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天弓五国記シリーズ

旅の途中 ~黎明の蒼国番外編~

作者: 大楠晴子

黎明の蒼国の番外編です。楽しんでいただけますように。

「おい、もう上がっていいぞ」

 店主の声にターサイは浮かぶ笑みをこらえることができずに、ニヤリと笑った。


「はい、では。上がらせていただきます」

 手を洗い、前掛けを外して小さく畳み、ぺこりと頭を下げる。


「ターサイ、よく頑張ったな。まぁ、後しばらくはここでまだいてもらわなきゃ、困るからな」


 いつになく店主のガリクは、厳つい顔を緩め、唯一の奉公人であり、15年以上ともに働いてきたターサイの肩に大きな手を乗せた。八つの頃からガリクの営む小さな宿屋兼食堂でターサイは働いてきた。

 街道を少し外れたこの村に、他に宿屋はないが、めったに利用する者はいない。けれども、食堂は安くて美味しいことから、利用する者が多かった。客は村に住む独り者がほとんどであるため、荒っぽい者も多く、喧嘩や下世話なやりとりに堪え兼ね、他に働く者がなかなか見つからなかった。そんななか、ターサイはいつもくるくると走り回り、よく働いた。

 ガリクは結婚し、息子も生まれた。その息子も大きくなり、手習いの後から、店を手伝うようになった。

 もう、この店にターサイはいなくてもやっていけるのだ。

 奥から出てきたガリクの妻、グーレンも少し困ったように丸い頬を緩める、ターサイに声をかけた。


「まだまだあの子じゃ、頼りないよ。ターサイがいてくれると本当に助かるんだけどね。こればっかりは仕方がないね」


「何、勝手なこと言ってんだ。嬉しいことだろう?自分の店を持つのは誰でも夢見ることだ。ターサイが自分のためにこれっぽっちも金を使わずに、必死になって貯めたんだ、うちの給金なんてたかが知れてるのによ。お前なら、ちゃんとやっていける」

 ガリクは力強くうなづいた。


 隣町にある食堂が売りに出たのだ。病で夫を亡くしたため、店を畳むことにしたという。常連客がその話を聞くや否、ガリクに伝えたのだった。


 ターサイは自分の店を持つことが目標であった。少ない給金をやり繰りして、やっと金が貯まった。

 給金を貰うたびに、少しずつ床下の木箱の中に金を入れた。それだけでなく、我慢できる日は食事を抜いた。また、湯屋も行かずに、井戸の水で体を拭いて済ませ、木箱に入れた。

 すでに半金は支払った。今日はその残金を支払う。



 ターサイが店を出ようとしたとき、息子のランセイが手習いから戻った。


「おかえり。あれ?どうしたんだい?珍しくハラルタはいないのかい?」

「うん、今日はハラルタ、朝から来てなかった」

「どうしたんだろうね、また母親の調子が悪いのかねぇ」

 ランセイと仲の良いハラルタは手習い所で共に学んでいるわけではなく、そこで働いている。

 同じ年頃の子供たちが机を並べて、字を習っていても、ハラルタは庭の掃除をしていた。

 それは、ハラルタが病がちな母親と幼い妹の三人暮らしだからだった。臥せっている母親は働いておらず、ハラルタの家はハラルタの給金で暮らしていた。決して給金は多くはない、生活はギリギリであり、母親の病がひどくなっても、薬師にも呪術師にもかかることは難しかった。しかし、ハラルタは恵まれていた。

