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青の広間

 彼女が来る。

 彼女の訪れを、長いこと――

 この半月のあいだ、待っていた。

 彼女の出現が、果たして救いとなるのか、それとも……

 事の行く末は、神々だけがご存知だ。



     *     *     *  


 

 彼女が来る。

 彼女の訪れを、長いこと――

 この五百年のあいだ、待っていた。

 彼女の出現が、この堅固なる封印を解くこととなるのか、それとも……

 事の行く末は、世界の命運を左右する。



     *     *     *             



「あのう、閣下?」


 広げた扇の陰で声をひそめ、ほんの少し背伸びをするようにして、フェリスはガストンに呼びかけた。

 貴婦人たちが魚のひれのようにゆらゆらと動かす扇は、仮面と同じく、本心を隠すための衝立ついたて代わりだ。

 混み合った場所でも、口元を隠していれば、唇の動きを読まれることがない。


「うん?」


 ガストンが、ぐっと身をかがめてくる。


「いえ、別に、大したことじゃないんですけど。

 マーズヴェルタ城って、皇帝陛下の家にしては、意外と地味な場所なんですね……」


 今、彼女たちがいるのは《臙脂えんじの間》と名づけられた細長い部屋だ。

 突き当たりには巨大な黒檀の扉があり、その向こうには、仮面舞踏会の会場――大陸最大級とうたわれる《青の広間》が広がっているはずだった。

 いまだ、その扉は、しっかりと閉ざされたままだ。

 扉の前には、大仰な装飾のほどこされた槍斧を交差させた、二人の衛兵が立っている。

 招待客たちは、いわば、ここで足止めを食っている状態だった。

 もちろん、会場の準備が整っていないなどというわけではなく、客たちの期待感を高めるための演出なのだろう。


 ここに来るまでに、いくつもの回廊を通り、いくつもの部屋を抜けてきた。

 通り過ぎるたびにガストンが教えてくれたところによると、部屋には、全て色の名前がつけられているらしい。

《薄暮の間》《紫の間》《紅の間》などがあり、それぞれの名にふさわしい色合いに調度類が統一されていた。

 だが、皇帝の家と聞いてフェリスが想像していたようなきらびやかさはそこにはなく、抑えられた照明の下で、むしろ重厚な雰囲気すら漂っていた。


「照明も何だか暗いし……もしかして、あんまりたくさんの場所を照らさなきゃならないから、蝋燭代をケチって本数を減らしてらっしゃるとか?」


「いや、さすがにそれはないと思うが」


 こちらも声を低くして、ガストン。


「だが確かに、ルーシャ・ウィル・リオネス陛下は奢侈しゃしを嫌うお方だ。

 まさに、古き良き帝国貴族の鑑のようなお方よ」


 そこまで言うと、急に不愉快そうな顔をして、


「ここに集まった者たちは皆、陛下の姿勢を見習うべきだな」


 唸るように呟いたガストンに、フェリスも小さくうなずきを返した。

 今、フェリスたちの周囲は、まるで色彩と布地の見本表のようだった。

 どの女性たちも、着付けに一刻以上はかかりそうな絢爛豪華な衣装をまとい、ふんだんに付け毛を入れた髪を複雑怪奇なかたちに結い上げている。

 男性のほうも、衣装の色彩の鮮やかさという点では女性たちに遠く及ばぬぶん、仕立ての細かい部分に凝ったり、袖口から覗かせるレース飾りの繊細さを競って見せつけていた。


「まったく嘆かわしいことだ!

 建国以来、質実剛健を美徳としてきた帝国貴族の男が、袖口にレースをひらつかせて喜ぶまでに落ちぶれるとは。

 しかも、あの馬鹿者どもときたら、毎年、よりレースの多い衣装を新調しさえするのだ。

 力の入れどころを間違っておる! 池の魚じゃあるまいし!」


「閣下! しーっ、しーっ! お声が高いですよっ!」


 だんだん大きくなってくるガストンの声にフェリスが冷や冷やしていると、


「まあ、まあ、あなた」


 それまでにこにこしながら周囲の貴顕たちを眺めていたキャッサが、穏やかに割って入った。


「一年に一度の行事なのですから、皆さんが浮かれるのも無理はありませんわ」


「一年に一度しかない行事のためにわざわざ衣装を新調するなど、もったいないではないか!

