58.告白
医療所として使っている教会にはベッドが二十床ほど。どれも埋まってしまっている。
その窓際のベッドで、ステンが静かに目を開けた。
「起きたか?」
オーウェンがステンのベッドの脇に腰かけて、足を組んだ。
「オーウェン様…?」
え?
ステンが飛び起きた。途端に痛みに襲われ、わき腹を押さえる。
「いてて」
「まだ起き上がるな」
オーウェンがステンの肩を押し、寝るように促す。
ステンが首だけをオーウェンに向けた。端正な顔がこちらを見下ろしている。
「戦況は?」
「安心しろ。勝利した」
勝利…。
ステンが噛み締めるように目を閉じて、手で隠した。何とも言えない気持ちが込み上げてくる。
まさか怪我で離脱する羽目になるとは。待っているだけの戦争がこんなに堪えるとは知らなかった。
窓の外では静かに雨が降っている。
「オーウェン様。よくご無事で」
「ああ。お前こそ、よく生き延びてくれた。ステンが死んでいたらイザベラに合わす顔がない」
苦笑したオーウェンは、心底ホッとして見えた。
「血の気が多いもので」
ステンがジョークを飛ばすと、オーウェンも笑った。
戦いを終え王城へと戻る騎士たちに、両脇を彩るように人々が詰めかけ、花の雨を降らす。鳴りやまない歓声に包まれ、騎士たちが応じるように手を振った。その長い行列に、人々が押し合いながら手を振り返す。
「カッコいい…」
目を輝かせる少年に、泣き出す老婆、踊り出す若者たち。降り出した雨などお構いなしに勝利を満喫している。
一部崩壊した街並みに出店が溢れ、商魂の逞しさに笑ってしまう。人々の歓迎は王城の門まで続いた。
王城に着くと突然、ラッパの音が響く。こんなに明るいラッパの音を聞くのは、どれくらいぶりだろう。灰色の雨を吹き飛ばすような音色だ。
城門が前に開くと、一気に実感が沸いた。
生きて戻って来られた。
門をくぐる騎士たちの胸が熱くなる。
「オーウェン」
城の玄関前で待っていたベアトリスが、ドレスをたくしあげてオーウェンの元まで駆け寄る。すぐさまオーウェンが馬から降りて彼女を抱き止めた。
「ベアトリスっ!」
ギュッと目を瞑り、腕に力を込める。
「オーウェン、無事で良かった」
ベアトリスの手が震えている。
愛おしさがこみ上げた。
オーウェンがベアトリスの頬に手を当てる。
「ベアトリス、顔を見せて」
ヘーゼルの瞳がオーウェンを映した。彼女の目に滲んだ涙を、指で拭う。そのまま口づけた。ずっと夢見ていた瞬間だった。
名残惜しそうに唇を離す。
「ああ、ベアトリスだ。会いたかった」
美しい金の髪も、凛とした横顔も、細い指も、すらっとした肢体も全てが手の中にある。
「オーウェン、ちょっと苦しいわ」
無意識に締め付けていたらしい。慌てて手を緩める。
「あ、ごめんね」
「ふふ。いいわ。お帰りなさい、オーウェン」
「ただいま、ベアトリス」
今度は優しく抱きしめた。しばらく抱き合っていると、前から焦燥感を含んだ声が耳に届く。
「オーウェン!ステンがいないの!ステンはどこ?」
大きくなったお腹を抱えるように、イザベラがこちらにやってくる。
「イザベラ、無理をしないで」
ベアトリスがオーウェンから離れ、イザベラの背に手を当てた。
「ステンは?ステンはどこっ!」
今にも泣き出しそうなイザベラにオーウェンが身を屈める。
「大丈夫。怪我をしたから馬車で王城に向かっているんだ」
「生きているのねっ!」
イザベラがオーウェンの両肩を掴んだ。
「ああ。生きているよ。イザベラに会いたがっていた」
「…ああ、良かった。良かったぁ!」
体の力が抜けるイザベラを二人で両脇から抱える。頬が涙で濡れている。
「俺を庇って怪我をしたんだ。すまない」
イザベラが大きく首を振る。
「良いの!それが騎士の仕事だもの。生きているのなら良いの」
「傷も塞がってきているし、あと二日ぐらいあれば着くよ」
「二日。分かったわ。取り乱してごめんなさい。邪魔をしたわね」
「何を言うの!ほら一緒に城に入りましょう。雨に濡れて風邪を引いたら大変」
「そうだよ。馬車の情報が入ったらすぐに教えるよ」
「ありがとう、二人とも」
イザベラを侍女に預けドレスの替えを命じる。
そこへ城の外から一際、大きな声が飛んできた。玄関の中にいたベアトリスとオーウェンが振り返る。
「陛下が崩御されたって?」その一言で騎士たちがざわつき始める。
ベアトリスは伏し目がちにオーウェンの方を向いた。
「オーウェン、その」
「聞いたよ。側近の一人に殺されたって」
「ええ。もう一足早く気づいていれば…」
「ベアトリスが気にすることじゃないよ。国の為に死んだのだから本望だろう」
オーウェンの目は優しい。
「それより、着替えて温かいお茶でも飲もう」
「ええ。そうね。そうしましょう」
オーウェンの気遣いに甘えるように、ベアトリスは微笑んだ。
その夜、大地に流れた血を洗い流すような、土砂降りの雨となった。
ベアトリスは窓越しにそれを眺める。昼間の熱狂が嘘のように、城の外は叩きつける雨の音しか聞こえない。ぼんやりとした灯りも雨にかき消されそうだ。
「ベアトリス」
