白い世界 1
白い、白い世界に私は立っていた。空は白く、辺りの景色も白い。ただ足元は少しクリーム色をしていた。それは一定の幅と長さがあり、どこからかベルの音がが聞こえ、電車が目の前でゆっくりと止まったことでここがホームであることを理解した。たった一両しかないホームと同じ色の電車のドアが開く。気づけば周りにはちらほらと人がいた。しかしその人達はその電車を見つめたまま動こうとしなかった。乗らなくていいのだろうか、かくいう私も立ち尽くしたままだ。ドアはまだ開かれている、車内には誰もいない。このままでは電車は発車してしまう、それなのに誰も乗らないなんておかしすぎる。そんな時、隣に居た人が私に電車を譲るように手のひらをドアに差し向けた。席を譲るのならわかるが、電車を譲るのはいかがなものなのだろう。ふと、その人が口を開く。
「お嬢ちゃん、先におゆきなさい」
優しい声だった。私は何故か何も疑わずにその声に従った。周りの人は変わらず動こうとしない、色々不思議で仕方がないはずなのに、私は何一つ尋ねることなく電車へ足を乗せる。その瞬間、ドアが閉ざされた。私一人が乗車した直後にだ。今まで開きっぱなしだったのに、もしかしたら他に乗る人がいたかもしれないのに。
そして電車は動き出した。外の人達が溶けるように見えなくなり、真っ白な世界を私一人が何処かへ向かっていた。電車は音もなく走る、さらには発車時や加速減速時に感じるであろう慣性の類もない。この乗り物が動いているという感覚が一切ないのだ。ただ発車する時には皆から離れていった。だから確かに動いているのだろうが。
この電車は何処へ向かっているのだろう。私は自然とドアの上へ視線をやった。そこには直線に10の駅が間隔をあけて丸印で並べられており、右端の丸とその次の丸の中間部分が赤く点滅していた。路線図のようだ。車内までもがクリーム色の世界でその赤色はとても目立ち、新鮮だった。この図を見る限り私が乗った場所は始発駅だ、電車は残り9つの駅を巡って行くだろう。その何処かで私は降りるのだろうか、わりと重要な事だと思いながらも車内の椅子に座って頭の隅で考えていた。何より私はこの白い世界に魅せられていたのかもしれない、ここが何処だか、何なのかという疑問、不安さえ上書きするような……そう、ただ白いだけのものに上書きされ、圧倒されてしまっているのだ私は。
ピッと、路線図の赤い光が2つ目の駅と重なった。やはり何の負荷も感じずに景色が止まる。クリーム色のホームには誰もいない、ように思えたが無音のドアが開くと一人の子どもがあらわになった。子どもはひょいっと電車に飛び乗るとドアが即座に閉まる。もしかしてひと駅に一人しか乗れないのだろうか。考えておいてふざけていると思った。沢山の人を運べるのが電車の良いところだというのに。
私は子どもに目を向けた、黒い髪の毛は短いのに癖が強いのかクルクルとうねり、子ども特有のクリクリとした目がとても可愛い。半袖短パンの姿は子どもそのものだった。
「あー、おねーさんだ、こんにちは」
子どもはこちらに気がつくと笑顔で挨拶をした。いい子だ、私が子どもの頃は挨拶などろくにしなかった気がする。
「こんにちは、私はカノ。ボクの名前は?」
私はしゃがみその子と目線を合わせて聞いた。元気な子らしく、笑顔で大きく口を開き答えてくれた。
「ぼくはケン!5さいです!カノおねーさんよろしくね!」
「ケン君かぁ、元気でいい子だね」
「ありがとうございます!よくいわれます!」
「そっかぁ、よく言われるのはもっと凄いぞ~」
いつの間にか景色は溶け、ホームは見えなくなっていた。またいちめん白い空間を電車は走る。私とケン君は椅子に座って話をした。
「ケン君はどこから来たの?」
私はケン君と会って今の状況に興味を持った。一種の夢のような感覚、別に苦しくもないし気にするに値しないと思っていた。しかし夢にしてはこのケン君という存在は妙にリアリティがある。ただの夢ではないとするのなら俄然興味が沸いた。相手は子どもだし、期待しているような答えは返ってこないだろうと思うが聞くだけたらタダだ。
「ぼくはね、こうえんであそんでいたんだ!」
「う、うん……?」
唐突なお話の始まりに、やはり私の期待通りの答えは返ってこないかと悟る。別に落ち込むわけでもないので私はそのまま話しを聞いた。
「おともだちとね、こうえんでサッカーボールをやってたんだ!」
「そっかぁ、ケン君サッカーできるんだぁ」
ケン君は自信満々に頷いた。私はきっとこんな無邪気で可愛くはなかったな。
「それでねそれでね!ぼくはキーパーだったんだけど、おともだちのシュートがこうえんのそとのどうろにとんでいっちゃって、ぼくがそれをとりにいってあげたの!」
「そう、なんだ……?」
それで?と私は聞く。
「えーっと、うんと……わかんない、きづいたらまっしろなところにいて……」
微かに、嫌な推測が脳裏をよぎる。
「たしか……ボールをひろったとき、すごくうるさいおとがしたよ」
クラクション。
それはほぼ確かなものに変わった。彼は車に轢かれたのだ。しかしそれがわかったところでどうする?ケン君は死んじゃったのねとでも言えばいいのか、言えるはずがない。
私がまとまらない考えに翻弄されているとケン君が椅子を飛び降りた。
「ぼく、そろそろもどらなくっちゃ!」
見れば、路線図の3つめの駅が点滅していた。ドアが開く。ケン君はドアへと走っていった。
「おねーさん、ありがとね!またおはなししようね!ばいばい!」
「あ、ちょっと待――」
言い終わらないうちにドアは閉じてしまった。どうやら降りるのも一人限定らしい。既にケン君の姿はなく、すぐにまた景色が溶けた。
私は電車に揺られる。実際に揺れているわけではないのだが。
「ここは……」
ここは、何処なのだろう。夢の中なのだろう。そう思っていた私はこのリアルさに夢ではないと疑った。例えばここはどうやら本当に夢ではないらしい。と、決め付けてしまうとしよう。
するとここは、私の整理された考えによって、死後の世界となる。
「私は、死んでいる……?」
という夢を見ていると思えば別に納得できなくはない。……いや、もうできないかもしれない。
ここは死後の世界。まさか……。そんなまさかな話が。
だが、そうなると必然的に湧き出る疑問がある。
私はどうして死んだ?何故かそれが思い出せない。ケン君は覚えていた。死ぬ直後のことを、それより前の事も覚えていた。しかし私は死因どころか何一つ思い出すことができなかった。やはり夢だからか?……この迷い方はもうやめよう。
考えようにもそこから先へは行けず私の思考は止まってしまった。思考が停止した私の脳内でここが死後の世界だと言うことが脳内でエコーがかかったかのように繰り返されていく。
そんな時ドアが開いた。4つ目の駅についたらしい。