57.勝利
エラルド国。
「港が破壊されたぞ!こちらには攻めてこないと言っていたではないか!」
国王ジャイルが立ち上がって喚く。詰められたロベールは、テーブルの上を見つめたまま、ゆっくりとワインを飲んだ。
「ご安心ください。奴らは海上から攻撃するのがやっとです。こちらは敵の城を二拠点も潰せるのですから、大した痛手ではないでしょう。勝利は目前」
グラスを回すとワインが踊った。
ジャイルがドカッと音を立ててソファに座り、足を組む。水のようにワインを胃に入れた。
「まあ、それもそうか。補償は存分とさせてやろう。ところで」
ジャイルの声を爆発音が遮った。体が揺れる程のその音は、城外の至る所で鳴り響いた。
「襲撃だーっ!」
メイドたちの狼狽した叫び声が、バタついた足音とともに聞こえてくる。
慌ててロベールが窓の外を覗くと、真っ黒い煙があちこちから上がっている。
「なんだ、あれは!」
ジャイルが両手でテーブルを叩き、ロベールを睨む。興奮して今にも血管が切れそうだ。
「見て参ります。陛下はこちらでお待ちを」
ロベールはジャイルを置き去りに部屋を出た。
真っ暗な長い通路を、手に持った灯り一つを頼りに歩く。近くの教会へと続く隠し通路だ。
蝋燭の灯りは弱く、足元もあまり見えない。慎重に歩を進める。
教会まで行けば戦火も追ってこられない。教会は特別な権利と地位を有している。
何とも便利な場所だ。
巻き込まれるなんて御免だからな。
鍵束の輪に人差し指を入れ、ぐるぐると回した。
「やあ」
目の前からいきなり声がして、ロベールはビクリと体を震わる。動揺で鍵がガチャッと床に落ちた。
「誰だっ?」
「お迎えにあがりました」
白い服が暗闇でぼんやりと浮かび上がった。顔は見えない。
「おお、教会の人間か。それは気が利く。この通路は長くて少し不気味だったのだ」
「ええ。まるで足元からのみ込まれそうに深い闇が広がっていますからね」
男の声は穏やかだ。暗い廊下を並んでゆっくりと歩く。蝋燭が二本、心許なく揺れた。
「あなたなら、いち早く、こちらにやって来ると思っていました」
男が笑う気配がした。
「失礼だが、面識があったかな?暗くてよく顔が見えないのだ」
「何度かお会いしていますが、私は下っ端なものでご記憶にないかもしれません」
「そうか。君はウラルネ殿の配下かね」
「いいえ。私の上司は亡くなりました。それはもう哀れな死に方をしたものですよ」
男はゆっくりとマントからナイフを取り出し、後ろ手に隠した。
「それは気の毒に」
「そうなのです。父親代わりだったのですが、酷薄な男に騙された挙句、病死してしまって」
「よくある話だ」
気にするなと言う風に、ロベールが相槌を打った。
「ええ、本当に。よくある話で笑ってしまいます」
言い終わらない内に、ロベールの背にナイフを突き立てた。その衝撃に「グッ」と反射的に声を上げ、ロベールがよたつく。
「な、んだ…?」
暗さのせいで自分の身に何が起きたのか理解できないらしい。そのまま、下に崩れ落ちる音がした。
「お、まえ」
「息子代わりの人間が、親の復讐をするっていうのも、よくある話だよね」
暗闇から男の声が降ってくる。声音も話し方もまるで違う。この声は…。
胸が熱い。息が苦しい。手が何かに濡れて冷たい。これは血…?
「た、たす、け」
「ハーブのような香りをさせていることが何度かあったな。それが教会の香りだと分かったら探すのは簡単だった。教会なら、国中の手配を潜り抜けられたことも説明がつく。治外法権だからな」
男が自分のすぐ側でしゃがみこむ気配がした。藁にも縋りつく思いで手を伸ばす。マントに触れた。
「気分はどうだ?こんな狭くて暗い通路で、一人で死んでいくなんて想像もしていなかっただろ?」
男の声は明るい。
「や、め…」
俺はこんなところで死んでいい人間じゃない!皆に崇められ、国葬級の葬儀で神に限りなく近い場所で死ぬべきなんだ!
ゴボォ、と血が口から噴き出した。
何だ、これは?血?俺は死ぬのか?嫌だ!死にたくない!
「フランクリンという男を知っているだろ?教会の狸爺だ。ちょっと脅したらすぐにべらべら喋ってくれたよ。この場所のこともな」
男が話す内容が全く頭に入ってこない。体が震える。恐怖のせいか?それとも、死ぬからか…?
涙が出た。
この俺がこんなところで、こんなに惨めに死ぬなんて、許されない!このクソガキ!死刑になったはずじゃないか!ふざけるなっ!俺にこんなことをしてタダで済むと思っているのか。くそっ。もう一度、殺してやる!