オーウェンが後ろから彼女を抱きしめる。ベアトリスはカーテンを閉め切り、オーウェンと抱き合った。
懐かしい感覚だ。この甘さにずっと浸っていたい。
だけど。
「オーウェン。あなたに話さなければならないことがあるわ」
「どうしたの。そんな真剣な顔をして」
ベアトリスがオーウェンから半歩距離を取った。オーウェンがその手をすぐに掴む。
「ベアトリス?今日は君から離れたくない。逃げないで」
もう一度、ベアトリスを抱きしめる。
ベアトリスは目を閉じて、ゆっくりと口を開いた。
「オーウェン、私ね、あなたの父親を殺したの」
オーウェンはベアトリスを抱きしめたまま、目を見開いた。
ベアトリスからはその表情は見えない。ただ、ぴくっと一瞬、手が震えるのを、背に感じた。
「国を裏切っていたのは、あなたの父親だった。だから私が殺したの。本当は言わないでおこうと思っていたんだけど、やっぱり伝えておくわ」
ああ、ベアトリス。
オーウェンがギュッと瞼を閉じた。
俺は頭がおかしい。
普通の男なら、愛する女性にそんなことをさせるなんて、後悔で圧し潰されてもおかしくない場面なのに。
嬉しくて仕方がない。
ベアトリスの髪に、自分の頬を擦り合わせる。彼女の香りがした。
「知っていたよ」
「え?」
驚いてベアトリスが身を引くのを、オーウェンが許さなかった。彼は相変わらず髪に顔を埋めている。今、オーウェンがどんな顔をしているのか全く想像がつかない。
「知っていたって?」
「安置所で遺体の状態を確認したし、もう一人の側近からも話を聞いたから」
ディードが喋った?ベアトリスの眉が寄る。
オーウェンがベアトリスの髪を撫でた。
「彼は、『ワヒドという側近が裏切り、それに気づいた王が止めようとして殺された。立派な最期だった』と証言していたけれど、それはおかしい。王の腹には正面から刺された傷があった。息子の俺が言うのも何だけど、剣を見た時点であいつならすぐに逃げ出したはずだ。刺し傷は背中側にないと辻褄が合わない。揉み合いの傷もなかったしね。側近の証言は偽証だ」
外では雷の唸るような音が轟いている。窓がガタッと音を立てて振動した。
オーウェンの拘束は弱まる気配がない。
「証言した彼が殺した可能性もあるけれど、そこまで大それたことが出来るタイプではない。それに君たちが彼を疑っていないのも不自然だ。それなら答えは一つ。その場にいたのは、残るは君とラースだけだから」
オーウェンはやっと力を緩め、ベアトリスと目を合わせた。彼女は真意を測りかねたような顔をしている。
その瞳に小さくキスを落とした。
「俺はね、ベアトリス。君がそれを話してくれたことが嬉しいんだよ。黙っていることもできたのに」
オーウェンの頬は緩んでいる。
確かにそうだ。伝えれば、今後の処刑理由にされる可能性だってあるのに。それでも、言わずにはいられなかった。
「信頼してくれたんだね。それに、殺してくれたのも俺の為じゃないかな?父親が裏切り者なら、俺も処刑対象だから。それともこれは自惚れかな?」
オーウェンの瞳は熱を帯びている。ベアトリスが首を振った。
「自惚れなんかじゃないわ。でもあなたの為だけでもない。私にもリスクのあることだったからよ」
「ふふ。君は優しいね。わざわざ向こう傷にしてくれたのも、俺の父親の名誉を守る為でしょう。立派な最期だったなんて、笑いそうになったよ」
「お腹の方が刺しやすかっただけ。たまたまよ」
そっぽを向いたベアトリスの頬に手を当て、こちらを向かせた。おでこをくっつける。
「俺以外を見ないで。ごめんね。君にそんなことをさせて嬉しいだなんて。頭おかしいよね。もう二度とそんなことさせないから」
頬にキスをした。
嬉しい。
俺の為に手を汚してくれたことも、打ち明けてくれたことも。それは俺から離れる意思がないということ。秘密で繋がれる関係は絆を深めてくれる。
「一生、大切にする。ベアトリス、愛している」
「私もよ。私も愛している。私があなたを支えるわ。だってあなたは私の家族だもの」
オーウェンが泣きそうな顔をした。
『あんな奴は息子でも何でもない!』
王の言葉が脳で喚く。
そうね。あんたなんて最初からオーウェンの家族でも何でもなかったのよ。私が彼の家族になるわ。私だけじゃない。オーウェンには今、沢山の家族がいる。彼らに支えられて彼はこの国を統べる王になるの。
「幸せ過ぎて泣きそうだ」
「良いことね」
ベアトリスが肩口に顔を埋めたオーウェンの頭を撫でた。
「キスしてもいい?」
そう尋ねるオーウェンの瞳が少し潤んでいる。ベアトリスはゆっくりと目を閉じた。
唇が触れあう。何度もキスを交わすうちに、徐々に深くなっていく。オーウェンの首に両手を回した。どちらからともなく絡み合う舌が熱い。
「行こうか」
オーウェンがベアトリスを抱き上げた。そのままベッドへと向かう。ゆっくりと寝かされた。
「オーウェン。キスして」
ベアトリスが右手をオーウェンの頬に当てる。オーウェンが両手をベアトリスの顔の横についた。そのまま唇にキスをする。
「ベアトリス。ずっとこうしたかった」
雨の音など、とうに聞こえなくなっていた。




