55.狙い
城の東側にある山の中腹で、ダクトが城を眺めていると、隣で地図を見ていたオーウェンが大きく舌打ちした。地図を握りつぶしている。
「オーウェン殿下?」
「あの馬鹿ども…!川を氾濫させる気だ!」
オーウェンが地図をダクトに返し、敵陣営に目を凝らす。日が落ち始め、そろそろ影にしか見えなくなってきている。
情勢は変わらず、橋を掛けようとする敵軍をキャンベル軍が阻んでいるが、問題はその足元。
「見ろ。地図では土手の高さは一メートルとあるのに、敵兵の膝までしかない。本来は腰まであるはずだ」
ダクトが皺くちゃの地図を広げ、確認する。
「確かに。しかし氾濫など滅多にしないと聞きましたよ」
「別の川と合流させて、一気に城周りの川に流し込む気だ!水で敵兵を全滅させる気なんだ」
「なるほど。良いアイデアですね!」
「感心している場合か!俺たちごと流す気だぞ」
ダクトが笑いながら首を振る。ありえないとでも言いたげだ。
「え、まさか!応援が着いたことは知らせているのに」
「キャンベル城にいるのは誰だ!」
「ええと、確かキャンベル伯爵家の長女ミリア嬢とその夫のジョゼ様ですね」
オーウェンとは面識がない。が、頭のおかしい奴らだということは分かる。
黙ってしまったオーウェンに、ダクトが半信半疑のまま提案する。
「もしそうならば、今から逃げればよいのでは?」
「駄目だ!川の水量の調節なんて上手くできるとは思えない。下手すれば城ごと沈むぞ!」
『決して負けない城』
そういう意味かよ!
オーウェンが頭を掻きむしる。
ダクトが懐疑的な視線をオーウェンに向けた。
「城が沈めば自分たちの命も危ないのに、そんなことしますかね?」
「負ければ住人たちは虐殺される。城だって敵の手に渡るよりは壊した方が良い」
「そんな無茶苦茶な」
「ああ、本当にな!」
荒れるオーウェンを宥めるように両手を上げ、ダクトが首を傾げる。
「しかし、上手くいけば水で敵を一掃でき、住人たちは城の上部に避難することも可能なのでは?我々はやはり逃げた方が」
「駄目だ!キャンベル領は辺境地。もし城がなくなったりしたら国境警備などできなくなるぞ!それに城を造り直すのに一体どれだけ予算が掛かるか」
建設費用は莫大だ。ただでも戦争に予算を割いたのに、城の復興など不可能だ!
奴らは大雨を待っている。その前に止めなくてはいけない。これから来るであろう敵の応援部隊を悠長に待っている時間はない。
オーウェンは唇を噛んだ。
ここにきて、敵ではなく味方に悩まされるとはな!
「明日の早朝、一斉に仕掛ける!ユーゴたちにも攻撃の合図を」
翌朝。
朝日が顔を出すと同時に、オーウェンが送った先行部隊が、敵の野営地を奇襲した。
川向こうから敵陣へと手榴弾を投げ込むと、凄まじい爆発音が朝の静寂を破った。
敵が混乱している間に、掛けられていた簡易の橋を斧でぶち壊し、川に流す。
準備不足の敵兵たちは思った通り、城の方へと逃げていく。川向こうを押さえられると、後ろは川と山。前方と右手にしか逃げ場がないのだ。右手にはユーゴたちの軍が待機している。
ユーゴ軍の見張りが狼煙を見つけ叫んだ。
「奇襲の合図が上がったぞ!」
黒、紺、黄色のグラデーションの空が、遠くまで広がっている。その空を目掛け、赤い煙が真っすぐと昇っていく。
寝ていた騎士たちが飛び起きた。
「え、奇襲?」
「急げ!」
寝ぼけ眼の騎士たちを叩き起こし、騎士たちが武器を持ち始める。馬の手綱を引いて、飛び乗った。
ユーゴは欠伸をしながら、城を見る。敵陣はまだ来ていない。
「何で今、奇襲なんて。もう少し待ったらいいのに」
