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接敵

「あの、ウォリスタ伯?」


「どうぞ、キリエと」


「では……キリエさま」


 もしも、こいつが犯人なら――いくつか、かまをかけてやれば、尻尾を出すかもしれない。

 好奇心旺盛な姫君らしく、心もち身を乗り出してみせながら、フェリスは慎重に探りを入れ始めた。


「あなたもまた、あの剣を求めて戦われるのでしょう?」


「ええ」


「お噂はかねがね伺っておりますわ。……あの、正直申し上げて、わたくし、怖いのです」


「ほう?」


 フェリスのことばに、キリエの眉が上がった。


「何が、です?」


「もちろん、あの恐ろしい事件のことですわ」


 わざと、怯えたように身震いをしてみせる。


「あなたは、これまで何度も準優勝をなさっておいでですもの。狙われる資格はじゅうぶんですわ」


 何度も準優勝、の部分を、心持ち強調した。

《無冠の貴公子》――

 優勝を求める心は、ドナーソン将軍に勝るとも劣らぬはずだ。

 いや、ある意味、ドナーソン将軍以上に怪しいとも言える。


「嬉しいですね」


 それまで両手で軽く手すりに触れていたキリエは、全身でフェリスのほうに向き直ってきた。


「わたくしのことを、心配してくださるのですか?」


(ふん、悪びれないわね)


 本当にやましいところがないのか、それとも、そらっとぼけているだけか。

 後者だとすれば、マクセスにも匹敵する役者だ、とフェリスは思った。

 さらに深く踏み込んでみる必要がありそうだ。


「一部では、犯人は《呪われし者》なのではないか、という噂も流れているようですけれど……どう思われます?」


「《呪われし者》ですって?」


 キリエは一瞬、ぽかんとした顔になった。

 そうしていると、まるで少年のように見える。


「まさか。そんなはずはありません。この帝都は《アレッサの結界》に守られているのです。《呪われし者》が跳梁するなどありえない」


「でも、殺された者たちの身体には、獣の爪痕のような傷がついていたとか……」


「人間の仕業でしょう」


 こともなげに、キリエは言った。


「どこの誰だか知らないが、自分の正体を隠すために、怪物の仕業に見せかけているのだと思いますね」


「まあ……なんて恐ろしいこと!」


 実際には、怒りに燃えこそすれ、恐ろしいなどとはまったく思わない。 

 歯の浮くようなせりふに、自分でもむず痒くなってきた。


「そこまでして、勝ちたいと思うものでしょうか?」


「――私は、勝ちたい」


 何の迷いもなくキリエが口にした一言に、フェリスは、軽く目を見開いた。

 彼女のみどりの目を、鳶色の視線が貫く。


「武門の男子と生まれたからには、いつか、最強の称号を得たいと願うのは、自然なことではないでしょうか?」


 視線の真剣さとは裏腹に、口調はあくまでも優しく、穏やかだ。


「あなたもご存知でしょう? 私が《無冠の貴公子》と呼ばれていることを。

 そのような二つ名に、いつまでも甘んじているつもりはありません。

 卑怯な妨害などには惑わされず、正々堂々と戦い、今度こそは、栄冠を勝ち取るつもりでいます!」


「そのお気持ち、分かりますわ!」


 そう、思わず口をついて出た。

 あまりにも力強い賛同に、キリエの表情に困惑したような色が浮かぶ。


(しまったっ! つい……)


「つまり」


 ほほ、と笑って、付け加えた。


「わたくしも、男に生まれていたとしたら、きっと、そんなふうに考えると思いますの」


 キリエは、しばらく真面目な顔つきでフェリスを見下ろしていたが、


「あなたは、不思議な方だ」


 やがて、そのくちびるがふっとほころぶ。


「あなたと話していると、まるで、男の友人とでもいるような気分になります」


 うっ、とフェリスは思わず胸中で呻いた。

 ふだんの自分が女らしくないという自覚は、充分にある。

《辺境の戦女神》《皆殺しのフェリスデール》という二つ名が知れ渡っているリューネでなら、分かるのだ。

 だが、貴婦人ぶっている姿しか見せたことのない、今夜が初対面の相手にまでこんなふうに思われるというのは、相当な重症だ。


(やっぱり、あたしって、男みたいでしかいられないんだよね……)


「だが、それだけではない」


 不意にそう呟いて、キリエが、手袋に包まれたフェリスの両手を握った。


「へっ? ……あの」


 間の抜けた声をあげ、反射的に身を引こうとするが、キリエの手がしっかりとフェリスの手を包み込み、それを許さなかった。

 ――何だ、この状況は?