 手習い所の教師は、ハラルタにきつく当たることはなく、また、手習いが終わる頃、少し長い休憩を取らせた。

 その休憩を利用していつもハラルタは帰宅するランセイとともにやってきた。

 それは、ランセイに出されるおやつが目当てだったけれど、ランセイとハラルタはウマが合うようで、二人でコロコロと笑っていた。


 そのハラルタが珍しく、やって来なかった。

 しかしそれは、ターサイにとっては、気にすることではなった。




「すみません。明日、出立の予定でしたが、もう一日、宿泊させていただくことはできますか?」


 二階の部屋から、二三日前から泊まっている男が下りてきて、声をかける。

 青のような赤なような不思議な瞳を険しくしていた。


「かまいませんよ。泊まりのお客さんはあなた達の他にはいませんからね」

 ターサイはニコリと微笑んだ。

 帳簿を見ると、

『サラスイ−アルタント』

 旅慣れた様子の身なりのきちんとした客で、10歳くらいの女の子と二人連れであった。

 いつの間にか、ターサイの目の前で女の子がじっとターサイを見つめていた。その瞳はありふれた薄茶ではあったが、どこか肉食の鳥を思わせるほどに鋭かった。


「お兄さん……」


 ふわりと胸の奥まで抜けるような清涼感を持った香りが漂う。


「…なっ!」

 突然のことに驚いて、あたりを見回しても匂いのもとはわからない。

「キーレン」

 男の声が聞こえた途端に、ふっと匂いは消えてしまった。


 目の前の女の子は、うつむいて肩で息をしている。

「おい、どうした。大丈夫か?」


「……お兄さん、ここにいて?今日はここにいてよ?」

「は?いや、それは」

「……お兄さん、帰っちゃだめだよ」

「?」

 女の子は俯いたまま、ターサイの袖を掴む。

 ターサイはしゃがみ込み、女の子と目線を合わし、頭を撫でる。やわらかな髪がくすぐったい。


「どうしたのかな?今日はどうしても済ませなくてはいけない用事があるんだ。もう一晩泊まるなら、明日はまた来るから」

 ターサイは微笑み、そして、隣に立ったまま何も言わないサラスイに微笑み、店を後にした。


 ターサイは、歩きながら女の子の柔らかな髪に触れた手を、じっと眺めた。

 ラサリンと所帯を持てば、自分もいつか娘や息子ができるのだろう。

 にやりと頰が緩んだ。

 まだ、日は傾いてはいない。ラサリンの顔が少しでも見れるといい、そう思ってラサリンのいる店に足を向けた。


 橋を渡り、通りに軒を連ねるラサリンの奉公する店が目に入ると、その店から大きな声が聞こえた。それはいつものことで、そしてそれはいつだってラサリンを責める声だった。

 ラサリンの働く店の主は、気難しい気性の荒い妻を持っていた。

 その妻の身の回りの世話、掃除や洗濯、炊事がラサリンの仕事である。

 妻は少しでも思うようにならないと、それがどんなにやむを得ないことであっても、わめき散らし、ラサリンに手を挙げた。


 ターサイは頰を腫らしたラサリンを見ることが辛かった。


 やっと金が貯まった。

 やっと自分の店が持てる。

 やっとラサリンを迎えに行ってやれる。


 ターサイはラサリンの顔をみることを諦め、歯を食いしばった。踵を返し、床下の木箱を取りに家に急いだ。





「……ない」


 湿った床下のどこにも木箱はなかった。


 建て付けの悪い引き戸に手をかけた時から、拭いきれなかった違和感。土間に転がった甕も板間の欠けた茶碗も、薄い敷布も何もかも今朝のままにもかかわらず。背中に汗が流れた。

 震える手で板を上げた。


 湿った臭い土にまみれ、這いつくばって、どんなに探しても、木箱はなかった。


 ーーどうして?あったはずの木箱はどうしてないんだ?


 敷いたままの寝床をあげても、棚をひっくり返しても、木箱は見つからない。

 ターサイの家に探すところなど、ほとんどない。


 ターサイは、崩れ落ちるように床にへたり込む。

 どうしてないのか、わからなかった。

 どうすればいいのか、わからなかった。


 転がってユラユラと揺れる欠けた茶碗を見つめていた。


 どれくらいの間、そうしていたのだろうか。


「おい?どうかしたか?」


 ターサイの隣人がひよっこりと顔を見せた。


 ーー盗まれたのか?


 ふわりとターサイの頭に浮かんだ。


 汚い暗い崩れそうな古い小屋に金があるとは、誰も思わないだろうと、戸締りはしていなかった。

 あの金が誰かに盗まれることなど、毛筋ほども思ってはなかった。

 ターサイが金を貯めていることを知る者は限られている。その誰かが金を盗んだのだろうか。ターサイは信じられなかった。



 ーー誰だ?一体誰なんだ!


 ターサイは目の前が一瞬にして赤く染まった。勢いよく立ち上がると頭がクラクラと回る。倒れてしまいそうになるけれど、歯をくいしばって、手を握りしめる。


「一体、どうしたんだ?」

 心配そうに首を傾げる隣人にターサイは掴みかかった。

「あんたか?あんたなのか?俺の金を盗んだのは?!」

 ターサイの声は怒りのあまり、震えていた。


「何言ってやがる?俺は知らねぇ。離せよ」

 ドンと胸を押され、ターサイはフラフラと後ずさる。


 ーー誰だ?誰なんだ!!