そう叫びたいのに、口からは血しか出ない。
もう指を動かすことも出来なくなった。
あ、あ…。い、やだ。
ひゅう、ひゅうと弱弱しい息だけが口から漏れる。
それもじきに聞こえなくなった。
「言っただろ?迎えに来たって。あの世からな」
男は教会を出て、浮浪児の根城である路地へと向かった。十代の少年たちが十一人、近寄ってくる。
火薬を爆破させた礼として、少年たちに幾らかを渡した。火薬と言ってもほぼ音と煙だけのものだが、効果は抜群だった。
「え、こんなに?」
「ああ。それだけ価値のある働きだった」
じゃあな、と言ったきり、男はどこかへ消えてしまった。
☆
ロジャーとキールの戦いは激しさを増している。キールの紫紺色の髪が跳ねる。剣先が見えない程、互いに剣を交えたかと思えば、一歩引いて間合いを測り直す。
それを何度も繰り返している。
周囲の騎士たちは戦いながらも、遠巻きにチラチラとそれを目で追う。ぞわりと総毛立つほどの気配を二人が発し、勝手に目が引き寄せられるのだ。
どちらが勝つか。
見ているだけで、ごくりと喉が鳴り、剣を持つ手が汗でびっしょりになる。
ロジャーとキールが再度構え直し、キールが仕掛けた攻撃をロジャーが受けようとしたその時、太鼓の音が変わった。
ドン、ドン、ドンと一定のリズムで叩かれていたそれが、ドンドンドンと切迫したリズムに切り替わったのだ。
キールの注意が一瞬、そちらに向いたのをロジャーは見逃さなかった。
素早く剣を躱し、下から上へと切り裂くように胸を目掛けて剣を振る。
しまった!
キールは直撃こそ避けたものの、落馬し地面に転がった。ロジャーはすかさず追撃の一手を繰り出した。
しかし、ロジャーの剣がキールの肩を突く直前に、銀髪の男がキールの襟首を掴み、そのまま馬に乗せて城の方へと駆けて行ってしまった。他の敵たちもそれに続く。
どうやら先程の太鼓の音は退却の合図だったらしい。
ロジャーがすぐさま馬で追おうとしたところ、
「待った」とユーゴが前に立ち塞がった。
弾みで馬が棹立ちになるのを、上手くロジャーが宥める。
「何の真似?」
「まあまあ。そんなに怒らないで。もう追う必要ないよ」
一斉に退却したせいで、土埃で先が見えない。蹄と太鼓やラッパの音で判断するに、敵陣はサイファ国へと向かっているようだが。
「国へ戻ったという確証がない。応援部隊と一緒に攻めてくる可能性も」
「それはないよ」
「ない?」
ロジャーの声に怪訝さが滲んでいる。剣を握り直すのを見て、ユーゴが慌てた。
「ちょっと待った!落ち着いて。敵の応援部隊は来ない。ダイス国がサイファ国に攻め入ったからね」
「は?」
「事前にダイス国に話を持ち掛けていたんだよ。乗ってくれるかは賭けだったけどね」
ロジャーはまじまじとユーゴを見る。ふふん、と上機嫌に口角を上げている。怪しい言動の理由にも納得がいった。
「僕の本当の得意分野は外交なんだ」
ユーゴがロジャーにウインクして見せた。
その情報は瞬く間に騎士たちに伝播した。
真っ白い煙が扇状に空へと向かって伸びていくのを、騎士たちが感慨深く見上げる。
「勝った…?勝ったぞー!」
誰からともなく叫び、抱き合った。
城壁の上にいたミリアたちもその狼煙を確認する。
「おやおや。勝ってしまったよ」
ジョゼが口笛を吹いた。まさかこんな結末が待っていようとは。
「つまらん」
ミリアが髪を解く。逃げ惑う敵をここから眺める気満々だったのに、余計なことを。
まあ、次の機会にでもとっておくか。
「さあ!我が城からも勝利の狼煙を上げろ!今日は宴会だ!」
叫んだ声は麗らかだった。
☆
ベアトリスたちが城壁の上から攻撃していると、まだ夕刻だというのに敵兵がやにわに引き始めた。構えていた弓を下ろす。
朱に染まった空に黒が混じっている。こういう天気の時は、この後崩れることが多い。
「どうしたのかしら?」
「さあ。雨が降りそうだから早めに引き返したとか?」
カミラと顔を見合わせ、首を傾げる。
敵の背はどんどん離れていく。敵兵の進行方向はエラルド国の方角だ。味方の騎士たちも訝しそうにその様子を眺めている。
そこに白い狼煙がゆっくりと扇形に広がった。この合図は。
「敵の退却合図だわ!」
ベアトリスが身を乗り出して叫んだ。カミラも目を見開いて敵の後ろ姿を追う。もうあんなに小さく見える。
「本当に退却していくわ」
「うおおおお!」「やったぁ!」「勝ったぞーっ!」城中から歓喜の雄叫びが上がった。
両手を突き上げてガッツポーズをしている者、抱き合う者、膝から崩れ落ちる者、泣き出す者、様々な反応で喜びを表現している。
「え、でもどうして」
カミラが目を丸くして呟いた。もう敵の姿は見えない。
「敵の食料庫が何者かに襲われたようです」
後ろからフューイが、足音もなく二人との距離を詰めてくる。勝利したというのに、相変わらず何を考えているのか分からない男だ。
「何者かって」
カミラが腕を組む。
「さあ、緑色の旗を掲げていたと聞いていますが、詳細は分かりません。その後エラルド軍は海上から物資の補給を試みたそうですが、あなたのお父様がその阻止に成功しました」
「お父様が?」
ベアトリスが驚いて口元に手を当てた。オーウェンの城で待機すると言っていたのに。
「海軍を率いて敵軍の帆船を再起不能にしたようですよ。味方となると頼もしいですね。籠城戦は我々の勝利です」
フューイが珍しく爽やかに頬を緩めた。
勝利?
まだ実感が沸かない。それでも急に体の力が抜けた。ベアトリスとカミラは石造りの床に座り込む。ひんやりとした床が火照った体を癒してくれた。
長かったような、短かったような。必死過ぎてよく分からなかった。
そのまま寝ころんだ。空がいつもより低い。赤い雲が素早く横に流れていく。
今まで感じなかった外の風を感じる。
終わったんだ。
ベアトリスは目を閉じた。
「さて、王の死について皆に説明しますか」
フューイの言葉で脱力した体が、再度、強張るのを感じた。