「ええと」


 口調が、完全に元に戻っている。

 もはやそんなことも気に留めず、フェリスは、引きつった笑いを浮かべた。

 ぐい、と貴婦人にあるまじき腕力で、相手の手をもぎ離す。


「失礼ですが、初対面の若い男女が、こんなふうに身体を近付けすぎるのは、あまり適切なこととは言えないのではないかと……」


「これは、失礼を。ご不快でしたか」


「いえ……はい? いえ、その」


 こらっ、いったい何をしどろもどろになってるのよ!? と自分を叱咤する。

 こんなのは、まったく自分らしくない。

 そっとキリエの両手が伸びてきて、今度は、両肩を掴まれる。


「私は、快かった」


 彼が、ゆっくりと身を寄せてきた。

 まずい……これは……非常に、まずい。

 フェリスは焦り、忙しく眼球を動かした。

 さっき会ったばかりの相手と、まさか、こういう状況になるなんて。


 みぞおちに一発喰らわせておいて、素早く逃走しようか?

 いや、だめだ! そんな噂でも広まろうものなら、自分を同伴したティンドロック卿の面子にとんでもない傷をつけてしまう。

 だが、そんな理屈を抜きにしても、身体が動かなかった。

 まるで、金縛りにでもかかったみたいに。


「いけません……」


 ようやく出た声はか細く、擦れていて、自分の声とも思えなかった。


「なぜ? ……すでに、誓いを交わされた方がおられるのですか?」


「え?」


 その瞬間、ふと、脳裏に浮かんだ面影があった。

 偉そうで、無愛想なくせに口うるさい、あの男。


「い、え……」


「では、私は幸運な男というわけですね」


 フェリスの肩をそっと締め付ける手に、力が籠もる。


「恐れることはありません。どうか……口付けだけ」


 キリエの顔が、そっと降りてきた。

 フェリスは、彼が目を閉じるのを見た。

 フェリスも、本当なら、目を閉じるものだったかもしれない。

 けれど、まるで自分のものではないかのように、身体のどこも動かすことができない。

 目を見開いたまま、彼のくちづけを受ける――

 その、寸前。


 フェリスの背筋がざわめいた。

 それは背後の植込みで起こった、ほんのわずかな葉ずれの音。

 そして、鋭く息を吐く音。

 彼女でなければ、聞き落としただろう。

 だが、フェリスは、騎士の助けを待つだけの無力な姫君ではない。

 彼女は戦士。

《辺境の戦乙女》とうたわれる、一流の戦士だった。


「危ない!」


 異変を察知した瞬間、頭よりも身体が先に反応する。

 ばねのように膝を曲げ、目の前のキリエに、肩から渾身の体当たりをかけた!


 キリエは吹っ飛び、背中から石畳の上に転倒した。

 倒れた彼の腹の上に、フェリスがまともに乗っかるかたちになる。

 ぐえっ、と貴公子らしからぬ悲鳴が聞こえた。

 だが、それを気に留めている余裕などない。


(くっそおお! やっぱり、こんな服、着てくるんじゃなかった!)


