい。フェリスデール・レイド、キリエ・フラウス」


 さっと裾をさばき、踵を返したルーシャに、まったく納得のいっていない表情のフェリスと、戸惑ったような顔つきのキリエが続く。

 その後からぞろぞろと、舞踏会の会場にもいた、表情をうかがわせない従僕の男たちが続いた。


 自分よりも少し小柄なルーシャの背をまじまじと見つめて歩きながら、フェリスは、その真意をはかりがたい思いだった。

 ドナーソン将軍は秘密結社《青の教団》の一員――

 すなわち、ルーシャの同志のはずだ。


(そんな人が……仲間が、今まさに、濡れ衣を着せられそうになってるのに! 陛下は、どうして、そんなに落ち着いていらっしゃるんですか!?)


 一同は無言のまま、《輝けるマーズヴェルタ》の広い広い庭を横切り――

 やがて、行く手に小川と小さな林、そして、その陰に隠れるようにして建った小さな小屋が見えてきた。


(あ! あそこは……)


《黒檀の間》。

 暗かったときとは、ずいぶんと様子が違って見えるが、あそこは確かに、昨夜、フェリスたちが招き入れられたあずまやに違いなかった。

 ルーシャに付き従ってきた男たちは、何を命じられるまでもなく、あずまやの周囲に展開して歩哨に立つ。


「お入りなさい」


「失礼します」


 ルーシャに促され、フェリスとキリエは再び《黒檀の間》に足を踏み入れた。

 手ぶりですすめられるまま、椅子に腰を下ろす。

 ルーシャもまた、自ら椅子を引いて座り、被っていたヴェールを外し――


「ああ、まったく!」


 素顔を見せた瞬間、まったく出し抜けにルーシャが叫んだので、二人は思わずびくっとして飛び上がった。

 ルーシャはすんなりとした眉をしかめ、額を押さえて、首を振る。


「困りましたわ。まさか、このような事態になろうとは。

 あの者たちは、すっかりドナーソン将軍を有罪にする気でいますわね。

 さて、どうしたものかしら?」


(ああ……やっぱり!)


 フェリスは、思わず笑顔を浮かべそうになって、慌てて表情を引き締めた。


(やっぱり、ルーシャさまは、あたしが思ってた通りの人だった!

 仲間が冤罪で逮捕されたってときに、それを見捨ててのうのうとしてるような人じゃないはずって、信じてたんだよね……!)


「あれは、完全な濡れ衣ですよ!」


 思わずテーブルを拳で叩きながら、力のこもった口調で、フェリス。


「あの死骸は、真っ赤な偽物でした。きっと、屋敷で発見されたっていう魔術の本や道具も、死骸と一緒に用意された偽物だわ。

 あの人たちか、警備隊か……でなきゃ、他の誰かの陰謀ですよ! 小細工で、ドナーソン将軍に罪をなすりつけたんです!」


「ええ……間違いなく、真犯人の仕業でしょう」


 外したヴェールを机の上に置き、厳しい表情で、ルーシャ。

 フェリスの隣で、キリエが、ずいと膝を進めた。


「陛下。陛下のお力で、ドナーソン将軍の窮地を救うわけにはいかないのでしょうか?」


 キリエの言葉に、ルーシャは、小さくかぶりを振った。


「貴族審問院は、ドナーソン将軍を起訴する意向を固めています。状況は、限りなく彼に不利であると言えるでしょう。

 そして《青の教団》の存在を公表することができない以上、この状況で、わたくしが表立って彼を庇護することもできない……」


「あっ、でも、あたしたちは昨夜《紫のケモノ》の姿をはっきりと見てます! あたしたちが証人になって、この死骸は違う、偽物だってことを、審問の場で証言すれば……!」 


「フェリスさん」


 勢い込んで叫ぶフェリスを制し、ルーシャは、静かな口調で続ける。


「貴族審問院の側には『ケモノの死骸』に『魔術の書物』という物的証拠があるのに対して、あなたがたのは、目撃証言だけです。

 月明かりがあるとはいえ、庭園はかなり暗かったわ。先ほどのように、見間違いとされて、黙殺されるのが関の山でしょうね」


「そんな!」


「それに、おそらく、あなたがたは、審問に召喚されない・・・・でしょう」


 ルーシャの言葉に、フェリスとキリエは、えっ、と同時に顔を見合わせた。


「どっ、ど……どうしてです!? あたしたちを呼ばないなんて、有り得ないじゃないですか! だって、あたしたち二人だけが、《紫のケモノ》を間近ではっきりと見たのに!」


だから・・・、です」


 ルーシャの表情は相変わらず厳しく、その声は、決して激昂することなどないかのように静かだ。


「あなたがたは先ほど、彼らの大事な『証拠品』に疑念を述べ立てました。

 貴族審問院は、早く事件を終わらせたい――つまり、さっさとドナーソン将軍を有罪にしたくてたまらないのです。

 そのための審問を行うのに、明らかに自分たちにとって不都合な証言をするであろう証人を、わざわざ召喚すると思いますか?」


「そんなっ……!?」


 そんなもの、裁判ではない。単なる茶番劇ではないか。

 あまりにも理不尽な状況に、フェリスは思わず言葉を空回りさせ、口をぱくぱくと開け閉めした。


「だっ……だいたい、他にも、おかしいことがあります!

