51.判明
負傷者多数で足止めを余儀なくされていたオーウェンの軍だったが、遂にキャンベル領に入った。
疾走する馬を操りながら辺りを見渡す。起伏の激しいポール公爵領とは違い、平地が広がっている。森、川、農地、民家が目に入ってきた。キャンベル城までは百キロ以上あるが、これなら日数は掛からないだろう。
「オーウェン殿下。傷の具合はどうですか?」
オーウェンの腕に巻かれた包帯を見て、横を走るダクトが尋ねる。エイジ率いる第三騎士団の騎士で、泣きボクロが印象的な好青年だ。
「問題ない。急ごう」
予定よりも遅れている。すっきりしない天気が続き、馬が駆ける度に泥が跳ねた。
疎らな民家の前を通り過ぎる。右手に土手が見えた。
キャンベル領は豊富な水源に恵まれていたな、と出立前に見た地図を思い浮かべる。
自然も多く、良い土地だ。戦争で台無しにしてしまうのは避けたいものだが…。
二日目にはキャンベル城を間近に確認することができた。
森に潜み、状況を確認する。そろそろ日が暮れる頃だ。
どうやら川とキャンベル軍の攻撃に阻まれ、敵陣はまだ城壁を攻略できていない。膝まである土手に足をかけ、城目掛けて槍や銃を放ち続けている。
オーウェンは地面に座り込み、片足を立てた。
「キャンベル城の詳細な地図はあるか?」
「こちらです。詳しい内部状況は不明ですが」
「構わん」
オーウェンはダクトから地図を受け取り、その特殊な構造を眺める。
通常時は城壁の一部が満開の花びらのように開き、橋として使用されている。
それが今は橋が上げられ、蕾のような形で、城壁として城を守っている。
地図によると、城壁の周りを流れる幅、五・六メートルの川が二重で城を守り、川向こうには高さ一メートルの土手が作られている。
「なるほど。決して負けない城、か」
防御に優れた城である。
オーウェンは地図をダクトに返し、戦況を見守った。
ダクトが地図を仕舞いながら、同じく敵の攻撃に目を移す。
「ポール伯爵の率いる軍は左手に見える森にて待機中です。機会を見て同時に攻めましょう」
「まだだ」
オーウェンが腕を組んで、敵陣を睨みつけた。
伝令係によると、王城を包囲しているのはエラルド国の軍だ。
目の前にいるのはサイファ国の軍、一万五千。国の大きさを考えると少なすぎる。王城に向かっていないなら、援軍が必ず来るはずだ。
その背を狙う。
「時を待つ。いつでも出陣できるようにしておいてくれ」
「はい」
そこへパラリと雨が一粒落ち、オーウェンの左頬を濡らした。
雨か、鬱陶しい。
右手で乱暴に拭う。
「この地方では、これからの時期よく雨が降るそうですよ」
「そうか」
雨に紛れれば敵に気づかれずに近づける。その上、火薬が水に濡れれば銃が使えなくなる。弓矢や槍での攻撃が多いこちらにとっては幸いだ。
「降雨量の多いキャンベル領では治水事業にもかなりお金をかけているとか」
「だろうな。来る途中で土手を幾つも見た…」
何かに気づいたオーウェンが声を上げる。
「ダクト!もう一度地図を見せてくれ!」
オーウェンの声に切迫したものを感じ、ダクトは即時に地図を渡す。
現状と見比べ、オーウェンが顔色を変えた。
「おいおい…」
☆
ベアトリスは目的なく部屋をうろつく。フューイたちがいつこの場所を特定するか分からない。そう考えると眠りにもつけない。
王は本棚の奥に隠された一人部屋で就寝中だ。ちらりと盗み見た部屋には、天蓋付きのベッドがあった。
側近二名はじっと椅子に座って、声を潜めて会話をしている。騎士がベアトリスと側近の間に入るように行く手を遮る為、内容までは聞こえてこない。
人を不審者のように…。失礼な騎士ね!