 フェリスは内心で激しく毒づいた。

 スカートの下の固いパニエのせいで、いつものように素早く立ち上がることができない。

 だが、いざとなれば人間、けっこうな離れ業でもどうにかこなせるものだ。

 ちょうど横にあった噴水の手すりにすがり、ほとんど腕の力だけで身体を引き上げ、強引に立ち上がる。

 フェリスは振り向いた。


 ――そこに、怪物が、いた。



     *     *     *


  

 時間が止まったかのようなその一瞬、フェリスは、敵の姿をはっきりと見た。

 それ・・は、狼に似ていた。

 だが、狼は、大男並みの体格に、直立が可能な二本足など備えてはいない。

 それに、月明かりにその輪郭を浮かび上がらせる、妖しいまでに鮮やかな紫の毛皮など。

 前脚の先に、金属製の熊手のような、凶悪な爪が光っている。

 間違いない。

 三人の出場者を殺し、ティアの父親を殺した奴――  


「こいつは!?」


 地面に転がったままのキリエの口から、驚きの叫びがほとばしる。

 衝撃のためだろう、完全に動きが止まっていた。

 キリエが立ち上がることを思いつくよりも早く、フェリスは動いた。


「下がって!」


 叫びながら、手近に飾られていた植木鉢を引っつかみ、キリエを怪物から守るように立ちはだかる。

 悠長にかがみこんで、足首の短剣を抜いている余裕はない。

 有り合わせのものを武器として使うしかなかった。


「伯爵! 退いて、早く助けを!」


 呆然としているキリエに、フェリスは鋭く指示を飛ばした。


「早くっ! ――警備兵っ、何をしてるっ!? 出合え! 侵入者だっ!」


 軍人ばりの口調で怒鳴る貴婦人の背中を、キリエは呆気にとられた表情で見つめていたが、


「し……」


 あまりのことに短絡していた思考回路がようやく繋がったか、跳ね起きながら、裏返った声で叫んでくる。


「しかしっ、あなたを残していくわけにはっ!」


「武器もない者は足手まといだ、無駄死にしたいのかっ!? それよりも全力で走って助けを呼べっ!」


 時と場合をわきまえない騎士道精神を発揮するキリエを、身も蓋もないセリフで退けて、フェリス。

 彼女とて、まともな武器を手にしていないのは同じなのだが――

 手の中にある、つるりとした重い鉢は、おそらくは磁器製だろう。

 砕けば、鋭い刃として使える。

 中の土は、目つぶしとして使うこともできる。


「下がりたまえ、危険――」


「うるさい!」


 その瞬間、怪物が、跳びかかってきた。

 ぐうんと突き出された腕、その先に、四人の命を奪った鉤爪が光る。

 この間合いだ。

 もしもこいつが、四足の野獣そのものの運動能力を備えていたなら、いかにフェリスといえど反応する間もなく引き裂かれていただろう。

 だが、怪物は二本の足で直立していた。

 攻撃の動作は、確かに速いが、人間に近かったのだ。


 怪物が身をたわめるのと同時に、フェリスもまた、動いていた。

 駆け出しざまに靴を脱ぎ捨て、唸りを上げる爪をかいくぐって左前方に飛び出す。

 怪物の、真横を駆け抜けた。

 ――刹那、フェリスは迷った。

 このまま走って逃げ、自分が助けを呼びに行こうか? 