 行き場のない怒りで、ターサイは転がっている茶碗を蹴り飛ばす。するともう、止めることはできなかった。目につく物を手に取り、床に叩きつけ、壁を蹴る。

 頰を涙が伝っていることには、気づかなかった。


「おいっ止めろって。何やってんだっ」


 隣人の静止を振り切り、ターサイは家を飛び出した。目を閉じたまま、闇雲に走った。

 どこへ行っても、木箱は見つからない。







 太陽の光が眩しく、ターサイは目を開けた。そこはラサリンの店の近くの茂みだった。何処へ行ってここへ来たのか、よく覚えていない。奥まっており、誰にも見つからなかったようだ。陽はすでに高い。


 ーー遅刻だ。


 ノロノロと立ち上がり、ガリクの店に向かう。ガリクに事情を話してから、衛士に話をしに行こう。

 金は見つからないだろう、それでもそのままにはできない。衛士がターサイに親身になってくれるとはとても思えない。彼らはいつだって、金持ちの味方なのだから。

 ターサイが必死になって貯めた、彼らにとってのはした金に興味を持つ理由がない。


 気温が上がり、道行く人々の額は汗に濡れていたけれど、ターサイの心も体も冷えたままだった。




 ガリクの店に着くと、ガリクの妻、グーレンが駆け寄ってきた。

「どうしたんだい?昨日はあの店に行くはずだったんじゃないのかい?何かあったんじゃないかって心配してたんだよ?」


「……なくなった」


「はい?……えっ!……貯めたお金を盗られたっていうのかい?」


 ターサイはこくりと頷く。顔を上げることはできなかった。

「なんてこった。……今、ガリクが様子を見にターサイの家に行ってるんだよ。もう戻ってくると思うけど…。あぁ、来たね」


 苦虫を噛み潰したように顔を顰めてガリクは店の戸をくぐった。ターサイの顔を見たとたんに、その顔はさらに歪んだ。

 嫌な予感が胸を過る。


「ターサイ…、金を盗まれたんだってな。またしばらくここで頑張ってくれや」


 いつものガリクらしくない。普段のガリクであれば、間違いなく怒り狂う。ターサイを決して甘やかすことのない厳しい人ではあるが、ターサイの身に起きた理不尽な事をそのままうやむやにする人ではない。

 ガリクはターサイの顔を見ずに、仕事に取り掛かろうとしている。ターサイはただの奉公人であり、主が仕事をすると言えば、その話を続け、問いただすことなどできるはずはない。けれどもターサイは問わずにはいられない。


