アレルギー
アレルギーというのは恐ろしいものである。いつ発症するのか分からない。
しかも、非常に稀なことに人体が生きるうえで欠かせない、水にもアレルギーがあるのだ。
注意深く気をつけなければなるまい。神経をすり減らざるを得ない生活を送ることになるのだから。
だが、真に恐ろしいのは何か。それは無知と偏見に基づいた「アレルギーは甘え」という考えだろう。それは無理解者に多い。
彼らは気づいていないのだ。その思考が例え善意からのものであったとしても、「アレルギーは克服できる」と盲信している。そんなこと無いというに。
彼らがやっているのは何か。一言で済ませるなら、殺人である。アレルギーという毒を用いたもの。免罪符があると思い込んでいる質の悪いもの。
それは、人を見ない。学ぼうとしない。自分の考えが正しいと思い込んだもの。
昔はそれが変死として処理されてきた。しかし、医学の発展によって明らかにされてきたものである。
結論を述べよう。無知ゆえに盲信と偏見に囚われるのなら、早々と思考のアップデートをしたほうが良い。
それでも、盲信と偏見の闇に囚われていることを愛したいのならば、スギ花粉によるアレルギー性の鼻炎に罹らせたほうが身をもって知り刻むだろう。
タイタニックに乗り続け、沈みゆく船と共にいた「ひょうきんな者」たちの一団に彼らは倣いたいことを、行動や言動で証明しているのだから。
つまり、私が言いたいことは何かと言うと、知識のアップデートは大切であると言うことである――。