 レースの衣装などあつらえる暇があったら、有事に備えて武具でも仕立て、鍛錬に励まんか!」


 あくまでもレースを目の敵にするガストンに、キャッサは上品な苦笑を浮かべる。


「若い方にとっては、衣装の流行を追いかけるのも楽しいものですわ」


「流行! ああ、陛下がこのような言葉をお聞きあそばされたら、何と仰せになることか。

 いいか、キャッサ、軽佻浮薄な世間の風潮に流されてはいかんぞ。

 我々は常に帝国貴族、つまり、一朝いっちょう事あらば国土防衛の最前線に立つ者としての心構えをだな……」


「あの!」


 だんだん演説めいた名調子がついてきたガストンのことばをさえぎるように、フェリスは、強引に新しい話題を切り出した。


「ところで……閣下は、これまでに何度も、皇帝陛下にお目通りしたことがあるんですよね?」


 現皇帝ルーシャ・ウィル・リオネスは、女性である。 

 才知に優れ、また権謀術数にも長けた人物である、というのが、マクセスの評だった。

 帝国の陸軍・海軍の最高司令官であると同時に、自身が優れた魔術師でもあるという。


「ああ! 素晴らしいお方だ。外交などにかけては老獪な手腕を発揮されるが、見た目には、本当にお優しそうな美人でなあ。

 しかも、まるで年をとられん。至高の座に就かれて十年にもなられるが、いまだ、戴冠式の頃の美しさをそのままにとどめておられる」


「へえ……」


「断じて、失礼のないようにな」


 さりげなく背後から釘を刺すグウィンだ。


「うるさい! 荒くれグウィンは黙っててよねっ。どうせ、従者役のあんたは、ここまでしか入れないんだから。あたしは閣下やキャッサさんと楽しんでくるから、あんたはこのへんで地味にお酒でも飲んでなさい」


「…………」


 当分、この調子で反撃されるかと思うと、思わず頭が痛くなってくるグウィンだ。


「ねえ、フェリスさん。フェリスさんは、殿方が衣装の流行を追うことについて、どのようにお考えかしら?」


 不意に、キャッサがにこやかにフェリスに話を振った。


「え!?」


 終わったと思っていた話題をいきなり蒸し返されて、フェリスは慌てた。

 だが、キャッサは、何も本気でフェリスに議論をしかけているわけではない。

 こうした「議論ごっこ」は、貴族の遊びだ。

 議題はどんなくだらないことでもいいし、答えの出ないようなものでも構わない。

 やりとりの中で飛び出す、奇抜な論理展開や、機知に富んだ言い回しを楽しむ遊戯である。


「えーっと……あたしの考えは、どっちかというと閣下に近いですね。ここにいる人たち全員の下着分の代金を集めただけでも、新しい砦がひとつくらい建てられそうですし……」