「何か知ってるのか?!…誰なんだ!俺の金を盗んだのは誰なんだよっ!」


「……知らねぇっ!!知らねぇって言ってんだよっ!!黙って働け」

 掴みかかったターサイはガリクに土間に強かに打ちつけられた。左の肩がひどく痛む。


 ガリクは何かを知っている、それは確かなことだ。諦められるはずはない。


「何か知ってるんだろ!誰なんだよ!一体誰が盗んだんだっ!!」

 ターサイは起き上がり、ガリクの膝にすがりついた。けれども、簡単に振り払われ、ガリクの手が強かに頰を打った。口の中に血の味が広がる。


「うるせえ。諦めろ、黙って働け」


 ガリクははやり、何かを知っているのだろう、それを問い詰められない奉公人という立場の自分も憎かった。

 また、働くのだろうか。金が貯まるまで、爪に火を灯すように…。怒りを押さえつけ、きつくきつく、歯を食いしばり、瞳を閉じた。


 心の奥に怒りを留めたまま、下ごしらえのために、野菜を刻む。





「お母さんーっ!」

 ランセイが勢いよく飛び込んできた。手習いから帰るにはまだまだ早い。膝に手をつき、肩を揺らしている、パッと上げた顔には満面の笑みがあった。


「どうしたんだい?そんなに慌てて?手習いはもう終わったのかい?」


「すごいんだよ!ハラルタのお母さんが元気になったんだっ!!」


「バっ!バカっ!止めろ!」

 ガリクが慌ててランセイに駆け寄り、その口を塞いだけれど、ターサイはストンとわかってしまった。


 きっと、ランセイは無邪気に言ったのだろう。

 ーーターサイはお金を貯めて自分の店を買うんだって。もう少しで貯まるみたいだよ。


 そうしてハラルタは素直に思ったのだろう。


 ーーその金で母親を呪術師に診せたい。


 ハラルタは病気がちな母親に元気になってほしかったのだろう。

 ハラルタはランセイと手習い所で学びたいのだろう。働かずに他の子のように学びたいのだろう。母親が働けるようになれば、自分もそうなれると思ったのだろう。


 そして、ガリクは全てわかっていて、ターサイにここで働けと言った。



 ラサリンの腫れた頰、泣いた赤い眼、細い肩、パサパサの髪、青いアザの絶えない腕…。もう少しで助けてやれるはずだった。


 ーーラサリン……。


 強く瞳を閉じても、ラサリンは消えない。


 目を開けると笑うランセイのあどけない丸い頰、肩を抱く父親、困ったように笑う母親。



 ーーラサリンにはそのどれもない。丸い頰も守ってくれる親もない。


 目の前が赤く染まった。再び目を閉じ、歯をくいしばって、手をきつく握る。息が苦しい、目が回る、体が震える。


「ハラルタ!ほんとに良かったね!」


 ーー俺はちっとも良くねぇ!


 目を開けた。

 ふにゃりと笑うハラルタが映る。


 咄嗟に手にした仕込み用の刃物は手入れを欠かさないため鋭く、よく切れる。


 駆け寄って大きく振りかぶり、ハラルタにめがけて振り下ろす。一瞬にして、ハラルタの顔は強張った。ターサイに背を向けて、逃げようとするけれど、その刃はハラルタの背に吸い込まれた。擦り切れた衣が赤く染まる。


 ハラルタは崩れ落ち、少しの間をおいて、グーレンの叫び声が響いた。


「キャーーーぁっ!」


「バカっ!なんてことするんだ!!ハラルタ!しっかりしろ!!」

 ガリクがターサイを突き飛ばし、大きな体と声を震わせて、ハラルタを抱き上げる。

 ハラルタは肩を揺らして、苦しそうに呻いている。ポタリポタリと、地面に赤い血が落ちた。



 次の瞬間、薄茶の髪を振り乱した女の子の姿が目に入った。


「あぁ!!間に合わなかった!どうして?どこで間違えた?どこ?」


 息を切らして、ハラルタを睨みつける。結い上げた髪は乱れ、頰を伝う汗を袖で拭う。


「キーレン!それは後で。今は集中して、最小限で調節してみましょう。倒れることは許しません」

「わかってる」

 宿泊客である男、サラスイと女の子の二人がやってきて、意味のわからないやりとりの後、一瞬にして深い森の奥で胸いっぱいに風を吸い込んだような清涼感が鼻から喉、肺へと抜けていく。


「右の肺だけ、血の道には傷はない。……大丈夫。…大丈夫できる」


 女の子は苦しそうに肩で息をしながら呟く。そして、先ほどの清涼感がより強く、突き抜けるような爽快な香りが辺りに広がる。

 示し合わせたようにサラスイが背中の刃物をゆっくりと抜いた。

 当然、現れるべき赤い色が全くない。衣服には無残に穴が開いて赤く染まっているが、その下の皮膚は一滴の血も流れてはいなかった。


「キーレン、いいでしょう」


 こくりと頷いた女の子は、キッとターサイを睨み、その頰を叩いた。

 たいして痛くはなかったが、理由がわからず、何がどうなったのかわからず、キーレンと呼ばれた女の子の薄茶の瞳から目を離せなかった。


「どうするつもりだったの?この男の子の短慮は確かだわ。自分のことしか考えない身勝手なことをした。これは間違いない。それでも、あなたを希望にして信じている人がいることを忘れてはいけない。あなたをなくして、彼女は生きられないでしょう。牢に入ってしまって、彼女を独りにして、あなたは悔やまないの」