 いや、駄目だ! それでは、残ったキリエが殺される。


 一瞬で心を決め、身をひるがえした。

 同時に、怪物も振り向いてくる。

 真っ向から視線が合う。

 月の光が、怪物の顔を照らし出す。

 紫の毛皮におおわれた、狼のような顔――


 その目を見たとたん、フェリスは背筋を悪寒が走り抜けるのを感じた。

 底無しの闇のような目だ。

 その中心には、何色とも表現しがたい、鬼火のような輝きが灯っている。


「やはり《呪われし者》かっ!?」


 フェリスは、鋭い叫びを放った。

 間違いない。

 こいつは、ただの怪物ではない。

 ただの怪物が、こんな目をしているはずがない。


 光っているのに、暗い。

 輝いているのに、禍々しい。

 怨嗟、渇望、そして絶望――

 それらすべてが混ざり合い、冥界の炎に焼かれているような目だ。

 並の娘なら、悪くて卒倒かヒステリー、よくても、身体がすくんで声すら上げられまい。


「来いっ、怪物!」


 フェリスは、紫のケモノに、真っ向から指を突きつけた。


「このあたしが、相手になってやる! どうした! 闇討ちはできても、真っ向勝負の度胸はないのか!? かかってこい!」


 無茶だ、と自分でも思う。

 満足な武装もないのに《呪われし者》に喧嘩を売るとは、正気の沙汰ではない。  

 だが、そうしなければならないのだ。

 目の前で、みすみすキリエを殺させるわけにはいかなかった。

 こちらが紫のケモノを引きつけているあいだに、なんとか彼が逃げて、応援を呼んでくれれば――


「お前の相手はこっちだ!」


 キリエの声が響いた。

 グウッと低い唸りを漏らして、怪物が背後を振り返る。

 もちろん、フェリスからも注意を離したわけではない。


「ばっか野郎……!」


 フェリスは、思わず呻いた。さすがに声に余裕がない。

 どこかに隠し持っていたのだろう、キリエもまた、短剣を抜いていた。

 ぴたりと身構えたその姿は、さすが御前試合で何度も準優勝してきただけあって様になっているものの、武器は、いかにも護身用といった造りの華奢なものだ。

 それを言うなら、フェリスだって、手にしているのは植木鉢なのだが。 


「伯爵! 早く、退いてください!」


「馬鹿、女性を見殺しになどできるか!」


 キリエの激しい口調に、フェリスは、言いかけていた言葉を飲み込んだ。

 守られる、ということ。

 心地好いと感じてもいいはずだった。

 だが、なぜだろう、そんな思いはまったく湧いてこない。


 嫌だ、と思った。

 あたしだって。

 ――いや。

 このあたしが、戦うのだ。


「化け物! おまえの狙いは私だろう……! 来い!」


 キリエがそう怒鳴った瞬間、それまで迷うように動きを止めていた怪物が、ばぁんと石畳を蹴った。

 紫の旋風のように、キリエに襲い掛かる。


「ぐうっ!?」


 鋭い爪が、キリエの右腕をかすめた。

 高価な布地が裂けて、血が飛び散る。


「伯爵!」


 あと一撃。あと、一撃で、キリエは間違いなく殺される。

 目の前で、五人目の犠牲者が出るのだ。

 フェリスは、迷わなかった。

 手にした鉢を振りかぶり、怪物に向かって投げつけた。

 どっ! と、ケモノの紫色の背中に、重い鉢がぶち当たる。

 ケモノが、ぐわっと振り向いてきた。

 フェリスは鉢を投げ放つと同時、ぐんと姿勢を沈め、足首の短剣に手を伸ばし――

 どてん、と、横ざまに転んだ。


「へっ?」


 間抜けな声が、喉から漏れる。

 身体を支えようと、一歩、足を踏み出した拍子に、ドレスの裾を踏みつけたのだ。


 紫のケモノが、ばぁんと跳躍し、自分に向かって飛びかかってくる。

 ケモノの姿、空の星、何事か叫んでいるキリエの顔、そして翼持つ女神の像――

 