 もちろん、フェリスは、遊びだとは気づいていない。真剣に答えている。


「おい、魔術師」


 憮然としているグウィンに、横手から、ガストンがそっと声をかけた。


「なかなか大変だな、おまえも」


「いえ。慣れておりますので」


「……心配か? フェリスちゃんのことが」


 この問いに、グウィンは、すぐには答えなかった。

 彼は、フェリスの横顔を見つめている。

 金色の目には、不思議な表情が宿っていた。

 娘を見る父のような、妹を見る兄のような、そして――


「《辺境の戦乙女》と呼ばれた娘です。たいていの危険ならば、自力で乗り越えるでしょう」


 ややあって答えたことばは、視線とは裏腹にそっけないものだった。


「ふむ」


 何を納得したものか、にやっと笑って、大きくうなずくガストン。

 そのとき、突如として、奥の扉が開け放たれた。



     *     *     *



「ん……!?」


 フェリスの目には、黒い扉が突然、光の塊に変わったかのように見えた。

 目が薄闇に慣れていたため、一瞬、あまりの眩しさにまぶたを下ろす。


「行こう!」


 一斉に動き出した人の流れに乗って、ガストンに促されるまま、フェリスは《青の広間》に足を踏み入れた。

 そして――その威容に、思わず、ことばを失った。


 まばゆい光の源は、水晶で飾られた黄金のシャンデリアに灯された、何千本もの蝋燭のきらめきだ。

 中央に行くにしたがって高くなる天井は、蒼穹を思わせる青。

 まるで、この空間だけが、天空に太陽が浮かぶ真昼になったかのような錯覚を起こさせる。

 陽の沈むことなき帝国、リオネス―― 

 光り輝くような純白の床が、まるで白い湖面のようにどこまでも広がっている。

 壁も同じく白に統一されており、壁面に等間隔に並ぶ金の燭台からは、天井と同じ青色の飾り布が下がっていた。


 音楽が、流れている。

 たゆとう水のように耳に心地よい旋律は、広間の奥に設けられた壇上で演奏する楽師たちによって奏でられているものだ。


 楽師たちがいる場所のさらに奥には、青い緞帳で仕切られた空間があり、やはり白い石造りの、広間と同じ幅の壮麗な大階段がそびえていた。

 その頂上には、緋色の地に《紫眼の黒竜》――リオネス帝国の紋章が織り出された国旗を背景に、巨大な玉座が置かれている。

 皇帝その人は、いまだ、そこに姿を現してはいない。


「すごい……!」


 思わず知らず、拳を握りしめ、目を輝かせてフェリスは叫んだ。


「すごい、すごい! こんなすごい部屋が、この世にあるなんて……!」


 今までの部屋がわざと暗く保たれていたのは、この対比を、客たちに鮮烈に印象付けるためだったのだ。


「生の花が、こんなに――」


 フェリスがすっぽりと中に入ってしまえそうなほど巨大な壺に、見たこともない大輪の花々が活けられている。

 しかも、それが、壁際に無数に並べられているのだ。


「驚いたかな、フェリスちゃん? これが名高き《青の広間》だ」


「なるほど! こうして、国内外に、皇帝陛下の御威光を知らしめるわけですね!?」


 心から感動しつつも、どうしても戦略的な方向に思考が向いてしまうあたりが、フェリスのフェリスたるゆえんだった。


「……おっ! この曲は」


 突然、音楽が軽快なものに変わり、ガストンが顔を輝かせた。

 フェリスも聞き知っている、有名な舞曲だ。

 周囲の男女が、心得たというようにうなずきを交わし、手に手をとって広間の中央に進み出てゆく。


「閣下、この曲がお好きなんですか?」


「ああ、若い頃を思い出す。わしらの、青春の思い出の曲なのだ」


「わたくしたちが初めて出会った舞踏会で、この曲が流れていましたの」


 キャッサが、仮面の下でもはっきりと分かるほどに頬を染めて、そう言った。


「曲の初めに、初めて、お互いに顔を合わせて――

 曲が終わるころには、すっかり恋に落ちていましたわ」


「お、おい! よさんか、こっ恥ずかしい」  


 ガストンの顔が、見事に真っ赤になった。  

 フェリスは、思わず笑ってしまった。

 ――こんなふうなら、結婚というものも悪くはないんだろうな、と思う。


「閣下、キャッサさん、どうぞ踊ってきてください」


「む? いや、しかし……」


「あたしなら大丈夫です」


 言って、ぐっと親指を立てそうになったフェリスは、おっと、とその手を引っ込め、しなを作ってホホホと笑った。


「わたくしのことなら、ご心配なさらず。大丈夫、こんなところで暴れたりはいたしませんから」


「そ……そうか? あ! あと、絶対に、名前は名乗るなよ」


「了解し――じゃないや。分かっておりますわ」


 びしりと敬礼しかけた手で、とっさに髪をかきあげてごまかすフェリスに、一瞬この上なく不安そうな顔をしたガストンだが、やはり、思い出の曲の誘惑には抵抗しきれなかったらしい。


「……では、後でな、フェリスちゃん」


「はい!」


 やはり、うら若き貴婦人にしては元気のよすぎる返事とともに、フェリスは壁際にしりぞいた。 


(……さーて……)


 今、彼女の目の前に広がるのは、絢爛たる絵画のような光景だ。

 きらびやかな衣装に身を包んだ何百人もの男女が、音楽に合わせて軽やかにステップを踏み、くるくると巧みに位置を入れ替える。

 貴婦人たちの仮面の羽飾りがゆらゆらと揺れ、まるで幻影のように目を惑わす。

 誰もが仮面をつけているせいで、容易には個人の区別がつかない。

 まるで人形たちの舞踏会だ。


(あたしのライバルたちは、どこにいるのかしら?)


 フェリスはみどりの目をきらめかせ、目的の人物たちの姿を求めて周囲を見回した。


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