目に溜まった涙を人差し指でこする。
のんびりしたユーゴの後ろで、エイジが腕を組んだ。
確かにユーゴの言う通りだ。全体で考えると数的不利な状況は間違いない。今仕掛けて、体力が落ちたところに後ろから敵の応援部隊が来れば、負ける可能性が高い。
しかし、オーウェン様だってそのことは承知のはず。何かあるのだ。
エイジが右手を伸ばしながら、隊全体に向かって声を張り上げた。赤毛に埋もれていたピアスが見え隠れする。
「オーウェン殿下の軍が敵を追い込んでくるはずだ。挟み撃ちの用意を!」
「はい!」と慌ただしさにすっかり目を覚ました騎士たちが隊列を作っていく。
ロジャーが背中合わせにエイジの背後に立った。三つ編みが風で靡く。剣を脇に刺しながら声を潜めた。
「僕たちの隊は別で動くよ。暫くここで戦局を見極める」
「ああ。頼んだ。また後でな」
エイジがロジャーの肩をポンと叩いた。
木々に潜んでいたオーウェンたちが、森から逃げ出た敵を横から討っていく。
それを目視するなり、エイジは馬に飛び乗り、隊を引き連れ駆け出した。
「行くぞ!」
「おお!」
騎士たちが掲げた剣に朝日が反射した。
キャンベル家の騎士たちが城塀の上から身を乗り出すように、下で始まった戦いを観察している。
その城内。
ミリアがカーテンを開き、城壁の外に目をやりながら、肩を回した。
「外が騒がしいな」
「ああ。応援軍が突撃したんだな。どうする?」
「何を無駄なことを。不利なのは変わらん」
「俺たちが手を貸せば半々くらいか。いや、それでも少し足りないな」
「手を貸す必要などない」
きっぱり言い切ったミリアにジョゼが苦笑する。
「そうか。では、彼らの頑張りを見守ろうじゃないか。折角来てくれたのだから」
ソファに腰かけたジョゼが薄いチーズを手で摘まみ、一口齧った。しっかりした歯ごたえを感じた後、血管が沸騰するような塩味が広がる。脳が覚めた。
川には死体と砲丸が落ち、ただでも水位が上がっている。川の水を合流させる合図を、そろそろ送ってもいい頃だが。
「お手並み拝見だ」
ミリアが口の端を吊り上げた。
森の中は嘘のように静かだ。五百名にも満たないロジャーの隊が、自慢の武器を片手に息を潜め、虎視眈々とその時を待っている。
「ところで君はどうして、ここにいるの?」
ロジャーがユーゴを振り返った。
ユーゴは頭の後ろに両手を組んで、他人事のように傍観している。手を解いて、ロジャーに向かってはにかんだ。
「君は僕のお目付け役でしょ?だからできるだけ側にいた方がいいのかなって」
「お気遣いどうも」
ロジャーが社交的な笑みを向けると、ユーゴも同じように返した。剣を手に取り、一応、戦闘準備をする。
ロジャーの耳が僅かに動いた。
「来るぞ!」
喧噪の中、僅かに左手から聞こえて来た音に耳を澄ます。馬の蹄の音が徐々に近くなる。
速い!
「後ろだ!」
振り返って叫んだロジャーの目の前を、刃が掠めて行った。寸でのところでそれを躱す。
緩く編んだ三つ編みの紐が切れ、ぱら、と髪が広がった。
「惜しい♪」
ロジャーの目の前にいる男が剣を舐めた。楽しむような声音だ。紫紺色の髪が一房、風にそよぐ。
他の敵たちも左手奥の小高くなったところから一斉に駆け下りて来た。雑草が踏みつぶされていく。
緊迫感に包まれ、森がざわついた。
互いに静止したまま、暫し向き合う。
燃えるように赤い目がロジャーを捉えている。男からは気配を全く感じない。
ロジャーの体がドクリと脈打ち、全身が高揚した。
ああ、間違いない。大将クラスだ!
ロジャーの狐のような目が、三日月形に曲がった。