 ラサリンのはにかんだ笑顔が浮かぶ、誰かに貰った菓子を渡したときだったか、道端の花を気紛れに摘んだときだったか。

 嬉しいときに困ったように下がる眉、ちらりと覗く八重歯。


 ーー大丈夫よ、あなたがいてくれるから


 頰を伝う涙は止まらなかった。

 ターサイの呻くような嗚咽が響く。




「あんたたちは一体、何なんだ?……呪術師なんだろう?何がどうなってるんだ」

 ハラルタを腕に抱えたまま、ガリクは二人を見つめ、声を震わせている。


「私たちは呪術師です。旅の途中で、たまたま居合わせただけなのですよ。深い意味などありません。怪我をした少年を癒した、ただそれだけです」


 ガリクは納得できない様子で言葉を重ねる。


「じゃあなんで、ラサリンのことを知ってるんだ?なんで、予定を変えて留まったんだ?あんた達は何の目的が、あるんだ?」


「何かをどうにかしようなんて思ってないわ。ただ、放っておけなかっただけ、止められるなら、変えられるなら、何とかしたかったの。……彼、ターサイが人を殺めて捕らえられたら、ラサリンは生きてはいけない。店の梁で首を吊ってしまうの。見えたのよ……、何とかしたかったの」


 ちょうど、ラサリンの店の前を通りかかった。箒を手にして、掃き清めるやせ細った姿に胸騒ぎがした、そっと使った呪術で見えた霞の中の彼女の未来は最悪の結末。


 誰もが悪人ではなく、ほんの出来心だ。偶然が重なり、絡み合い、悲しい結末を迎える。

 目の前で起ころうとしているこれらをそのままにはしておけなかった。



「……悪いのは頼りにならない衛士と、あの程度の呪力で大金を求める呪術師でしょ?衛士は街の人を守る者、呪術師は人のために尽くす者でしょ。役目を果たせない者にその名を名乗る資格はないよね」


 きりりと目を細めた顔つきはあどけなさの欠片もなく、またその言葉も可愛らしい声に似合わず辛辣であった。


 ガリクもグーレンもターサイも言葉を失い、目の前の女の子を見つめていた。


「キーレン、衛士はタラナコス様にお任せいたしましょう。……呪術師は一度、ご挨拶に伺いましょう」


「…うん」


 笑ってはいたけれど、女の子の瞳は鋭く光った。

 キーレンはじっと、ターサイを見つめる。そして、小さな声で言った。


「わたし、あなたにだけは覚えておいて欲しい。辛いことなのはわかってる。人を刺した記憶を抱えて生きていくのは大変だから。それでも…、必要だと思うの」


 ターサイはその言葉の意味がわからなかった。忘れてしまうわけなどないのだから。これから、ガリクの店で働くことができたとしても、できなかったとしても、決して忘れてしまうことなどできない。

 返す言葉を見つけられないまま、ターサイは目を伏せた。


 サラスイが何か言葉を紡いでいるけれど、聞き取ることはできなかった。しかし、その言葉とともに、あたりには先ほどとは異なる爽快でありながらも温かみのある甘い香りが広がる。


「あなたの記憶はそのままだ」



「……?!」


 サラスイとキーレンは踵を返した。


 その背をターサイはぼんやりとただ、見ていた。





 ガリクも、グーレンも何もなかったかのように振る舞った。

 もちろん、ランセイとハラルタも何も言わない。

 あの日のあの出来事は、誰の記憶にも留まっていないようだった。


 ハラルタの母親は、呪術師に診せたのではなく、ただ良くなった。

 ターサイの盗まれたはずの金はいつの間にか床下にかえってきていた。


 どういうわけがそのようになっていた。


 ターサイはじっと、右手を見つめる。

 その手には、しっかりと感触が残っている。包丁で人の背を貫いた感触が、濃く強く残っている。

 夢であるとは思えない。


 彼らはあの後、すぐに宿を引き払った。


 そして、呪術師の請求する金額が大きく引き下げられたと聞いた。




 ーー彼らは一体、誰だったのだろう。


 刺し傷を一瞬で治してしまう呪力を有した少女は成長とともにどれほど強い呪力を持つのか、ターサイには想像もつかない。

 また、人の記憶を消してしまう呪力など、後にも先にも聞いたことはなかった。


 街で見かけるような半端な呪術師とは異なる、優秀な呪術師は王都に住み、青龍の宮に属するという。国の中枢に携わり、強い呪力でこの国を支える。

 彼らもそのような者たちなのだろうか。いくら考えてもターサイにはわからなかった。





 ーー七年の時を経て、新しく青龍の宮の長となった者の絵姿とその名を見るまで。




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