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記憶  作者: 堺 由兎
2/9

目的

 側辺八重子。

そう名乗った女の部屋に招かれたとはいえ、上がりこむのはかなりの抵抗があった。

そういう経験が全くなかったからだ。

だが、どこかのレストランにと言う樹に側辺から人が多いところが苦手と告げられてはしょうがなかった。


「蒼井樹だ。坂田署の者だ。」


警察手帳を出すと側辺はすこし寂しそうな笑顔を作って紅茶だろう色で良い香りのするティーカップを樹に差し出した。

誰もいないと思って店内で事情聴取していたところを目撃された時は驚いたが、側辺の不思議そうに樹を見る両目と視線が合った瞬間に逃げ出されたときはすぐさま追いかけた。

だが、追いついてその顔を見ると、泣いていた。

ばつが悪い思いをした樹は側辺が落ち着くまで待って、この部屋に通されたと言うことだった。


「何もありませんけど。」


綺麗に並べられたクッキーを差し出した側辺はやはり哀愁を含んだ微笑みを浮かべるのだった。

女の部屋はピンク一色だと偏見を持っていた樹はこの部屋の何も無さにびっくりするのだ。

ワンルームの部屋にはちゃぶ台にテレビ、小さい棚に詰め込まれた本とその上に置かれたノートパソコン、そして、ベッド。

それだけだった。


「なんで、逃げたりしたんだ。」


咳払いをして改めると側辺は微笑んだまま柔らかな視線で樹の両目を捕える。


「去年死んだ職場の先輩と目が似ていたからです。」


「職場の先輩?」


「はい。」


小さく頷いた側辺のその仕草に清楚な美しさに樹は息をのんだ。

黒い髪は長く、艶やかだった。

そして、白い肌の上に乗る目鼻立ちははっきりとしているが柔らかな印象だ。

桜色の唇が優しい表情のまま開いた。


「崎田調査所という調査会社に勤めています。あ、今は長期休暇中です。」


友好的に話をしようとしている側辺の一生懸命な様子に樹は我に返った。


「崎田、ああ、聞いたことある。この近くにある探偵事務所だろう?」


側辺はその白い頬に柔らかな微笑を浮かべる。

署内では特段怪しいところでもない、ただの探偵事務所といった認識だった。

だが、一度だけ松村がその名を聞いてかなり嫌がったのを覚えている。

何かの事件の時に、あの探偵事務所が絡んでいたような。


「お一人で捜査ですか?」


思考の渦に落ちそうになった樹を穏やかな声が引き上げる。


「あ、ああ。まあ。」


そうとしか答えようが無い。


「大変ですね。」


「いや、それが我々の仕事だ。それより、本当に逃げた理由はそれだけか?」


少し口調を強くすると樹は側辺を少し睨んだ。

側辺はひるむかと思ったが逆で、きょとんとした後、笑い始めた。


「な、何がおかしい。」


「いえ、本当に、先輩に似てるなと。」


寂しさが消えた笑顔は少女のあどけなさが見え隠れするみずみずしい表情だ。


「あのな。たのむから、先輩から離れてくれ。」


困惑の感情を表した声を樹が出すと側辺は苦笑した。


「すみません。本当に逃げたのはちょっと動揺しただけです。紛らわしい事をして申し訳ありません。」


「いや、それが確かめられればいいんだ。こちらも疑ったりしてすまなかったな。」


出された紅茶を一気に飲み干すと樹は立ち上がる。

確認が取れればここに用はない。


「あの。」


躊躇いがちの側辺の声に樹は眉をひそめて声の主を見下ろす。


「あの本屋の店員さんに聞くとき、犯人の声だけじゃじゃなくて聞こえてきた騒音なんかも確認したら良いんじゃないですか?どこからかけてきたか特定できれば良い場合もありますし。」


樹は側辺に言われて出そうになった声を飲み込んだ。

確かにそうだ。

外見は二十歳そこそこのおとなしそうな女に言われるとは思っても見なかった。


「探偵の仕事でか?」


樹は舌打ちをのど奥に追いやり、取り直したように咳払いをする。


「ええ。あの失礼だと分かっていますが、もしかして聞き込みなどは初めてですか?」


図星。

一人での聞き込みは初めてでいつも先輩が聞き込みを行っている後ろで見ていただけだった。

と言うよりも、持ち前の体格のために聞き込みよりも犯人確保に全力を注げといわれていただけだ。


「何故あの本屋に?」


「署から一番近い現場だからだ。」


憮然と見下ろした側辺は再び寂しそうに笑った。

その表情には嘲弄や皮肉は全く感じられない。


「所轄内を捜索しているんですか?」


「ああ。」


「でしたら、この近くの電話ボックスが実際の爆破現場ですよ。いってみましょう。」


そういって側辺は立ち上がった。

樹は相槌をうってはっとする。

民間人と一緒に捜査できるか。

その言葉を発するより早く側辺は玄関に立って樹を待ち構えている。


「あのな、俺は純然たる捜査で、」


「じゃあ、いきましょう。」


半ば強引に歩き始めた側辺を樹は仕方なく追った。

一人にしてもしも犯人に出くわしたら大変だ。

マンションの通路にまで舞い降りる桜を目にした側辺は笑顔をさらに寂しく見せる。



 お互い無言のまま蒼井と共にたどり着いた電話ボックスは小学校を過ぎた角に追いやられた様に寂しく佇んでいた。

既に電話会社によって新しい物に取り替えられた電話ボックスは接地するコンクリートの壁に爆発の煤の後を残すのみでここで爆発があったこと自体がなかったかのような違和感のあるこぎれいさが漂っている。