 これまでは、誰も姿を見たことがなかった《紫のケモノ》が、どうして、昨日に限って、人目も多いし、警備も厳重な城に姿をあらわしたんでしょう?

 ただ単にキリエを殺すつもりなら、屋敷にいるときか、城に向かう途中で襲ったほうが確実だったはずです!」


 キリエが、驚いたように目を見開いてフェリスを見る。

 構わず、フェリスは唾を飛ばさんばかりの剣幕で言い募った。 


「それなのに、《ケモノ》は昨夜、わざわざ城に姿を現した。まるで、人々に、その姿を見せ付けるみたいに!

 どう考えても、不自然ですよ! 芝居がかってる。

 そう……あたしたちはみんな、その芝居に、まんまと乗せられちゃったんだわ!」


 フェリスの推理は、奇しくも帝都警備隊本部でフィネガンとアルシャが交わした会話の完璧な再現であったが、無論、彼女たちには知るよしもない。


「なるほど……!」


 キリエが、大きく頷く。


「確かに。私も、フェリスさんの仰るとおりだと思います。

 昨夜、大勢の人間が、ケモノを目撃しました。あの状況下で、ケモノがドナーソン将軍の屋敷のほうに向かい、そこで死骸と魔術の痕跡が発見されれば、誰だって、将軍が犯人だったのだと信じるでしょう……

 そう皆に思い込ませることこそが、真犯人の狙いだったのでは?」


「本物の《紫のケモノ》は、まだ捕まってない。

 事件は、まだ終わっていないわ!

 それなのに、勝手に事実を捻じ曲げて話を作っちゃって、自分たちに都合のいい嘘の証拠で、人を有罪にしようなんて……!

 こんなの、絶対におかしい! 陛下、このリオネス帝国は、法治国家じゃなかったんですか!?」


 思わず叫んだフェリスを、ルーシャは、その底知れない青い目で見据えた。


「フェリスさん。――だからこそ、彼らに対抗することは難しい」


 ルーシャの静かな顔の前で、フェリスの表情は、目まぐるしく変わった。

 驚き、落胆……そして、燃え上がるような怒りへと。

 だが、その怒りが言葉となって噴き出す前に、ルーシャは、突然、にっこりと微笑んだ。


「そう、完全な、決定的な証拠……動かぬ証拠を、彼らの目の前に、はっきりと突きつけない限りはね」


「動かぬ……証拠?」


「そうよ。確かに、昨夜の逮捕劇はほとんどすべて、真犯人が書いた筋書きの通りに運んだことでしょう。

 けれど、ただひとつだけ、真犯人にとっての誤算があった。

 ――あなたがたが、生き延びたことです」


「!?」


 再び、目を見合わせるフェリスたち。

 ルーシャは、ほほと笑って人差し指を立てた。


「考えてもごらんなさい。もしも犯人が、大会での優勝を狙っているのならば……当日、その者は必ず、試合の・・・会場に・・・現れる・・・

 そして、目撃者であり、邪魔なライバルであるあなたがたを、どうにかして亡き者にしようとするはず……」


「なるほど!」


 ルーシャの言わんとしていることを悟り、フェリスは、目を輝かせて手を打った。


「つまり、その時こそが、真犯人をとっ捕まえるチャンス……!

 御前試合の会場が、決戦の場になるというわけですね!」


「その通りです。

 試合の当日までは、わたくしがルーシャ・ウィル・リオネスの名にかけて、あなたがたの身柄を守り抜きましょう。もちろん、要りようのものなど、何でも不自由のないように届けさせます。

 ――そして、貴族審問院に掛け合い、判決の日を、御前試合の日以降に延ばさせておきましょう。

 フェリスさん、ウォリスタ伯。後は、あなたがたが頼りですよ。

 万全の体調で御前試合に臨み、人々の眼前で、真実を明らかにするのです!」


「よおぉぉぉっし……!」


 ぐんっ! と両の拳を固め、気合いを入れる手付きをして、フェリスは叫んだ。


「燃えてきたぁ!」


 そう、彼女は《辺境の戦乙女》。

 魅力的な男性の前であろうと、皇帝その人の前であろうと、大きな戦いを前にした高揚感を押し殺すことなどできはしない。

 固めた拳をそのままに、右拳を胸に当てる帝国式の敬礼をする。


「お任せ下さい、陛下! そいつの優勝は、あたしが阻止します!

《魔性》だか何だか知らないけど、自分が優勝するために何人も殺したり、他人を陥れようとするなんて、絶対に許せない!

 そんな奴の手に《翼持つ女神の剣エルベリオン》は渡せないわ。

 陛下、あたしは何があろうと、真っ向から戦って、優勝します。

 真実のためにも、必ず、あの剣を勝ちとってみせます!」


「フェリスさん」


 傍らから、そんな声とともに、フェリスの肩にそっと置かれた手がある。


「私の存在を、忘れていただいては困りますね」


 キリエはにっこりと微笑み、その直後に、ぐっと表情を引き締めてきた。


「無論、私も同じ心です! あの剣を、余人の手に渡しはしません。

 たとえ《魔性》が相手であろうとも……そして、あなたが相手であろうとも、です!」


「上等……!」


 フェリスは、にいっと笑った。


「そう」


 そんな二人を見つめ、まるで全てを見通す予言者のように、ルーシャ・ウィル・リオネスは静かに呟いた。


「全ては、御前試合の場で明らかになることでしょう」



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