 何もかもが同時に、くっきりと見えた。

 全てが、焼きついたように、止まって見えた。

 嘘だ。こんなところで。

 こんな――


『優美なる鎌よ、赤き血に染まれ!』


 その叫びは、沈黙を引き裂く刃のように響いた。

 空中に放たれた見えざる力が、紫のケモノの肩口で炸裂する。

 金属板を引っかくような、甲高い悲鳴が上がった。

 どす黒い血が飛び散り、フェリスの顔にも跳ねかかる。

 紫のケモノは空中で身をひねり、伏せるように地面に降り立ったかと思うと、風のようにその場を駆け出し、間近の築山に飛び込んだ。


「何だ、今のはっ!?」


「あれは……化け物!?」


 いくつもの叫び声が聞こえ、それと同時、紫のケモノを追うようにひゅんひゅんと無数の矢が飛ぶ。

 あるいは重なり合う葉に阻まれて落ち、あるいは幹や枝に突き刺さった。


「馬鹿者っ、むやみに撃つな! フェリスちゃんたちに当たる!」


 ああ、あの声は――


「閣下!?」 


 どうにか上体を起こし、身体をひねって振り向いた瞬間、ぱん、と頬を張られた。

 思わず目を見張った先に、黒髪の魔術師の顔があった。


 ぱん。

 もう一度、今度は、反対の頬を張られる。

 だが、今度のは、最前ほどの強さではなかった。


「な……」


「馬鹿者」


 グウィンの表情に、いつもの皮肉げな影はなかった。


「おまえは、何を」


「――ぬわにを、してくれんのよおぉぉぉっ!?」


 次の瞬間、こんかぎりの大声で怒鳴ったフェリスの手のひらが、グウィンの横っ面を張り飛ばす!


「不意打ちとは、ずいぶんな真似してくれるじゃないの、えっ!?

 何なわけ!? 無断で広間から消えたから!?

 そりゃ確かに悪かったかもしんないけど、文句があるなら、真正面から来いっつーの!

 あああ、どんな喧嘩だろうと、こんなきれいに顔面にもらったことなんて、ここ数年なかったのに! 屈辱だわっ!」


「すまん!」


 石畳に張り倒されたグウィンと入れ替わるように、フェリスの目の前に膝をついたのは、ガストンだ。

 言いながら、手を貸してくれる。

 ガストンの大きな手にすがって、フェリスはようやく立ち上がることができた。


「わしらが話し込んでいる間に、まさか、こんなことになっとったとは……! 放ったらかしにしてしまって、本当にすまん!」


「……その娘は、大丈夫なのか」


 不意にきこえた低い声に、えっ、とそちらを見ると、なんと、ガストンの真後ろにドナーソン将軍が立っている。

 どうやら、共に駆けつけてきたらしい。


(えっ、それじゃ……今の今まで、ドナーソン将軍は、ティンドロック卿と一緒にいた……!?)


 だとすると、紫のケモノは、少なくともドナーソン将軍本人ではないということか。


「各城門に、伝令を!」


「決して逃がすなっ! 何としても捕らえるのだ!」


 鋭い指示の声が交錯する。

 そのときになってようやく、フェリスは、駆けつけてきた兵士たちの存在に気が付いた。

 軽装の鎧を身につけている者がいたり、貴族のような衣装に身を包んでいる者がいたりと、服装がばらばらだ。

 彼らの幾人かは、紫のケモノを追跡するために暗闇の中に散り、残った者たちはキリエに駆け寄る。


「伯爵、ご無事ですか」


「ひどく出血していますぞ。お気を確かに!」


 あの程度のかすり傷で『お気を確かに』もないもんよね、と、フェリスは呆れて思った。

 あんな言い方をされたのでは、本人も気分を出して、そのままぶっ倒れてしまいかねない。

 交戦中の辺境警備隊ならば間違いなく、背中といわず頭といわずどかどかと叩きまくられた挙句に『大丈夫だ、よし行けっ!』と突き飛ばされているところだ。


「く……馬鹿力め」


 よろよろと、グウィンが起き上がってくる。

 頬に、くっきりとフェリスの手形がついていた。

 おそらくは、フェリス自身も似たような有様だろうが。


「ふんっ! いきなりぶん殴ってくれたお返しだもんね。

 そっちが二発のところを、こっちは一発ですましてあげたんだから、感謝しなさいよっ!」


「なぜ、こんな勝手な行動をした?」


「それは……こっちにも、色々あったのよっ」


 言いながら、ちらりとキリエのほうをうかがう。

 彼は、こちらの会話には気付いていないようだ。


「彼、二番人気の《無冠の貴公子》よ。探りを入れてみれば、何か、ボロが出るんじゃないかと思って」


「で、怪物に襲われて、無様にひっくり返っていたというわけか」


「うるっさい! それはドレスのせいだもん。あたし、もう二度と、絶対、こんなドレスなんか着ないからね!」


「心配したぞ」


 ぼそり、と彼は呟いた。

 その言葉がフェリスの心に染み透るまでに、数瞬の時間がかかった。


「……へ?」


 間抜けな声で、聞き返す。

 グウィンは、何も答えてはこなかった。

 かわりに、周囲から、ひそひそと囁き声が聞こえてくる。


「あの若いご婦人は、一体……!?」


「ずいぶんと荒い言葉を使われるが……いったい、どこの家の姫君か……」


(やばい、忘れてた!) 


