53.最期
「お、まえ…」
ごぼぉ、と口からも血が流れ、王はそれ以上何も言えなくなった。腹を押さえて玉座から倒れ落ち、うつ伏せで寝転がる。
ベアトリスは剣を軽く振り、血を落とした。足元にある王の頭にもそれが飛ぶ。
我に返ったワヒドがベアトリスを指さした。
「お、お前、自分が何をしたか、分かっているのかっ!」
「勿論!あなたが女は非力だなんて言うから、力を込めて刺したわ。愚鈍な女にやられた気分はどーお?」
ベアトリスが笑みを濃くした。横たわったままの王は、痛みのせいか涙を流している。
「剣なんて、どこから…?」
呆然と呟いたディードをベアトリスが振り返る。
「助け起こす振りをしてラースが渡してくれたの。防具と同色だからアーム部分に潜めれば気づかれないわ。今度からちゃんと確認することね」
剣はベアトリスの肘から手首までの長さと同じだ。長細くて隠し持つには丁度いい。柄の部分を手のひらで隠せば準備は完璧。
騎士たちの意識が完全にベアトリスに向いていることを確認し、ラースが床に倒れ込むように肩の力を一気に抜いた。力ずくでラースの肩を押さえていた騎士二名は態勢を崩され前のめりになる。
その隙に剣を奪い、叫ぶ間も与えず一人の首を吹き飛ばした。
もう一人の騎士は慌てて剣を振り上げ、剣先が天井につっかえてしまった。慌てて引き抜こうとするが、中々抜けない。声には焦りが滲み出ていた。
「待て!待ってくれ!俺には妻も子どももいるんだ。だから」
「関係ない」
ラースがずぶりと剣を騎士の頭に突き刺した。抜いた途端に血が噴き出し、騎士は自分の血に向かって頭から倒れていく。床に突っ伏したきり、動かなくなった。
王は息も絶え絶えに荒い呼吸を繰り返す。床に腹をつけて寝そべったまま、情けない呻き声を上げ続けている。
ベアトリスがしゃがみ込んで、王の顔を覗き込んだ。
「ねーえ?どうして騎士は死んで、あなたはまだ生きていると思う?」
王の血塗れの手がベアトリスに伸ばされるが、空を切る。
「た…す、け」
「嫌だわ、陛下!もう助からないわよ。内臓を刺したもの」
ベアトリスが場に似つかわしくないコロコロとした笑い声を上げた。
悪魔だ…。
王のチカチカする脳がそう告げる。
頭上から悪魔の声が降ってきた。
「さっきの答えだけど、即死しないようにしてあげたのは、あなたには遺言を残すという仕事が残っているからよ」
うふふ、とベアトリスが微笑んでも、王はもう死の恐怖で頭がいっぱいだ。
ワヒドが両手で剣を握りしめ、離れた場所から詰った。
「ふざけるな!王を殺すなんて反逆罪だぞ!」
「反逆者を殺したんだから英雄の間違いでしょ?ねえ、あなた。さっき私には選択肢が一つしかないと言ったけれど、それは違うわよ。もう一つ選択肢があるの。裏切っていたのは側近だけということにするのよ。王はあなたたちの裏切りに気づいて殺された。どう、このシナリオ?」
ベアトリスの低い声に、側近たちが一瞬、息を呑んだ。
ワヒドが唾を飛ばしながら、ベアトリスを罵倒する。
「馬鹿か!もう王城の扉は開けられ、エラルド国の騎士たちが流れ込んできている頃だ!こんなことをしてタダで済むと思うのかっ!」
ベアトリスが頬に人差し指を当てて首を傾げる。
「それにしては静かだと思わない?先程から外の喧噪は聞こえているけれど、城の中は平常よね?」
「何を…」
「ねえ、どうして騎士たちの合同訓練なんてしたと思う?」
ベアトリスの問いに、側近たちは視線を彷徨わせた。
「…どうしてって、軍の統合を図る為でしょう。他に何が」
「統合?四家の軍の統合なんて、こんな短期間でできる訳ないじゃない」
フッと嘲笑したベアトリスに、男たちはカッとなる。
「じゃあ、何だというのだ!」
「情報収集よ。裏切り者の目星をつけるくらいの時間はあったわ。どういう意味か分かる?」
ワヒドが黙り込み、ディードが動揺したように机に手を置く。必死で笑おうとして何とも間抜けな顔になっている。
「陛下はオーウェン殿下の御父上なのですよ?こんなことをしてオーウェン殿下がどれだけ傷つかれるか」
「もう親子ではないと、王自身が言っていたではないの。聞いていなかったの?側近が呆れるわね。それに王を殺したのは、あなたたちって事になるのだから、何の心配もいらないわ」
残虐性を含んだ声に、側近たちが怯える。
ベアトリスは王のすぐ横に移動して耳を近づけ、大袈裟に声を放った。
「え!次の王位をオーウェンに授ける?ああ、陛下!陛下の最後のお言葉、しかと承りました。このベアトリス・スノーが必ずやオーウェンを立派な王にしてみせましょう!どうぞごゆっくり、あの世でお休みください」
立ち上がり、手を胸に当てて一礼をする。
「…し…に、く…な…」
小さく口を動かし、王は白目を剥いて絶命した。
「死にたくないですって?ええ、そうね。きっと戦争で死んでいった全員がそう思って死んだわ」
ベアトリスは用済みとばかりに王から離れ、側近二人に向き合う。
ラースがカツン、と足音を鳴らした。