「本屋に電話ボックス。小学校が近くに有るのに小学校は狙わない。何がしたいんだ犯人は?」


忌々しげに呟く蒼井の横顔を一瞥して八重子はとある事を思い出した。


「たしか、ここ、六年前に起きたそこの小学校の生徒の誘拐事件に利用されたんでしたよね?」


「え?あ、ああ。そうか。確かあったな。そんなこと。女子児童を誘拐した無職の男が身代金要求にこのボックスを使ったな。」


男は無職の十九歳でいわゆる引きこもりだった。

親から金をせびってはアニメやゲームに向いたままの生活を続けていた男だ。

新しいゲームが欲しかった男はいつものように無心した親から拒否された事によりどうしても欲しかったゲームを買うために犯行を行った。

金は要求どおり男が用意した口座に振り込まれた。

三百万だったか。

だが、男はやりすぎた。

被害者である女子生徒を選んだ理由は好きなアニメキャラクターに似ていたからというもので、乱暴しようとして拒否されたことに腹を立てて女子生徒を殺害した。

戻ってきた遺体には強姦した跡がしっかりと残って、取調べと司法解剖の結果で死後に陵辱行為を行ったと判明。

悪びれた様子もなく、遺族の怒りに真っ向から向き合わず、無期懲役の受刑中だった。


「そういえば、あの本屋に一時期バイトに来ていた高校生も似たような事件を起こしていますね。」


八重子の頭を四年前の事件がよぎる。

仲の良いグループ五、六人で女子高生を拉致監禁し、ひどい暴行の後、死亡した少女を物のようにかわらに捨てた少年の一人がいた。主犯格では無いにしろ、事件に関わった少年で三年の少年院の生活を終えてもう社会人として生活しているはずだ。


「おいおい、まさか全部性犯罪者が絡んでいる場所だってことか?」


「性犯罪者とは限らないんじゃないですか?」


目を丸める蒼井にできるだけ好意的に見えるような笑顔を向けた。

あまり自分が言うと警察官としてのプライドを傷つけかねない。


「家、インターネット繋がりますよ。爆発事件の関連した場所は覚えてますか?」


「あ、ああ。大体。」


「じゃあ、検証してみましょう。」


そう告げると八重子は踵を返した。

正義の味方でも気取っているのだろうか。

八重子は蒼井に気づかれないようにため息をついた。

先輩が言っていたことを思い出す。



人には欲望があり、その欲望を抑えるか抑えないかで犯罪者かそうでないかの二つになると。

この地上にはたくさんの人間がいてたくさんの思想があって、それは全て微妙に違う。

同じだと思っても必ずどこかにずれがある。

それを互いに認め合った者同士が顔を向き合って生活をしているんだ。確かに合わない奴と共にいないといけないことも多々有る。

その不快感を抑えるのも人間の理性と言うものなんだと。



八重子は多忙のために簡素になってしまった部屋に戻ってノートパソコンを立ち上げた。

ふと隣から視線を感じる。

再び招き入れた蒼井だった。

起動画面をその大きな体を縮めてものめずらしそうに見ている。

かわいい人だなと八重子は思った。

また笑うとむくれてしまうだろうからそれを飲み下すとインターネットブラウザを開いてまず蒼井が最初に言ったゴミ箱が爆発したファーストフード店の情報を探した。


「あぁ?この支店の元店長が客を強姦していた店だったのか?」


驚きの声を蒼井を横目に再び紅茶を用意して差し出した。

先輩がコーヒーが駄目だったためにこの家には紅茶と緑茶しかない。

八重子自身もコーヒーより紅茶派だ。


「あ、このコンビニの駐車場の一部の公道としての工事に談合の疑い?」


「これは疑いだけで解決してませんね。」


八重子がそう付け加えると蒼井は腕組みをして唸った。

その様子を見ると灰色の皺のあるスーツを羽織った白熊が唸っているように見える。


「つまり、この犯人は義賊を気取ってるってことか?未解決・法的には解決しているが犯人は社会復帰して、かつ、反省の色が無い。」


飲み込みの早い人だ。

八重子はうれしかった。

答えを見つけた生徒の様に目を輝かせる蒼井に八重子は笑顔で頷いて見せた。


「じゃあ、坂田署の方に連絡したほうがいいんじゃ無いんですか?」


そういうと蒼井はばつが悪そうに頭をかき始める。

八重子は苦笑交じりのため息を小さく吐いた。

この人の性格ではきっと上の方から煙たがられているのだろう。

事件が事件だ。

今までの警察の対応、司法体制への批判の事件だ。

警察は血眼になっているだろうが、所轄の、若い刑事に任せるわけがない。

だが、蒼井にとってはそれは許されないことなのだろう。

一刻も早く市民生活を穏やかにしたい、こんなところだろう。

直実で前向きな、悪い言い方をすれば猪突猛進な蒼井の情熱に八重子は好感を持つのだった。


「犯人はわざと死人が出ないようにしているようにみえますね。やはり告発が目的なんでしょうね。」


「それじゃ何の解決にもなら無いだろう。確かに何らかの形でそのことが公になる。だが、そのために傷ついた人や職を失った人がいるんだ。そんな人たちのために動くのが警察だろう?」


熱を帯びた声が爆発し、小さなちゃぶ台を叩くとノートパソコンが飛び跳ね、そのまま画面がブラックアウトする。


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