 フェリスが表情を引きつらせると同時、キリエが、フェリスのほうに向かって腕を振った。


「皆さん。あの方は、ご婦人の身でありながら、この上もなく勇敢でした。

 怪物に立ち向かって、一歩も退かず、私の命を救ってくださったのです。

 あの方の勇気がなければ、私は今頃、あの化け物に殺されていたでしょう!」


 おお、と場がどよめく。

 ドナーソン将軍に、あからさまな疑惑の眼差しを向ける者もいた。

 だが、その場の大部分――兵士たちばかりではなく、物見高い貴族たちも、この頃にはぞろぞろと集まってきていた――の視線は、いまやフェリス一人に注がれている。


「なんと! あの化け物と、互角に渡り合われたとは!?」


「美しくも勇敢な姫君……!」


「どうか、お名前を!」


「そうです、どうか!」


(うっ……もう、こうなったら、仕方がない……!)


 フェリスは、引きつった表情を苦労して引き締めると、ガストンと、グウィンを見た。

 ガストンは、肩をすくめる。

 グウィンは、ため息をついた。

 フェリスはひとつ大きく息を吸い込むと、好奇心に満ちた人々の顔を順々に見渡し――


「あたしの名は、フェリスデール・レイド!」


 ぱっと仮面をはぎ取り、騎士が名乗りを上げるように、堂々と声を張り上げた。


「リューネ侯爵、マクセス・レイドの娘!

 帝国陸軍、リューネ常駐師団に所属する戦士です。

 このたび、予選を勝ち抜き、栄えある御前試合に出場すべく、この帝都にまかり越しました!」


 きっかり三呼吸のあいだ、完璧な沈黙が落ちた。

 三呼吸のあいだ、だけ。


「な、何とお……ッ!?」


 次の瞬間、その場に、嵐のようなどよめきが巻き起こる。


「れ……《冷血》マクセスの娘御かぁっ!?」


「むうっ、顔は全然似ておらんな! 良かったのう!」 


「まさか! このように若い姫君が、なみいる男たちを抑えて御前試合に!?」


「《辺境の戦乙女》! あの噂は、本当であったのか――!」


「なんと恐ろしい!」


「夜な夜な、倒した相手の心臓を喰らい、敵の頭蓋骨を盃に宴を開いているという、あの……!?」


「――それ、誰の話ッ!?」


 蒼然として騒ぐ人々に、思わず叫ぶフェリスである。

 噂の内容がとんでもなく気になるが、敢えて、深く聞かないほうがいいような気もした。

 ――と。


「フェリスさん!」


 ああ、あれは、キャッサさんの声だ。

 決して速いとはいえない足取りながらも、息せき切って駆けつけてきたキャッサが、ひしとフェリスの手を握る。


「ああ、良かった、ご無事で……! わたくし、それはもう、心配いたしましたのよ!」


「ええ、その通りですわね」


 不意にきこえたその声に、その場の全員が、一斉に反応した。

 今度は、フェリスも遅れなかった。

 キャッサとともに、その場に膝をつき、頭を垂れる。


「わたくしの家で死者を出さずに済んだこと、嬉しく思いますよ。

 わたくしが送った兵士たちは、もう少しで間に合わぬところでした。

 ウォリスタ伯、フェリスデール嬢……

 自らの身を守り抜いたあなたがたの働き、たいへん立派なものであったと思います」


 皇帝ルーシャ・ウィル・リオネスは、銀の仮面の奥で青い目を細め、フェリスとキリエを交互に見つめた。


「ふたりとも、こちらへ。

 ――これまでに、あれ・・をその目でしかと見たのは、あなたがた二人だけです。

 わたくしの調べに、協力してくれますね?」



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