剣から血を垂らし、徐々に近づいてくるその姿は処刑人そのものだ。側近たちは慄いて逃げ出そうとするが、ディードは体が動かず、机に手をついたまま、へたりと腰が抜ける。
ワヒドはベアトリスたちに背を向けて、泳ぐような不格好な走り方で逃げ出した。足がもつれそうになるのを必死で踏ん張る。
ベアトリスが駆けだし、即座にその背に剣を突き刺した。ずぶっと奥まで差し込み、勢いよく引き抜くと、本物の血だまりができていく。ワヒドが膝から崩れ落ちた。
ベアトリスがワヒドの足元に立ち、虫のように這おうとする様を面白そうに目で追う。
「女って確かに非力よね。私も剣は苦手だし。でもその分、小賢しい知恵はあるの。正攻法で勝てないなら不意を狙えばいい。卑怯な手だって許されるわよね?だって私たちは非力なのだから。これで公平でしょ?」
「あ…、あ…」
ワヒドはもう動く力も残っていない。ぐうぅという低い唸り声をあげ血を吐き出すと、自慢の口髭が血で染まった。少しの間、痙攣を繰り返し、腹を押さえて壁に頭をつけたまま息絶えた。
「ああ、やっと静かになったわ」
ベアトリスの振った剣から血が飛び散り、ディードの頬を汚す。ヒッと喉を鳴らし、尻もちをついた。床にできていたワインの血だまりで、みるみるお尻が濡れていくが気にする余裕もない。
「あ…………」と言ったきり何も言わず、一切動かない。動物が死んだふりをしているようだ。
何とも不甲斐ない姿だな、とベアトリスが蔑む。生死の岐路に立ったことがないのだ。戦時中の今ですら、戦争など自分たちとは遠いところの話だと感じていたに違いない。この男はそういう生き方をしてきたのだ。
ベアトリスとラースに見下ろされ、ディードの目の前に影ができた。剣など、とうに手からすり落ちている。もう握る力もない。味方は全員殺され、置物のようになっている。
小さな目から涙が溢れた。
逃げ出したいのに、金縛りにあったかのように体が動かない。口を上下にアウアウと動かすが、音にならなかった。
ベアトリスが剣をディードに向けた。
ドッドッドッドッと心臓の音が速く大きい。
やられる!
ギュウと固く目を閉じ合わせた。
しかし、いつまでたっても体に衝撃が訪れず、恐る恐る目を開ける。至近距離でベアトリスと目が合い「うあぁぁ!」と上半身が床につきそうなくらい仰け反った。
「失礼ね。こんな美人と目が合ったんだから喜びなさいよ」
男は何も言えず、ただ歯をガチガチと鳴らしている。身を縮こまらせて赤ん坊のような態勢でベアトリスを見上げた。
「あなたには二つの選択肢があるわ。一つは他の人たちと同じように、ここで死ぬこと」
無慈悲な瞳で見据えられ、ディードがビクッと大きく体を震わす。
ベアトリスはそんな男の胸ぐらを掴み、目を合わせた。
「もう一つの選択肢は、王を殺したのは、その男だと証言することよ。そうすれば生かしておいてあげる」
ベアトリスが横目で見たのは、大きく開いた口から血を流し、壁に頭をつけたまま死んでいるワヒドだ。
「あなたも、ああなりたい?」
ぶるぶると頭を横に振る。
「そう。ではあの男が国を裏切り、それを知られたから王を殺したと言ってみなさい」
「…あ、あ、のおとこ、が、くにをうら、ぎり」
「そんな演技で騙せると思っているの?使い物にならないなら生かしておく意味などないのよ」
「ヒィッ」
胸ぐらを掴んでいた手を離すと、ディードが数度咳き込んだ。
「あいつが国を裏切り、王を殺した。そして偶然にもその現場に居合わせた私が、王の敵討ちとして男を殺した。いいわね?その上で王の遺言を伝えるの。『王位をオーウェンに譲る』とはっきり聞いたと証言するのよ。できる?」
ベアトリスの目に射抜かれ、男は何度も頭を縦に振った。
「あなたは幸運よ。最初に逃げた方を殺そうと思っていたの。背中を向けて逃げ出すなんて無様な真似、よくできるわね。愚鈍な男に相応しい最後だったわ」
ベアトリスは王の椅子に座り、ワインをボトルごと喉に流し込む。ごきゅっと喉が鳴った。
口の端に垂れたワインを人差し指で拭う。
「あ」と思い出したように側近の男が小さな声を出した。
「何だ?」気づいたラースが鋭い視線を送る。
「…い、妹君が…」
「イザベラが何?」
ベアトリスが勢いよく椅子から立ち上がり、男に詰め寄る。
男は条件反射で顔を腕でガードし、しどろもどろになりながら答えた。
「へ、陛下がイザベラ様に刺客を…」
「何ですって!」
男を置いて駆け出そうとしたその時、シャンデリアが静かに下がり始めた。その重みで天井が引っ張られ、一部が下がり始める。
「何事?」
天井の一部が長方形に切り取られ、床へと続く階段と化していく。
真下にいながら、呆然とその様子を眺めていたディードを、ベアトリスとラースが救出した。
階段から誰かが下りてくる音が聞こえる。ベアトリスはラースとともに剣を構えた。
「おや、ベアトリス嬢ではないですか?」
階段を下り、こちらに顔を向けた男が低い声で言った。
ベアトリスが警戒したまま、その名を呼ぶ。
「…フューイ」