ベアトリスが眉間に皺を寄せると、本棚が横にずれ、王が姿を現した。
「ポール家の人間はまだ現れないようだな」
王は部屋の四方に視線を送り、側近がいる丸テーブルへと優雅に向かう。無防備な衣服姿で、側近が用意したワイングラスを手に取り、一気に飲み干した。
「美味いな」
暢気なものね、とベアトリスはその姿を横目で捉える。
何気なく手を置いたローテーブルには香水が置かれ、奥行きのあるウッディな香りがした。閉じられた部屋で唯一外の空気を感じる。
香りのセンスはいいようね。
おかげで少し心が休まった。ベアトリスはローテーブルの上にある絵画を鑑賞する。
飾ってあったのは歴代一とも名高い故ルーカス王。
三代前の王で真っ赤なマントを靡かせて立つ姿は何とも勇ましい。背景には台座に置かれた王冠、金の垂れ幕、一部に城の柱が見えている。
まるで実際に目の前にいるかのように鮮やかだ。
権威を掌握した立派な王の姿に、なぜかオーウェンが重なった。
オーウェン、どうしているかしら?
出立の時に抱きしめられた力強さが蘇る。考えると不安になるから気を逸らしてきたのに…。
「ベアトリス嬢」
王たちが立ち上がってこちらを観察している。
「その絵は気に入ったかね?」
「ええ。とても。ルーカス陛下の凛々しさと威厳が溢れ、臨場感もお見事です」
「私もその絵が一番好きだ。我が国が一番栄光を掴んでいた時代だな」
「いいえ!これからですわ。この戦争に勝って陛下がそれ以上の栄冠を掴むのです」
少し驚いたように王は目を見開き、「そうだな」と豪快に笑った。
「ベアトリス嬢。こちらでワインでも飲もうではないか」
「有難きお言葉に感謝します」
丸テーブルにつき、注がれたワインを受け取った。乾杯とグラスを持ち上げ、王の手前、少量を口に含む。
ぶわっと広がる葡萄の香りが広々とした草原を想起させた。青い空を雲が泳ぎ、鳥がそれを追いかけていく。風を感じる味だ。
「なんて爽やかなのかしら」
いつもの一気飲みでは、こんな情緒は感じられなかっただろう。
「まだまだある。好きに飲みなさい」
お言葉に甘え、飲み干した。
まさか王とこんな風にお酒を飲み交わす日がくるなんて、少し前までは夢にも思わなかった。
オーウェンの父親ですものね。
ベアトリスは二杯目を口に含んだ。絵画を鑑賞してワインを堪能できるなんて今日は良い日ね。
「ところで隠し部屋は一体幾つあるのです?」
「それは秘密だ。ただ迷路のようになっているとだけ言っておこう」
「それではこの部屋に辿り着けない可能性もあるということですね」
あまりにも来ないので気が緩んでしまいそうだ。それともワインのせいだろうか。
「ポール公爵家が裏切っているという確証もないのだ。そう心配するな」
確かに王はゆったりと構えている。側近の一人がベアトリスのグラスにワインを注いだ。その拍子にベロアの黒い服から覗くフリルが揺れる。
「ありがとうございます」
グラスを掲げて回す。赤い液体がグラスの中で跳ねた。
美味しいわ、このワイン。どこの畑のものかしら?
側近の手元にあるワインボトルのラベルを盗み見ると、「サルピス・マルー」とある。サルピス地方のマルー氏によって作られたということだ。
サルピス地方ってどこだったかしら?今度取り寄せたいわ。
ワインがするっと喉を通る。
「おおっと」
酔っぱらっているのか王がグラスを倒し、木製の丸テーブルにぶちまけた。
「失礼」と片手を上げて笑う。
側近が慌てて立ち上がり内ポケットからハンカチを取り出した。その弾みで手紙がぽろりと机に落ち、瞬く間にワイン漬けになった。
「大変!」
ベアトリスがそれを掴み、手紙を振って水を払う。ハンカチで表面のワインを拭くと、水分を含んで中の文字が滲んで見えた。
右下にサイファ国の刻印を見つけ、愕然として手が止まる。
どうしてその可能性に気づかなかったのだろう。
ドッと心臓が早くなった。
それはサイファ国との密書だった。
顔色を変えたベアトリスに、王の側近二名が両側から剣をかざした。
ベアトリスの首の前で交差する前に、後ろからラースが椅子ごとベアトリスを救出する。ベアトリスを背に隠し、剣を構えた騎士たちと対峙した。
「…これは一体、どういうことかしら?」
一触即発の空気の中、ベアトリスも腰にさしていた剣を引き抜いた。




